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■ 不連続な読書日記 ■ No.165 (2003/05/25)
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□ 保坂和志『言葉の外へ』
□ 小島信夫・保坂和志『小説修行』
□ 保坂和志『〈私〉という演算』
□ 保坂和志『アウトブリード』
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●555●保坂和志『言葉の外へ』(河出書房新社:2003.2.28)
保坂和志はあとがきに「言葉には明確に外がある」と書いている。「なにしろ、
言葉より先に自然があり、人間は言葉から生まれたのではなくて自然から生まれて、
言葉と一緒にいまある人間になった。これだけはつねに忘れてはいけない前提だと
思う。」この「言葉の外」をめぐる保坂和志の思索の到達点を示しているのが六部
構成の本書の第五部に収められた「所感」というたかだか六頁の短いエッセイで、
初出が一九九八年のこの文章の冒頭で保坂和志は「これから書こうとしている小説
」について「それは信じがたいことに生きることの充足感が最大の関心事となる」
と書いている。ここでいわれる「これから書こうとしている小説」とはつい先だっ
て雑誌連載が終わったばかりの『カンバセイション・ピース』のことだ。(この作
品については秋頃に刊行が予定されている単行本を読んでから考えをまとめたいと
思うが、いまの時点で「これは前代未聞のマスターピースです」と確信を持って言
える。)「生きることの充足感」については、フロイトやデーデキントの「厳密な科学の
思考」をめぐって「この思考が定着したときに完全に神とか宗教とか神話とか物語
とかそういう一連のものが、なくなりはしないまでも大事なものではなくなる」、
何故かというと「人間には内面の作用を自分の外にあるものとして置き換える癖が
ある」からで、それを正確に言うと「人間にとって内面というのは、普通に内面と
考えられているものだけではなく、人間は巧妙に自分の外にあるものも内部に取り
込むメカニズムがあって、それがあるから言語を習得できるというか、言葉という
システムの中に入っていくことができ、しかも『システムに入っていった』ことを
『習得した』と錯覚することもできて、そのように人間はじつは自分の外部にある
ものまでも内面と取り違えているところがあって、つまりそれが人間の内面という
ものである」ということになるのであって、だから神とか預言者とか妖精といった
形象は内部に取り込まれた外部をわざわざもう一度外部に送り返した結果でしかな
くて、「だから、人間の内面というか、内面として機能している内部と外部のサイ
クルを厳密に再現していくことさえできれば、神・預言者・妖精という形象も、宗
教・神話・物語という世界を認識したり叙述したりする形式も、すべて取り込みつ
つ、一見普通の、ごくありふれた光景だけで成り立っている小説を書くことが、論
理的には可能であると考えられるわけ」、冒頭で「信じがたいことに生きることの
充足感が最大の関心事となる」と書いたのはそのことで、「生きることの充足感」
はあくまで附随することであって「最大の関心事」は正しくは「自分の外部にある
ものを内面として取り込むメカニズム」ということになる、と議論が進んでいく。この本には読み返すたびに得られる何かしら新しい思考のヒントがぎっしりと詰
まっているのだが、そのことはいま取り上げた「所感」ひとつ見るだけでも判る。
実際この文章に出てくるフロイトやデーデキントの「厳密な科学の思考」について
の指摘、たとえばデーデキントが幾何の立場からは証明されている数の連続性を代
数の立場から証明し根拠づけたことは「驚くべきことだ」といった指摘は、それだ
けで科学と哲学と文学をめぐる保坂和志の思索が信用できることの証拠になる。●556●小島信夫・保坂和志『小説修行』(朝日新聞社:2001.10.1)
この往復書簡での小島信夫の返信は「これはもう小説だねぇ」というしかない純
度を持っている。その小島信夫の「保坂さんの考えでは、存在のリアリティという
ものは、結局は、〈生きる歓び〉をおぼえている、ということではないだろうか」
といった絶妙な合いの手にのせられて、保坂和志は「小説家は小説という仕組みを
使って何かを考えようとしている」という共通の了解のもと、「科学がもたらす世
界像の前で文学がへなへなと萎れないために」、文学の機能(肉体との連絡の回復
)をめぐって、たとえば「遠く離れた二人の人間が同じときに同じことを思ってい
たかどうかとか、百年後に生きる人間がいまの私たちの努力をわかってくれるかど
うか、というチェーホフに始まったモチーフ」についての思考を、そして後に『世
界を肯定する哲学』としてまとめられる思索を、存分かつ縦横にめぐらせている。《たとえば「記憶」というものが頭の中にあると考えるよりも、場所や物や行為の
中にあると考える方がいいのではないか、というようなことはすでに書きました。
「意識」とは視覚や聴覚など動物として自動的に継続している感覚の上で奏でられ
る演奏のようなもので、普通に考えられがちなオーケストラを導く指揮者のような
ものではありません。(中略)私はそういう風にして「人間」とか「私」というも
のを、統合されたものではなく解体して考える事にしました。(中略)「私」とは
この世界に一定期間間借りしている現象なのです。私は何もしなくてもただ生きて
いるだけで、この世界に流れた時間を集積していることになるのです。生物の歴史
によって淘汰されたり洗練されたりした機能が人間の中で活動し、人間の歴史によ
って築かれた文化や技術や思考や感受性の集積が活動しているのが、まさに「私」
なのです。》●557●保坂和志『〈私〉という演算』(新書館:1999.3.25)
この本、というかここに集められた「思考のかたちとしての九つの小説」(帯の
コピー)は時折思い出しては読み返し、そのたびに何かしら更新され、名状しがた
い不思議な自在感のようなものを味わってきた。保坂和志がこうした文章を書くこ
とはこれから先たぶんもうないだろうというのが私の直感で、今回、同じ時期に書
かれたエッセイを集めた『アウトブリード』と読み比べてみて、はたしてこれが「
小説」なのかどうか、保坂和志自身が本書のちょうど真ん中、五番目にあたる作品
「あたかも第三者として見るような」のなかで述べている「書くことと考えること
の出発や継続が、結局論理よりも生理によってなされていくことが小説ということ
だ」(『小説修行』では「論理的な記述をしながら考えるのが哲学者で、人間や風
景を具体的に書きながら考えるのが小説家」)という規準に照らして「小説」と言
えるかどうかなどはどうでもいいことだと思えてきた。というのも、保坂和志はエッセイを書くときであれ小説を書くときであれ、いつ
も文学や小説について科学や哲学との関係性のもとで考え続けてきたのであって、
それが「世界を立ち上げる」ことと不可分な関係を結ぶときに「小説」というかた
ちをとるだけのことだからだ。ここでいう「世界」とは「身体」のこと、あるいは
「言葉の外」のことで、『〈私〉という演算』は『季節の記憶』と『カンバセイシ
ョン・ピース』という保坂和志が立ち上げた二つの「世界」の間、それもやや前者
よりの場所に位置する草稿群である。だからそこにある「生理」はいくつかの未生
の「世界」、保坂和志が立ち上げなかった「世界」(人間や風景)の発生機序をか
たどっている。(あるいは「小説」の次に来るものへのプレリュード?)●558●保坂和志『アウトブリード』
(河出文庫[文藝コレクション]:2003.4.20/1998)『言葉の外へ』があまりに素晴らしかったので、ちょうど文庫本化されたばかり
の本書を再読して、あらためて「小説という仕組みを使って何かを考えようとして
いる」(『小説修行』)保坂和志は小説という仕組みを超えたところでもやっぱり
考え続けてきた人なのだと思い至った。保坂和志が考え続けてきたのは、「科学と
哲学は、人間と世界の配置を劇的に変えた。科学や哲学との連関を失ったら文学が
書かれ読まれる意味はないと僕は思う」ことと「心から書きたいのは、小説ではな
くて哲学なのかもしれないと思う」こととが切り結ぶ場面で、小説の「小説性」に
ついて徹底的に考え抜くことだ。保坂和志はあとがきで、小説が別種のディスクールを用意することができるとし
たらそれはどういう手続を経るのか、タイトルの“アウトブリード”(OUTBR
EED:異種交配)はここからきている、と書いているが、それはつまり「小説と
いう仕組み」を超えたところになりたつ小説のディスクールを模索するということ
なのだと思う。文庫化に際して「自作に関するエッセイ」を数点追加収録したとあ
る。この「自作に関するエッセイ」の素晴らしさのうちに、「小説」の次に来るデ
ィスクールへの道筋を考え続ける保坂和志の面目が躍如している。〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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