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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.173 (2003/07/13)
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 □ 松岡正剛監修『増補 情報の歴史』
 □ 永井均他編集『事典 哲学の木』
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●586●松岡正剛監修『増補 情報の歴史 象形文字から人工知能まで』
                         (NTT出版:1996.3.28)

 ある人が、一家に一冊『情報の歴史』と書いていて、いたく共感した。常備薬な
らぬ常備本としては、これに白川静の三部作『字統』『字訓』『字通』のどれか一
冊を加えたいところなのだが、残念ながら未購入。「生命の発生が情報史の発端で
ある」にはじまり「年表を歩くことは時間の旅人になることだ」に終わる、歴史の
節目ごとに挿入された松岡正剛の文章は、それを通読するだけで「宇宙史」「生物
史」「文化史」「社会史」を概観できる。目次、見出し、ヘッドライン、引用等々、
それらのことごとくが圧縮され織り畳まれた情報の坩堝で、ちょっとカテゴリーが
違うけれど、利用できないのは鳴き声だけという豚を思わせる。

 増補版で1889年から1995年の情報が付け加わった。その最終頁左側に次の書き込
みがある。「阪神大震災。ストロングな都市は崩れ、ボランティアの活躍。フラジ
ャイルな歩行が残る。」「イチローと野茂。オウム事件に対抗した二人。」いずれ
も未聞の時代の幕開けを告げる年にふさわしい評言だと思う。

 西暦200年代の頁の左側には、次のように書かれている。「九世紀のエリウゲナ
主義から十九世紀の観念論まで、西欧哲学の大半はオリゲネスの遺産の修正史にす
ぎなかった。」「新プラトン主義とグノーシス主義、あらゆる神秘思想がここに出
所する。」思いおこせば、私の霊性神学熱はここから始まったのだった。──その
後、前者の出典をつきとめた。フリードリッヒ・ヘーアの『ヨーロッパ精神史』(
小山宙也・小西邦雄訳,二玄社)がそれだ。

《マイスター・エックハルトとスピノザは、オリゲネスの近くにいる。バロックの
陶酔、そして数学、ことに幾何学を手段として、神のうちに確実性に到達しようと
いう彼の試みは、オリゲネスの切望したことを再生させるものである。(中略)東
方教会の指導的な神学者は、何らかの意味でオリゲネス主義者である。アリウス主
義、ペラギウス主義は、オリゲネス主義に基づいている。西方においては、九世紀
のエリウゲナの精神主義から、一九世紀の観念論者まで、この人物の遺産の一部に
すぎないのである。》

●587●永井均他編集『事典 哲学の木』(講談社:2002.3.11)

 一家に一冊、とまでは言えないかもしれないけれど、松岡正剛監修の『情報の歴
史』と並ぶ私の常備本が『哲学の木』。無人島で独り暮らすことになったら、たぶ
んこの本を持っていくことになると思う。

 この本は、哲学用語事典としては使えない。「概念」と「観念」がどう違うかを
知りたいと思っても、あるいは最近気になっている「コンセプト〔concept〕」と
「コンセプション〔conception〕」の違いを見極めようとしても、この事典では役
に立たない。「現象」と「表象」の違いについてだったら、中島義道が担当した項
目の中でドイツ語の語義に即して簡単な説明があるけれど、やっぱりそれだけのこ
と。

 哲学は用語事典の中で起きているんじゃない、哲学は現場で起きているんだ。永
井均が序文でそういった趣旨のことを書いている。

《哲学の言葉は、哲学している現場からしか理解できない。(中略)哲学者は、な
けなしの言葉を使って、これまで誰も言わなかったこと、言えなかったことを、な
んとかして言おうとするからである。(中略)だから、哲学者のその努力の全体と
の共感関係なしに、そこでなされている哲学そのものをこの場でもう一度再生しよ
うとする意志なしに、使われている言葉の意味だけを取り出して説明するなどとい
う芸当は、誰にもできないのである。言葉の意味は、哲学的思索の進展とともに、
それと同時に、つくりかえられ、つくりあげられていくしかないからだ。》

 それにしても、他の編集委員が面倒くさがったので書いたというこの序文は感動
的なまでに素晴らしい出来で、いま引用した箇所以外でも、次のような文章が出て
くる。

《そして、なんど驚嘆させられたことだろう。私がこれこそが哲学的問題だと勝手
に信じ込んでしまった問題とは何の関係もないような問題、たとえばヨーロッパ中
世哲学における神の存在証明の問題などという、最初に学んだときにはただただ馬
鹿馬鹿しいとしか思えなかった問題が、じつは自分が考えている問題とあまりにも
緊密に関係していることに、ある日、豁然と気づいたときの驚き。》

 本人も恐縮しているが、事典の序文にこうした「個人的なこと」を書きつける自
在さがこの本(読む事典)の真骨頂で、総勢196人の執筆陣による全401項目にこの
精神(事典を現場として自分の哲学をすること)は貫かれているはずだ(まだ全編
読破には遠く及ばないので、推測するしかない)。

 でも、先の文章に続けて、ちゃんと序文としての結構をつけているのはさすがだ。
《さて、私がこの『事典・哲学の木』に望んだのは、このような──自分自身の哲
学的思索とこれまでに哲学であるとされてきた伝統との──媒介作業である。》

 毎日新聞(2002年3月31日)のインタビュー記事に次のように書いてある。
《「哲学の木」はデカルトが哲学を一本の木にたとえたことに由来する。編集の過
程で項目を系統樹のように表現できないか、模索したという。/「空間上に表現で
きない複雑なものになることが分かって断念しました。ただ、この本をめくってい
くと、たいていの人は関心のある項目と出合うことができるでしょう。そこから、
内容のつながりをいもづる式に読んでいって、読者が独自の新しい木を作っていっ
てほしいと願っているのです」》

 この本は、未完の「哲学の木」の2002年現在での一断面でしかない。インターネ
ットを使えば、不断に増殖する「哲学の木」が立ち上がるだろう。

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