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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.76 (2001/10/20)
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 □ 中田力『脳の方程式 いち・たす・いち』
 □ 黒川信重『数学の夢 素数からのひろがり』
 □ 小室直樹『数学嫌いな人のための数学 数学原論』
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いつの日にか、私なりの「実験理性批判」をまとめてみたいものだと思っています。

こでいう「実験」には、もちろん自然科学の方法としての実験──今回取り上げた
本のなかで、小室直樹さんは「実験であるためには、変数の分離が行われていなけ
ればならない」(184頁)と的確な定義を与えていました──を含めますが、より
広く、たとえば思考実験やらノヴァーリスがいう「まことの実験術」=「能動的経
験主義の学」(あるいは「内的な実験」「精神の実験物理学」「説教=神を考察す
ることと神を実験すること」「内的宗教的な実験と観察」「実験宗教学」「神のな
かでなす実験」)なども含めて、一回性、唯一性、個別性をもった事象をめぐる実
験(実験歴史学?)の可能性とその限界を見極めてみたいということです。[*]

いま中岡成文さんの『臨床的理性批判』を少しずつ読み進めています。その序章に
次の文章が出てきます。

《「哲学を行動に移す」のではなくて、フィールドで動く中から何かを発見したい
と思う。そういう志向からすると、「理性批判」という基礎づけの発想は、従来の
哲学にとってのスタンダードではあっても、何か内向きの響きが伴っていて、書名
に掲げるには多少のためらいを覚える。ただ、反面でしっかり言っておかなければ
ならないのだが、……思想を組み上げるために、他の人々と協同することが必要な
ネットワークの時代にも、「意味」を濃密化し、抽象度を高めていく各自の努力は
省けるわけではない。…そこに「理性批判」の必要性がある。》

私の実験理性批判は、概念の「濃度変化」の観察=実験=叙述を通じて「物質的な
もの」(質料、元素とも)が析出されるプロセスそのものを叙述=析出するもの、
つまり魂の物理学序説のようなものだと考えているのですが、これでは何を言って
いるのか分かりませんね。

(ドイツ語のダールシュテルング Darstellung には「叙述」のほか「析出」とい
う化学的意味がある。このことはベンヤミンの「ドイツ・ロマン主義における芸術
批評の概念」の最後で使われていました。)──今回は、長くなったので二日にわ
けて送信します。

* ノヴァーリスの「実験術」について、中井章子著『ノヴァーリスと自然神秘思想』
から。

《「具象化」や「象徴化」は、[引用者註:ノヴァーリスによって]自然科学の実
験に似た「実験」と呼ばれる。(略)
 「実験[エクスペリメント]」は、ヨーロッパ思想史のなかで本来宗教的な意味
をもつ言葉である。自然科学の実験にしても、フランチェスコ会士であったロジャ
ー・ベーコンや神的な智慧を求めた錬金術師にとっては、神を直接的に経験的に認
識することにつながっていた[著者註:トマス・アクィナスにおいて神の体験的認
識は、cognitio Dei experimentalis と呼ばれている]。敬虔主義者は、魂のなか
での自己の経験をとおして神を知ることを、「神の実験」とこころえていた。(略)
ノヴァーリスも、敬虔主義の環境に育ったので、この「実験宗教学」には通じてい
た。
 ノヴァーリスの「実験」は、感覚的なものであると同時に、魂のなかのものであ
るという点で、自然科学の「実験」と敬虔主義の「実験」の両方の要素を合わせも
つ、想像力による「ポエティッシュな実験」である。》(122-124頁)

 ちなみに、伊藤俊太郎氏の「近代化学の源流──スコラ自然学と近代」(『西欧
精神の探求』下)によると、西欧十三世紀の「方法論革命」において「数学的な合
理性」と「実験的な実証性」の総合(数学的実験科学の方法、すなわち今日いうと
ころの仮説演繹法の確立)をなしとげたのは、オクスフォードのロバート・グロー
ステストであった。
 

●223●中田力『脳の方程式 いち・たす・いち』(紀伊國屋書店:2001.9)

 21世紀の幕開けは、脳が真の意味で物理学の対象となったことを意味している。
──全154頁(付録のメモ類を除くと127頁)の本書の90頁に刻まれたこの宣言から
本論が始まる。「読者よ、本当に面白がるのは最終章まで待たれよ。そこで読者は
ブッ飛ばされる。思ってもみなかった角度から脳科学のパラダイムが引っくり返さ
れる。頭がガタガタにゆさぶられる」と立花隆氏の推薦文に書いてある。

 早くブッ飛ばされガタガタにゆさぶられたいと思って読み急いだのだが、20世紀
の物理学と情報科学と脳科学と数学(ゼータ関数の話題が出てきたのが嬉しかった)
の基礎と肝の部分が簡潔明瞭に、かつ天才科学者たちのライフ・ヒストリー(特に
ディラックをめぐる叙述は感動的)や著者の得意分野の話題(ファンクショナルM
RI)を織りまぜながら生き生きと描いてあったものだから、本論に入るまでの助
走部分だけでも充分に楽しめた。

 本論は、前座(脳の方程式)と真打(統一脳理論)の二部で構成されている。前
段では、21世紀の科学──「21世紀の科学とは、こころの科学である」(151頁)
──にとってのキーワード(すでに紹介のあったバイナリー、確率、エントロピー
に加え、カオス、非線形、複雑系、自己形成、イジング、セル・オートマトン、そ
れから手塚治虫が『火の鳥』で展開した哲学=相転移、ユニバーサリティ、さらに、
ニューロン、ゲート、ニューラルネット、学習、可塑性といった脳科学のキーワー
ド)が一気呵成に提示され、複雑系の理論とシミレーションの関係をめぐる(推論
の方法が同時に実在の生成過程そのものであることを踏まえた?)決定的に重要な
指摘──《ある系が自己形成によって作り出した複雑なパターンを、複雑系の理論、
つまり単純な操作の反復によって作り出すことができたとすれば、もともとその系
が持っていた基本的な規則性を推測することができる。/そこで登場したものがシ
ミュレーションの世界である。ある規則性を持ったものが、ある条件下ではどのよ
うな結果を生み出すかをやってみるのである。言い換えれば、やってみなければわ
からない非線形の世界を、やってみることで理解しようとする試みである。》(98
-99頁)──の後で、脳の形は「熱対流(heat convection)の法則」に従った自己
形成からなるという「脳の方程式」が示される。

 そしていよいよ最終章。それまでの叙述とはうってかわっていきなり抽象度が数
段高くなるものだから、実をいうと私はちゃんとフォローできなかったのだけれど、
たかだか11頁で概説される「統一脳理論」の仮説の要点は二つあると思う。

 その一は、「生体において「形」はもっとも重要な「機能」である」(99頁)の
だから「脳がその形態の決定と発生のプロセスに熱対流の原則を用いるとすれば、
脳はその原則を脳の基本機能にも応用しているはずである」(121頁)という推論
である。その二は、「ニューロンが脳を形成する最小機能単位である」という脳科
学のセントラル・ドグマへの挑戦である。

 以下、言葉だけでも拾っておく。著者は、脳幹網様体が中核体温を保つための微
細な調節を行い、その結果、脳内でおこる熱放射が恒常性の高いものとなり、グリ
ア細胞(ニューロンとニューロンの間を埋めている細胞)のJGS(lattice gas
layer)──《グリア細胞は骨と同様に特有なマトリックス構造を作り上げる。こ
れは骨の場合と同様、細胞外空間を二つの違った環境のコンパートメントに分離す
るための構造と考えることができる。骨ではこの新しいコンパートメントには空気
が充満されている。脳では、水の濃度を落とした、水よりは粘着性の低い流体、お
そらくはCO2を中心としたガス状の流体が存在すると考えられる。著者はこの理
論体系を総称して「渦理論(vortex theory)」と呼んでいる。》(122頁)──に
おける定常流を作り、この定常流がELDER(Electron-dense Layer and Dendr
itic Ramification)の誘電率を制御し、皮質ニューロンの定常的な自然発火を促す。
《これが意識の根源である。》(123頁)

 そして、大脳の基本構造は同一であって、それ(大脳チップ)はLGS(極端に
自由度の高い、アナログ要素を持ったシステム)とニューロンネットワーク(基本
的には自己形成型で、安定性の高い、実践処理に適したシステム)との二重構造を
持ち、両者はELDERを介して結合可能である。空間的にどの位置を占めるEL
DERを自由に賦活できるかによって、創造力と高次機能の表現に個体差が生じる。
「ここから、こころが生まれる」(127頁)。

 ところで、題名に出てくる「いち・たす・いち」とは、もしかしたら「LGS・
たす・ニューロンネットワーク」のことなのだろうか。

●224●黒川信重『数学の夢 素数からのひろがり』
                 岩波高校生セミナー4(岩波書店:1998.5)

 朝日ワンテーママガジン44『あぶない数学』(1995年1月)に掲載された「ゼー
タは生きている──類体論から霊体論へ──」を読んで以来、著者のファンになっ
た。本書は3年ぶりの通読。この間なんども手に取り、目に馴染ませてきた。この
本を読む(というより、ほとんど毎頁に繰り広げられている数式を鑑賞する)こと
は、私のストレス解消法の一つであり長年つきあってきた持病である。

 中田力著『脳の方程式 いち・たす・いち』の44頁と49頁と136頁にオイラー積
の話が、そして50頁と138頁にリーマンとゼータ関数の話が出てきて、ゼータ関数
が「数論と量子力学とを結ぶ接点として注目されている」などと書いてあったのを
読んで、ゼータ狂いが再発してしまった。

 「1+2+3+……=−1/12」とか「1×2×3×…=2πの平方根」といっ
た奇妙な計算には、リーマンの名とともに強烈に惹かれ続けてきた。その証明が高
校生向けの本書にきちんと書かれている。それどころか、すべてのゼータを統一し
て素数全体の空間の真の姿を研究する「絶対数学」の夢と、それがライプニッツの
モナド(生きている点)や宇宙の解明につながること、そしてこれらの夢が21世紀
の中頃には完成するかもしれないことが書かれている。オペラ鑑賞と数論(とりわ
けリーマン予想)の「研究」を老後の楽しみにとっておこうと計画している私にと
って、本書は恰好の入門書だ。

 今回、何度目かの通読を終えて、印象に残った話題を一つだけ記録しておく。ピ
タゴラスは数学(マテーマタ:学ばれるべきもの)を数論・音楽・幾何学・天文学
の四分野からなるものとしたのだが、これらは題材が数か量か、研究内容が静か動
かで分類することができる。すなわち、数論は数の静的な理論、音楽は数の動的な
理論、幾何学は量の静的な理論、天文学は量の動的な理論である。以下は、本書5
頁に掲載された図(これは使える)。

       静     動
    ┌─────┬──――─┐
  数 │ 数 論 │ 音 楽 │
    ├──――─┼─――──┤
  量 │ 幾何学 │ 天文学 │
    └─――──┴───―─┘

 後記。ゼータ狂いが再発して、急いで『ゼータの世界』(梅田亨・黒川信重・若
山正人・中島さち子著,日本評論社:1999.6)を購入して、夢中になって眺めてい
る。この本に収められた7つの文章はほとんど雑誌掲載時に読んだ記憶がある。も
ちろん中身はほとんど覚えていない。こんどこそ熟読玩味、詳細勉強の上、老後に
備えることにしたい。以下、その昔書いた文章を添付。

 ──「ζの世界」の特集を組んだ『数学の楽しみ』創刊号(1997年5月,日本評
論社)に、「ζの世界は生物の世界によく似ている」(たぶん黒川信重氏の言葉)
とある。そこに多様性と統一があるからというのだ。そういえば、同誌に掲載され
た「ゼータの世界を眺めて」で中島さち子氏は次のように書いていた。

《数学の真髄にはつねに素朴な人間の感覚があり、それは2000年前,いや人が人に
なる前から(?)流れている自然なものですが,それはより雄大な,世界を統一す
る構造理念への準備であったかも分かりません.人が直観している最も原始的な宇
宙の関数は何なのか──数学に哲学などの名を付けるのはあまり好きではないので
すけれども,もともと文学も医学も生物学も,すべて共存しうるのでしょう.この
不確定で混沌に満ちた学問は,ゆっくり,最も原始の世界に同化してゆく感じがし
ます.》

 この実に気持ちのよくなる文章(筆者は当時現役の高校生だったですね)に出て
くる「原始の感覚」とでもいうべきものは、「歴史の概念」について考える際の一
つの足場になるはずだ。(ゼータ関数とベンヤミン?)

●225●小室直樹『数学嫌いな人のための数学 数学原論』
                        (東洋経済新報社:2001.10)

 小室直樹の原論シリーズ──『国民のための経済源』(光文社)『小室直樹の資
本主義原論』『日本人のための経済原論』(以上、東洋経済新報社)『日本人のた
めの宗教原論』(徳間書店)──に数学が加わった。出版元を見れば明らかなよう
に、最近のロジカル・シンキングや学習ブームに乗ったビジネスマンのための数学
原論で、入門と銘打たないところに著者の真骨頂がある。

 つまり「数覚(数学的真理を感得する知覚)」などはどだいあるかないかの存在
の問題であって、数学世界への門は万人に開かれているわけではない、だから西欧
原産の数学の論理のエッセンスとそれが世界のOSとしていかに力を振るってきた
か(いるか)を万人向けに、とりわけ「論理音痴の日本人」のために語ってきかせ
ようというわけだろう。

 それでは西欧原産の数学の論理とは何か。例によってその基本は「世界史を動か
す原動力は宗教と経済の相互作用である」とするマクス・ヴェーバーのテーゼで、
宗教と経済を結ぶものこそ数学の論理、つまり形式論理と証明の技法である。

 数学とは神の論理なり、と著者は言う。ここでいう神は宗教の天才古代イスラエ
ルの民が育んだ唯一絶対的人格神である。そして論理とは「神と人との論争」のた
めの方法であった。この論理が古代ギリシャにおいて論証(証明)を旨とする数学
と合体して(「これは世界史における画期的大事件である」)、アリストテレスの
形式論理学に結実した。

 形式論理のエッセンスは自同律と矛盾律と排中律。この三原則を理解すれば、な
ぜ西欧社会に資本主義が生まれたかが分かる。資本主義の神髄は形式合理性=計算
可能性であり、その根幹は私的所有権の絶対性と抽象性、すなわち観念化=論理化
=数学化の確立にあったからだ。また、証明の技法のエッセンスは必要条件と十分
条件。これだけを理解すれば必要十分なのだが、おそらく十万人に一人も分かっち
ゃいないだろう、必要条件や十分条件を滑らかに使いこなせるようになっていない
と本当に理解したとは言えないのだと著者は言う。

 数学の論理の凄さは、たとえば方程式と恒等式の違いが分かればケインズのモデ
ルが理解できることにある。ケインズのモデルというのは、最も単純化すれば「Y
(国民生産,国民所得)=C(国民消費)+I(国民投資)」「C=aY,a:限
界消費性向」「I:定数」で示される有効需要の原理(Demand creates its own
supply)をいうのだが、これを「Y≡C+I」と恒等式で表示するとセイの法則
(Supply creates its own demand)になる、等々。

 こうした表面的な事柄だけを抜き出してみても本書の凄みは伝わらない。語りお
ろし速成本(だと思う)特有の叙述の乱れや飛躍が散見されて、とても文章を噛み
しめて味わうといった類の書物ではないのだけれど、執拗なまでに繰り返される中
国人の論理や日本人の非論理、もう一つの社会のOSである法律の論理(嘘の効用)
との比較、歴史の引用、科学や数学の方法と論理をめぐるかなり高度な議論(だと
思う)など、なかなかどうして一筋縄ではいかない奥行きをもっているし、何より
も小室直樹という人が生きた論理とでもいうべき凄みをもって読み手の脳髄に直接
ぐいぐい迫ってくるのである。ちょっと持ち上げすぎかもしれないが、読者の力量
に応じていかようにでも読める本だと思う。

 一つだけ、引用しておく。──この文章を読みながら、私は「要するにスポンタ
ネイテ、自然な感情そのものでは文学はつくれないというのが、結局、一○○○年
から二十世紀を経たあとに生まれた結論だという気がするんですね」という『千年
紀のベスト100作品を選ぶ』(講談社)での鹿島茂氏の発言を想起していた。(
そして、いまちょうど読んでいる柄谷行人著『トランスクリティーク』の第一部「
カント」がコペルニクス的転回をめぐる議論から始まっていたこと。たとえば柄谷
氏は「カントが感性の「形式」を考えたのはむしろ非ユークリッド幾何学の可能性
を想定していたからである」と書いている。)

《ロバチェフスキーの業績は、数学革命としか言いようがない。いや、まさしく、
科学革命と呼ぶのにふさわしい一大革命であった。ロバチェフスキーこそ、数学、
いや科学のコペルニクスと呼ぶべきか。数学・科学の研究法が一変したのであった。
 この数学革命・科学革命が近代資本主義と近代デモクラシーを生むことになった。
 数学も科学も、それまでは、客観的に存在する真理を学者が発見するという立場
で研究されてきていた。ユークリッドの幾何学原論が模範であり、自明な公理から、
形式論理だけを用いて定理を導き出す方法が学問の理想であると看做されてきてい
た。
 その公理からの論理演繹法は、あまりにも見事であったので、学者は誰でも、こ
れこそ完全な理論であるとして完全理論と呼んだ。
 しかし、ロバチェフスキーは、このイデオロギー(確固たる学問教と呼んでもい
い!)に、真っ向から挑戦して、このイデオロギーを転覆させたのであった。
 ロバチェフスキーが背理法を用いて非ユークリッド幾何学を建設して以来、自明
な真理であると看做されてきた公理は、仮定にすぎなくなった。
 学者の任務は、真理の発見ではなく、仮定を要請することになった。
 ユークリッド空間それ自身、確固不動に絶対的に存在するただ一つの空間ではな
くて、学者が要請した一つの模型[モデル]としての空間にすぎないものとなった。
 つまり、ロバチェフスキー革命によって、数学者、科学者は、真理発見者を辞め
て、模型構築者[モデル・ビルダー]に変身したのであった。
 伝統主義は、一気に打倒され、近代資本主義、近代デモクラシーへの道は開かれ
た。》(96-97頁)

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