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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.130 (2002/09/22)
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 □ 中田力『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』
 □ 木下清一『心の起源』
 □ 西原克成『内臓が生みだす心』
 □ 池谷裕二『記憶力を強くする』
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中田力さんの『ぷらす・あるふぁ』に、人間の英知が作り上げた「機能する装置」
(たとえば車輪)とマザー・ネーチャーが作り上げた「機能する装置」(たとえば
脳)との根本的な違いを述べた文章が出てきます。

《人間が作り上げるものには「目的」と「デザイナー」が存在する。その装置にと
って製作者は「全能の神」である。どのようなものを作り上げるかを考えた後で、
どのように作ればよいかを考える。しかし、自然界には「全能の神」は存在せず、
目的を持ったデザインは作れない。すべてが必然的に自然発生しなければならない
のである。

 人類の技術開発には使用可能な材料と環境にかなりの自由度を持つ。驚くべきこ
とに、母なる自然は人間の作り上げたすべての近代技術と同じような能力をもった
生物を、極端に限られた材料、つまりは、タンパク質、脂質、糖質、そしてわずか
な金属イオンだけで作り上げているのである。
 母なる自然はその偉業を、二つの基本技術を駆使することによって達成している。
(1)恒常状態、と(2)形態、である。つまり、母なる自然は、特定環境を驚く
べき正確さで保つことと、機能のための特異的な形態を形成することで、すべてを
成し遂げているのである。》(21頁)

以下、この文章は「生体において形態とは機能なのである」と続くのですが、ここ
で私が驚いたのは、これはほとんどスピノザ=ドゥルーズの「内在性(内態性)」
の哲学(偶然性の哲学?)の正確な解説になっているのではないか、ということで
した。

さらに、先の引用のそのすぐ後に続く「DNAには「何を作るか」は書かれておら
ず、「どのようにして作るかの法則」が書かれているのである」(23頁)とか、自
然界における形態形成過程の基本をなすものは「マルコフ連鎖」(雪の結晶が単純
な規則だけで美しい幾何学表現を作り上げるように、どのようにしてそこに到達し
たかは問わず、現在おかれた状態から次の状態へと同一の移行法則にしたがって「
同じことを何度も繰り返す」こと)であって、「自己形成を左右するものは「法則
」と「環境」である」(24頁)といった命題、あるいは概念(conception)をめぐ
る次の叙述をも含めて考えるなら、驚きはいや増そうというものです。

《つまり、生体とは、ある自己形成の結果出来上がった環境の中で新しい自己形成
の法則がDNAの指示で始まり、その自己形成が終わると、またその結果を環境と
する次の自己形成の法則がDNAの指示で開始される、というように、小さなマル
コフ連鎖が順々に繰り返されて作られる大きなマルコフ連鎖の結果生まれて来るも
のである。いわば、複合的な自己形成過程の産物である。その出発点が、受精
(conception)であることは言うまでもない。》(24-25頁)

これは余録ですが、合田正人さんの『レヴィナスを読む』、とりわけ第五章第二節
「自己保存の迷宮──レヴィナスとスピノザ」などを合わせ技で読んでみると、先
の驚きはほとんど眩暈状態に達します。
 

●407●中田力『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(紀伊國屋書店:2002.8.31)

 これは驚嘆すべき「絵本」である。姉妹編『いち・たす・いち』の最終章で素描
された統一脳理論の全貌が、「渦理論(Vortex Theory)」として精妙かつ簡潔き
わまりない叙述形式によって平易に解き明かされ、ニューロン絶対主義のセントラ
ルドグマから解き放たれた「リーマン紀元」後の脳科学がよってたつべき実在と原
理が余すところなく示されている。──全編、興奮と陶酔をもって読み進めていっ
たのだが、とりわけリーマンに関する文章が私の脳髄の知的対流を加速した。

《リーマンの偉大さは「概念の自由な拡張」と集約できる。
 リーマン紀元後の科学は「見えるものがすべてではない」ことをはっきりと認識
し、それまでとは明らかな一線を引いた方向に展開してゆくことになる。幾何学は
ユークリッド幾何学へ、力学は量子力学へ、そして、数学における証明とは「計算
の結果ではなく思考の結果によりなされるべきもの」[註:ヒルベルトの言葉]と
なった。》(38-39頁)

《「無限」そのものが概念であるように、ゼーター関数で示された「整数の無限の
和の値」[註:リーマンによって複素数にまで拡張されたゼータ関数の公式から「
−1/12」の値が得られる]も、もちろん、概念上のものである。実際に気が遠
くなるほど整数を足したとしても、この値は出てこないだろう。しかし、科学の多
くは「概念」を導き出す過程であり、登場した概念の意味するものを探求する過程
も、また、科学である。》(125頁)

 こうして「心の神秘」や「意識の根源」や「記憶のメカニズム」や「言語の起源
」をめぐる「限りなく原理に近い仮説」が説得力と物質的根拠をもって提示された
わけなのだけれど、さてそこから先をどうするか。時代が「渦理論」に追いついて、
これが脳科学のパラダイムになったとして、その先はどうなるのか。脳に実在する
構造にもとづいてこころと意識と思考の存在をめぐる科学的説明がなされたとして、
それで何かが変わるのだろうか。それとも、そのときすでにこころや意識や思考に
関する「概念」そのものが変わってしまっているのだろうか。謎は一段と深くなる。

●408●木下清一郎『心の起源 生物学からの挑戦』(中公新書1659:2002.9.25)

 物質世界の入れ子としての生物世界、生物世界の入れ子としての心の世界、そし
て心の世界の入れ子としての超越者の世界にまで説き及ぶ、自然学と人文学に架橋
した壮大な心の発生と展開と未来をめぐる物語。こういう読み物にめぐりあうと、
私の心は躍動する。

 数の世界の構造を心の世界の構造の把握にあてはめて──《考えてみれば、数と
いうものは心に似ていなくもない。どちらもあるといえばあるようであり、ないと
いえばないともいえる。》(21頁)──、数学基礎論が数を新たに構成していった
のと同じように、心の概念(心とは何であるか)をいったん脇において心を新たに
構成し直してみる(心をつくり上げる)という「心の発生学」の探求方法が提示さ
れる冒頭のくだりにふれて、私は戦慄する。

 特異点・基本要素・基本原理・自己展開という「世界が開かれるための4条件」
や、心の世界にとっての特異点である記憶が自己回帰の過程を経て時空・論理・感
情を生みだすために必要な能力としての「統覚」(離散的なものの堆積から連続的
なものを見いだす能力、経験できるものから経験できないものを抽出する能力)、
そして世界と世界のつぎ目にあってそこから新しい公理系が生まれ独自の展開を遂
げる起点としての自己矛盾。これらの叙述を目にして、私は激しく感動した。

 これはほとんどヘーゲルのエンツュクロベディー(論理学‐自然哲学‐精神哲学
)だ。もしくはペンローズの三つの世界(プラトン的世界‐物質的世界‐心的世界
)そのものではないか。──現にヘーゲルは『自然哲学』第三部「有機体の物理学
」の冒頭で「生命は、主体・過程となったときに、本質的に自分を自分自身と媒介
する活動である」と書いているし、その末尾で「自然の目的は自己を殺すことであ
り、直接的なもの、感性的なものという、それらの外皮を破り開くことである。つ
まり、不死鳥として自己を燃やし、その外面性から若返って精神として登場するこ
とである」と語っている(加藤尚武訳)。

 ヘーゲルやペンローズは措くとして、実際この本にはわくわくさせられる。

●409●西原克成『内臓が生みだす心』(NHKブックス948:2002.8.30)

 三木成夫の「生命の形態学」に学んだ口腔科の臨床医師にして、重力進化学と医
学を統合した「臨床系統発生学」の考案者であり、生命現象とは水溶性コロイドの
有機体における電気現象であると喝破した著者による心と精神の発生学。

 いわく、脳は腸から生まれる。脊椎動物には三つの腸(脳)があって、呼吸を行
う鰓腸(口脳)に由来する器官が感情と精神、心と思考を担当し、消化・吸収をに
なう腸腸(腹脳)に自我(生存欲)が宿り、泌尿・生殖・肛門の腸(肛脳)が個体
のリモデリング(新陳代謝)をつかさどる。

《心は腸管内臓系にその源があり、これらの内臓筋肉と共役関係にあるのが内臓脳、
すなわち大脳辺縁系と海馬と視床下部で、ここに腸管のありようをキャッチするニ
ューロンがあります。腸管がうずくと、人恋しくなるのはこのためです。》(198頁)

 不思議な筆遣いの不思議な本。──そういえば中沢新一が田邊元の「種の論理」
を現代発生学と関連づけて論じた文章のなかで、「人生でもっとも重要なのは誕生
でも結婚でも死でもなく原腸形成である」という生物学者の言葉を紹介していた(
『フィロソフィア・ヤポニカ』130頁)。

●410●池谷裕二『記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』
                    (講談社ブルーバックス:2001.1.20)

 このところ記憶力が減衰して頭が冴えず、本を読んでいても根が続かない。たぶ
ん6月のワールドカップ以来だと思う。3Dで立体視をすると視力が回復して頭の
回転もよくなると聞いて早速パソコンの壁紙に貼りつけて眺めてみたり、その昔や
ったことのある「右脳俳句」を思い出したり、最近はやりの数学パズルを一日一題
解いてみたりと、まあいろいろと試してみたのだけれど快刀乱麻の切れ味はなく、
これは季節ものの年中行事なんだと諦めかけていたとき本書にめぐりあった。

 知らないうちにちょっとしたベストセラーになっていて、『海馬 脳は疲れない』
で糸井重里さんと対談していたのが著者だったとは、迂闊なことにぜんぜん気がつ
かなかった。こみいった話を手順を踏んで手際よく、巧みな例を織り込みながら読
み手の腑に落ちるゆったりとした口調で語って聞かせる手腕はかなりなもので、最
新脳科学を応用するとこれほどの文章が書けますよという見事な作品例になってい
る。

 ウィトゲンシュタイン(121頁)やユング(122頁)やソシュール(137頁)やデ
カルト(148頁)やサルトル(224頁)への言及はご愛敬だろうけれど(デカルトの
引用は分かる)、昨今、本を読んでこれだけ元気になれることはそう滅多にあるこ
とではない。《記憶は時間をかけて熟成するワインのようなものです。》(213頁)

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