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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.150 (2003/02/01)
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 □ 塩野七生『終わりの始まり ローマ人の物語]T』
 □ 椎名誠『本の雑誌血風録』
 □ 川勝平太『「美の文明」をつくる』
 □ 橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』
 □ 橋本治『ひらがな日本美術史4』
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●500●塩野七生『終わりの始まり ローマ人の物語]T』(新潮社:2002.12.10)

 塩野七生さんの本は、かつて私の愛読書だった(たとえば『チェーザレ・ボルジ
アあるいは優雅なる冷酷』)。五木寛之や開高健もそうだったけれど、一頃あれほ
ど夢中になったのに、どういうわけか最近はほとんど読まなくなっていた。それで
も、「ローマ人の物語」だけは、全十五巻が完結してから一気に読むつもりで、文
庫本が出た時もぐっと堪えていた。が、とうとう堪えきれずに読んでしまった。

 なにしろ、マルクス・アウレリウスが出てくるのだ。高校の頃の女友達の愛読書
が『自省録』だったことは、この際あまり関係はないし、リドリー・スコット監督
の『グラディエーター』が強く印象に残っていた、というわけでもない。ここ数年、
ストア派の思想に強く惹かれていたからだ。そして、塩野さんとストア派は、たぶ
ん合わないだろうと思ったからだ。

 はたして、作中、「まとまった形の著作を遺したただ二人のローマの最高権力者
」(166頁)であったユリウスとマルクス・アウレリウスを比較した箇所などを読
むにつけ、まさにローマという偉大な国家の魂が腐臭を放ちはじめるのが、哲人皇
帝マルクス・アウレリウスの統治下であった。ストア派の「死後の魂」と、現世の
「剣と法」。

 本巻をもって、「死ねば誰でも同じだが、死ぬまでは同じではない、という矜持
をもってローマを背負った、リーダーたちの時代は終わった」(343頁)。いずれ
全十五巻通読の際、こんどは腰を据えて読み返すことになるだろう。この書物は読
み手を選ぶ。

●501●椎名誠『本の雑誌血風録』(朝日新聞社:1997.6.1)

 最近はほとんど読まなくなってしまったけれど、椎名誠さんの本(たとえば『哀
愁の町に霧が降るのだ』)もかつて私の愛読書だった。その「スーパーエッセイ」
は、伊丹十三や東海林さだおや山下洋輔や小林信彦(中原弓彦)の文章とともに、
いまでも記憶に鮮やかだ。

 本書は、『哀愁』『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』に続く「自伝的大河青
春小説」の第四弾で、シーナをとりまく友人たち、沢口ひとしが、木村晋介が、そ
して目黒孝二や群ようこが実名で登場し、熱く、かつ怪しげな振る舞いで疾駆する。

 1976年春、「文藝春秋」をめざして発行された、定価100円、原価340円の「本の
雑誌」第1号。当時、「話の特集」「ビックリハウス」「宝島」「面白半分」「ニ
ューミュージックマガジン」といったカウンターカルチャーマガジンが元気だった。
やがて、情報センター出版局からの出版の誘い、『海』への小説の執筆と、シーナ
が作家椎名誠に変身していく。

 暇つぶし、というか隙間の時間を使って何気なく読み始めたら、暇がなくなって
も、つまり仕事の時間を潰してまで読み耽ってしまった。これほど熱中したのは久
しぶり。以下新宿篇が続くのだが、これも未読。さっそく読まねば。

●502●川勝平太『「美の文明」をつくる──「力の文明」を超えて』
                     (ちくま新書376:2002.11.20)

 「美」について書かれた本を二冊、偶然か意図的かは知らないが、同じちくま新
書から出た川勝平太さんと橋本治さんの本を続けて読んだ。──まずは、川勝本。
これはとても「大味」な本だった。薄味というわけではないけれど、よくできた講
談にすっかり聞き入って、カタルシスを覚えてすっきりして芝居小屋から出ると、
またいつもと同じ風景が目に飛び込んでくるといった感じで、触発されたり深い思
索の森へ誘われたり、後をひく感銘に何かが更新されるといった体験が欠けていた。

 そもそも、私は川勝さんが好きだった。『日本文明と近代西洋』や『文明の海洋
史観』などは、とても面白かったし、何かがそこから始まる力動感に満ちていた。
なにより川勝さんの人柄と話が、私は好きだ。たとえブラウン管を通じてであって
も、肉声で聞くその声には、人の情感に訴え、人を動かす力がこもっていた。川勝
流「大風呂敷」も、語りや講演や講義のなかでは、とても生き生きと躍動していて、
聞き手の視野を一気に拡げてくれる。

 座談の哲学、演台の政経論。文章で記録すると、肝心なものが雲散霧消してしま
う思考。それはそれで一つの知性であり、歴史や世の中は、実はそういった知性が
動かしているのではないかと思う。なにか使い回しのような話でも、川勝さんの生
の語りで聞けば、そのつど思想のリアルが立ち上がってきたのだろうが、そこが活
字の限界というもので、だから結局、大味だったのだ。

 「キリスト教、科学、法秩序」からなり、むきだしの暴力が基軸となる「力の文
明」。それに対する「美の文明」を、カントを切り出しに、やがて日本の思想家や
学者や建築家、たとえば鶴見和子の「南方曼陀羅」(この鶴見さんの内発的発展論
を、川勝さんは「自律する生命の創造論」とか「「偶然性」を包摂する知的体系」
と説明している)や今西錦司のサル学、宮沢賢治の「農民芸術論」、西郷南州や石
井和紘や畠山重篤や安藤忠夫、等々の言説を引き合いに出しながら素描する。

 そして、美の文明の担い手である日本の将来について、海の日本(九州・中国・
四国・近畿)、平野の日本(関東)、山の日本(北陸・中部)、森の日本(東北・
北海道)の四つの日本からなる「日本連邦」を提言する。読む前からわかっている
内容を、活字で確認するのは。実際、大味だった。──川勝節を少しだけ、日本=
アーキペラゴ論のくだりからの抜き書き。

《日本の本質は島々からなる国であるということだろう。(略)島はそれぞれが島
と島との架け橋であり、かつ、それぞれが自立した存在として独自の価値を持つと
いう存在形式をもつのである。(略)日本という列島もまた、アメリカと中国・ロ
シアという巨大な陸地にはさまれた媒体である。》(154-155頁)

《島々のネットワークのなかでのみ島は自立を維持できる。(略)ネットワーク時
代の到来は陸地的発想から海洋的的発想へとパラダイムの転換を求めている。定着
するということよりもむしろ離陸することを歴史観の出発点に据える時期に来てい
るのである。》(157-158頁)

●503●橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』
                     (ちくま新書377:2002.12.20)

 美しさではなく「美しい」、理解するや感じるではなくて「わかる」。書名での
この微妙なこだわりが、「美しい」が分かる人(本書を読んで「なるほど」とうな
ずく読者)と「美しい」が分からない人(「なんのことだ?」と悩む読者)の二つ
のカテゴリーを一つに統合するという「めんどうくさいこと」を試みた、本書のす
べてを語っている。

 美を感じることだったら、脳科学がいずれその構造を解明するかもしれない。だ
けどそれだと、なぜある人には「美しい」が分かり、別のある人には分からないか
が分からない。理解力(分かることは分かる)だけあっても、類推能力(分からな
いことを分かる)がなければ、美は分からない。そもそも「美しい」という言葉は、
美しいものに出合った瞬間の「あ……」とか「お……」というつぶやき(思考停止
)の中から生まれるものであって、それは「美しさ」が含意する、すでに固定した
対象の価値や美に関する知識のことではない。

 「美しい」とは「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時
に生まれる感動」(14頁)である。それは「こちら」側の欲望の体系=必要(個人
的な合理性)とは無縁である。合理性の基準は「あちら」側にある。だから「対象
の美しさが合理的かどうかを判断するのには時間がかかる」(39頁)。「美しい」
は咄嗟に出る感銘の言葉で、「合理的」はそこに後からやって来る「他人の言葉」
である(27頁)。要するに、「美しい」は直接的にはなんの役にも立たない発見で
ある。しかし「美しい」には重大な役割がある。それは「自分とは直接的に関わり
のない他者」を発見することである(48頁)。「“美しい”とは他者のありようを
理解することだ」(52頁)。

 以上が、橋本流美学の原論ともいえる第一章「「美しい」が分かる人、分からな
い人」のあらましで、以下、ここに出てきた「他者」と「時間」の二つのキーワー
ドに即しながら、「美しい=合理的」テーゼ(「一つになった二つの異質」の典型
)をめぐって論は進んでいく(と、思っていた)。

 まず、「美しい」がもつ他者性に関して、第二章「なにが「美しい」か」で著者
は、人間の都合(利害)とは関係なく存在しているありとあるものが、ただ存在し
ているだけで美しいこと、つまり「ありとあるものの必然」に従って美しいこと(
86-87頁)について、夕焼けや青い空、動物、石器といった具体的な「他者」を取
り上げ、最後に、本来、時間を編み込んだ「技術」と、思惑を超えた「自然」(自
然状態や自然体とも)を対比させながら論じる。

 そして、その過程でさりげなく、「幸福に生きること」の先に「美しい」がある
こと(79頁、115頁)や、人間の都合は脳が勝手に決める観念的なもの(94頁)で
あって、だから、技術(作る)から時間(ためらい)をそぎ落とし、「観念がその
まま形になってしまった物」を氾濫させる「産業」や「経済」は、人間のあり方、
自然のあり方に対しての間違いであること(103頁)など、本書のキモともいえる
議論を展開する。

 次いで、第三章「背景としての物語」では、王朝美学を素材として、「美の冒険
者」が書いた『枕草子』と「美の傍観者」(もしくは「美しい」が分からない「平
均的な中年男」)が書いた『徒然草』を比較しながら、「美しい」が人間関係に由
来する感情であること、しかしそれは「豊かな人間関係の欠落に気づくことが、人
の美的感受性を育てる」(174頁)といった複雑な回路を経ていること、だから、
「孤独」(もしくは「その人なりの内実」としての「物語」)をジャンピング・ボ
ードにして「外」へ、そして「幸福」へ向かって跳び上がることが、「美しい」を
捕まえる途であることを明らかにする。

 私の「読み」では、この第三章は「美しい」と「時間」の関係を主題的に論じる
もの、のはずだった。強いて言えば、「外」と「物語」という語彙が「時間」と関
係しているのかもしれない。それでは、第四章「それを実感させる力」が「時間」
を主題的に取り上げているかというと、そうでもない。著者自身の「不思議な体験
」その他が雑多に書かれているだけで、そもそも章名に出てくる「美しい」を実感
させる力について、ほとんど何も書かれていない(ように見える)。

 このあたりで私の本書への構えが散漫になっていく。もうこれ以上読むのをやめ
ようかと思って、それでも、このまま終わるはずはないと「あとがきのようなおま
け」を眺めてみると、やっと出てきた。なんと、というのは本書の「戦略」を完全
に見誤っていた私の驚きの言葉なのだが、なんと、「孤独」が「時間」と関係して
いたのだ。

 孤独とは「時間の停止状態の中にいる」ことである(244頁)。そして、孤独を
知るためには自己を対象化することが必要で、対象化する作業は、「過去にする」
という作業と同じである。以下、近代における孤独の発見への経緯とその帰趨が論
じられ、最後に著者は恐るべき言葉を吐く。

《個人的には、「世界は美しさで満ち満ちているから、好き好んで死ぬ必要はない
」と思う私は、それを広げて、「世界は美しさに満ち満ちているから、“美しいが
分からない社会”が壊れたって、別に嘆く必要もない」と思います。それが、「美
しい」を実感しうる人というものの、根源的な力なのだろうとしか、私には思えな
いのです。》(261頁)

 結局、私には本書がよくわからない。ただ、橋本流美学は、軽やかで深い。そし
て、潔い。そのことだけは分かった、ような気がする。

●504●橋本治『ひらがな日本美術史4』(新潮社:2002.12.20)

 俵屋宗達の絵はどこかで笑っている(遊んでいる)。その絵のすごさは「理屈」
というものが一切ないところにある。そもそも日本美術は「なんとかして“説明”
という理屈臭さを超えたいと思っているものの集積」なのであって、だから「日本
美術というものは、俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在している」(その
六十三「笑うもの」)。

 桂離宮は「すごい!」。しかし桂離宮を日本美の典型と言うのは間違いである。
それを言うなら日本美の異端である。しかし桂離宮は「最も典型的に日本の美意識
を語るもの」ではある。それでは、桂離宮が典型的に語る「日本の美意識」とはな
にか? それは「静止しない」ということである(その六十九「人間のあり方を考
えさせるもの」)。

 ──『芸術新潮』を買って最初に開くのが橋本治さんの「ひらがな日本美術史」
の頁で、連載回数はもう九十回を超えている。雑誌掲載時の雰囲気を多少は残した
やや大判の造り、写真と図版が適度に鏤められているのもいい。蘊蓄を語るのでも、
目利きを競うのでもない、橋本治の「ひらがな」語りもいい。

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