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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.75 (2001/10/14)
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 □ 中込照明『唯心論物理学の誕生』
 □ マーティン・リース『宇宙を支配する6つの数』
 □ デイヴィッド・ドイッチュ『世界の究極理論は存在するか』
 □ 橋元淳一郎『われ思うゆえに思考実験あり』
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この宇宙に存在するものはすべて推論であり、実験であり、観測であり、計算であ
る。──パース病患者の脳髄に宿った「万物の理論」の種子。
 

●219●中込照明『唯心論物理学の誕生』(海鳴社:1998.1)

 以前「脳と心の量子論」を特集した『数理科学』(2000年10月)で中込氏の「ラ
イプニッツと現代物理学 機械と意識」を読み、著者が提唱する「量子モナド論」
にいたく興味をいだいて以来、いつか読んでみたいと思っていた。予想と期待に違
わず、実に刺激的かつ面白い読み物で、ほとんど一気に読了し、一月近く経った今
も興奮冷めやらない。性急に要約整理して記憶の彼方に追いやるのは惜しい。常時、
ワーキング・メモリーに立ち上げておき、反芻すべし。

《複数のコンピュータが相互に関係付けられたヴァーチャルリアリティを共有して
いる状況で,ゲームをしている図はまさにモナド論の世界である.》(付録,161頁)
──著者は方便、比喩と断っているが、私が見るところでは、そして著者自身が本
文末尾で明かしているように、実はこの「コンピュータ・ゲームの喩え」はかなり
本質を衝いている。以下は、本書127頁に掲載されたわれわれの世界モデルとコン
ピュータ・ゲーム(戦車ゲーム)の対応図。

 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
  <われわれの世界のモデル>  <戦車ゲーム>
   モナド            コンピュータ+プレイヤー
   内部世界           コンピュータの画面
   モナドの意志         プレイヤーの意志
   モナドの意識         プレイヤーの意識
   自動変化           各コンピュータに与えられたプログラム
   モナドの像          各コンピュータに結び付けられた戦車
   予定調和としての通信枠    信号を使った通信
   ローレンツ変換        戦車の動きに伴う場面の変換
 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

●220●マーティン・リース『宇宙を支配する6つの数』
                        (林一訳,草思社:2001.10)

 天文学はもっとも古い数の学だ(5頁)という印象的な文章で始まり、科学には
非常に大きいもの、非常に小さいもの、非常に複雑なものという三つの最前線があ
って宇宙論はこの三つをすべて含んでいる、つまり宇宙論は「根本的」な科学であ
り、それと同時にもっとも壮大な環境科学でもある(282-283頁)という断言で終
わる。宇宙論の世界的権威が語る、心ときめく存在の物語。

 著者は「ごく初期の宇宙を解明し、多宇宙の概念を明確にすることが、次の世紀
の課題となる」(280頁)と言う。つまり、内的空間」である原子以下の世界と「
外的空間」である宇宙とのウロボロス状の密接な関わり(20頁,286頁)を解明す
ること、そして原子大のミニ・ブラックホールとそこから始まる(われわれの宇宙
をもたらしたものとは別の)ビッグバンの実在を解明すること。

 著者はまた、「われわれの宇宙」と宇宙の集合体である「多宇宙」(マルチバー
ス)とを区別し、前者の意味での宇宙を適切に定義するなら「存在するすべてのも
の」ということになろうと言う(238頁)。宇宙空間の「無」はとても豊かな構造
を持っている。いつか理論家は物理的実在を支配する基本方程式を書き上げられる
ようになるだろう。

 しかし、そもそも「何もないのではなく、何かが存在するのはなぜか」という根
本的な疑問は哲学者が答えるべきものである(235頁)。この基本方程式(万物の
理論)は、次の六つの宇宙数の意味を説明できなければならない。

 ◎陽子間に働く電気力(斥力)を重力(引力)で割って得た数N(10の36乗)
 ◎核力(強い相互作用)の強さ、核融合効率(水素ガスが核融合してヘリウムに
  なるときにエネルギーに転換される質量の割合)を示すε[0.007]
 ◎宇宙の密度Ω[少なくとも0.3]
 ◎自然界でもっとも弱くもっとも不可思議な力(反重力)を記述する宇宙定数λ
  [ゼロ以上]
 ◎重力と静止質量エネルギーの比Q(10のマイナス5乗)
 ◎宇宙空間の次元数D[3]

●221●デイヴィッド・ドイッチュ『世界の究極理論は存在するか──
 多宇宙理論から見た生命、進化、時間』(林一訳,朝日新聞社:1999.11/1997)

 実在の織物(the fabric of reality)の四本の主要な撚り糸、つまりヒュー・
エヴェレットの多宇宙(マルチバース)の量子論、カール・ポパーの認識論、アラ
ン・テューリングの普遍的計算理論、そしてリチャード・ドーキンスの進化論とい
う四つの理論がいっしょになって「ひとつの整合的な説明構造体」をかたちづくる
ならば、それは新しい世界観への全面的な移行をもたらす「最初の万物の理論」で
あるだろう。

 この第1章で高らかに宣告された方向に沿って、著者の議論は、多宇宙論に軸足
を置きながら四本の撚り糸の平行関係を丹念にたどり、物理的実在の自己相似性を
めぐる議論やタイムトラベルの思考実験(多宇宙にまたがる知識の「貿易」)を経
て、「四本の撚り糸すべての統一は、哲学が基本的な前進を遂げるのに不可欠であ
り、意識に対する理解がいつかそこから生まれるだろう」(296頁)と予言し、最
終章では、フランク・ティプラーの“オメガ点理論”[Frank tipler,The Physi
cs of Immortality,1995]に準拠しながら、全知・遍在・全能の社会=神や死者
の蘇りにまで説き及ぶ。まことに壮大かつ刺激に満ちた書物だ。

 本書の要約などどだい無理だし意味もないと思うので、例によってインデックス
がわりの若干の抜き書きをしておく。──本書でもっとも面白かったのは第7章、
著者ディヴィッドと「隠れ帰納主義者」との仮想対話だった。これだけ独立して読
んでも充分価値がある。

《推論は、それ自体がひとつの自然現象であり、……》(54頁)
《われわれが必要としているのは、説明を中心にすえた知識の理論である。》(60頁)
《もっとも単純な説明にしたがったときに、ある実体が複雑で自律的であるならば、
その実体は実在的である。》(85頁)
《物理的実在はいくつかのレベルで自己相似的である。》(88頁)
《仮想実在は、論理的に可能な外的体験[引用者註:物理的に不可能な体験を含む]
にかかわっている。》(96頁)
《われわれが直接体験しているのは、われわれの無意識の心が生成した仮想実在的
提示である。(略)われわれの外的体験は最後の一片に至るまで、仮想実在の体験
だ。(略)だから仮想実在を含むのは科学──物理的世界についての推論──だけ
ではない。すべての推論、すべての思考とすべての外的体験は仮想実在の諸形態な
のだ。(略)生物学的に言えば、人間の環境の仮想実在的提示は、生存のための特
異的な手段なのだ。言い換えると、それこそが人間が存在している理由なのである。
》(110頁)
《数学的な計算が物理的過程である(はっきり言えば、私がすでに説明したように
仮想実在的提示過程である)という事実》(119頁)
《テューリングの原理 物理的に可能なあらゆる環境をそのレパートリーに含んで
いる仮想実在生成装置を建造することは可能である。》(122頁)
《科学はよりよい説明を求める。》(127頁)
《しかし、物理的宇宙が、それ自身についての、そして他の事物についての知識を
創造する過程を許容しているという事実は興味深いじゃないか。(略)蒸気機関が
可能であるという事実が、熱力学の原理の直接的な表われであるのと同じように、
人間の脳に知識の創造ができるという事実は、テューリングの原理の直接的な表わ
れなのだ…。》(146頁)
《しかし、議論の過程は「公理」からはじまって、「結論」で終わるのではない。
それは、中間からはじまるんだ。》(147頁)
《生体は、真の自己複製子すなわちその生体の遺伝子を複製する、身近な環境なの
だ。(略)自己複製子であるという性質は、高度に文脈的である…》(156-157頁)
《生きている過程と仮想実在提示は、表面的な違いを別にすれば、同じ種類の過程
である。》(159頁)
《生きている物質が特殊な物理的性質をもっているという古代のアイデアがほぼ真
実であることを、いまなら理解できる。実は、物理的に特殊なのは生きている物質
ではなく、知識を担っている物質[引用者註:脳やDNAの遺伝子断片]なのであ
る。それはひとつの宇宙の内部では不規則に見えるが、宇宙全体を通して見れば、
多宇宙における結晶のように規則的な構造をもっている。》(168頁)
《実在の織物は、いうなれば、自己アクセスしやすいように、層をなしているにち
がいない。》(174頁)
《説明は、結局のところ数学でも、科学で果たしているのと同じ最高の役割を演じ
ている。世界──物理的世界と数学的抽象の世界──を説明することと理解するこ
とが、どちらの場合にも努力の目的なのである。》(209頁)
《時間ははじめからずっと量子的な概念だった…。われわれは「瞬間」と呼ばれる
宇宙のなかに、多重のバージョンとして存在している。(略)すべての瞬間は物理
的に実在的であり、多宇宙の全体は物理的に実在的である。それ以外の何ものも実
在的ではないのだ。》(253頁)
《知識の宇宙間「貿易」についてもっと正確に考える道は、われわれのすべての知
識生成過程、われわれの文化と文明全体、あらゆる個人の心のなかの思考過程すべ
て、そして進化する生命圏全体を、ひとつの巨大な計算であると考えることである。
》(280頁)
《[引用者註:実在の織物の統一された理論がもたらすものは]楽観的な世界観で
あって、人間の心を物理的宇宙の中心に置き、説明と理解を人間の目的の中心に置
いている。》(300頁)

●222●橋元淳一郎『われ思うゆえに思考実験あり 
        最新科学理論がもたらす究極の知的冒険』(早川書房:2000.2)

 著者が標榜する擬似科学的思考実験の醍醐味を味わえたのは第1章「葉緑体人間
は可能か」で、自己意識(第2章・第3章)と時間(第4章から第6章)をめぐる
議論は、個人的な関心に引き寄せて充分に楽しめはしたのだけれど、思考実験とし
ての切れと濃度に欠けていたように思う。

 たとえば、自己意識を生み出すのは物質(エネルギー)の流れであって情報処理
ではない──《それ[バクテリア]は他の体系から成り立つ生命から見れば、単な
る機械にすぎないかもしれないが、われわれ人間は、バクテリアの行動にわれわれ
と共通の〈感情〉を見出す。その理由は、バクテリアとわれわれが同じ情報処理プ
ログラムを持っているからなのではなく、バクテリアとわれわれが同じ物質から構
成されているからなのだよ》(99頁)、《わしに言わせれば、現代科学は情報とい
うことを強調しすぎて、一種の観念論に陥っておる》(149頁)──とか、われわ
れが意識を考えるとき「高度の自律的活動」「無意識」「自己意識」「知能」「喜
怒哀楽」の五つの生命現象を一括して意識と呼んでいるのだが、喜怒哀楽(感情=
主観)こそがもっとも意識らしい意識であるといった、それ自体としては魅力的な
議論が、擬似科学的奔放さやオリジナルな思考実験抜きで展開されるものだから、
看板に偽りありと言わざるを得ない。

 時間論の場合でも、そこで議論されている事柄そのもの──エントロピー増大の
法則や量子論は時間対称である(時間の矢とは無関係である)、結局、変化するも
のは真の実在ではない、それゆえ時間と空間は世界を構成する真の実在ではない(
時間は進化によって脳にア・プリオリに埋め込まれた概念である、だから時間の矢
はわれわれの意識のうちにある)、つまりこの宇宙における真の実在は「作用=プ
ランク定数」「光速」「電子の電荷の二乗」なのであって、第三の実在を第一と第
二の実在の積で割ると137分の1という数(微細構造定数)が得られるのだが、こ
の137という数には特別な意味はない、あえてその意味を考察するなら、宇宙の奥
底に潜む実在は、電子の電荷や光速のようにわれわれの直感からかけはなれたきわ
めて小さな数や巨大な数ではなく、意外と直感的に理解できる大きさなのではない
かということだ、その理由を人間原理に求める考え方もあるが、「宇宙は人間のた
めにあった、などというのはどう考えても不遜じゃ」云々──はとても面白いもの
だったのだが、その結論に至る過程で、形而上学や理論物理の思考とは異なる思考
実験独自の鋭さがいまひとつ感じられなかった。

(外部のない宇宙は膨張しても温度が下がらないはずなのに事実として宇宙の温度
は下がっている、それは失われた熱エネルギーが万有引力のポテンシャル・エネル
ギーへと転化しているからであるとする「シリンダーの思考実験」は鮮やかだった。
これもたしかに思考実験ではあるけれど、実験不可能な物質世界の現象をめぐる物
理学的思考と言えばそれで足りる。)

 あれこれ批判がましいことを書き並べたけれど、私は充分に楽しめだのだから、
この本はよくできた啓蒙書だと思う。でもやっぱり、実験とは何か、人間が思考実
験をする動物へと進化していったのはなぜか、それが科学の営みとも関係している
のではないかといった原理的な考察を、擬似科学的思考実験でもって鋭く鮮やかに
展開してみせてほしかった。たとえば次のくだりなどを突き詰めていくならば、結
構面白い思考実験論が出てくるのではないか。

《無限に拡がる空間、無限に続く時間というものは、人間の理性が創りだした怪物
でしかない。(略)つまり、カオス理論は決して現実の物質世界を反映していない
のだよ……カオスは物理学ではなく、数学なのだ。そして数学世界は、物質世界の
実在を扱うものではなく、認識世界の抽象的存在を扱うものなんだ。》(199-200頁)

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