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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.145 (2002/12/29)
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 □ 高野文子『黄色い本』
 □ ジェフリー・ディーヴァー『青い虚空』
 □ 滝田洋一『日本経済 不作為の罪』
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今年の最終号です。そこで、2002年の私のベスト・ランキングといった「企画
」を考えていたのですが、年末もおしせまってから、かけこみで、読みかけだった
本をいくつか読み散らかし、しかもそれが哲学系の、こみいった緻密な議論がウリ
の本だったりしたものだから、整理と収拾がつかないグチャグチャの頭のまま年を
越すことになりそうで、だから、企画は倒れるまでもなく、立ち上がらないまま終
息してしまいました。

それではちょっと切ないので、森山和道さんの「ベストサイエンスブック2002
」に投票した五冊と、付録の五冊、計十冊を掲げさせていただきます。
 ※ http://www.moriyama.com/questionnaire/questionnaire02.html

○佐倉統『進化論という考えかた』(講談社現代新書:2002.3.20)
 自然主義と人間主義をリンクさせる「生物学の哲学」や「第三の文化」としての
進化論の可能性(さまざまな現象をつなぎ合わせる文脈生成機能=個別現象への意
味付与機能=科学技術と社会との往復運動を橋渡しする物語機能)が展望される。
読者の思索と実践を促す論点や素材の提供に徹した刺激的な読み物。

○養老孟司『人間科学』(筑摩書房:2002.4.25)
 モノの見方を変えるとモノが違って見える。違って見えるモノは、違って見える
前のモノとは違うモノなのだろうか。それともモノそれ自体は同じなのだが、ただ
それが違って見えるだけなのだろうか。「養老学」の到達点が見え始めた。

○中田力『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(紀伊國屋書店:2002.8.31)
 ニューロン絶対主義のセントラルドグマから解き放たれた「リーマン紀元」後の
脳科学がよってたつべき実在と原理が余すところなく示されている。これは驚嘆す
べき「絵本」だ。

○木下清一郎『心の起源 生物学からの挑戦』(中公新書1659:2002.9.25)
 物質世界の入れ子としての生物世界、生物世界の入れ子としての心の世界、そし
て心の世界の入れ子としての超越者の世界にまで説き及ぶ、自然学と人文学に架橋
した壮大な心の発生と展開と未来をめぐる物語。こういう読み物にめぐりあうと、
心が躍動する。

○小林秀雄全集別巻1『感想』(新潮社:2002.6.10)
 「一般科学啓蒙書」のカテゴリーをはみだしているかもしれないし、実は私自身
まだ読み終えていないのですが、これだけははずせません。

○青山拓央『タイムトラベルの哲学──「なぜ今だけが存在するのか」「過去の自
 分を殺せるか」』(講談社:2002.1)
○アミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(青木薫訳,
 早川書房:2002.2)
○津田一郎『ダイナミックな脳──カオス的解釈』(双書 科学/技術のゆくえ,
 岩波書店:2002.3)
○酒井邦嘉『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』(中公新書1647
 :2002.7.25)
○野矢茂樹『同一性・変化・時間』(哲学書房:2002.9)
 

●493●高野文子『黄色い本 ジャック・チボーという名の友へ』
                           (講談社:2002.2.22)

 こわいマンガだ。ほのぼのと静謐に、いかにもおだやかに淡々とコマは進んでい
くのだが、高野文子がえがく世界は、基本的にこわい。

 なにしろ、アングルがいびつなのだ。写真が意図せずしてうつしだしてしまう、
人物や風景の「無意識」とはまたちがった意味で、感情の襞でも関係の曖昧でも時
間の分岐でもない、いずれにせよ見てはならないもの、あるいは見ることができな
いものを、高野文子の線は、あからさまではないかたちで露出させる。

 コマとコマとのあいだにうがたれた余韻、あるいは飛躍、亀裂、深淵、とでもい
うべきものにも、おびえさせられる。ゆっくりと味わいながら読んではいけないの
だ。神話とスキャンダルのあいだ、つまり日常をつくりだす、あの生のリズムを見
失ってはいけない。そこにある豊穣と過剰、欲望や悪意を、みつめすぎてはいけな
い。

 だから、高野文子のマンガはこわい。こわいけれど、やさしい。その世界から帰
還したとき、日常が更新される。

●494●ジェフリー・ディーヴァー『青い虚空』
                    (土屋晃訳,文春文庫:2002.11.10)

 まず書いておかなければならないこと。これは第一級のエンターテインメント小
説である。極上かどうかは人によって評価が異なるだろうが、後半、期待を裏切ら
ない大業がいくつも用意されていて息つくヒマも与えない。(それはたとえば人と
マシンの取り違え、大人と子供の取り違えといった趣向なのだが、これ以上書くと
ネタばらしになってしまう。)

 あまつさえこの作品には骨太のテーマがある。コンピュータで人を殺せるか。ソ
フト・アクセスによる殺人は可能か。もちろんそれは可能で、その答えは二通り用
意されている。これもお楽しみのネタだ。でもそれがテーマなのではない。コンピ
ュータで人を愛せるか。コンピュータで人をつくれるか。これこそが本当のテーマ
で、もちろんそれは不可能に決まっている。

 コンピュータ・ネットワークがひらくマシン・ワールド(サイバースペース)、
それをハッカーたちはブルー・ノーウェアと呼ぶ。ユートピアの英訳はノーウェア
(どこにもない場所)だから、青いユートピアと呼んでもいいだろう。胎児の視覚
に最初に映じる色は青だという。だとするとブルー・ノーウェアとは母胎(マトリ
ックス)の比喩でもある。

 だが、そこから産まれるのは生命ではない。ソーシャル・エンジニアリング(「
自分じゃない誰かのふりをして他人を騙すこと」)が生み出す様々な人格である。
それは匿名性の消滅の果てに生産されつづける、フィクショナルでかつリアルな非
生命的人格でしかないのである。(そういえば、作者もまたソーシャル・エンジニ
アリングの達人だった。)

 ──以下は、例によって気になった箇所の抜き書き。

◎「ハッキングでは、とにかくスペルが問題なんだよ」

◎「ブルー・ノーウェアでは、マシンがわれわれの個性や文化を──われわれの言
語、神話、隠喩、哲学、精神を──身につけようとしている。
 そしてこの個性と文化が、今度は、マシン・ワールド自体によってどんどん変え
られていく。」

◎「あなたは人を愛せない。ソーシャル・エンジニアするだけ」

◎「考えてみろ。生命はどうやってはじまった? 炭素、水素、窒素、酸素、硫黄
でできた原始のスープに雷が落ちたのが始まりだ。すべての生物はこれらの成分か
らできている。すべての生物は電気インパルスで動いている。で、こうした成分は
どれも、なんらかの形でマシンのなかに見つけることができる。マシンも電気イン
パルスのおかげで動いている」
 「チャットルームのガキ向けのえせ哲学は願い下げだ、ジョン。マシンは素晴ら
しい玩具だ。つねに世界を変えてきた。でもマシンは生きているわけじゃない。考
えたりしないんだ」
 「いつから考えることが生命の必要条件になったんだ?」…
 「いったいどうした? そんなちがいもわからないほどマシン・ワールドに呑み
こまれちまったのか?」…
 「マシン・ワールドに呑みこまれた? おれに他の世界はない!」

◎「生命はここにある! 血の通った肉体に……人間に……家族に、子供たちに…
…」声が詰まる。目に涙があふれていた。「それが現実じゃないか!」
 シェルトンはハッカーを突き放すと、両手で目頭を拭った。ビショップが前に進
み出て相棒の胸にふれた。が、シェルトンは身を引き、警官と捜査官がたむろする
なかに姿を消した。
 ジレットは哀れな男に同情しながらも、こう考えずにはいられなかった。マシン
もまた現実なんだよ、シェルトン。マシンは日ごと血の通った肉体の一部となりつ
つあり、その流れはこれからも改まりはしない。変化そのものがいいか悪いか、そ
んなことを自問自答する必要はない。ただ単純に、モニターからブルー・ノーウェ
アへはいっていくときには誰になるかを思うこと。

●495●滝田洋一『日本経済 不作為の罪』(日本経済新聞社:2002.11.5)

 「成長フロンティアが見いだせず、デフレの圧力が高まるなかで、「不況と戦争
の時代」の足音がひたひたと聞こえてくる」(228頁)。──最終章「迫り来る清
算の時」の直前におかれたこの寒々しい言葉にたどりつくまで、著者は淡々と、あ
たかも怒りを抑えながら罪状を読み上げる検察官のごとく冷徹に、ただひたすら事
実をのみ語り続ける。個人金融資産、ペイオフ封印、対外純資産という、日本国民
の危機意識を曇らせてきた三つの安全装置が、いかに脆弱で空虚で欺瞞に満ちたも
のでしかなかったか。ドル帝国・アメリカ経済の失速とともに、他人頼みの景気回
復シナリオが破綻し、もはや世界のどこにも範とすべきモデルはあり得ないこと。

 「人は見たいものしか見ない」と、カエサルは言った。しかし、見るべきもの(
希望)を失った人々の思考と行動を律する原理は、「見たくないものは見ない」で
ある。ここに「不作為」という名の行為、百年単位の衰亡への道を加速する犯罪的
行為の淵源がある。被告と目されているのは、政策当局者、政治家、企業、そして
何よりも、そのような政治経済状況をシェイクスピア劇を眺めるように傍観してき
た「国民」である。

 「不良債権や過剰債務という根っこにある問題から目をそらして、成長フロンテ
ィアを論じるのは、重力のない仮空[ママ]の島、ロードス島で何百メートルも跳
べると自慢し合っているようなものである」(246頁)と著者は言う。韓国式の「
金融と産業の一体再生」、すなわち銀行国有化も辞さないハードランディングこそ
が復活のための現実的な処方箋である。「不良債権と過剰債務という負債を辛抱強
く処理し次の成長産業が育つのを待つというのが、破局を回避するための唯一の処
方箋ということになろうか」(275頁)。

 著者は正しいのだろう。正しすぎるほど正しいと思う。だが、不作為の罪に見合
う罰を辛抱するためには、現実=煉獄を突き抜けた先に、輝く理想がなければなる
まい。イソップの寓話を踏まえて、ヘーゲルは「ここに薔薇がある、ここで踊れ」
と洒落た。ここ、ロードス島に見出すべき薔薇=理想とは、「国民」といった抽象
的な主体のものではなく、それぞれの「私」の理想であるべきだ。一刀両断式に黒
白を決める裁判官など、どこにもいない。

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