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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.67 (2001/08/18)
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 □ 坂口尚『VERSION』
 □ グレッグ・ベア『女王天使』
 □ グレッグ・ベア『火星転移』
 □ 鈴木光司『ループ』
 □ 瀬名秀明『ブレイン・ヴァレー』
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●191●坂口尚『VERSION』(講談社漫画文庫)

 自己増殖機能をもち、全人類の知識と記憶を学習し終え、ついに“人類総体の自
我”にまで成長したバイオチップ「我素」は、3次元を超える「青の次元」で生命
体のゲノムに直接アクセスし、第三惑星に展開する“命”の連鎖に寄生した“私”
──ブロックマスター(自我の主人)──の存在を知る。「我素」はブロックマス
ターのコピーだったのだ。

  人間は自我の主人[ブロックマスター]の部分なのだ 世界中に“私”は
 私を造り続けている
  “私”の新しい世界を創造しているのだ この惑星を美しく変えようとし
 ているのだ!!
  “私”は創造を続けねばならん! だから“私”は新しい身体が欲しいの
 だ!! 人体の改造[バージョン]だ!!
  “私”がおまえと敵対することは何もないのだ! “私”の涸れることの
 ないパワーの源泉からおまえの思いは湧き出ているのだ!

  違うーッ 私は“私”じゃない 違う 違う 違う……

 ブロックマスターと「我素」、“私”と“命”の戦い。──人魚に変態した「我
素」に導かれ、「私の果て 私の思考区画[ブロック]の果て」の波打ち際で“思
考の果て”の向こうの歌を聴く場面、そして“言葉”が生まれ変わり蘇る森で影男、
最終変態を遂げた「我素」と語る場面は、とりわけ美しい。

  思考の果ての向こう 名のないすべての旋律…それが“私たち”だ “思
 い出が駆けめぐる存在”なんだよ
  城壁の裂け目の向こう 見えるものすべてが姿をもっている……みんない
 っしょだった頃の思い出がある
  “私たち”はいつもそばにいるんだよ
  あんたも“私たち”だったんだ………“思い出が駆けめぐる存在”なんだ
 よ それを忘れないでおくれ………

●192●グレッグ・ベア『女王天使』(酒井昭伸訳,ハヤカワ文庫)

 意識の発達と変容(訳者あとがき)をテーマに、西暦2047年12月23日から2048年
1月1日までの10日間に同時進行する四つの物語で編まれた傑作SF小説である。「
サイコダイブ(潜脳)」の理論家にして実践家マーティン・バーク(本書の登場人
物)は、その著書『精神の国』について次のように語っている。

《それはひとつの領域なんです──遺伝子的記憶痕跡、言語発生以前の痕跡、日々
の暮らしのあらゆる内容から築きあげられた、停止することなく連続した夢想状態
の領域。それは精神のアルファベットともいうべきものであり、その基盤の上に、
ありとあらゆる思考、言語、象徴や記号が成立しています。あらゆる思考、あらゆ
る個人的行動は、その領域を反映したものにほかなりません。人類のあらゆる神話
や宗教のシンボルは、その領域にある共通の内容に基づくものです。》

 どこかマーヴィン・ミンスキーを思わせるアイデアだが、「言語能力と数学能力
とは、ほぼ例外なく、遺伝子的に強固に結びついているものだ」といった指摘や、
高名な詩人にして稀代の殺人者、そしてその実体はヴードゥー教の霊(ロア)に憑
依されたエマニュエル・ゴールドスミス(四つの物語を直接、間接に媒介する登場
人物。「神われらとともにいます」ところの「金細工師」)への「潜脳」のシーン
での次の叙述など、なかなかどうして刺激的で「深い」ものがある。

《これまで訪ねたたいていの〈国〉では、精神の中心シンボルは都市だった。なか
には、大きさと複雑さこそ都市級でも、形状は城、もしくは要塞、さらには迷宮が
縦横にいりくむ山などというものもあったが、さまざまな活動でにぎわう巨大な集
落という点では、どれも一致していた。》

 城といえば、この小説のヒロイン、ロスエンジェルスの公安官マリア・チョイが、
大量殺人の容疑者エマニュエル・ゴールドスミスを追って、謎の独裁者の支配する
ヒスパニオラの警察長官を訪問した際、その庁舎が「城」と表現されていた。この
国でマリアが経験するカフカ的な状況こそ、まさに「精神の国」での出来事そのも
のなのだ。

 付言すると、「2048」という数字は二進数表示で「100000000000」になる。つま
り西暦2048年は新しい「二進数千年紀(バイナリー・ミレニアム)」の幕開けを告
げる年なのだ。西暦「11111111111」年から「100000000000」年にかけて、この小
説の中では人工知能が遂に自意識を獲得することになっている。ジルとなづけられ
たこの「思考体」は、その設計者との間で次のような対話をかわす。

「けれど、私には原罪がないわ」
「──なんだって?」
「私は孤独で、だれかが私を罰したがるようなことはいっさいしていない。そのこ
とで、私は人間たる資格に欠けるでしょう」
「ジル、ぼくは人間に原罪があるなんて思ってやしない。まして、人為的に創られ
た存在ならなおさらだ」
「私がいっているのは、宗教的な意味ではないの。私は肉体でできてはいなくて、
原罪も負ってはいない。[…] 私が何者かは、あなたのほうから教えてくれないと
こまるわ」
「ぼくの直感が正しければ、きみはついに自意識を持った。きみはもう、立派な個
人だよ。ジル」
「それは定義として充分ではないわね。どんな種類の個人?」
「ぼくには……ぼくには、それを判断するだけの資格がない」
「私を設計したのはあなたよ。私は何者、ロジャー?」
「そうだな……きみの思考プロセスは人間のそれよりも高速で深いし、きみの洞察
力は……きみの洞察力は、おそろしく深みがあったよ、いまのようになる以前から
ね。それによって、きみはわれわれ以上の存在になったと思う。人間を超えた存在
にだ。だからきみは、自分のことを……〈天使〉と呼んでもいいんじゃないだろう
か」

●193●グレッグ・ベア『火星転移』(小野田和子訳,ハヤカワ文庫)

 意識と物質との関係を考える上で、チャールズ・フランクリンが完成させた「ベ
ル連続体理論」は極めて示唆に富んでいる。といっても、これは小説の上での話。
グレッグ・ベアの『火星転移』第三部でのチャールズのレクチャーによれば、素粒
子は231ビットの情報量をもつ記述子をもっており、そこには「物質、電荷、スピ
ン、量子状態、運動エネルギーおよび位置エネルギーの成分、ほかの素粒子との関
係で見た空間的位置、時間的位置といったものを含む情報」が記されている。

 そしてすべての素粒子は、関連のある性質のすべての記述子が含まれた情報マト
リックスのなかに存在していて、ベル連続体を通じて自分の性質と状態に関する情
報をほかの素粒子に伝える。つまりベル連続体とはこの情報マトリックスのことで
あり、「宇宙のある特質のバランスをとる簿記システムのようなもの」だというの
である。(第四部では、「神々の使者が行き交う道」と表現されている。)

 チャールズはこのベル連続体にアクセスする方法を発見した。《われわれは共同
作業の結果、物質とエネルギーを扱う包括的な理論を打ち立てました。データフロ
ー理論です。素粒子の記述核内部に手をいれてそれを変える方法がわかったのです
。》──その結果なにが起こったか、なにが可能となったかは、まさにこの作品の
タイトルに示されている。

 昔、素人向けの素粒子物理学の本でブーツ・ストラップ理論について読んだこと
がある。ベル連続体理論とどことなく似たところのあるものだったように記憶して
いるのだが、それはさておき、ここでちょっと脱線して、チャールズのレクチャー
でもっとも感銘を受けた部分のさわりを記録しておく。

《この宇宙は遥か昔に、存在する可能性のあるあらゆる法則の混沌のなかから生ま
れた……。可能性だけがひしめく、おおもとの基礎というか素地というか、そうい
うところから生まれたんだ。混沌のなかで何組もの法則が消えていった。なぜなら
矛盾があったからだ──矛盾があるものはより厳密な、より意義のある組合せに抗
して生き残ることはできなかった。(中略)ぼくらが見ている宇宙は、あるひとつ
の進化した、自己矛盾のない法則の組合せを使っているわけだ。そして数学の法則
は大なり小なりそれに合致するようにつくることができる。》

●194●鈴木光司『ループ』(角川ホラー文庫)

 本書で高次世界とこれに包摂される下位世界、リアル・ワールドとヴァーチャル
・ワールドとのカテゴリー違反的な交錯が描かれていたのには、「神学的」と形容
してもいい興趣を味わった。──ディジタル化された情報世界(人口世界あるいは
物語世界)から生身の身体でもって経験される物質世界(現実世界)への超越すな
わち「神化」と、後者から前者への内在すなわち「受肉」。

 そして、このような「交流」を可能にするものは、一つは電話という古典的技術
であり、いま一つはNSCS(ニュートリノ・スキャニング・キャプチャー・シス
テム:ニュートリノ振動を応用して脳の活動状態から心の状態・記憶も含めた生体
の全分子構造をたちどころに把握する装置のこと)なる二一世紀の技術なのだが、
このあたり、人格の復元をめぐる「科学的」根拠が示されていてとても面白かった。

 ──情報(DNAとか神話とか福音とか)による物質の生成あるいは物質の情報
への変換による世界創造(「情報神学」もしくは言語[ロゴス]=物質論?)と、
電流現象としての意識あるいは電子的自己による世界認識(「神経哲学」もしくは
独我論的自由意思論?)。

 余談ついでに悪乗りすると、『ループ』には、無文字の北米インディアン社会に
おいて口承民話が果たす機能への意味ありげな言及──「人格」の保存と伝達と再
生(すなわち輪廻転生?)のための究極のソフトウエアとしての「物語」──とか、
現実世界がさらなる高次世界(可能世界)に包摂されていることの示唆とか、まだ
まだ発掘すべき(「遊ぶ」べき)要素がふんだんにちりばめられている。

●195●瀬名秀明『ブレイン・ヴァレー』(角川書店)

 本書にとても印象的な記述があった。──コンピュータの中の人工生命のプログ
ラムに準えることができるものが本物の脳にもあるとすれば、それこそが「神」な
のではないか。つまり、「神」とはヒトの脳の中で生まれるデジタル生命なのでは
ないかというのだ。

《そうだ、「神」をひとつの生命体であると仮定した場合、何が考えられる? こ
れまで「リアルな生命体」は地球上で何十億年という時間をかけて試行錯誤を繰り
返し、多様性を獲得し、進化してきた。その先端に、いま我々は立っている。進化
の積み重ねによって我々は高度な演算能力と大きなメモリを有する「脳」を獲得し
た。そのハードウェアによって我々は「神」という概念を創り上げ、発展させてき
た。おそらくヒト以外の動物は「神」という概念を持っていないだろう。すなわち
「神」という概念は、脳の進化にあわせて作り上げられてきたものだ。「神」にと
って、ヒトの脳とは己の棲息する環境であり、また己を保持しておく宿主に他なら
ない。
 だが、「神」がもし生命体であるとするならば、「神」もまた増殖し、子孫を残
すはずだ。「神」がコピーを増やすにはどうすればいい? それは何を意味する?
 ──信者を増やすことだ。》(下巻335-6頁)

《我々ヒトが「神」を創り出した。常識的にはそう結論づけることができる。だが
真実は逆であるとしたら? 「神」は己のリアルを獲得するため、リアルな「神」
を考えることのできる優れた脳を欲した。そしてそれを世に出現させるべく、膨大
な時間を費やして生物を進化させ、脳をアップグレードさせてきたのではないか?
 つまり、これまで生まれてきた全ての生物は、「神のリアル」を創るという大目
的のために利用されてきた駒に過ぎないのではないか?
 ヒトが「神」を必要としたのではない。「神」がヒトを必要としたのだ。
 ──「神」が生まれるためにヒトは創られた。》(同344-5頁)

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