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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.192 (2003/12/06)
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 □ 坂東眞砂子『道祖土家の猿嫁』
 □ 池永陽『走るジイサン』
 □ 高野秀行『幻獣ムベンベを追え』
 □ 夢枕獏『あとがき大全』
 □ 乃南アサ『涙』
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●653●坂東眞砂子『道祖土家の猿嫁』(講談社文庫)

【評価:A】
 民話的リアリズム、あるいは土着的想像力の発火点とでも言おうか。火振村の道
祖土家に嫁いだ猿顔の嫁・蕗が、屋敷裏の生き守様の祠の奥の闇の揺らめきに感じ
とったもの。この世のものでありながら生死を超えた、何かしら大らかでエロティ
ックな力を秘めた根源的なものへの畏れ。──この作品は、自由民権運動から日露
戦争、太平洋戦争へと激動する近代国家を背景に、土佐の一地方の名家の五代にわ
たる濃密な人間関係が織りなす物語を、蕗の嫁入りからその死まで、六つの説話的
短編で綴った連作小説で、とりわけ終章、蕗の三十三回忌に、やがて取り壊される
こととなる道祖土家を訪れた曾孫・十緒子によって語られる後日譚は深い哀しみを
湛え、感動を誘う。「終わりとは、始まりを意味する。ここが裏山に呑みこまれた
時、土地は山の一部として新たに息づきはじめるのだろう。…私は祠の中を覗いて
みたが、子供の時と同じく、そこにはただ暗い闇しか漂ってなかった」。

●654●池永陽『走るジイサン』(集英社文庫)

【評価:AA】
 鮮やかな作品だ。滑稽味と滋味と人情味をほどよく漂わせながら、シュールな寂
寥感と苦い味わいを醸しだす、軽さと重さ、薄さと濃さが綯い交ぜになったちょっ
と不思議な、比類ない物語世界を見事につくりあげている。これはまったく新しい
「青春小説」で、処女作でこれほどの達成をなしとげる作者の力量は相当なものだ。
──「走るジイサン」こと勝目作次(69歳)は鋳物職人あがりで、「人間の本音は
もっと単純でやさしい言葉の中にひそんでいる」と思っている。だから、子連れの
中年男との恋愛に悩む明ちゃんが描いた絵の赤い色の微妙な変化に気づいたり、息
子の嫁の京子さんの凛とした硬質の輝きに惹かれたりする。それは、老人こそがも
ちうる鍛えぬかれた感受性である。友人の建造(66歳)が作次に語る。「老人って
のは異人だと私は思うね。稀人ですよ。多くなりすぎた稀人です。民俗学の柳田国
男のいう魑魅魍魎のたぐいですよ。普通の人から見ればもう人間じゃないんですよ
」。この作品は、川端康成の『山の音』にも拮抗しうる、まったく新しい「妖怪小
説」である。

●655●高野秀行『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)

【評価:C】
 人はなぜ探検をするのか。そんな問いはつまらない。ある種の人々にとって、そ
れはなぜ生きるのかという問いに等しい愚問でしかない。探検記の面白さは、感想
や情緒を廃した徹底的なリアリズムにあるのであって、ほとんど日常の退屈さと紙
一重の上にかろうじて読むに値する表現をなりたたせるのは、尋常でない出来事や
痛快な行動などではない。記録はつねに事後に書かれる。すべてが終わり、あらゆ
る主観の軋轢や生の感情の錯綜が濾過された後で、しかし今なお完結しない物語と
して綴られるのだ。私にとってあの探検は何だったのか。それこそが問われるべき
問いである。その答えを徹底したリアリズムでもって、克明にひとつの客観物とし
て造形しえたとき、はじめてすぐれた探検記が生まれる。そういう意味で、本書で
一番面白いのは文庫版あとがきだった。そこに記された「早稲田大学探検部コンゴ
・ドラゴン・プロジェクト・メンバー」十一人の、消息不明の一人を含めたその後
の人生が、読後の印象をやや濃いものにしてくれた。

●656●夢枕獏『あとがき大全 あるいは物語による旅の記録』(文春文庫)

【評価:A】
 なんの自慢にもならないけれど、私は夢枕獏の小説を一冊も読んだことがない。
本書を読み終えたいまも、「この作者の小説を猛烈に読みたく」(北上次郎氏)な
ったわけではない。そんな私が言うのだから間違いない。この本は掛け値なしに、
すこぶる滅法面白い。──『陰陽師』をめぐる岡野玲子さんとの対話や、本書にも
出てくる中沢新一さんとの掛け合い、旅のエッセイなど、ときおり目にする発言や
文章を読んで、この人はただ者ではないと思っていた。その片鱗は、はじめての本
(『ねこひきのオルオラネ』)のあとがきのうちに既にくっきりと刻印されていた。
「山と宇宙とは同質で、宇宙は神と同質である。そう気がついたら、なんだみんな
山ではないか、そう思った」。「…写実[リアル]をつきつめた果てに、ふわっと
幻想空間があらわれる…。もし、現代のファンタジイが生まれるとすれば、そうい
う方法によってだとぼくは思う」。夢枕獏は「物語」というものの実質を身をもっ
て知っている。混沌のなかの原理、自然と身体と「表現」との関係を精確に見すえ
ている。やはり、この人はただ者ではない。

●657●乃南アサ『涙』上・下(新潮文庫)

【評価:B】
 真正の傑作になり損ねた「傑作ミステリー」だ。まず、失踪した婚約者の跡を追
う旬子がストーリーの展開とともに成長しない。多少は強くなるけれど、結局最後
まで「お嬢さん」のままで終わるし、宮古島での嵐の夜のことも「金輪際、思い出
したくない」と封印してしまう。だから、プロローグとエピローグで明かされる後
日譚が、本編と交差して作品を立体的に造形しない。何よりも、作品のクライマッ
クスをなす嵐の夜に明かされる「慟哭の真実」に、いまひとつ説得力と迫真性がな
い。だから、作品は深い哀しみを湛えない。東京オリンピックの年(沖縄へ行くの
にパスポートが必要だった時代)を本編の舞台に選び、時代の匂いを丹念に書き込
みながら、淡々と物語の核心に迫る乃南アサの筆は冴えている。それだけにこれら
の小さな疵が惜しい。ただ救いは韮山とルミ子の交情だ。「あんた、娘さんの何を
知っていました」。殺された娘の本当の姿を知った時、韮山の凍った心がしだいに
転回し、やがて不幸な少女を養女に迎える。この本編のもう一つのストーリーは深
い感銘を与える。それだけに、惜しい。

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