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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.200 (2003/12/28)
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 □ 沢井鯨『P.I.P』
 □ 大崎善生『将棋の子』
 □ 角田光代 『菊葉荘の幽霊たち』
 □ 重松清『カカシの夏休み』
 □ 東野圭吾『おれは非情勤』
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●693●沢井鯨『P.I.P プリズナー・イン・プノンペン』(小学館文庫)

【評価:A】
 ベトナム人の少女娼婦・タオに惹かれてカンボジアを再訪した日本の元中学校教
師が、韓国人の友人が経営する孤児院の運営資金を騙し取ったネパール人を捕まえ
ようとして、逆に誘拐罪で逮捕される。証人の友人も殺され、過酷で不条理なプリ
ズナー生活が始まる。構成上の趣向も文章の錬成もなく、ただ作者の実体験が綴ら
れるだけの手記を読んでいるような味気なさ。ここまでの評価はC。──死の淵に
たたずむ絶望的な獄中生活は、主人公の心と頭を鍛え上げていく。獄内を仕切るボ
スとの肉弾戦を経た友好関係や、卑劣極まるカンボジア人の裏切り。囚人たちから
聞かされるこの国の現実、毛沢東とポルポトの出会いに始まる酸鼻の歴史。教養小
説と情報小説が合体したような叙述。この時点での評価はB。──ついに「決行の
時」を迎える。「ここは、悪魔の住む恐ろしい国だ。正義など存在しない。」監獄
の最高責任者・ビッグボスと金で話をつけて、まず裏切り者のカンボジア人の眼球
を抉りだす。韓国大使館をまきこんだ頭脳戦を経て、かのネパール人への復讐を果
たす。亡き友人の遺志を継いで孤児院を再開し、タオをスタッフに迎える。苦くて
甘いノワールの味わいを湛えた最終章を読み終えて、最終的な評価はA。馳星周の
解説も秀逸。

●694●大崎善生『将棋の子』(講談社文庫)

【評価:C】
 将棋の子(天才少年)たちが、プロ棋士をめざして苛烈に戦う奨励会。棋士たち
の既得権を守る理不尽なルール(年齢制限や三段リーグ)。競争に敗れ退会し、一
般社会に出た者にとって、奨励会の修業は限りなく無に近い。「そして、悩み、戸
惑い、何度も何度も価値観の転換を迫られ、諦め、挫折し、また立ち上がっていく。
」──将棋世界編集部時代の著者と、羽生善治を中心とする天才少年軍団によって
駆逐された将棋の子の一人、札幌出身の成田英二との11年後の再会を軸に、退会
者たちのその後の人生の軌跡をたどる著者の眼差しは、優しい。でもその優しさが、
非情な世界を描く筆致とのあいだで齟齬をきたし、抒情に流れ感傷に走りそうにな
るや話題をいったん切り替える構成の不自然とあいまって、ノンフィクションに混
在した著者の私情を浮き彫りにする。「将棋に利ばかりを求め、自分が将棋に施さ
れた優しさに気づこうともしない棋士と比べて、ここにいる成田は何と幸せなのだ
ろうと私は思う。」成田の無惨なまでの未成熟を前にして、この言葉は空疎に響く。
「将棋は厳しくはない。本当は優しいものなのである。」奨励会制度への批判を封
じこめたこの評言に、説得力はない。

●695●角田光代 『菊葉荘の幽霊たち』(ハルキ文庫)

【評価:C】
 高校時代の同級生で「はじめて一緒に眠ったあかの他人」の吉本が、木造アパー
ト・菊葉荘にぞっこん惚れ込む。住人を追い出し吉本を引っ越しさせるため、ニセ
学生になりすました「わたし」は5号室に住む二流私大生の蓼科に近づく。胡散臭
くていかがわしい住人たち。祭壇とともに暮らす1号室のP、姿の見えない2号室
の住人、「ふじこちゃん」に恋する3号室の小松、女の出入りがたえない4号室の
中年男、フリルまみれの服を着た6号室の四十女。吉本と「わたし」の関係だって
奇妙だし、蓼科をとりまく学生たちもどこかズレている。そもそも「わたし」の言
動にしてからが歪であやしげ。最後には吉本が失踪して、「わたし」はどこかこの
世とは思えない空間に放り出される。「だれがいて、だれがいないのかまったくわ
からない。…区分けされた小さな空間で、それぞれの奇妙な生活をくりかえしてい
るのかもしれない。わたしたちが自分の部屋に追い出されて、こうして影みたいに
うろついているように。」──セックスを性交と即物的に表現する「わたし」の希
薄なリアリティ感覚が、しだいに日常生活に潜むプチ・ホラーをあぶりだしていく。
不思議な味わいのある作品だが、やや散漫で凝集に欠ける。

●696●重松清『カカシの夏休み』(文春文庫)

【評価:AA】
 重松清の作品は、センチメンタルで甘い。事故死した同級生の葬儀で22年ぶり
に再会した中学の同級生四人が、補償金とともにダムの底に沈んだ少年時代への思
いにつき動かされ、干上がったふるさとを確認する旅へ出かける表題作で、小学校
教師の小谷は、リストラで系列会社に放出された同年齢の父親の暴力に心を壊され
かけた教え子を自宅に引き取る。「教師がセンチメンタルで甘くなかったら子ども
たちが困るじゃないか」。小谷は、いま・ここから逃げ出して、過去というパンド
ラの匣のうちに希望(和解)を見出したいわけではない。甘ったるい感傷にかられ
て、あの時・あの場所に「帰りたい」と思っているわけではない。「僕たちがほん
とうに帰っていく先は、この街の、この暮らしだ」。過去へのノスタルジーの禁止
と、死という偶然の受容。「もう、駄目だ……疲れちゃったよ」(「ライオン先生
」)とつぶやく現実の苦さのうちでこそ、「幸せって、なんですか?」(「カカシ
の夏休み」)の問いや「誰かのために泣いてあげられる人」(「未来」)になりた
いという思いが意味をもつ。この断念と認識と覚悟に支えられているから、重松清
のセンチメンタルで甘い作品は、感動をよぶ。小説を読んで感動するという、とう
にノスタルジーにくるまれた経験が再来する。

●697●東野圭吾『おれは非情勤』(集英社文庫)

【評価:B】
 ジュブナイル・ハードボイルドの佳品。でも、そんなジャンル、聞いたことがな
い。小学校の非常勤講師の「おれ」が、一文字小学校から二階堂小学校、三つ葉小
学校、四季小学校、五輪小学校、六角小学校まで、六つの学校を渡り歩いて、殺人
事件や盗難事件、飛び降り自殺や同未遂、脅迫付きの自殺予告、砒素入りペットボ
トル事件の謎を、クールな直感でもっていとも軽やかに解き明かす。犯罪をとりま
く状況や背景はけっこう重たいけれど、トリックそのものは漢字や計算式や略語を
使っての言葉遊び。このあたりがジュブナイルたるゆえん。で、最後に、子どもた
ち相手に、時に世間体にこだわる校長や教頭に向かって、訓辞をたれる。「なあみ
んあ、人間ってのは弱いものなんだよ。で、教師だって人間なんだ。おれだって弱
い。おまえらだって弱い。弱い者同士、助けあって生きていかなきゃ、誰も幸せに
なんてなれないんだ。」こんな台詞を吐くのは、やっぱりハードボイルド教師だけ
だろう。──小学五年の劣等生、小林竜太が鮮やかな推理力を発揮する短編二つが
オマケについていて、デザートとして最適。

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