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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.156 (2003/03/29)
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 □ 小林信彦『名人』
 □ 小林信彦『コラムの逆襲』
 □ 小林信彦『コラムは誘う』
 □ 小林信彦『コラムの冒険』
 □ 小林信彦『コラムにご用心』
 □ 小林信彦『コラムは笑う』
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●522●小林信彦『名人──志ん生、そして志ん朝』(朝日選書:2003.1.25)

 『文藝春秋』(2003年4月号)に中野翠さんとの対談「名人・志ん朝のいない風
景」が掲載されていて、そこで小林信彦さんは「今でも喪中状態ですよ(笑)」と
語っている。「志ん朝さんが亡くなって、これで僕の生まれ育った世界が消えちゃ
ったんですよ。家は空襲でなくなっているにせよ、町が幻想として残っているとす
ればそれは〈言葉〉です」。「名人が一人亡くなるということは、ある文化をみん
な持っていってしまうことなのだ」。小林さんが言う「幻想の町=言葉」とは江戸
弁のことだ。中野さんの発言「落語ってやっぱり言葉の面白さですね。卓抜な、面
白い死語の宝庫」に、小林さんは「志ん朝さんが江戸弁を自在に操れた最後の一人
です」と応じている。

 荷風が「屋根のない勧工場[デパート]の廊下」と形容した〈路地〉の消滅(そ
れは関東大震災がもたらした「江戸言葉による笑いの共同体」の消滅とパラレルで
あった)にはじまって、東京オリンピックへ向けた「おそるべき都市破壊」──《
オリンピックが壊したのは街だけではない。東京の人間の証拠である東京言葉が消
滅しつつあった。(略)東京言葉を無意識にしゃべる人々、三味線をしゃむせんと
しか言えない人々が死ぬ時期がきていた。》──へと、世相の転変と個人史をから
ませながら、つまるところは「言葉の面白さ」につきる江戸落語の最後の高揚と熟
成、そして静かな退場を描いた本書第三章「志ん生、そして志ん朝」は、それ自体、
小林さんの円熟した語りの藝がいかんなく発揮された江戸弁への挽歌である。

 ともすればこみあげようとする感傷を排したその語り口は、「落語は現代文学と
も深くかかわっている」ことを漱石の『猫』に託して奔放かつ丹念に論じつくした
第四章「落語・言葉・漱石」に出てくる、「人情噺を排し、滑稽を強調した近代落
語」に傾倒した漱石の「乾いたユーモア」に通じている。それはまた、芸術祭賞に
輝いた志ん生の「お直し」をめぐる小林さんの評言──「重い内容である。いくら
でも暗くなる話だが、志ん生が語ると、そうはならないで、ドライ・ヒューモアと
いうか、乾いて、一筋の光がさす」──にも呼応している。小林信彦の批評は、落
語である。

 ──本書を読み終えて、さっそく志ん生の落語のカセットを買い求め、いつ頃録
音されたものかわからない「品川心中」と「淀五郎」の二本を聴いた。講演テープ
で知る小林秀雄の声と語り口にどこか似通っていた。それはまた、活字でしか読め
ない漱石の講演にも通じていると思った。
 

●523●小林信彦『コラムの逆襲─エンタテインメント時評 1999〜2002─』
                           (新潮社:2002.12.20)
●524●小林信彦『コラムは誘う─エンタテインメント時評 1995〜98─』
                        (新潮文庫:2003.1.1/1999)
●525●小林信彦『コラムの冒険─エンタテインメント時評 1992〜95─』
                        (新潮文庫:2000.1.1/1996)
●526●小林信彦『コラムにご用心─エンタテインメント評判記 1989〜92─』
                          (筑摩書房:1992.5.20)
●527●小林信彦『コラムは笑う─エンタテインメント評判記 1983〜88─』
                          (筑摩書房:1989.4.25)

 中条省平さんが『波』(2003年1月号)に寄せた『逆襲』の書評「つまらない時
代に対する貴重な特効薬」で、「さよならを言うのは、しばらくのあいだ死ぬこと
だ……。小林信彦のコラムには、そんな恐ろしいところがある。そこが軽々に読み
すごせない「コラム」シリーズの凄みなのである」と書いている。また、「今のよ
うな時代に、新聞にエンタテインメントについての時評を連載する。考えるだに恐
ろしい、命をけずるような感覚との戦いなのではないかと思う」とも。ここに二度
も出てくる「恐ろしい」が、小林信彦さんのコラムの真実を衝いている。

 シリーズはこれまで、絶版も含めて七冊でている。うち『ご用心』以降の四冊は
中日新聞連載分で、この連載は今も続いているとのこと。嬉しい。『笑う』より前
の『コラムは踊る─エンタテインメント評判記1977〜81─』と『コラムは歌う─エ
ンタテインメント評判記1960〜63─』は、今回入手することができなかった。残念。
『ご用心』以前の四冊、いずれもちくま文庫が品切れだという。そんなことだと、
大衆文化と同様「出版文化の八○パーセントはがらくた」(『逆襲』)なんて言わ
れるぞ。

 小林信彦さんの「コラム」シリーズはいずれもうっかり手にとったが最後、途中
で止めることができなくなるという恐ろしい本だ。それこそ「コラムにご用心」。
原稿用紙4枚という制約を逆手にとって、その形式がうちに秘めたる可能性を存分
に引き出し、とても濃密な情報と蘊蓄と見識を、もはや名人芸ともいうべき軽妙な
文章にほどよくブレンドして、サービス精神たっぷりに読者に提供する。「映画と
いうのは、作られた時代のムードがわからないと、理解できない、とぼくは思う」
(『逆襲』)などは、そのほんの一例。

 読者はすっかり満足し、良質のエンタテインメントを堪能したときのあの充足感
と余韻を覚えるのだが、そこにほんの少しの不満が残る。もうちょっと浸っていた
いのである。でも心配ない、ちゃんと次の話題が用意されている。だって「コラム
の至芸80連発」(『冒険』の場合)なんだから。こうして読者は、小林信彦の術中
にはまっていく。最後の頁にたどりついてしまうのが恐ろしい。

 原稿用紙4枚云々は、中条さんも、「小林信彦の批評は氷山の一角である」に始
まる『冒険』の文庫解説「凛然たる〈批評〉」でふれていた。──余計な説明をし
ていたらあっという間に枚数が尽きる。情報を詰めこみすぎると楽しい読み物では
なくなる。《この難しいバランスを曲芸のように巧みに取りながら、読者には難し
さを毛ほども感じさせない。これぞ「説明しない〈批評〉」の醍醐味である。/こ
の批評の根もとにはいうまでもなく、長い時間と大きな元手をかけて練りあげた凛
然たる美学がある。だが、それより重要に思われるのは、小林氏の批評が、個人的
な美学の表れである以上に、社会的な歴史意識の結実だという事実である。》

 引用中「説明しない〈批評〉」とあるのは、自伝的長編エッセイ『和菓子屋の息
子』で小林信彦さんが箇条書きにした「下町の人間の特徴」の一つだ。──なんだ
か他人の言葉を借りてばかりだけれど、小林信彦の仕事を評価するような立場にも、
また力量もないのだから、それはまあ仕方がない。でも、小林信彦の「コラム」シ
リーズは重要文化財である。ちゃんと永久保存にしておかなくちゃだめ。これだけ
は言える。

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