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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.82 (2001/11/23)
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 □ 中井章子『ノヴァーリスと自然神秘思想』
 □ ノヴァーリス『青い花』
 □ 今泉文子『ロマン主義の誕生』
 □ 奥泉光『ノヴァーリスの引用』
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●249●中井章子『ノヴァーリスと自然神秘思想──自然学から詩学へ』
                            (創文社:1998.2)

 このような書物にめぐり会えることこそ「生きる歓び」というものだ。

 どの頁を開いても濃厚、濃密といった言葉とは少しニュアンスの違う何かしら豊
かで清冽な香気、猥雑なまでに豊饒なものを蒸留した澄み切った響きのようなもの
が立ち上がってくる。それは随所に引用されたまるで未来語で綴られたような──
「生成途上にある」(435頁)思索が畳み込まれた──断章群と、ノヴァーリスの
未完の生を愛おしみながら──かつ冷徹な解剖学者(パラケルススは森羅万象、万
物がそれに従ってつくられる原型を知ることを解剖学と呼んだ:63頁)の手捌きを
もって──これらの断章を整序編集する著者の端正で静謐な文章とが相まって醸し
出す香気であり響きである。抽象化と具象化(ヒュポスターゼ)。純粋な意味作用。

《ノヴァーリスにとって「抽象化」は、「浄化」「精髄化」でもある。数学、音楽、
結晶、スコラ哲学などの抽象的なものの美とその美による魂の浄化の感覚がノヴァ
ーリスにはある。》(268頁)

 ──折しもベンヤミン「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」の新訳(
浅井健二郎)が出た。中井氏がノヴァーリスや初期ロマン主義の現代性・同時代性
の「発見」に関連して参照すべき文献として掲げるメニングハウス『無限の二重化
──ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論』ともども、本
書によって啓示され告知された鉱脈への探索行の必携本として再読すべきだろう。

●250●ノヴァーリス『青い花』(青山隆夫訳,岩波文庫:1989.8)

 四方田犬彦著『ハイスクール・ブッキッシュライフ』(講談社)にノヴァーリス
を取り上げた章がある。本屋で立ち読みしただけなので細部はよく覚えていないけ
れど、その文章は『青い花』の要約に始まってノヴァーリスの奇跡のような断章や
『サイスの弟子たち』へと話題を転じ、かつて南原実ゼミで著者と席を並べた中井
章子が二十年かけて著した『ノヴァーリスと自然神秘思想』に言及して終わってい
た。高校生の頃読んでいたならばもっと瑞々しい体験を語ることができたろうにと
悔やまれるが、それでも『青い花』は中年ブッキッシュライフを濃く深く彩ってく
れた。

 この未完の小説の第一部「期待」は、水をめぐる二つの夢で語ることができる。
もちろんこんな粗雑な規定など無意味に決まっているのだが、物語の骨格をなす旅、
洞窟や坑道のイメージはいずれも水に至る、あるいは水の痕跡を示している。

 訳注には「ノヴァーリスにおいては、水に性的な意味がこめられている」とあっ
た。また、マティルダ(青い花)の父クリングゾールの言葉──《戦いがおこると、
万物の生成の源である原水が動きだす。すると新しい大陸が生成され、さまざまの
種族が新たに膨大な溶液から析出するという。ところで真の戦いは宗教戦争であり、
これはひたすらに破滅へむかってつきすすみ、そこでは人間の狂気がもろに露呈さ
れる。》(184頁)──は「すべての鉱物は高温の原海の沈澱によって生じた」と
するヴェルナーの鉱物水成説を踏まえていること、「海と陸が愛の炎に溶けるとい
う神秘主義的な隠喩には、熱によって固体が液化し、混合して他の物体が形成され
るという、当時の熱理論が結びついている」ことが指摘されていた。

 いずれも青い花(マティルダ)につながる二つの夢からの抜粋。その一。《まる
で夕焼け雲にすっぽり包まれているようで、この世のものとは思われぬ感覚が体中
にみなぎってきた。ひそやかな官能の歓びと手を結ぼうと、ほしいままな想いが次
々と胸の内にわきおこり、いまだ目にしたこともない彫像が新たに浮かんできたか
と思うとまた溶けあうように消えていった。だがいつしかそれが肉眼にもとらえら
れる生きものの姿となって青年の肌をつつみこんだ。四大元素のひとつ、やさしい
水がまわりじゅうからふくよかな乳房となってまつわりついてきたのだ。たゆたう
池の水は、じつはなよやかな娘たちの溶液で、それが青年の体にふれる瞬間、本来
の姿に変じるかのようであった。》(17頁)

 その二。《マティルダは手をふって、なにか言いたげだった。小舟がすっかり浸
水しているのに、マティルダはいうにいえぬ思いをこめた笑みをうかべ、ゆっくり
と渦をのぞきこんでいたかと思うと、あっという間にその中へすいこまれていった。
》(171頁)

 付録として、クリングゾールの印象的な言葉。《自然とひとの心情との関係は、
物体と光の関係に似ている。物体は光をさえぎり、光を屈折させて固有の色彩を呈
する。物体がその表面や内部に光を点じるとき、光が物体の明るさと等しくなると、
物体は明るくなり、透明になる。光が物体の明るさより強くなると、光はその物体
から放射して、他の物体を照らす。》(175頁)

●251●今泉文子『ロマン主義の誕生』(平凡社選書:1999)

 本書の副題は「ノヴァーリスとイェーナの前衛たち」で、著者のあとがきによる
と、文学・思想現象を「物語」として語ってしまうこと──ドイツ「初期」ロマン
主義を若々しい精神の運動として物語風に描いてみること──への誘惑と抵抗のせ
めぎあいのなかで書かれたとのこと。

 魅力的な叙述に引き込まれ一気に読み切ってしまいたくなるのを抑えながら、心
と頭に文章が染み込むように少しずつ読み進めた。ドイツ・ロマン主義という、こ
のとてつもない深さと広がりと高さをもった「文学・思想現象」については、いつ
か機会があればじっくりと腰をすえて取り組んでみたいと思う。

●252●奥泉光『ノヴァーリスの引用』(新潮社:1993.3)

 十年以上前の友人の死の謎をめぐる推理小説と幻想小説と恐怖小説の三態構成。
知性の物語、想像力の物語、肉体の物語。そしてシューマンの作品47、ピアノ四重
奏の響きとともに四人の男たちによって再び封印される死者の記憶。最後に明かさ
れる「復活」の痕跡。《死者は去り、死者の記憶は消える。》(157頁)

 グノーシス思想(反現実主義、反宇宙主義、霊肉二元論)がふたたび蔓延する時
代を先取りし、身体性を抽象した「純粋な関係」への希求と身体的な営みからはじ
まる関係を肯定する「幸福な思想」(82頁)への憧憬との分裂を「刻印された肉体」
をもって、文字通り身をもって生きた「帰国子女」の叫び──「アナタチハ、ネッ
カラノ、ニッポンジン、ナンダナ!」「アナタタチハ、死ンデイルノト同ジダ」。

 初期マルクスの疎外論にノヴァーリスの魔術的観念論を接ぎ木した思考を紡ぎ、
背中に痣(聖痕)をもった魚(つまりイエス)が最期に残した言葉。

《あなたたちは祈ることをしない。だからぼくはあなたたちを信用しない。祈るっ
ていうのは想像することでしょう? いまとは違う現実に向かって、こことは違う
場所に向かって、リアルに、いろいろに、想像を巡らせることでしょう?》(132頁)

《人間は本当に理解しあうなんてことは絶対にできない。でも、人間には理解しあ
う以上のことができるんじゃないでしょうか? あなたたちが僕を理解しないで、
僕があなたたちを理解しなかったのはたしかだと思います。しかし、本当は、僕ら
は理解しあうことなんかじゃなくて、もっと別のことをすべきなんじゃないでしょ
うか?》(134頁)

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