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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.71 (2001/09/18)
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 □ 丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『千年紀のベスト100作品を選ぶ』
 □ アゴタ・クリストフ『悪童日記』
 □ 金子隆一『新世紀未来科学』
 □ カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本という国をあなたのものにするために』
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いろいろと事情があって、このところ新しい本がなかなか最後の頁にまでたどりつ
きません。いろいろな事情というのは、たとえばパースの『連続性の哲学』を繰り
返し読んではそのたびに刺激を受けてまた読み返したり、昔読んで感銘を受けた本
に以前とは違った新鮮な気持ちで接したり(村上龍『五分後の世界』とか高木貞治
『近世数学史談』とか保坂和志『〈私〉という演算』など)、一気に読み切るのが
惜しくて毎日数頁ずつ愛おしむように読んだり(中井章子『ノヴァーリスと自然神
秘思想』とか堀米租庸三・木村尚三郎編『西欧精神の探求』とかグレッグ・イーガ
ン『祈りの海』など)、要するに同時進行的に、しかも速読や斜め読みではなくて、
五臓六腑に染みこませるようにして複数の本をとっかえひっかえ読み散らかしてい
るからです。

そうこうしているうちに、受容するにせよ批判するにせよこれは読んでおかねばと
思う本がたまってくるし(アーウィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』
とか落合仁司『ギリシャ正教 無限の神』など)、数年前、神戸元町の某古書店で
みつけてなんとなく気になっていた創刊号を含む『エピステーメー』11冊6千円を
とうとう購入してしまったり(入手したかったのは「仮面・ペルソナ」と「現代数
学」と「脳と精神」を特集した三冊だけだったのに)と、さらに錯綜を極めていま
す。──というわけで、今回紹介するのは、いずれも先月読んだものばかりです。
 

●204●丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『千年紀のベスト100作品を選ぶ』
                            (講談社:2001.5)

 サイデンスティッカーが「異議あり」のコーナーで「この手のリストにまったく
同感できるという者はまずあるまい」と書いている。「偏りにもそれなりの面白さ
があるものである」とも書いている。実際、本書は選者たちの「偏り」と「付会」、
つまりは「趣味」を楽しむ本なのだと思う。

 たとえば『新古今』(あるいは「古今‐新古今‐源氏物語‐平家物語」という系
譜)と、フローベル(「フロベール‐ヘンリー・ジェームズ‐ジョイス‐フォーク
ナー‐マルケス」)やボードレールのモダニズムをめぐる座談。

《…このベストテンに『ボヴァリー夫人』と『悪の華』が入っているというのは、
要するにスポンタネイテ、自然な感情そのものでは文学はつくれないというのが、
結局、一○○○年から二十世紀を経たあとに生まれた結論だという気がするんです
ね。》(鹿島茂)

《ボードレールはモデルニテということを最初に言った人で、つまり彼がモダニズ
ムの創始者なんだけど、都市生活のうつろいやすい、たった今出てきた変なものの
中に美の最高を発見するというあの考え方。あれは後鳥羽院が京都の町の歌謡をと
り入れて自分の詩の中に入れたという、あのセンスと近いものがあると思って、実
に洒落た感覚だなあと感心するんですよ。》(丸谷才一)

 ベスト100作品の魅力を綴った選者たちの文書がまるで連句のような趣向が凝
らされていて面白かったので、そのさわりの部分を抜き書きしておく。

 まず第1位になった『源氏物語』をめぐる丸谷才一の文章。《しかしもともと『
源氏』にはプルーストと共通するものがあったから二人の翻訳者の文体が近づいた
のだし、紫式部が遙かな昔に書いたものは一種のモダニズム小説であったから二十
世紀の読者たちに歓迎されたのだ。》

 第2位は『失われた時を求めて』で三浦雅士が担当。《『失われた時を求めて』
は小説ではない。評論である。……ジョイスの『ユリシーズ』は演劇を思わせ『失
われた時を求めて』は映画を思わせる。映画には焦点が一つしかない。レンズの焦
点であり、監督の視点である。……『失われた時を求めて』が扱うのは十九世紀末
から二十世紀にかけてのいわゆる世紀末だが、それは、明かりが蝋燭からガス灯へ、
ガス灯から電灯へと変容した時代である。『失われた時を求めて』を一貫して流れ
る思索のリズムは、蝋燭の炎の揺らめきに似ているが、しかしその蝋燭の炎は電気
照明によって照らし出されている。この詐術が人を驚かすのである。……独特な音
楽を感じさせるのは、それが、過去の思索のリズム、蝋燭のリズム、つまりモンテ
ーニュの『エセー』のリズムによって貫かれているからだ。》

 第3位の『ユリシーズ』は鹿島茂。《モダニズムは化学と似たところがある。廃
物を利用して、新しいものを生み出す点である。……文学の廃物から文学をつくる
というモダニズムの究極の姿がここにある。》

 個人的には、『源氏物語』の正しい読み方をめぐる丸谷才一の説、ただ前へ前へ
と進んで、所々飛ばしてもいいからとにかく前に進んで止めないこと、がとても気
に入った。(『源氏』と『失われた時』と『ユリシーズ』を数年ごしに読み続けて
いる。間歇的に「読み進めて」いるのであって、挫折を繰り返しているのではない。)

●205●アゴタ・クリストフ『悪童日記』(堀茂樹訳,ハヤカワepi文庫:2001.5)

 双子三部作(『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』)の第一作。ちょうど
十年前に翻訳が出て、ずいぶんと評判になりブームにもなったのがつい最近のこと
のように思える。文庫化されたのを機に遅ればせながら読んでみたのだけれど、こ
れがまあ比類のない傑作で、いまさら絶賛するのもちょっと気が引けてしまう。

 どこがどう面白いのかと問われて絶句し、「まあとにかく読んでみてください」
としか言えないのも芸がないので、一言だけ述べておくと、この作品には怪物的な
「知性」が躍動している。この知性の担い手は、言うまでもなく双子の「ぼくら」
──固有名をもたない場所(小さな町)に住み、体と精神を訓練し、作文や不動の
術や断食の練習をし、学習し(「作り話ではなく、事実を書いた本が読みたいんで
す」)、生き抜いていく、まるで二人の天使みたいに美しい「ぼくら」である。

 知性の双子性。この反省のない非ロマン主義的知性の形態を造形し叙述しえたこ
とが、この作品の最大の達成だ。

●206●金子隆一『新世紀未来科学』(八幡書店:2001.2)

 何年かに一冊くらいの頻度でハードSFが読みたくなる。ガイドブックがわりに
本書を読み始めて驚いた。たとえばディレーニイの『バベル‐17』(未読)を代表
作として取り上げた「人工言語」の節など、優れた読み物だと思う。

 「SF小説──とりわけハードSFと呼ばれるものを中心に、その科学・技術的
なアイデアに解説を加えたものは、国内ではあるいは初めてかもしれない」と著者
は自負している。初めてかどうかを見定める知識と経験はないが、少なくとも私は
こんな本を読むのは初めて。荒俣宏さんの『理科系のための文学案内』(だったか
な)がこれと似た雰囲気を漂わせていたような気もするけれど。(そういえば、八
幡書店の本を読むのも確かこれが初めて。)

 本書を読んでベアとイーガンの二人のグレッグがやはり気になった。で、いまグ
レッグ・イーガンの『祈りの春』を読んでいる。絶品。

●207●カレル・ヴァン・ウォルフレン
『日本という国をあなたのものにするために』(藤井清美訳,角川書店:2001.7)

 日本は「未完の国家」である。まず第一に、日本にはアカウンタビリティの中枢
が欠けている。アカウンタビリティはリスポンシビリティーとは違う。リスポンシ
ビリティーは個人のモラルの問題だが、アカウンタビリティは政治の仕組み、つま
りシステムの問題だ。官僚のモラルが問題なのではなくて、政治的アカウンタビリ
ティの中枢の不在(中央の空洞、危機管理能力の欠如)が問題なのだ。

 これと裏腹の関係にあるのが第二の問題で、日本式の「コンセンサス・デモクラ
シー」はデモクラシーではない。「民主主義とはつまりは、市民間の対立や市民と
権力保持者との対立を納得のいく形で解決するための一連の制度や慣行をいう」(
86頁)のだから、対立の存在を認識しないデモクラシーなどナンセンスであり危険
である。

 このように中央に空洞をかかえた日本の政治システムを改革する処方箋は何か。
それは「パブリック・レルム(公共の領域)」あるいは「パブリック・スフィア(
公共圏)」とよばれる領域、つまり「人びとが集い、語り合い、社会のなかで起き
ていることについての情報や、それについての自分の考えを交換することができる
場」(194頁)をつくることである。

 ──以下、著者は内政・外交の各般にわたる政治的論点(公共の領域で議論すべ
き問題)に即して議論を展開している。(ハンナ・アレントだったら数頁で書き切
っているだろう。)

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