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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.195 (2003/12/07)
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 □ ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
 □ 松沢呉一『エロ街道をゆく』
 □ スティーヴン・キング『ドリームキャッチャー』
 □ アンドレアス・エシュバッハ『イエスのビデオ』
 □ モーリス・ルヴェル『夜鳥』
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●668●ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』(新潮文庫)

【評価:AA】
 短編小説を読む愉しみのすべてが凝縮されている。(といっても、「短編小説を
読む愉しみのすべて」を語れるだけの経験があるわけではないけれど。)なんとい
っても、文章がきりりと引き締まっていて、人物の陰翳がくっきりと描き分けられ
ている。無駄はないのに、何かしら語り尽くせぬ余剰があり、それが深い余情とな
って読者の脳髄のなかでひとつ鮮烈な像を結ぶ。幸田露伴は、俳諧とは「異なった
もののハルモニイ」だと語った。短編小説を読むということは、たぶんそういうこ
となんだろうなと思う。(もちろん、俳諧と短編小説とでは文学的感興の種類は違
うけれど。)──収められた九編は、いずれも絶品。個人的には「セクシー」が印
象に残った。「セクシーって、どういう意味?」「知らない人を好きになること」。
少年のこの答えは、ミランダの「素肌の下へしみこむような言葉だった。デヴの言
葉もそうだったが、いまは火照るというよりは冷たく麻痺しそうだった」。たった
一つの言葉で、不倫の愛の始まりと終わりを語り尽くす。こんな鮮やかな短編は、
これまで読んだことがない。

●689●松沢呉一『エロ街道をゆく』(ちくま文庫)

【評価:B】
 「死んでもいい」とまで思わせる性的快楽って、いったい何なんだ。それが実は
よくわからない、というのが松沢さんの答えである。「性的快楽というのは、それ
自体無条件に成立するものではなく、非常に精神性が強く、あいまいなものでさえ
あることがわかる。実は性的快楽の実体さえもわかっていないのが我々の科学とい
うものだ」。だから、性的快楽とは何か(性科学)は、実験室での観察や書斎の思
索ではなくて、妖しげで蠱惑的な横丁での、自分自身の器官と皮膚と前立腺をつか
った実験(実地の体験)によってしか究めることはできない。ここに、風俗ライタ
ー(エロライターとも)としての松沢さんの方法序説が高らかに宣言されている。
(「我勃起する、ゆえに我あり」?)──ジョルジュ・バタイユは、「死は涙に結
びついているが、性欲は時として笑いに結びついている」(『エロスの涙』)と書
いている。この「涙」と「笑い」こそ、本書にもその名が出てくる代々木忠さんの
不朽の名著『プラトニック・アニマル』の世界に通じる、松沢さんの文章の潔さの
ゆえんなのだが、ここでバタイユなど引用したのは評者のテレ以外の何ものでもな
い。

●690●スティーヴン・キング『ドリームキャッチャー』1〜4(新潮文庫)

【評価:C】
 世界はあらかじめ夢見られている。ある科学哲学者の言葉だ。でも、もしそれが
悪夢だったら? たとえばエイリアンが侵略して、人類が滅亡の危機に瀕するとい
ったような。大丈夫、そんな時のためにドリームキャッチャーがある。それはアメ
リカのネイティブに伝わる魔よけで、「撚り糸を蜘蛛の巣状に編んだだけのたわい
もない代物」のこと。この作品は、四人の幼馴染みと彼らの共通の友人が、人類の
厄災をふりはらうドリームキャッチャーとなって、死を賭してエイリアンと闘う友
情巨編である。「四本の紐には数多くの横糸が結びつけられているが、四本をつな
ぎあわせているのはあくまでも中心だった。四本は、中心の核の部分で融合してい
るのである」。──作中、印象的な言葉がある。「加速の度合いがある段階を過ぎ
ると、あらゆる旅は時間旅行に変わる。そして、あらゆる旅の基盤は記憶だ」。そ
れはこの作品自体にも言えることで、しだいに緊迫する三つ巴の追跡劇の「加速」
とともに、五人の少年たちの秘められた「記憶」が明らかにされていく。物語のこ
の二重構造にうまく乗れたなら、読者は深い感動を味わうことになるだろう。残念
ながら、私は乗れなかった。

●691●アンドレアス・エシュバッハ『イエスのビデオ』上下(ハヤカワ文庫NV)

【評価:B】
 考古学アドベンチャーにタイムトラベルもののSFと神学ミステリーの風味を加
味した、なんとも豪華で贅沢な趣向が凝らされた読み物。2000年前の人骨といっし
ょに発売を3年後にひかえたソニーのビデオカメラの取扱説明書が発掘されるとい
う奇想天外なオープニングにはぐっときたし、後日譚で明かされるイエスの真実(
ここの部分をもっとふくらませて、緻密に伏線も張って書いていれば、未聞の宗教
エンターテインメント小説に化けたかもしれない)や、歴史と物語を一気にふりだ
しにもどすエンディングの余韻にはすてがたいものがあった。なによりヒーロー(
ベンチャー・ビジネスに長けたアメリカの冒険野郎)とヒロイン(気が短くてスタ
イル抜群のイスラエルの格闘少女)がけっこう魅力的だった(シリーズ化に期待)。
でも、肝心の活劇部分がやや物足りなくて、ヒーローとヒロインの恋と冒険の顛末
も消化不良のまま。億万長者のメディア王や教皇付きマフィアといった悪役・敵役
にも凄みと知謀が欠ける。せっかくの素材が旬の味を十分いかしきれないまま盛り
つけられた料理を食したような欲求不満が残る。

●692●モーリス・ルヴェル『夜鳥』(創元推理文庫)

【評価:A】
 チャップリンとヒッチコックが一緒になったような感じ。あるいは、チェーホフ
の初期短編とポーの作品をあわせ読んだような感じ。乞食や売春婦、役人や集金人
や犯罪者といった市井の無名者たちの生の一断面が、「恐怖美、戦慄詩」(夢野久
作の評言)を湛えた31篇のコントのうちに丹念に採集され、人間心理と都市の闇に
潜むものへの鋭敏な感受性をもったモーリス・ルヴェルの、ゾクゾクする語り口に
よってホルマリン漬けにされている。この独特の味わいは、どこか少年時代の読書
体験を思わせる。──私の愛読書、橘外男や夢野久作の世界にしっかりとつながっ
た、懐かしさを感じさせる田中早苗の翻訳が実にいい雰囲気を醸しだしている。巻
末に付された小酒井不木や甲賀三郎や江戸川乱歩、等々の『新青年』作家たちの文
章もいい。本邦ミステリーの原典とも言うべき珠玉の書物。

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