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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.90 (2001/12/26)
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 □ 柴田正良『ロボットの心』
 □ 下倏信輔『〈意識〉とは何だろうか』
 □ 下倏信輔『サブリミナル・マインド』
 □ 半田智久『知能のスーパーストリーム』
 □ 西垣通『こころの情報学』
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渡辺茂さんの『ヒト型脳とハト型脳』に続けて『ロボットの心』を読んで、ある興
味深い符合に気がついたので、備忘録として、以下に該当個所を引用しておきます。
(このあたりをつっこんでいけば、最近気になっている「工学的」という語彙や「
実験」の概念、パースの「偶然主義」などとからめて「心脳問題」への私なりのア
プローチの方法を見い出すことができるのではないかと思っているのですが、それ
はやってみなければ分からない。)

《筆者のこの本での脳についての主張のひとつは「脳のご都合主義」というもので、
脳はその時点で使える構造でなんとかその時々の必要に応えようとするというもの
である。未来を見通した脳の設計はありえない。石器時代から変わっていない脳が
現代の環境にどう適応しているか、あるいは不適応であるかを調べるのが進化心理
学といわれる分野の研究課題のひとつでもある。そしてヒトの文化は遺伝子を媒介
しなくてはならない脳の進化ではなく、脳の外に次世代への情報伝達系を構築した
ことによってすばらしく「進化」した。ヒト型脳の進化はいわば文化の進化に取り
残されてしまったともいえるのである。》(『ヒト型脳とハト型脳』137頁)

《つまりフレーム問題とは、正解か否かというような仕方で解かれるべき問題では
なく、どれくらい上手かというような仕方で処理されるべき課題なのである。(中
略)では、われわれの中のどんな仕掛けがそれを可能にしているのだろうか。それ
は実は、われわれ人間の中の特別な才能というより、人間や動物の知性に課せられ
た一般的な制約、つまり環境内で時間的に次々に展開してくる出来事にリアルタイ
ムで対処できなければならない、という知性の条件から理解することができるだろ
う。つまり動物を含めて、われわれは環境世界の中で生きる「時間に追われた存在
」なのだから、生き抜くための道具すなわち知性は、常に「有効時間内での問題解
決」というプレッシャー(時間圧)にさらされていることになる。すると、時間圧
に耐えられない知性はただ滅亡するしかなかろうから、それに耐える能力は、むし
ろ知性にとっての条件だと言うことができよう。したがってフレーム問題の解決と
はまさに一○○%ではなくとも「そこそこの解答を有効時間内に与える」ことだと
考えるなら、そのカギを握っているのは、自然の中で生きる知性のこの特性。つま
り自然的知性一般に特有の〈時間圧への優先的な配慮〉だということになるだろう。
》(『ロボットの心』130-132頁)
 

●271●柴田正良『ロボットの心──7つの哲学物語』(講談社現代新書:2001.12)

 下倏信輔『〈意識〉とは何だろうか』(1999)、信原幸弘『考える脳・考えない
脳』(2000)に続いて、現代新書版「心脳問題」叢書(?)に魅力的な新顔が加わ
った。これからも年に一度、知的スリルを味わわせてほしい。

 本書の戦略と構成はとてもシンプルで分かりやすい。ベースにあるのは記号論一
般に関するモリスの三分類、すなわち統語論(シンタックス)と意味論(セマンテ
ィックス)と語用論(プラグマテックス)である。

 本書の戦略を乱暴に整理してしまうと、統語論vs.意味論(なめらかな会話vs.主
観的意未体験)という図式では心脳問題は解けない、そこに文脈を、つまり身体と
環境世界(「思考するには身体が必要だ」し「意味は環境世界にあるのだ」)を持
ち込み語用論に訴えなければならない、というものだ。

 この基本戦略に基づいて本書の構成を大雑把に要約するならば、チューリング・
テストをめぐる話題(第1章・第2章)で統語論を、サールの「中国語の部屋」の
思考実験(第3章)で意味論を、そしてフレーム問題の状況認知面と行動判断面の
分析(第4章)を通じて語用論を導入し、さらに状況認知面に関してコネクショニ
ズム(第5章)を、行動判断面に関して「野生の考慮」としての感情とクオリアの
機能(第6章)をそれぞれ論じるという具合だ。

(私はこの感情とクオリアの機能を論じる第6章が本書のハイライトだと思う。著
者が一番書きたかったのも「感情の人工的実現に関する哲学的問題」だったのでは
ないか。そういえば、かのパースも『連続性の哲学』第一章で「魂の実質的部分を
なしているのは本能であり感情である」「理性はその最後の助けを感情に求める」
云々と「わたしの哲学的な感情主義」について語っていた。さらにいえば、藤原新
也氏の『全東洋街道』に出てきた「人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ」
という、たしかトルコの娼婦の言葉を思い出す。)

 このように乱暴かつ大雑把に整理要約したところで、周到に叙述された各章の緊
密な関連性は見えてこない。ましてや、こうして第1章から第6章へと至る螺旋階
段が一周し、さらにエピソードで次なる螺旋階段が素描され、さらにさらにプロロ
ーグでより高次の螺旋階段が予告されるといった、著者が手塩にかけて練り上げた
に違いない大仕掛けはとても味わえない。ぜひ実地に見聞されたい。

 著者の基本的立場も明確で分かりやすい。一人称の世界、つまり「内側から」し
か経験できない主観的意識体験(神のみぞしる「超事実」)を原理的にわれわれの
手に届かないものとする「素朴な物理主義」、そして意識や心の多重実現の可能性
を認める「柔らかな行動主義」の立場に立って、三人称の世界(「見なし事実」の
世界)を「きっぱりと認める」こと。したがってロボットが心をもつこと、正確に
言えば、ロボットの心を「工学的に」作り出すことは原理的に可能であると認める
こと。

《しかし、もちろん、こうして作られた掛け値なしの心的性質が当のシステムによ
って〈内側から〉どう体験されているのかは、われわれには知り得ない〈超事実〉
である。われわれが知りうるのは、まずは、自分たちが工学的手段によって、われ
われにとっての意識や感情やクオリアの機能を果たす〈心的な何か〉を実現したと
いうことだけである。しかし、われわれは次にこの〈超事実〉を〈素朴な物理主義
〉に許された〈見なし事実〉という形でやすやすと(?)乗り越える。それは、新
たなタイプの存在者に対するわれわれの抗いがたい傾向、つまり「柔らかな行動主
義」の命ずるままに、意識や感情やクオリアがあるように見える存在者とは、まさ
に意識や感情やクオリアをもつ存在者なのだ、と〈見なす〉ことにほかならない。
》(215頁)

 こうして「一人称複数」の世界(われわれの社会=共同体?)へのイニシエーシ
ョン・テスト(感情やクオリアへと拡張されたチューリング・テスト)をパスした
ロボットは、「自然環境のなかで生きのびる知性」から「社会と文化の環境のなか
で生きる人格」へとその存在様態が更新される。

 著者は最終章で「善悪のクオリア」(感覚、感情に次ぐ第三のクオリア=幻覚の
クオリア?)の可能性を論じつつ、ロボットを組み込んだわれわれの社会の倫理と
自由の問題(真正のフレーム問題?)をめぐるカント的議論を展開しているのだが、
これは本書のハイライトに添えられた後日談であり、おそらくは「ロボットの心」
とは別の問題である。

《最後にここで、われわれにとって大変気になることを一つ述べておきたい。それ
は、〈善悪〉のクオリアがこのように高階の認知状態から生じている[引用者註:
著者は、善悪のクオリアが感情機能の調整を行う第三階のクオリアではないかと示
唆している]とすれば、それと結びつく善悪判断の〈内容〉は、客観的である必要
はないどころか、ますます主観的、もしくは恣意的でありうる、という点である。
(中略)もっとも、もう一歩踏み込んで私の予想を言わせてもらえれば、恐らく妥
当な道徳的原理というものがたった一つは存在しており、それは、自由裁量相互の
調整に関する参加原理、つまり、「他人の自由裁量を最大限尊重せよ」というよう
な形式的な原理になるだろうと思われる。》(240-241頁)

 ──本書を読み終えて、スピノザの『エチカ』をなぜか懐かしく思い出した。(
なぜだろう?)

●272●下倏信輔『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書:1999)

 心の無意識的・無自覚的な過程を調べることには長けてきた科学が、なぜ自由意
思に代表される志向性や能動性といった側面での意識の研究を苦手としてきたのか。
その理由の一つは、科学の方法論がその本質として脳や認知過程を状況から切り離
し孤立させるからだ、と著者は書いている。

《脳科学の本筋の中に「脳の来歴」、脳と身体と環境世界との相互作用の「来歴」
をもう一つの軸として入れたなら、事態が変わってみえてくるのではないか。外堀
(無意識)を埋めることによって、内堀(意識)の正体が見えてくるのではないか。
従来の脳科学のめざましい成果の延長線上で、これまでの研究の弱点を乗り越える
ことができるのではないか。これがこの本全体の一つのメッセージでもあるのです。》

 ここに出てくる「脳の来歴」について。《そもそも、無意識が意識の基盤であり
える理由は、無意識的過程こそが「脳の来歴」の貯蔵庫であるからだと思います。
また「来歴」がその影響力を行使する場所でもあるのです。》

 知的刺激と豊かな情報に満ちたスリリングな書物。

●273●下倏信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書:1996)

 個人にとっては自立と自由意思に基づく行動であっても、集団的な種としての人
間を巨視的に見ると、決定論的解釈が可能であること。このような「自己認識の多
重構造」の中で、「近代的な自我」や自由は根拠を失い、崩壊していくのではない
かと下倏氏は書いている。

《その後に何がくるのか、私たちの時代の究極的な価値である「自由」と「意志」
が、どのようなかたちで救い出され得るのか、私にははっきりした見通しはありま
せん。ただひとついえるとすれば、このような自己認識の多重構造は、個人の精神
においては、潜在的過程(=他人の客観的視点)と顕在的過程(=自分の主観的視
点)との多重性というかたちで先鋭化しています。しかもこの両者は、(繰り返し
強調してきたように)互いに孤立しているわけではなくて、その境界は絶えず揺れ
動き、また絶えず相互作用を繰り返している。つまりその意味では、乖離してはい
ないということです。》

 歴史であれ社会であれ、もちろん人間であれ、およそ人文的対象を扱う学問は、
今後、下倏氏の業績を措いては成り立たないのではないか。

●274●半田智久『知能のスーパーストリーム』(新曜社:1989)

 実に面白い書物だった。たとえば半田氏は、「精神の重層構造」の考え方を提示
している。すなわち、脳そのものの活動から生じる「内側の精神作用」(ポパーの
いう「実在する物理的対象の世界1」と「意識・無意識を含む主観的経験の世界2
」との相互作用過程に相当)と、この内側の精神作用から生じる二次的な「外側の
精神作用」(ポパーのいう「世界2」と「芸術や科学といった人間の心の所産とし
ての世界3」との相互作用過程に相当)。

《精神の重層構造論では意識体験と脳の働きの関係について、意識体験は二元論の
主張するように脳とは別に存在すると考える。だが、意識は脳の働きと無関係では
なく、脳の活動が停止すれば意識も消失するのである。したがって、意識は脳と別
に存在しうるといっても、たとえば大方の二元論が示唆するような死後の魂に類す
る存在は否定される。一方、これが一元論でないというのは、正統の一元論が主張
するように意識体験とは脳内の神経回路の活動の写であるとする考え方を受け入れ
ていないからである。
 意識が脳と別に存在するにもかかわらず、脳と独立に存在することができないと
いうことは、意識体験の成り立ちが脳の活動と脳の外に存在する精神的媒体との相
互作用の過程の中に支えられているからである。》

《今この本を読んでいる読者の精神活動についても読者自身の脳内で生じていると
思われるであろうが、実際のところ、その活動はこの紙面を通じて私やこの本の中
に埋め込まれた多数の人々の精神活動との相互作用の中で生じているのである。今
ここで目を閉じて、じっと沈思したとしても、その意識体験はすでに読者の脳活動
の領域を離れ、人類共通の精神領域に参画しているのである。》

●275●西垣通『こころの情報学』(ちくま新書:1999)

 文系の知が拓いた沃野に理系の新たな知がそそがれたとき何が生まれるか。著者
はここに「情報学」の魅力の一つがあると書いている。

 コンパクトな叙述ながら、すくいだすべき論点が網羅された好著。再読、三読す
べき書物だと思う。ここでは、本書で扱われている問題の一つ「機械で心はつくれ
るのか」をめぐる文章を抜き書きしておく。著者の「情報観」が端的にうかがえる。

《〈情報〉とは決して機械的・非生命的なものではなく、逆に生命現象特有の存在
です。「ヒトの心」とは、社会的な情報が織りなすダイナミックなプロセスそのも
のですから、非生命物質である機械で容易につくることなど不可能なわけです。》

《「ヒトの心」を端的にあらわせば、「機械の心をつくろうとする動物の心」と言
えるかもしれません。つまりそれは紛れもなく動物の心的システムの一種なのです
が、みずからの心的システムの類似物を製作しようと懸命に努力し続けるという特
徴をもつのです。/機械とはヒトが自由に統御できるものです。少なくとも統御可
能性が目ざされる存在です。(略)/とすれば、みずからの心を情報処理機械とみ
なすヒトという存在は、みずからを統御し管理しようという強い欲望をもっている
とも考えられます。》

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