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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.194 (2003/12/07)
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 □ 北野勇作『ハグルマ』
 □ 嶽本野ばら『カフェー小品集』
 □ 古橋秀之『T]』
 □ イーサン・ケイニン『宮殿泥棒』
 □ 中島義道『私の嫌いな10の言葉』
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●663●北野勇作『ハグルマ』(角川ホラー文庫)

【評価:D】
 現実(夢や幻覚)が虚構(ゲーム)に取り込まれ、再び現実(肉体感覚)に送り
返される。この果てしない繰り返しのうちに無数の可能世界(ストーリー)が分岐
し、イジェクトもリセットもできない入れ子式の無間地獄が延々と続いていく。「
ハグルマ」と名づけられた開発中のゲーム(「プレイヤーを催眠状態にまで導き、
その当人のなかにある夢や幻覚を掘り出してみせるゲーム」)にはまった男の悪夢
の世界を描いた作品。歯車とは「ある規則で動いている世界に、別の軸の世界から
の力を伝える仕組み」のことで、人間の意識の比喩である。世界の「すべてに意味
があり、それらは互いに作用しながら連動し、ひとつの仕組みを作っている」ので
はなくて、「ほんとうはすべてがばらばらで、人間の意識がそれらを無理やり噛み
あわせ繋げている」。この中学生でも考えつきそうな、だからこそ「肉体感覚」に
根ざした真正の哲学の問題がそこから立ちあがるはずのアイデアに、作者が心底リ
アリティを感じていれば、もっと迫真の恐怖を描くことができたろう。カバー裏に
「『ドクラ・マグラ』的狂気の宴」と書いてあったが、誇大広告だ。

●684●嶽本野ばら『カフェー小品集』(小学館文庫)

【評価:A】
 京都の大学生だった頃、行きつけの名曲喫茶があった。白川通と今出川通が交差
するところ、銀閣寺道駅で市電を降りて南に少し下った西側に「ゲーテ」という名
のその店はあった。小津安二郎の映画(たしか『麦秋』)に端役で出たという年輩
の店主がいて、めったに口をきくことはなかったけれど、ほぼ毎日通ってはバッハ
の無伴奏チェロ組曲をリクエストして、好きな本の抜き書き帳を作ったり、ついに
仕上げられなかった小説の書き出しの部分をいくつかノートに書きつけたりもした。
そうした古いカフェー(「カフェ」でも「喫茶店」でもない)に長時間いすわって
いると、確かに、何かしらこの世に実在したとは思えない出来事の記憶が甦ったり、
ありもしなかった恋愛の早すぎた一部始終が思い出されたりする。この「エッセイ
集とも短編小説ともガイドブックともとれない不思議な小品集」(作者の言葉)は、
小説が生まれる現場(孤独に耽るための場)をフィクションとノンフィクションの
両面から余すところなくとらえた、忘れがたいシャレた味わいと「実用性」を兼ね
備えた短編集だ。

●685●古橋秀之『T]』(電撃文庫)

【評価:B】
 「ゲーム小説」というジャンルがあるんですね。私には未知の世界ですが、こん
どはじめて読んで、このいかにも作り物の世界がけっこう面白かった。ちょっと唐
突ですが、かの「教養小説」が、一つの人格が徐々にビルドされていくプロセスを
追体験して、主人公への感情移入を楽しむロマンだとすれば、この作品など(「工
学小説」と名づけておきましょうか)は、あらかじめ輪郭づけられた複数のキャラ
が、取り替え可能なシチュエーションのなかで絡み合い織りなしていくストーリー
そのものを純粋に消費しながら、作者との共同作業でもって架空の背後世界を想像
していく、かなり抽象度の高いプロセスを楽しむノベルなんだと思いました。「背
後世界」とは無数の物語を生み出すデータベースのことで、ロマンにとっての実社
会や神話的世界がもつ濃密なリアリティとは違って、いまたまたま上演されている
筋書きがそこ(データベース)から切り出された一つのストーリーでしかないこと
を観客(読者)に指し示す、歌舞伎の書き割りのような希薄なリアリティを纏って
います。こういった作品を読者に受け入れられるように書くには、かなりの才能が
必要でしょう。

●686●イーサン・ケイニン『宮殿泥棒』(文春文庫)

【評価:AA】
 一瞬の気の迷いで、美しいけれど浪費癖のある妻と結婚した中年会計士の、成功
した友人をめぐるありきたりの苦悩とささやかな、でもきっと激しく胸震わせたに
違いない一時の快哉を淡々と描写する客観的な筆致(「会計士」)。妻に去られた
男の、痛ましくはあるけれど同情に値しない孤独と、一人息子とのつかの間のふれ
あいや微妙なすれ違いを綴った、ほろ苦くて透明な哀しみが漂う絶妙な筆遣い(「
傷心の街」)。老教師の小心きわまりない心の葛藤を戯画的に描く、嗤いや嘲笑、
ましてやシニカルな冷笑でもない、かといってほのぼのと温かくもない乾いたユー
モアを湛えた文体(「宮殿泥棒」)。──「人格は宿命だ」(ヘラクレイトス)。
本書には、この二千年前の賢者の言葉を通奏低音とする、四つの見事な中編が収め
られている。短編小説の中でキラリと光るには月並みすぎるし、長編小説の主人公
たるには心理的屈折のスケールが小さい。中編小説は、そんな凡庸な人物の凡庸な
内面を観察するのにちょうどいい長さだ。

●687●中島義道『私の嫌いな10の言葉』(新潮文庫)

【評価:A】
 『孤独について』を読んで以来、怒れる哲学者(イカれた哲学者ではない)中島
さんのエッセイのファンになった。中島さんは押しつけがましい「共同体」を嫌う。
言葉がまともに通用しない「世間」や「集団主義」を断固拒否する。「私ははっき
り語ること、それを文字通り信じることに(大げさに言えば)命を懸けたいのです
」。本書に出てくるこの言葉は、かつて『哲学の教科書』で示された哲学の定義─
─「あくまでも自分固有の人生に対する実感に忠実に、しかもあたかもそこに普遍
性が成り立ちうるかのように、精確な言語によるコミュニケーションを求め続ける
営み」──にぴったりと重なり合っている。つまり、哲学的問題と格闘することは、
人生に対する態度の変更・決定の試みにほかならないということだ。(でも、こん
な生き方は疲れるだろうし、周囲の人間はたまったものじゃないだろうな。)本書
には、中野翠さんや塩野七生さんへの、まるで女神を敬うような純情なまでの賞讃
の言葉や、含羞の人(?)中島義道の言い淀みがいっぱい出てきて、とてもいい。
宮崎哲弥さんの「解説」もいい。

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