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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.174 (2003/07/20)
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 □ ドゥニ・ゲジ『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』
 □ 小松左京『虚無回廊』
 □ かわぐちかいじ『バッテリー』他
 □ 中川素子『絵本は小さな美術館』
 □ 江本勝『水は答えを知っている』
 □ M・メーテルリンク『花の知恵』
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●588●ドゥニ・ゲジ『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』
                    (藤野邦夫訳,角川書店:2003.2.28)

 ともにソルボンヌ大学に在籍し、かたや哲学科に属して「存在論に関する人目を
引くエッセイ」を書きあげたリュシュ氏と、数学科の学生で「ゼロについての資料
的な裏づけをもつ小冊子」を発表したグロスルーヴル。二人の友人は「存在と無」
とよばれて、狭い学生の世界でちょっとしたスターだった。(何年かのちにサルト
ルが発表した哲学的エッセイのタイトルは、ふたりのニックネームの盗用だった?)

 半世紀後、パリで古書店「千一冊の文書館」を経営するリュシュ氏のもとに、旧
友グロスルーヴルから、ブラジルのマナウスの消印をもつ謎めいた手紙(「πRく
ん 君の名前の書き方で、こちらがだれだかわかるだろう。」──πRとはピエー
ル・フェルマーのこと)が届き、重さ数百キロという数学の文献が送られてくる。
ちょうど同じ頃、リュシュ氏の書店で働くペレットの息子マックスが蚤の市で「記
憶喪失」のオウム(ノーフュチュール)をみつける。

 これが事の発端で、以後、数学の歴史をめぐるゆったりとした物語(数学史をた
どるときには、「音楽よりはやく歩いちゃいけないよ」)と、グロスルーヴルの死
の謎や「ゴルドバッハの問題」をめぐる物語(「それ[数学]は『思考力』だから
ね。数学は媒体をもっていないんだよ」「物質的な媒体でない記憶装置とはなんだ
ろう。それは、鳥だったんだ!」)が渾然となって、前代未聞の「数学ミステリー
」の逸品をかたちづくっていく。

 ──著者はパリ第8大学科学史教授。訳者には、他に『精神発生と科学史』(ピ
アジェ他)や『ジャック・ラカン伝』(ルディネスコ)の翻訳がある。

●589●小松左京『虚無回廊』T・U(ハルキ文庫:2000.5.18/1987)
    小松左京『虚無回廊』V(角川春樹事務所:20000.7.8)

 「さっき、“私”が死んだ」という言葉に始まるプロローグで、本編の主人公、
「私」と名乗るAE(Artificial Existence:人口実存)が登場し、これに続く異
様に長い序章「死を越える旅」で、「私」の誕生譚、つまり父・遠藤とアンジェラ
の恋の顛末と、SS(スーパー・シップまたはスーパー・ストラクチャー)と名付
けられた長さ2光年、直径1.2光年の円筒形の「人工天体」をめぐる探査プロジ
ェクトの全貌が語られる。

 ここでとりわけ興味深いのは、天才ミシェル・ジェランが考案した音楽的概念に
基づく遺伝子言語学(一般自然言語理論)や宇宙の構造・現象自体の音楽的な意味
の解明(一般宇宙言語理論)をめぐるアイデアだ(T,137〜146頁)。

《ジェランは──宇宙における普遍的な言葉の存在が“見えた”天才だったんだ…
…(中略)ニュートンやアインシュタインが、宇宙における普遍的な力の法則の存
在が見えたように……。オイラーやカントルやゲーデルが、幾何学図形や集合や論
理の“制約”が、実在として見えたように……》(U,179頁)

 本編(第一章「遭遇」、第二章「都市」、第三章「荒野」、第四章「森林」)で
は、「私」とその6人のVP(ヴァーチュアル・パースナリティ)たちが異星知性
体──たとえば一億年以上存在しつづけている「老人」や、生態系そのものが知的
生命であるような「環境生物」──と次々に邂逅し、SSの謎をめぐる「ジャム・
セッション」(山下洋輔)に加わる。

 そこで示唆される壮大な仮説(セミ・フィクション)。

《「無」を媒介項として「虚宇宙」と「実宇宙」をつなぎ、しかもそのつなぐルー
トは「回」[円環型のトーラス]でも「廊」[直線型]でも、どちらでも「位相的
に等価」であるような存在、「虚無回廊!」/これこそ、SSの本質であり、「虚
宇宙」と「実宇宙」を、同じ「宇宙の実体」としてふくむ「複素宇宙」は、いま新
しいメディアを得たのだ!》(V,168-169頁)

 物語はいまだ未完結のまま放置されている。生命とは何か、知性とは何か、意識
・意志とは何か、そもそも宇宙の存在に「意味」はあるか。小松左京という知性体
に宿った、新しい「宇宙史」の全貌ははたして明かされるのか。

●590●かわぐちかいじ『バッテリー』1〜4
          (ヤングサンデーコミックス,小学館:2001.9.5〜2002.9.5)
    かわぐちかいじ『ジパング』10・11
              (モーニングKC,講談社:2003.3.20,2003.5.23)
    かわぐちかいじ『太陽の黙示録』1・2
                   (ビッグコミックス,小学館:2003.7.1)

 謎めいてクールな天才ピッチャー・海部一樹と熱血剛毅のキャッチャー・武藤洋
介の『バッテリー』コンビは、あの『沈黙の艦隊』の例の二人の別ヴァージョン。
かわぐちかいじは、この作品の着地点を誤ったか、途中で方向を変えたか、どっち
にしても早々と見切ってしまったとしか思えない。見切られたのは何かというと、
野球ではどだい表現できないもの、つまり海部という人物の魅力を充分に表現でき
る文脈のことで、それはたぶん「歴史」なのだと思う。

 『ジパング』では、草加拓海 vs.角松洋介のうち前者の言動がいよいよ物語の基
軸になってきた。ヒトラー暗殺に失敗した草加の第二の戦略(最終核兵器の早期開
発)の帰趨と、可能世界における戦後日本構想の全貌公開が待たれる。(この手の
長編マンガはやっぱり一気読みに限る。断片的に読むのでは興奮が殺がれてしまう。
そういえば『ガラスの仮面』はいまどうなっているのだろう。)

 『太陽の黙示録』は、後に日本大震災と呼ばれることになる京浜大地震、富士噴
火、東海・東南海・南海大地震の併発の地獄絵(死者二千五百万人、不明者三千万
人、列島分断、米中による南北分断統治)が描かれた第1巻から15年後(2017年
)、主人公・柳舷一郎が台湾避難民キャンプ8万人の将来を一身に担い「日本再生
」への第一歩を踏み出す第2巻で、物語の骨格が決まった。「棄国者」を親に持つ
台湾警察の羽(ユイ)という魅力的な人物も登場して、一気に佳境に向かう。長い
叙事詩の始まり。
 

●591●中川素子『絵本は小さな美術館──形と色を楽しむ絵本47』
                         (平凡社新書:2003.5.19)

 絵本は視覚表現性という大きな力をもっている。《絵本の視覚表現性は何かとき
かれたなら、私は即座に「認識」という言葉をあげる。絵本に限らず、視覚イメー
ジというものは認識であり、思考そのものだといってよい。》──約120冊の作
品をとりあげて、絵本を表現そのものから見る「絵本学」の提唱者が、表現構造や
素材・技法・紙質などの切り口からアートとしての絵本を存分に紹介してくれる。

●592●江本勝『水は答えを知っている──その結晶にこめられたメッセージ』
                       (サンマーク出版:2001.11.25)

 プロローグ──物質的にみると、人間は水である。水はエネルギーの伝播役であ
る。水は情報を転写し、記憶している。水は地球を循環し、私たちの体内を経て世
界と広がっていく。水の記憶している情報がもし読めれば、そこには壮大なドラマ
が刻みこまれているのがわかる。《水を知ることは宇宙と大自然、生命すべてを知
ることなのです。》

 第1章「宇宙は何でできているか」──すべての存在はバイブレーションである。
森羅万象は振動している。万物が振動しているということは、どんなものでも音を
出しているといいかえてよい。人間は、大自然から言葉を教わった。《水は心の鏡
です。水はさまざまな顔をもち、人間の意識を形にして見せてくれます。》

 第2章「水は異次元への入り口」──水は生命を生み出す母であるとともに、生
命のエネルギーそのものである。水は、宇宙の果てから飛来した。水は情報を記憶
し、地球を循環することによって、その情報を伝達する。宇宙から地球に届けられ
た水には、生命の情報がふんだんに含まれていた。《水がもっている情報を解読す
る一つの方法が、氷結結晶の観察なのです。》

 第3章「意識がすべてをつくっている」──《人間の肉体とは水です。意識は魂
のことです。》水の分子が水素原子二つと酸素原子一つで組み合わされているよう
に、感謝(陰、受動的エネルギー)二つ、愛(陽、能動的エネルギー)が一つの比
率で生きるのが、人間本来の生き方である。

 以下、ディビッド・ボームの暗在系・明在系やルパート・シェルドレイクの形態
形成場(第4章「一瞬で世界は変わるか」)、著者が師とあおぐ塩谷信男の「幽子
」仮説──物質を究極まで細かく見ていくと「幽子」に行き着く。幽子は三次元と
四次元の境目にある物質で、断言された言葉は強烈な「言霊パワー」で幽子を集め、
これに作用することで三次元の世界に物事が成就する──やアインシュタインの公
式「E=MC^2 」のCは光速ではなくてコンシャス=意識のこと、Mは質量だから
意識をもつ人の数だといった話題が続く(第4章「微笑みはさざなみとなって」)。

 そして、エピローグ──宇宙はすべて相似形である。宇宙で起こりうることは、
人間の体の中でも起こっている。人の体に必要なのは、水の循環であった。とする
ならば、宇宙でも水は常に循環していかなければならない。私たちが人生で体験し
た出来事は、水の記憶となって体内に残っている。それが、魂と呼ばれているもの
である。魂は、宇宙の果てから水にのってやってきた。《私たちは水そのものです。
いつの日か地球上で学んださまざまな体験の記憶をもって、宇宙へと旅立っていく
のでしょう。私たちに課せられた仕事とは、飛び立つ前にこの地球上できれいな水
になることなのです。》

 これらはすべて「真実」なのだと思う。カラー刷りの水の結晶写真が素晴らしい。

●593●M・メーテルリンク『花の知恵』(高尾歩訳.工作舎:1992.7.20)

 昆虫三部作で高名な「博物神秘学者メーテルリンク」による、花の「知性」と「
魂」(香り)をめぐる自然観察録。ノヴァーリス(訳者があとがきでその名をあげ
ている)を思わせる断章群で構成された科学エッセイ。以下、そのサワリだけ。

《どんな花も、それぞれの考えをもち、システムをもち、経験を得て、これを有効
に役立てているのである。花々の小さな発明、花々の採るさまざまな方法を仔細に
検討してゆくと、工作機械の展示会が思い出される。》(63-64頁)

《植物の知性がもっとも完成度の高い、もっとも調和のとれたかたちで現われてい
るのは、ランである。》(69頁)

《この地上で実現される知的な行為の一切がそこに由来している一般知性というも
のの性格、質、習性、そしておそらく、その目的が問題なのである。》(103頁)

《多少なりとも知的な存在がいくつもあるというのではなくて、広く分散している
ひとつの一般的な知性があるのだ、たまたま出会う有機体に、それが精神のよき導
き手であるか悪しき導き手であるかに応じてさまざまなかたちで入り込む普遍的な
流体のようなものがあるのだと言い切っても、さして無謀ではなかろうと思う。今
までのところ、この地上において人間は、宗教なら「神聖な」とするであろうこの
流体にもっとも抵抗を示さない生物形態であるらしい。》(115頁)

《嗅覚は自然が人間に授けた唯一の贅沢な感覚なのである。》(122頁)

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