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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.118 (2002/06/23)
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 □ 橘玲『マネーロンダリング』
 □ 黒木亮『アジアの隼』
 □ 神野直彦『人間回復の経済学』
 □ 養老孟司『人間科学』
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現象学は端から嫌いだった。哲学や哲学的問題をめぐって好きだの嫌いだのという
のもどうかと思うし、フッサールの文章を一行たりとも読まずして現象学を云々す
るのも気がひけるのだが、好きになれないものは仕方がない。性に合わないし、身
に馴染まない。だから読んでも面白くない。意識や認識のメカニズムとか内実をめ
ぐって何やら煩瑣な議論が延々と繰り出され、結局だからどうなんだという明快な
論証も目から鱗の体験もなく、そもそも何を問題にしているのかもわからなくなる。

いまにして思うと、私が読んだいくつかの入門書・啓蒙書の出来がよくなかったの
ではないか。客観的な存在やその連関を括弧に括ったりスイッチを切ったときに現
れてくる純粋な心的現象、つまり主観的表象だけがこの世界で唯一確かなもので、
すべてをそこから始めてみよう。たとえばその程度のことを仰々しく大袈裟に言い
つのり、さらに独我論やら間主観性やら間身体性といった概念が持ち出され、それ
らをめぐる奇怪な議論が果てしもなく書き連ねられる。客観的世界の組み替えをめ
ざす根源的な態度変更、つまり社会変革の確固たる主体を確立するための方法とし
ての現象学的還元。世界への違和を表明し、これを糾弾しうる立場の獲得。

もちろんこれらは単純化もしくは戯画化した要約で、もっと正直に言うと私自身の
印象にすぎない。要するに食わず嫌いだったのだ。食らう気になれなかった、とい
うかそれは私の問題ではないと思っていた。

──いまフッサールの『デカルト的省察』と斎藤慶典さんの『フッサール 起源へ
の哲学』を同時進行的に読み進めています。ようやく「現象学」が問題にしていた
ものが何だったかが解りかけてきたように思います。要するに、金融市場やサッカ
ーのピッチに現れるもの、あるいは情報(変わらないもの)と実体(変わるもの)
の「二元論」や遺伝子系・神経系という「二つの情報系」(養老孟司)をめぐる問
題だった(!?)。
 

●371●橘玲『マネーロンダリング』(幻冬舎:2002.5.10)

 紛れもない傑作だ。工藤秋生という新しいヒーローの誕生にリアルタイムで立ち
会えて、久しぶりに気分が高揚した。続編を期待している。──「資産運用に成功
する方法は何か」と訊かれて、主人公は「資産運用しないことと、税金を払わない
こと」と答える。究極のアドバイス。《リスクをとって勝負しても、マーケットに
勝てるのは、ごく一部の選ばれた天才たちだけだ。そんなことなら、大多数の人間
は最初から投資などしないほうがいい。一方、税金を払わなければ、その分だけ確
実に利回りが上がる。これはノーリスクで、そのうえ誰にでもできる確実な方法だ。
どんなプロでも、税コストを安定的に上回る運用をすることは簡単ではない。/そ
う考えれば、いちばん賢い資産運用術は、資金をオフショアバンクの定期預金にで
も預け、後はほったらかしておくことだ。あくまでも適法性にこだわるのなら、割
引米国債や契約型の債権ファンドでもいい。》(173頁)

●372●黒木亮『アジアの隼』(祥伝社:2002.4.20)

 『マネーロンダリング』に続いて国際金融小説を読む。著者は『週刊ポスト』(
2002.6.28)の「著者に訊け!」で、「多くのビジネスマンは、自分のしてきた仕
事について一冊くらいは本にしたいと思っているはずです。そして本になるくらい
エキサイティングな仕事をしなければダメだと僕は思います。この小説の舞台とな
ったハノイ駐在時代はいい意味でも悪い意味でも、実にエキサイティングでしたね
」と語っている。決してエキサイティングではないが、つまり小説的感興には乏し
いけれど、淡々としたノンフィクションを思わせる叙述のうちに忘れがたい、静か
な感動が湛えられている。

●373●神野直彦『人間回復の経済学』(岩波新書:2002.5.20)

 ケインズは『一般理論』の最後に「危険なものは、既得権益ではなく思想である
」と書いた(らしい)。中沢新一は『緑の資本論』で千年、あるいは一万年単位の
人類の「思想」に根ざす経済システムを論じたが、神野直彦は重工業から情報・知
識への百年単位の産業構造のシフトを踏まえた経済の転換を説く。著者は本書を次
の言葉で締めくくっている(それもまた一つの「思想」だ)。《未来をあきらめて
はならない。人間は未来を構想し、創造することができる。(中略)そうした未来
を創造するには、人間が個人として知恵を出すよりも、協力して知恵を出しあった
ほうが実現性が高いに決まっている。人間が協力して知恵をしぼれば、未来を創造
できるはずである。》――著者は宇沢弘文との共著を準備中だという。本書にも出
てくる欧州のサスティナブル・シティの話は、その研究の一環である。

●374●養老孟司『人間科学』(筑摩書房:2002.4.25)

 モノの見方を変えるとモノが違って見える。違って見えるモノは、違って見える
前のモノとは違うモノなのだろうか。それともモノそれ自体は同じなのだが、ただ
それが違って見えるだけなのだろうか。──著者が提唱する「人間科学」はフッサ
ールが構想した現象学であり、著者の「プラグマティックな思考」こそ超越論的そ
して形相的な現象学的還元そのものである。唐突だが、私はそう思う。《私の主張
はあくまでも「見方」であって、そうした見方を採用することによって、どういう
視点が開けるかを示そうとしているだけである。別な言い方をするなら、プラグマ
ティックな思考と考えていただいて差し支えない。》(80頁)

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