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 ■ 不連続な読書日記                ■ No.137 (2002/11/10)
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 □ 土居丈朗『財政学から見た日本経済』
 □ 木村剛『小説ペイオフ』
 □ 松本人志『シネマ坊主』
 □ 齋藤孝『読書力』
 □ 柳澤桂子『すべてのいのちが愛おしい』
 □ 森田正人『文系にもわかる量子論』
 □ 川上弘美『パレード』
 □ 乙一『GOTH』
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●443●土居丈朗『財政学から見た日本経済』(光文社新書:2002.10.20)

 二つのモラルがある。借りたら返す金融のモラルと決めたことは守る政策のモラ
ル。この国でこれらが劇的に崩壊したのは1997年以後のことで、いずれの場合
も失われたのは「信用」であり、その帰結は規律なき財政赤字の増大と政策論理の
一貫性の欠如であった。

 たとえば景気対策の名分を借りて今また繰り返されようとしている財政出動。そ
れは「国家戦略」をもって効率性の観点から金融対策と一体となって日本経済全体
の成長率を高めようとするものではなく、福祉国家的発想と公平性の名のもとでの
「保険金の支払い」──農村部への失業保険(公共事業関係費)、自治体への減収
保険(地方交付税交付金)、倒産リスクへの保険(中小企業対策費)──であるに
すぎない。

 そこには自分の庭は他人のお金できれいにすべきではない(受益に見合う負担を
厭わない)という、グローバル・スタンダードならぬコモン・センスすら貫徹され
ていない。そのツケは結局、増税であれハイパー・インフレであれ国民が払うこと
になる。

 こうした現実に対して著者が示す処方箋は三つ。短期的には特殊法人改革と郵貯
・年金改革、地方行財政改革(地方交付税改革)の四位一体でなされる財政投融資
制度の再構築であり、中期的には国境を管理する中央政府と地域経済を担当する地
方政府の財政の分離(中央政府による地域間・産業間所得再配分機能の限定と、そ
れと裏腹な地方への補助金分配に対する国会議員の関与の縮小)である。

 長期的かつ抜本的には個人主義の徹底による自己責任の確立、そして連帯責任(
責任の曖昧化)から他者を思いやる協同責任へという「経済活動での秩序の回復」
をめざすこと。自分の生活の安全は自分で守る。約束は守る。この単純だが普遍的
なルールの再構築にすべてはかかっている。

 平易簡明な叙述ながら問題の実質と帰結と対策を苛烈なまでの説得力で鮮明に描
写しきった必読書。

●444●木村剛『小説ペイオフ 通貨が堕落するとき』(講談社文庫:2002.10.15)

 2000年5月上梓時の『通貨が堕落するとき』を改題して「通常よりも早めの
文庫化に踏み切ることを決意したのは…切迫感からである」と木村氏は文庫版まえ
がきで書いている。(7月に小泉首相がペイオフの実質延期を指示した機をとらえ
た出版社側の目算もあっただろうし、新タイトルに気をひかれた読者が現にここに
一人いるのだからその目論見はあたったわけだが、そんなことはこの際どうでもい
い。)

 木村氏が「手前味噌になるが、いま再読しても、この小説のリアリティは失われ
ていない。…だからこそ、ペイオフ延期の議論が姦しいこの時期に、この小説をよ
り多くの人に読んでいただきたいと思った」と書いているのは決して「手前味噌」
ではない。

 著者が言う「リアリティ」とは不良債権処理の先送りが日本経済にもたらすもの、
つまり信用とモラルを喪失した金融システムと規律なき財政運営の帰結であるハイ
パーインフレ(通貨の堕落)のことだ。私は本書を読み終えて著者の「切迫感」の
実質がリアルに体感できた。怒号や悲憤では問題は解決しない。知性こそが、個人
としての思考と認識とリスク回避行動を促す知性こそが頼りの綱なのだ。

 ──私はめったに自分が読んだ本を人に勧めることはしない(したくない)のだ
が、この本だけはもしまだ読んでいない人がいたら是非一読を勧めたいと思った。

 まず経済「情報」小説として一級の仕上がりで、「Price ×Transaction=
Money ×Velocity」の恒等式の重要性(特にV)とか「金融問題の根幹は信用で
ある」とか財政構造改革と金融危機が同居した1997年がエポックであったこと
とか、その他多くの事柄を具体的な登場人物の議論と言動と内省を通じて実地に学
べる。

 しかし、それよりもなによりも「小説」としての結構が素晴らしいのである。人
物の絡みの不十分さとか偶然の出来事によるストーリーの転回とかいくつかの疵を
指摘することは容易いと思うが、それらは大仰に言えばギリシャ悲劇をすら思わせ
る物語の骨格を前にしては小さい問題である。

●445●松本人志『シネマ坊主』(日経BP社:2002.2.5)

 松本人志の映画批評の、というより評価の軸はとても明快で、監督のアイデアと
イメージと撮りたい(表現したい)という思いがはっきりしているかどうかの一点
にかかっている。だから、たとえば「結局、何が言いたいねん」ということで評価
すべきではないとか、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見て泣くってことは、実
はこの映画をわかっていない、基本的に狂人の映画なんです、といった珠玉の言葉
がぽんぽんと飛び出してくるわけだ。映画を語る新しい言語が弾んでいる。ちょっ
と驚嘆した。個人的には『ブレイブハート』へのオマージュが快かった。

●446●齋藤孝『読書力』(岩波新書:2002.9.20)

 本を読んだたぁ「要約が言える」ってことよ。この威勢のいい断言に始まり、読
書力検定やら読書立国やら読書会文化やら読書トレーナー等々の「読書工学」系(
それとも体育会系ならぬ読書会系?)の語彙が飛び交い、他人に本をプレゼントす
るという最難度のコミュニケーション技術の指南に終わる。白眉はやっぱり朗誦・
暗誦の身体文化の復権や三色ボールペン法の伝授をふくむ読書=スポーツ論だろう。

 気に入った啖呵を一つ。《難しいからという理由だけで、ハイレベルな本を毛嫌
いする傾向は強まっている。ひどい場合には、「やさしく書けないのは、著者が本
当にはわかっていないからだ」といった聞いた風な論を悪用して、自分の読解力や
知識のレベルを上げる努力を怠る者も多い。難しさやわからなさに耐えてそれを克
服していった経験は、本当に読書力のある人ならば、誰もが持っているのではない
だろうか。/わからなさを溜めておく。/この「溜める」技自体が、読書で培われ
るもっとも重要な力なのかもしれない。》(107-108頁)

●447●柳澤桂子『すべてのいのちが愛おしい 生命科学者から孫への手紙』
                        (PHP研究所:2002.5.29)

 今年で五歳になるお孫さん、理菜ちゃんが中学生になっていると仮定して書かれ
た三十六通の手紙を通じて、柳澤さんは、生命の誕生と進化、宇宙の成り立ちと人
類の起源、戦争や性や死、遺伝子やクォークや鯨のこと、そしてなにより「驚嘆す
る感性」(センス・オブ・ワンダー)そのものを語っている。

《手紙はむずかしすぎますか? わからなかったらくりかえし読んでみてください。
/「読書一○○遍、意自ずから通ず」ということわざを知っていますか。一○○回
読めば意味が自然にわかるということです。一○○遍は多すぎるかもしれませんが、
わからなかったら、くりかえし読んでみてください。そうやって、誰にも聞かない
で、わかったときのうれしさは何ともいえません。》(27-28頁)

 こんな優しい語り口で、たとえば『フィンチの嘴』(ジョナサン・ワイナー)を
勧められたら誰だって読んでみたくなる。誰だって自分で調べて自分で考えてみよ
うと思う。誰だってこんなおばあちゃんが欲しくなるにきまっている。

●448●森田正人『文系にもわかる量子論』(講談社現代新書1619:2002.8.20)

 その昔、朝日新聞の時評欄で高橋源一郎が『量子力学の冒険』をとりあげたこと
があって、あれはあれで一つの見識だと思ったことがある(突っ込みはイマイチだ
ったように記憶しているけれど)。そこでも書かれていたかしれないが、『フィネ
ガンス・ウェイク』と素粒子の幸福な(?)出会や、イナガキ・タルホと宇宙論、
小林秀雄と相対性理論の関係などを考えてみただけで明らかなように、文学と科学
を何か別物のように発想するのはごく近年の錯覚にすぎない。

 文学が文系の代表格というわけではなく、むしろそれは歴史だろうと思うが、そ
もそも「文系にもわかる」というタイトルに赤面しないセンス(著者ではなくて編
集者のセンス、あるいは編集者によって見透かされた読者のセンス)がおかしい。
──でも、中身はきわめてまっとうで、「画期的」かどうかはともかくわかりやす
い入門書であることはたしか。

●449●川上弘美『パレード』(平凡社:2002.5.5)

 けっきょく『センセイの鞄』も読まないうちからその「続編」を先に読んですっ
かり堪能してしまったわけだ。センセイとツキコさんのことならもうずっと前から
知っていた。読まないうちから知っていた。そういう作家なり作品が稀なことだが
たしかにいるし「在る」。

 川上弘美さんは「あとがき」の最後の段落で「作者も知らなかった、物語の背後
にある世界。そんなものを思いながら、本書をつくりました。終わってしまった物
語のよすがとして読んでくだされば、さいわいです」と書いている。

 そういえばだれでも「終わってしまった物語」のひとつやふたつは胸のうちにか
かえているだろう。それは晩年の正宗白鳥が「一つの秘密」で書いている「あらゆ
る人間が墓場まで持って行く秘密」のことかもしれない。文学、というより終わっ
てしまった物語の思い出の中にある「たくさんのエピソードや感情」が言葉となっ
てうみだされてくるのはたぶんそこからだ。

 新潮新人賞の選考委員になって「一本の棒の、先っぽのことだけを書いているの
に、棒全体が見えてくる心地のする、…そういったものを、読みたく思います」と
川上さんはいうのだが、それはたとえば『パレード』のような作品のことなのだと
思う。

●450●乙一『GOTH リストカット事件』(角川書店:2002.7.1)

 評判になっているから読むということはめったになくて、人に進められても初め
ての作家の本にはなかなか手が出ない。村上春樹、保坂和志、村上龍、田口ランデ
ィといったあたりがいまのところ私の贔屓で、新作小説は贔屓の作家だから読むの
が「王道」だと思っている。

 『GOTH』は、『海辺のカフカ』の小特集が組まれた『ダ・ヴィンチ』11月
号の「今月のプラチナ本!」で「絶対はずさない」と編集部の保証つきで紹介して
あったのを憶えていて、図書館で目にしてふと読んでみようかという気になった。
だいたい「おつ・いち」と読むことさえ知らなかったのだから、先入観なしで、お
もしろくなければ直ちにやめることになんの抵抗もない状態で読み始めたのだが(
新作小説を図書館で借りて読むのは「邪道」だと思うけれど)、これが結構いい。

 なんといっても、「森野夜」(「変質者を誘うフェロモンを分泌している」)と
いう女子高生がいい。収められた6編中4作目の「記憶 Twins 」で「僕」(「と
きどき、心が空っぽのまま笑っている」)の推理で明かされる森野の過去がなぜか
愛おしい。

 この味はまだ覆面作家だった頃の北村薫の短編小説を思わせるところがあって(
といっても、作品の雰囲気はまるで違う)、そんな感想をもったのも乙一を初めて
読んだからのこと。でも、この「天才作家」(と『ダ・ヴィンチ』の記事に書いて
あった)の「抒情ホラー」(同)も知らないくせに勝手なことを書くのはこれくら
いでやめにしておこう。それにしても、いい味をもった小説集だった。

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