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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.198 (2003/12/27)
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 □ 松井今朝子『奴の小万と呼ばれた女』
 □ デビー・マッコーマー『木曜日の朝、いつものカフェで』
 □ 茅田砂胡『デルフィニア戦記 第I部 放浪の戦士』
 □ 町田康『屈辱ポンチ』
 □ 宮沢章夫『茫然とする技術』
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●683●松井今朝子『奴の小万と呼ばれた女』(講談社文庫)

【評価:B】
 出来事に即して淡々と、かつ、メリハリをきかせた叙述が心地よい。なによりも、
素材の生きがいい。木津屋の鬼娘・お雪(奴の小万)の剛毅と可憐、後の文人・木
村蒹葭堂こと吉右衛門のどこか凄みを帯びた知性の輝き、里恭先生の苦楽を超えた
颯爽たる挙措言動、黒舟親仁の威風堂々ぶり、お雪の二人の腰元の溌剌とした野卑、
そしてお雪と愛し合った二人の男の末路の哀れさが心に残る。冒頭と終末に古書店
の老女(現代に生きるお雪の霊?)を配し、お雪の晩年を史実に語らせ、読者の想
像力に訴える構成も素晴らしい。文句なしに第一級の読み物だと思う。とは思うが、
なにかもどかしい。快男児ならぬ快女児の胸のすく痛快・爽快な物語への勝手な期
待が高まって、お雪と世間──「嘘でも人並みでありたいと願う一人一人が作り出
した世間様という名の怪物。何千何万ものからだを持ちながら顔は一つしかない化
け物」──との闘いの決着に、物足りなさを覚えてしまうのだ。

●684●デビー・マッコーマー『木曜日の朝、いつものカフェで』
                     (石原まどか訳,扶桑社セレクト)

【評価:C】
 読み進めていくうち、あまりに達者で上手すぎるデビー・マッコーマーの小説技
法がだんだんと鼻につきはじめて、なぜだか突然腹がたってきました。年齢も境遇
もまったく違う四人の女性をめぐる四つのストーリー──ビジネス・ウーマンの劇
的で陰翳に富んだ経験談(別れた夫の死を看取るクレア)、人生後半の伴侶をめぐ
る初老の臆病な恋物語(年下の小児科医と結ばれるリズ)、人生の岐路を迎えた女
優志願の若い女性の家族との和解(婚約者と天職を得たカレン)、そして幸福な家
族を見舞ったちょっとした事件(高齢出産で家族との絆をより強めたジュリア)─
─が巧みに組み合わされ、あまりに流暢に語られるので、ほとんど抵抗なしに物語
の世界へ入っていける。入っていけるのはいいのだけれど、そこから出てきたとき、
軽い欠伸の一つとともに、なんの抵抗も屈託もなく我に帰ることができるに違いな
い、そんな完璧にスケジュールが組まれた小旅行のような読書体験が嘘っぽくて嫌
になり、それはきっと私が四人のヒロインたちに感情移入できなかったからだと思
う。それでも、読み終えたとき、よくブレンドされた逸品の珈琲を堪能した後の心
地よい陶酔の香りが漂っていたのは、さすがです。

●685●茅田砂胡『デルフィニア戦記 第I部 放浪の戦士』1〜4(中公文庫)

【評価:A】
 正直に言うと、それほど期待していなかった。すぐに飽きてしまうんじゃないか
と思っていた。なにしろ「ティーンズノベル」、オヤジが読むものではないと思い
こんでいた。(これはまったく脈絡のない話題だけれど、その昔、私がまだ十代の
頃、ジュニア小説というジャンルが活況を呈していて、私もずいぶん愛読したもの
だが、もし今この年になって読み返すと、たぶんもうダメだと思う。)でも、とこ
ろがなかなかどうして、いったん読み始めるとこれがすこぶる面白くて、とうとう
一気読みで最後まで完走してしまった。戦略小説、政治小説としても絶品、かどう
かはその道のプロの判定に委ねるとして、人物の造形といい筋の運びといい、第一
級の語り手の手腕に気持ちよくのせられて、まだ読んだことはないけれど、かつて
サラリーマンのバイブルと言われた(かどうか記憶がはっきりしないが)かの山岡
壮八の『徳川家康』もかくやと思わせる感興を味わった。とりわけ第3巻、ウォル
とリィが非業の死を遂げた父の復讐を誓う場面、「この剣と戦士としての魂に掛け
て」という台詞を読んで、不覚にも涙がこぼれそうになった。お勧めできます。

●686●町田康『屈辱ポンチ』(文春文庫)

【評価:C】
 紛れもない「文学」の匂いと力を感じます。保坂和志さんが解説で、町田康の小
説はひじょうにリアルだ、「リアル」とは「現実の底に横たわるもの」のことで、
それは「感情」なんかを超えて「物」にちかいような「もの」だと書いているのは、
「社会」(サラリーマンが住む社会)と社会の向こうの神や仏や鬼の世界に向けて
書かれる「文学」との違いを踏まえてのことで、だから、町田康が描く「けものが
れ、俺らの猿と」のどことなく高橋留美子を思わせるシュールな世界や「屈辱ポン
チ」の摩訶不思議で危ない世界は、まさに「現実の底」であり「社会の向こう」な
のであって、そのような世界を見据え叙述することこそが紛れもない「文学」の仕
事なのだということになる。話の筋などはこの際関係なくて、町田康の文体という
か語り口は、個人的な好みなど粉砕してしまうとてつもない起爆力を持っている。
文体・語り口と話の筋と表現される世界が渾然一体となったとき、この人の書くも
のはきっと途方もない傑作になるだろうと思う。いや、私が知らないだけで、町田
康はもうとうにそのような小説を書いているのかもしれない。

●687●宮沢章夫『茫然とする技術』(ちくま文庫)

【評価:B】
 なにしろタイトルがいいですね。カバー裏の「脱力感みなぎる71篇」という評言
も秀抜です。力が抜けて脱臼し、関節がはずれる感じがうまく表現されています。
脱臼とか関節はずしというと、かのジャック・デリダの脱構築が思い浮かびます。
筒井康隆の「関節話法」(『宇宙衞生博覽會』)は、文字どおり関節を鳴らして異
星人とのコミュニケーションを図るという趣向でしたが、宮沢章夫の関節話法は、
世界の根源にある力がぎくしゃくと軋み、狂気すれすれの世界が現出するその様を、
ほとんど狂気そのものの精神でもって描写し尽くします。(脱構築とはつながらな
かったけれど、このつながらなさ、ズレた感じもまた宮沢章夫的である、と言えば
言えます。)実際、宮沢章夫のエッセイは、読みすぎると狂いますよ。それだけの
力があります。「読書する犬」に収められた書評や解説は、一見まっとうなことを
書いているように見えるふしがありますが、騙されてはいけません。やはりそこは
ハマると抜け出せなくなる狂気の世界です。要注意。

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