〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ 不連続な読書日記               ■ No.121 (2002/07/14)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 □ 斎藤慶典『思考の臨界』
 □ フッサール『デカルト的省察』
 □ エドムント・フッサール/ジャック・デリダ『幾何学の起源』
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

『思考の臨界』に斎藤慶典訳のシュテファン・ゲオルゲの詩が載っていました。別
段、意図があってのことではありませんが、以下に抜き書きしておきます。

   語[ことば]

 遠くはるかな秘蹟(Wunder)を 夢にのみ見るものを
 私の邦[くに]の際[きわ]まで 私はもち来った

 そしてじっと待ちつづけた 髪に霜おく運命の女神ノルンが
 その泉の中に名(Den namen)を見出してくれるまで──

 ついに女神がその名を見出してくれたおかげで
  私はそれを抱きしめることができた
 かたく つよく いまそれはこの国境[くにざかい]で花開き
  あたりをあまねく照らし出す…

 かつて一度 私は稔り豊かな旅路を了え 私の邦にたどり着いた
 みごとで華奢な 一粒の宝石を携えて

 女神ノルンはその泉の中を長らく捜し求め そして私に告げた
 「この深い水底には 何も眠っておりません」

 この言葉とともに 一粒の宝石は 私の手から滑り落ち
 そして ふたたび私の邦が この宝を得ることはなかった…

 こうして私は 悲しみをもって諦めを学びとった
 語[ことば]の欠け毀れ去るところ ものあるべくもなし、と。
 

●378●斎藤慶典『思考の臨界 超越論的現象学の徹底』(勁草書房:2000.1.10)

 フッサール現象学の最大の思考的達成は超越論的な事象領野の発見であった。そ
こではさまざまな出来事や事象が絶えざる流動のうちに生成消滅しているのであっ
て、時間性こそが現象の根本的性格である。だからフッサールは終生時間について
考え抜いたのだが、しかしフッサールによって時間性の究極の根拠とされた「生き
生きした現在」は「存在的な仮面(masque ontique)をつけることのない純粋な超
越」(メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』「研究ノート」)としての
「見えないもの」であった。

《そしてこの「生き生きした現在」の自己超越の運動こそが、あらゆる存在者を、
みずからの内に生じた「差異」によって生み出しているのだとすれば、この「生き
生きした現在」こそ、存在者を存在者たらしめているもの、すなわち「存在」の運
動を指し示すものにほかならないことになろう。》(99頁)

 こうして時間をめぐる問題系は存在の問題系と交わり重なっていく。しかしそれ
は「意識の哲学から存在の哲学へ」といった単線的な移行ではない(というのも、
超越論的領野こそあらゆる哲学がその上を動いている最終的な基盤なのだから)。
フッサールに淵源する時間問題とハイデガーに由来する存在問題は最後に「他なる
もの」すなわち他者問題と交差し、ここで著者が召還するのがレヴィナスである…。

 以上が時間・存在・他者の三つの問題系の根本性を明示することを目論んだ本書
のほとんど内容のない駆け足の「要約」で、これはまったく不毛で無意味な作業だ。

 ──思考に限界を引くためには限界の両側を、したがって思考しえないことを思
考しうるのでなければならない。この本書冒頭に掲げられたウィトゲンシュタイン
の言葉をもじるならば、思考しえないもの、つまり神学的思考が身を置く場所(無)
を自らの臨界(根源=起源)として指し示す超越論的現象学(ただし斎藤慶典によ
って語りなおされ徹底化されたそれ)の思考は、経験的・事実的領野での意識に対
する無意識、社会や文化に対する構造に比肩しうる超越論的領野での問題系をはじ
めから語り直すこと、それも徹底的かつ厳密に語りつづけることでしかアクチュア
リティを獲得できないのである。

 哲学とはつねに「語りなおすこと」(最初から始めること)なのであって、短す
ぎる終章での著者の問いかけ──《「時間」の内に孕まれた「他なるもの」とはい
ったい何なのか。「他なるもの」の名のもとにいったい何を私たちは問おうとして
いるのか。》──に「問題」を感じるかぎり、著者とともに読者もまた最初から語
りなおすしかない。

●379●フッサール『デカルト的省察』(浜渦辰二訳,岩波文庫:2001.2.16)

 初めてフッサールを読んだ。評判どおりの難解さで、おぼろげにせよ議論の趣旨
が判明するのが数頁に一箇所。最後まで読み通せたのが我ながら不思議だ。いま難
解と書いたけれど、これは難解というよりむしろ混迷、もっとはっきり書けば、要
するに文章が下手なのではないかと思う。たとえば私は本書と同時にベルクソンを
(もちろん翻訳で)読んでいたのだが、こちらは全編がすっきり明快で、議論の流
れもくっきりと見通せて、文章も流麗。好みでいえば文句なしにベルクソンだ。

 でもフッサールの議論にはなぜかしら脳髄にひっかかるものがある。読み終えて、
さて何が書かれていたのかと考えてみると、超越論的現象学という「絶対的な基礎
づけに基づく普遍的な学としての哲学」の可能性とその方法でしかなくて、だから
何も実質的な事柄は述べられていないにもかかわらず、やはりここには読み飛ばし
て消費することを許さない何か(濃度)がある。──「志向性」の理解がなにより
も重要であると体感できたこと、そして「内在的超越」という概念に接したこと、
この二つが成果だった。

●380●エドムント・フッサール/ジャック・デリダ『幾何学の起源』
                    (田島節夫他訳,青土社:1992.7.24)

 短い草稿ながらフッサールの問題意識や思考傾向や息遣いのようなものが伝わっ
てくる。フッサール想像力論のキモの部分を引用しておく。デリダの長い序文(な
にしろ本文320頁のうち250頁を占める)は流し読みしただけなので何もコメントで
きない。

《普遍的であると同時に堅固で、いつまでも根源の真正さを失わない歴史的世界の
アプリオリを、われわれはどのような方法で獲得することができるのだろうか。わ
れわれは自覚さえすればいつでも、反省することができ、地平へ眼を向けて解釈し
つつそのなかへはいりこんでいける能力のある自分を、明証のうちに見いだす。わ
れわれはわれわれの人間的な歴史的現在やそのさいその生活世界として解釈される
ものを、思考と想像によってまったく自由に変更しうる能力をもっているし、また
そのような能力をもっていることを知っている。そしてまさにこの生活世界的仮構
の自由変更と遍歴のうちに、われわれが確信できるとおり、真に必当然的確実さを
もっていっさいの変更体をつらぬいている本質普遍的構成要素が、必当然的明証の
うちに現われてくるのである。そのさいわれわれは事実的に妥当している歴史的世
界へのすべての束縛をのがれ、この歴史的世界そのものをも、考えうる可能性のひ
とつだとみなした。この自由と必当然的な不変のものへの視線とが、くりかえしこ
の不変なものを──変らぬ形成作用を任意に反復しうるという明証のうちで──同
一的なもの、本源的にいつでも明証化しうるもの、一義的な言語によって確定しう
るものとして、流動しつつ生き生きとしている地平につねに含まれている本質とし
て──生み出すのである。》(298頁)

《ところでなによりも重要なことは、つぎのような洞察をきわだたせ確定すること
である。すなわち、理念化のさいに、空間時間的形態の領域の必当然的に普遍的な
内実、あらゆる仮構的変更において不変な内実が考慮されるかぎりでのみ、あらゆ
る未来と来たるべきあらゆる人間世代にとって追理解の可能な、したがって伝承の
可能な、すなわち同一の相互主観的な意味で追産出することの可能な理念的形象が
生れうるのである。この条件は幾何学にとどまらず、さらにはるかに広く無条件か
つ普遍的に伝統化可能であるとされるすべての精神的形象にとってもあてはまる。
(中略)
 幾何学ならびにそのすべての真理が、あらゆる人間、あらゆる時代、あらゆる民
族、たんに歴史的事実としてあったばかりでなくおよそ考えうるかぎりのすべての
それらにとって、無制約的普遍性をもって妥当することは、誰もがあまねく確信し
ていることである。この確信の原理的諸前提は、これまでけっしてまじめに問題と
されたことがなかった。しかし無制約的な客観性という要求をかかげている歴史的
事実の確定が、いずれも同様にこの不変な、あるいは絶対的なアプリオリを前提し
ているということもまた、われわれには明らかになったのである。
 〈このアプリオリの開示において〉のみ、あらゆる歴史的事実性、あらゆる歴史
的環境、民族、時代、人間性を越えたアプリオリな科学が存在しうるのであり、こ
のようにしてのみ、「永遠の真理」としての科学も登場することができる。》
(302-303頁)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 ■ メールマガジン「不連続な読書日記」/不定期刊
 ■ 発 行 者:中原紀生〔norio-n@sanynet.ne.jp〕
 ■ 配信先の変更、配信の中止/バックナンバー
       :http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/index2.html
 ■ 関連HP:http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
 ■ このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用し
  て発行しています。http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000046266)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓