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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.191 (2003/11/30)
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 □ 『阿佐田哲也麻雀小説自選集』
 □ ジム・モリス他『オールド・ルーキー』
 □ ピーター・ストラウブ『シャドウランド』
 □ ミネット・ウォルターズ『鉄の枷』
 □ A・S・バイアット『抱擁』
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『WEB本の雑誌』の新刊採点員(文庫本班)、一月の課題図書(その2)。

●648●『阿佐田哲也麻雀小説自選集』(文春文庫)

【評価:B】
 悪魔のゲームに取り憑かれ、私は学生生活の一年以上を無駄に費やした。この苦
い記憶の片隅で、阿佐田哲也は神々しく、しかし眠たげにたたずんでいる。『麻雀
放浪記』は、浅間山荘事件以後の多くの自堕落な学生にとって、麻雀の奥深さと人
生に立ち向かうスキルがぎっしりと詰まった、一種のバイブルだったのだ。「その
時分の私は、どういう世界であろうと、玄人としての接触、つまり真髄に触れるば
かりにのめりこんだ生き方以外に興味がなかった。おそらく若くて、生命の力がむ
んむんしていたときだったのだろう。…二十年立った今はちがう。たかが玄人、と
思っている。ひとつの真髄に触れるより、もっと大きな、綜合的な生き方があるよ
うな気がしてきた」(青春編)。たとえばそんなフレーズに、ゾクゾクしたものだ
った。あれから二十年以上の歳月が流れ、雀聖は逝った。生前の阿佐田が好んだ純
粋な麻雀小説、「人物よりも麻雀牌が主軸になって展開が定まるような作品」(後
記)として読むことのできる時代が到来した。いや、到来してしまったというべき
で、だからこの本を読むことは、私にとってどこか無惨で痛ましい体験だった。

●649●ジム・モリス/ジョエル・エンゲル
  『オールド・ルーキー 先生は大リーガーになった』(松本剛史訳,文春文庫)

【評価:D】
 感動を誘うには、その物語が実話である必要はない。よくできたフィクションに
こそ、純粋な感動が宿っている場合が多いことくらい、小説読みならだれでも知っ
ている。この、いかにもプロのゴースト・ライターの筆を思わせる読み物風の「自
伝」には、平凡な男のありきたりな半生の記録が、たった一度の奇跡の出来事によ
りかかって綴られている。その「奇跡」にしてからが、これぞアメリカン・ドリー
ムと、メディアによって増幅され、大量消費された物語なのだから、それを実地に
体験していない者に言わせれば、So What? ──まあ、そんな意地悪な見方
をせずに、もっと大らかになってもいいとは思うけれど、ちょっとばかり忙しく体
調不良のなか、時間をやりくりして読んだものだから、少し八つ当たり気味の感想
です。

●650●ピーター・ストラウブ『シャドウランド』上下(大瀧啓裕訳,創元推理文庫)

【評価:B】
 村上春樹さんの『海辺のカフカ』の主人公がそうだったように、15歳の少年は
特別な存在だ。善悪を兼ね備えた父親の勢力圏からの脱出や、同年輩の少年との友
情と裏切り、そしてミステリアスな少女との出逢いと記憶の中での性的一体化。シ
ャドウランド(影の国)というのは心の世界のことで、だからこの作品は、少年が
大人になっていく通過儀礼を描いた物語である。──いや、そんなありきたりな読
み方はつまらない。シャドウランドでは想念が物質化し、時間が融解する。ひらた
く言えば、思ったことが現実になり、生者と死者が語り合う。それは言葉で書かれ
た物語の世界と同じことで、だから魔術師とは作家そのものだ。これは作者と登場
人物の闘いの記録なのだ。──いや、そんな穿った読み方もひねくれている。これ
は純粋なファンタジーで、ただただ魔術師の手管に煙に巻かれればいい。その上で、
読者(魔術師の弟子)は、この作品が自分にあうかどうかを見極めればいいのだ。

●651●ミネット・ウォルターズ『鉄の枷』(成川裕子訳,創元推理文庫)

【評価:A】
 古典的風格と緊密な骨格を備えた推理小説にして、英国風の重厚と軽妙に彩られ
た家庭小説の傑作。大村美根子さんが「解説」で、「一人の死者を理解させようと
作家が努めている小説」と書いている。見事な評言で、実際、物語は、中世の拘束
具を被り息絶えた老婦人の「偉大なる個性」や「巨大な自我」をめぐって展開する。
モデルの人格的本質を色彩で抽象的に表現する売れない画家のジャックが妻のセア
ラに、「きみはいつになったら目を開くんだ? 目を開いて人を立体的に見るよう
になるんだ?」と語っているように、この作品は、ギリシャ悲劇と現代のスキャン
ダルとの中間に位置づけられる性格のドラマである。だが、ミステリーというジャ
ンルがもつ本質的な欠陥、つまり、すべての謎と秘密が明らかになったときのあの
白々しさが、唯一の疵となる。「正しい問いを持つのは、正しい答えを得るよりむ
ずかしいんだ」。セアラにほのかな恋心を寄せるクーパー部長刑事(もう一人の探
偵役)の上司が吐くこの名言が心に残る。

●652●A・S・バイアット『抱擁』TU(栗原行雄訳,新潮文庫)

【評価:AA】
 「此処は全てが二重の世界」。女流詩人クリスタベル・ラモットの「水に沈みし
都」に出てくる詩句が、この作品のすべてを語っている。──作者は自作を「灰色
のクモの巣のようなわたしのパリンプセスト」と呼ぶ。パリンプセストとは、一度
書かれた文字を抹消して重ね書きされた羊皮紙のこと。ヴィクトリア朝詩人の秘め
られたロマンティック・ラブと、「もはや愛という言葉を口にすることはない」現
代のポストモダンな性愛が、手紙や日記、詩、幻想譚といった様々な架空のテクス
ト(クモの巣)群にことよせながら重ね書きされたこの作品は、その原題(POSSES
SION)自体がもつ三つの意味、つまり悪魔的な力(取り憑かれた状態)と経済的所
有と性的含意のすべてを錯綜したかたちで展開しきった、まれにみる方法意識に貫
かれた小説である。歴史ミステリーとクエスト(探求冒険譚)と性愛小説と「パロ
ディー」とが渾然一体となった、まことに大仕掛けで、しかも小説を読む愉しさを
堪能させてくれる薫り高い雄編だ。

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