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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.85 (2001/12/09)
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 □ 高安秀樹・高安美佐子『経済・情報・生命の臨界ゆらぎ』
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●258●高安秀樹・高安美佐子『経済・情報・生命の臨界ゆらぎ
         ──複雑系科学で近未来を読む』(ダイヤモンド社:2000.4)

 ある教科書に、最も面白い学問は統計学だと書いてあった。面白いのは統計学そ
のものというより、むしろ統計学が対象とするマクロな現象の方だろう。たとえば
戦争による死者の分布は「フラクタル分布」になっていて、人口統計が比較的はっ
きりしている17世紀以降、およそ総人口の1%程度が戦死しているという。こうい
う現象を知ると、デュルケムの向こうをはって「社会的自殺論」など研究してみた
くなる。

 フラクタル分布は、地形の凸凹の形成プロセスや宇宙塵の分布、価格変動や会社
の所得分布、インターネットの情報流量の変動(情報渋滞)やファイルの樹形構造、
魚群の分布や血管の樹形構造など物質・経済・情報・生命のさまざまな現象の中に
見られるもので、それらの多くは「自己組織化臨界現象」として広い視野から理解
できる可能性がある。

 自己組織化臨界現象というのは、「臨界点」(臨界現象の相転移点)が自動的に
安定化される現象のこと。コロイドがゾルからゲルへと相転移する際、ちょうど柔
らかめの半熟卵のように固体と液体がミクロ・マクロのあらゆるスケールでぐちゃ
ぐちゃに混ざったドロドロした状態を経る。それが相転移点である。ゾル・ゲルの
ようにエネルギーの出入りなしに起こる相転移を連続転移(水から氷への相転移は
不連続転移)と呼ぶのだが、この連続転移の相転移点での振る舞いは特別に臨界現
象と名づけられ、その相転移点が臨界点(ミクロなゆらぎがマクロに成長する境目
という意味)と呼ばれている。

(コロイドとは、ゼリーや卵、生クリームのように水の分子の間に水よりもはるか
に大きな分子や微粒子が混じっている混合物をいう。ゾルは牛乳や血液、雲や煙の
ようにマクロに流動性を持ったコロイドで、英語では solution の省略形 sol。ゲ
ルはチーズや豆腐のように流動性を失ったコロイドで、英語では gelatin の省略
形 gel。)

 臨界現象としては、ゾル・ゲル転移のほかに超伝導状態や超流動状態への相転移、
強磁性体の相転移や水の超臨界状態などがあり、いずれも「バラバラの状態と全体
が連動する状態との間の相転移」「無秩序状態と秩序状態の間の相転移」として統
一的に理解できる。臨界現象のミクロからマクロまでのゆらぎが入り交じった状態
はフラクタル構造をもつ。そして、この臨界現象こそが社会・情報・生命などのゆ
らぎを理解するうえでの基礎になる。

 ──いま、意図的に本書の叙述を遡ってみた。免疫システムの比喩や地域通貨の
例をもちだして情報化経済の近未来を論じ「多様性とゆらぎをできるだけ大きく取
り入れられるような社会」を構想したり、これからの教育システムをめぐってアマ
チュアの科学研究を専門に扱うジャーナルの発行を提言する後半の議論もそれはそ
れで面白く読んだ。「与えられた情報から答えを導き出すのではなく、その場その
場でみんなで答えをつくりだしているのが経済現象、しいては社会現象の本質なの
です」という指摘などは結構深いと思う。

 それはそうなのだけれど、なにしろ臨界的なゆらぎ発生の普遍的メカニズムや多
様性についてはまだよくわかっていないことだらけだというのだから、どうしても
迫力を欠く。それよりも前半の物理学に即した話題の方が私にはもっと面白く、か
つ刺激的だった。

 本書では物理学をギリシャ語の「フィシス」本来の意味で使いたいと、著者は序
文で書いている。それは「人間の活動も含めた森羅万象の生成発展」を表している。
この「新しい物理学」は生物物理学や経済物理学や情報物理学を生みだし、たとえ
ば古代ギリシャのヒュポスタシスの概念(「下に+立つ」という動詞から生じた名
詞で、ラテン語 substantia の語源。「固体と液体の中間のようなどろどろしたも
の」の意をもつ)【註1】やカントの第三アンチノミー(自由と決定論)【註2】
などをくりこみながら生成発展し、やがて「新しい哲学」(メタフィジックス)の
可能性を拓いていくことだろう。

 以下は余録だが、私が本書でもっとも面白いと思ったのは序文だった。「夢か、
現か、幻か」という言葉がある。著者は「夢」を「人間の欲望」に、「幻」を「情
報」に置き換えて、物理学の最先端は、物質だけではなく生命現象や「夢としての
経済」や「幻としての電子空間」の問題も手がけていると書いている。たくさんの
人の意思の総和で決まる膨大な量のお金や情報の流れになると、個別性が打ち消さ
れ、客観的に普遍的な法則性が見いだしうるからだ。ここで出てくる「現・実・夢
・幻」と「物質・生命・経済・情報」の関係は実に面白い。

【註1】
 小泉義之氏は「ドゥルーズにおける意味と表現3 器官なき身体の娘たち」(『
批評空間』第V期第1号)で、ドゥルーズの「器官なき身体」を「ヒュポスタシス」
(神の子の基体)と結びつけ、「復活」や「単性生殖」の問題圏へと引き寄せてい
る。実に面白い。

 また彌永信美氏は「魂と自己―ギリシア思想およびグノーシス主義において」(
坂口ふみ責任編集『「私」の考古学』)で、グノーシス派のシュジュギアー(合一)
体験と「シジジイ」(単性生殖に見られる細胞核の移動と融合と再分裂を指す生物
学用語)との密接な関係を示唆している。刺激的だ。──単性生殖する物質。無限
をくりこむ生成、すなわち受肉?

【註2】
 高安氏によると、量子電磁気学の分野で朝永振一郎が発案した「くりこみ」は「
無数に相互作用した総和をひとまとまりのものとみなす方法」で、この考え方はミ
クロからマクロまでの幅広いスケールのゆらぎを同時に扱わなければならない臨界
現象にも応用された。つまり「ある観測スケールを固定したとき、それよりも小さ
なスケールのゆらぎをひとまとめに粗視化して考えようという発想」である。私は、
この「粗視化」(くりこみ)と「超越論的態度」(括弧入れ)との関係が気になっ
ている。

 柄谷行人氏は『トランスクリティーク』で、カントが第三アンチノミーの正命題
(人間の行為の自由を認める)と反対命題(スピノザ的決定論)をともに承認した
ことは「括弧入れ」を考えれば別に難解ではないと書いている。正命題は自然的因
果性を括弧に入れて行為を見ることであり(実践的立場)、反対命題は人々が自由
だと思うことを括弧に入れて行為の因果性を見ることである(理論的立場)。だか
らそれらは両立しうる。《理論的領域と実践的領域がそれ自体としてあるのではな
い。それらは、理論的あるいは実践的立場によって存在するのだ。》(169頁)

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