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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.190 (2003/11/30)
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 □ 三谷幸喜『合い言葉は勇気』
 □ 乙一『さみしさの周波数』
 □ 小池真理子『恋』
 □ 川端要壽『下足番になった横綱』
 □ 唐沢俊一『お父さんたちの好色広告』
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まる二月、「新作」が書けない状態が続きました。もうすっかり躰と気持ちが馴染
んでしまって、このメールマガジンもそろそろ終息=収束に近づいているのかなと、
焦りまじりで思い始めています。

そこで、気分転換のため、しばらく休息をとることにして(といっても、すでに二
ヶ月の休息をとっているのですが)、その間、『WEB本の雑誌』の新刊採点員(
文庫本班)として書いたものを紹介することにします。

これは、毎月送られてくる十冊の「課題図書」をひたすら読んで、AからEまでの
評価を下して、簡単なコメント(感想+書評)を付けるというもので、昨年の暮れ
から一年間、この作業は続きました。つまり、今月で終わり。

こういう機会がなければ、まず読まなかった本がほとんどなので、気を抜いて書い
たコメントも、少しまじっています。──まずは、一月の課題図書(その1)。
 

●643●三谷幸喜『合い言葉は勇気』(角川文庫)

【評価:A】
 三谷幸喜さんはきっと、人見知りで引っ込み思案なのに目立ちたがりの出たがり
で、生真面目で心優しくて涙もろいくせに底意地が悪くて偽悪的でシニカルな少年
だったに違いない。そんな少年少女ならたくさんいたと思うけれど、でも、そのま
ま大人になることは、実はとても難しい。しかも三谷幸喜さんには天からのギフト、
つまり才能が授かっていた。いや、才能に取り憑かれのだと、三谷幸喜さんなら抗
議するかもしれないが、そのおかげでこんなにも「とんがっている」(「解説」の
石坂啓さんの言葉)ドラマに巡り会えたのだから、読者は感謝しなくちゃいけない。
どこがとんがっているかというと、フィクションの中にフィクションを入れ子にし
て、二重否定が肯定に飛躍する刹那に視聴者(読者)のリアルな「感動」をかすめと
っていく、その騙しのテクニックが水際だっている。才人・三谷幸喜が腕にヨリを
かけて仕上げた渾身の作品なのだから、面白いにきまっている。

●644●乙一『さみしさの周波数』(角川スニーカー文庫)

【評価:A】
 私はたまたま、「いとしのレイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」を繰り返し
聴きながら、この本を読んだ。驚嘆させられたのは、まだ二十歳を超えたばかりの
若者の書いた作品が、あの渋くて痛切で、それでいて深い滋味をたたえたエリック
・クラプトンの世界と互角にわたりあって、人生の曲折を濾過して滴った純粋な「
せつなさ」や「こわさ」や「さみしさ」が、四つの短編のうちに見事に結晶してい
たことだった。たとえば、水の変容(雨、雹、雪)とともに、未来の記憶の物語を
リリカルに綴った「未来予報 あした、晴れればいい。」は、「ただ透明な川が二
人の間を隔てて流れているような、あるような、ないような距離」を保った、言葉
にはできない少年と少女の「関係」をあますところなく描ききった絶品。この味は、
太宰治や椎名誠や村上春樹の系譜に連なるものだと、私は思う。真似できそうで真
似できない、熟して滴る玉のような本物のオリジナリティをもった語り手だ。

●645●小池真理子『恋』(新潮文庫)

【評価:AAA】
 この小説は時間をおいて、できれば数年単位の間隔をおいて再読されるべき名作
だ。ほぼ三年半ぶりに読みかえして、私は、序章に出てくるヒロインの可憐で痛切
な姿に深い感銘を覚えた。矢野布美子の「肉と魂」は、私の記憶の襞にひっそりと
息づいている。二十三年の時が過ぎても、布美子の心の中に信太郎と雛子が生き続
けていたように。「世間では人を殺すためには、凶暴さと憎悪と怒りと絶望が必要
であるかのように言われているが、それは嘘で、ただほんの少し、虚無感にさいな
まれていさえすれば、人は簡単にムルソー[カミユ『異邦人』の主人公]になるこ
とができるのだ」。──陳腐だけれど、「官能小説の金字塔」という賛辞を、浅間
山荘事件のさなかに遂行された魂の殺戮劇ともいうべきクライマックスを叙述しき
ったこの作品に捧げたい。「エロティックで悪魔的、デカダンな雰囲気」と「秘密
を抱えながら生きていく人の精神」を見事に造形し、痛いほどの官能性を表現しつ
くした小池真理子さんを讃えたい。

●646●川端要壽『下足番になった横綱 〜奇人横綱 男女ノ川〜』(小学館文庫)

【評価:C】
 昭和11年1月場所、5日目、横綱昇進をねらう大関男女ノ川と、当時まだ東前頭
三枚目だった双葉山との一戦から、物語は始まる。相撲史に残る場所だった。14年
1月の春場所4日目、安藝ノ海に破れるまでつづく双葉山の破竹の69連勝が始まっ
たのが、この場所の7日目からであった。──しかし、物語は決して血湧き肉躍る
ものではなかった。自転車での場所入りや、ダットサン通勤の奇行で知られた「弱
い横綱」のまま引退。衆議院選立候補、私立探偵への転業、映画出演、等々、転変
の人生をすごし、やがて転落。かつてのファンが営む料亭の食客として生涯を閉じ
る。破格、波瀾、奔放きわまりない人生だが、いささかも爽快感、痛快感が伴わな
い。だから悲痛、悲哀の念も生じない。ただただ、男女ノ川の四股名をもった男の
生涯と時代の変遷を、淡々と綴るだけで、いっさいの感情移入はない。いっそ潔い
が、かえって興をそぐ。「時代の枠におさまりきれない横綱がいた」という帯のコ
ピーが白々と響く。

●647●唐沢俊一『お父さんたちの好色広告』(ちくま文庫)

【評価:B】
「お客さン、お客さン、写真あるよ、いい写真。バッチリだよ……」。そんなふう
に、怪しいオヤジからヒソヒソ声をかけられた覚えが、私にも実はある。もう遠い
日のセピア調の思い出でしかないけれど、「クシャミをしても××××がほとばし
る年頃」だった私にとって、それは、まだ見ぬ性のテラ・インコグニタ(未踏の領
域)への誘いの言葉だった。歳月を経て、そんな世界などどこにも潜んでいないこ
とを知ってしまった私は、それでも、毎日曜の朝日新聞の読書欄にきまって掲載さ
れている、熟女や人妻の写真集の広告に、なかには、「強精食強壮剤研究家」なる
人物が書いた本の広告などもあって、あの時代の余韻、いや疼きのようなものを懐
かしく思い出している。B級本愛好家にして研究家の唐沢さんが編んだ、この「酔
狂にして学術的極まる本」は、失われた十年ならぬ、エロと情欲の五十年史を鮮や
かに甦らせている。このような書物は、ただただ保存し、後世へと引き継いでいく
べきである。

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