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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.158 (2003/04/07)
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 □ 福井晴敏『終戦のローレライ』
 □ 池井戸潤『架空通貨』
 □ 庄野潤三『庭のつるばら』
 □ 大月隆寛編『田口ランディ』
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●531●福井晴敏『終戦のローレライ』上下(講談社:2002.12.10)

 「既存の原理を超越した高感度水中探索装置」もしくは「千里眼」。これがナチ
ス・ドイツが「開発」した「ローレライ」の定義である。しかしてその実体は? 
その致命的な弱点とは? そして、「ローレライ」を使って「国家としての切腹を
断行」するとはいかなることか。「日本民族の滅亡を回避し、あるべき終戦の形を
もたらす」手立てとは?

 これらの謎をめぐって、この雄大な物語は進行する。そこには『亡国のイージス
』ほどの緊密な完成度はない。福井エンターテインメントの魅力である戦闘シーン
の迫力は前作に拮抗する(スケールにおいてむしろ凌いでいる)ものの、いま一つ
の魅力であるヒューマン・ファクターの叙述はやや甘い。しかし、その分メッセー
ジ性はより強く、読後の苦い充足感は秀逸。傑作である。

《そんなふうに潰しあい、淘汰しあい、とぐろを巻くだけの種の連鎖なら、なぜこ
うも胸が痛む。なぜ人は希望の所在を追い求め続ける。生物の業に支配されていて
も、人の血と知は新たな地平を求めている。生きたくても生きられなかった人々の
声が、いまだ鼓動を続ける自分の心臓が、等しく同じ言葉を叫んでいる。/『なぜ
』(略)/終わらせるために。/この世界の戦をあまねく鎮めるために、いま私は
魔女になる。船乗りたちに死をもたらす魔女ではなく、すべての戦に終わりを告げ
る終戦のローレライに……。》(下巻429-430頁)

 ──作中、『ドグラ・マグラ』の「胎児の夢」に言及される。「ローレライ」と
は、エンブリオである。

《大海を漂う単細胞生物が、結合すべき同族と結びあい、互いの感覚を拡大させる
至福感。二つの個がひとつになり、新たな個を形成する──産み出す──瞬間の、
数億年にわたる種の連鎖に組み込まれるおののきと、自分という刹那も永遠の一部
なのだと識る高揚感。》(下巻423頁)

《これが仲間意識というやつか。面倒だが魅かれずにはいられない、一蓮托生とい
う言葉の中身か。(略)ひとりでは生きられず、仲間と寄り添って慈しみあうのも
人間なら、そのために他の集団に警戒心を抱き、場合によっては恐怖と憎悪を抱く
のも人間。環境によっていくらでも変わるし、その気になればどこに行っても生き
られるのが人間なのに、恐怖にならずとも恐怖を克服する術が、誰の中にもあると
いうのに。》(下巻482頁)

●532●池井戸潤『架空通貨』(講談社文庫:2003.3.15/2000)

 過去のある高校教師辛島武史が教え子黒沢麻紀の窮状を救うため、闇の通貨が流
通する企業城下町に乗り込む。そこで辛島が出会ったのは、この「黒い町」に君臨
する田神亜鉛のカリスマ経営者阿房正純と、その財務コンサルタントをつとめる謎
めいた女性加賀翔子だった。

 ──志水辰夫の傑作『生きずりの街』のあの感動を予感させる人物配置と、金融
小説に新機軸をもたらす野心のうかがえる状況設定に、傑作エンターテインメント
への期待が高まる冒頭部だ。しかし物語はその後、予想外の方向へと展開する。

 教師と女子高生との間に屈折した葛藤は生じることなく、阿房の人物像は平板で
ある。それどころか、辛島と翔子との説明不足で説得力のない絡み(というより、
辛島の一方的な翔子への思い入れ)や便利な友人佐木の登場に、当初の感興はすっ
かり冷めていく。その佐木の口を借りて、マネーロンダリングや翔子の復讐譚とい
った物語の骨格が延々と説明されるに至っては、小説はすでに破綻している。

 こうなると「架空通貨」というタイトルは無用の長物と化すし、周到に張られた
伏線は結実することなく、小説的豊饒や物語的余韻など望べくもない。傑作にもな
りえた駄作に終わっている。構成がどこか歪なのである。二つの作品が頭と尻尾で
つながっている。筆力のある著者なのだから、もう一度はなから書き直すべきだ。
このままでは惜しい。

●533●庄野潤三『庭のつるばら』(新潮文庫:2003.2.1/1999)

 交差点にたどり着いたとたんに横断歩道の信号が赤に変わった時、なんとついて
いないことだと腹立たしく思うか、やれやれここで一休みと余裕をもって周囲の景
色に目をやるか。たとえばこのような取り立てて言うほどのこともない日々の出来
事への態度の違いが、俗に「生活の豊かさ」などと言われている境地を心底から味
わえるかどうかの境目になる。ただしそこには体力の衰えというものが大きく影響
しているに違いなくて、老いをまさに身をもって体験している者にしか判らない心
の淡泊さというものもあるのだろうが、それもまた人様々である。要はそういった
「等身大」の感覚や思考や感受性を、気が遠くなるほどに長くしかしあっけなくも
短いはずの人生の積み重ねのなかでどこまで鍛錬し研ぎ澄ますことができるかにか
かっている。

 「夫婦の晩年を書きたい」。齢七十を越えた庄野潤三氏の「湧き出る泉」のよう
な気持ちは、年に一冊という、はやりの言葉を使えば「スロー・ライフ」そのもの
のペースで営まれ語られていく生のかたち(大切な事は何度でも飽きることなく反
芻する)となって結実している。その文学的達成は、もしかすると前代未聞のこと
なのではないか。本作は『貝がらと海の音』『ピアノの音』『せきれい』に続く第
四作目。

●534●大月隆寛編『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』
                           (鹿砦社:2002.11.1)

 好きな作家と問われれば「村上春樹と保坂和志と田口ランディ」と答えることに
決めている。保坂和志はこのところますます「重み」が増している。これに対して
田口ランディはいまだに評価が揺れている。『ダ・ヴィンチ』連載時から気にかけ
ていた『聖地巡礼』が出版されたので、これを読んでから再考しよう。いま庄野潤
三にハマりかけている。もう少し読み込めば、このラインアップは変更することに
なるかもしれない。以上は、個人的な前振り。

 大月隆寛の田口評──「ニューサイエンストランスパーソナル系「何か大きな存
在が世界を、アタシを動かしてるわ、これって宿命なのね、どうしましょ」な妄想
大炸裂の代物」(bk1 大月隆寛の独立書評愚連隊 電脳遊撃編第2回 2001.04.13)、
「どこからどう読んでも粗製濫造、八○年代ニューサイエンス系自意識肥大全開垂
れ流しな、超特大勘違いジャンク物件」(「書評スイカ割り」『本の雑誌』2002年
1月号)──は、たしかにあたっているところがある。『7days in Bali
』みたいな作品が続くようだと、田口ランディは終わったとしか言いようがない。
最初から終わってたんだよ。と、大月隆寛なら言うだろう。

 田口ランディは「バカで下劣で品性も才能もないブツ」なのに、「大手を振って
「作家」でござい、もの書きでござい、と平気でまかり通らせちまう世の中っての
は、どうにもこうにも我慢がならないんだよね」(大月隆寛)。品はないけれど、
これも歴とした批評の言葉だとしよう。でも要はそれだけのことでこれほど大部の
本を編みあげてしまう、そのエネルギーにはとてもついていけない。「バカで下劣
で品性も才能もないブツ」どもがよってたかって「大手を振って「本」でござい、
と平気でまかり通らせちまう世の中ってのは、どうにもこうにも」不可解。

 盗作や無断借用がいくらあったって、そんなことちっともかまわない。あ、これ
は、この本のここのところを勝手に借用している。そんな重箱読みの愉しさはよく
わかる。それが嫌いな「ブツ」の所業だったら、憤懣も湧くだろう。それもわかる
ような気がする。「ものを読み、書いて考える立場の「自由」ってやつ」を「せめ
ておのれの書いたものにくらいは身体張ってみせる心意気」でもって、損得勘定抜
きで守ろうとする「バカ」が集まっできたのがこの本だという。それもわからない
でもない。でもだからといって、ここまでやるか。

 インターネット経由で無数の文章が入手でき、ペーストしまくっていとも簡単に
一つの作品を仕立て上げることができる。「創作」を垂れ流しにできる。編集者の
いない議論のフィールドで、誰でも好き勝手に誰かを個人攻撃できる。「批評」を
垂れ流しにできる。そんな前代未聞の時代だから、これからさき何かとんでもない
ことが起きるかもしれない。この本じたいがその先触れの記録かもしれないし、や
がて到来する「何かとんでもないこと」への先走りの抵抗の試みだったのかもしれ
ない。

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