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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.59 (2001/07/22)
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 □ 村上龍『オーディション』
 □ 村上龍『トパーズ』
 □ 村上龍『ライン』
 □ 村上龍『THE MASK CLUB』
 □ 村上龍『イン ザ・ミソスープ』
 □ 村上龍『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』
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●146●村上龍『オーディション』(幻冬舎文庫,原著:1997年6月刊行)

 久しぶりに村上龍の小説を読んで、村上龍はこれほど巧い小説家だったのかと今
更ながら感嘆した。12章構成の9章前半までは完璧に作者の手玉に取られて、とい
うか山崎麻美の怖いまでの「魅力」に感応して、よくできた恋愛小説を読んでいる
ように引き込まれてしまった。

 「からだを流れる血液が蜂蜜になってしまったかのような甘い高揚感」など、こ
れだけを取り出して素で読むとばかばかしくて恥ずかしくなる表現なのだけれど、
これがまたシチュエーションにうまくはまるのだから御しがたい。

 「解説──男と女、怖い関係」で斎藤学氏が「声は人格の一部で、人格の変化を
最も敏感に反映する」と書いていて、この作品で村上龍はそこを確りと見ていると
指摘していたが、山崎麻美の声と、それから匂いの描写が実に効果的だったと思う。

《そこはヌルヌルしていて、熱く、山崎麻美は、それまで聞いたことのないような
金属的な声を出した。錆びついた歯車がふいに回転を始めたような、硬く、低い声
だった。》

 ここから始まる9章後半以降の転調、とくに11章から先の叙述は、怖いといえば
怖いけれど、山崎麻美に左足を切り取られた青山重治の16歳の息子、重彦の、何と
いうかリアルなものにちゃんと向き合って生きている「健康さ」のようなものが妄
想じみた作品世界に闖入して一気にけりをつけるラスト以外、いまひとつ違和感を
ぬぐえなかった。

●147●村上龍『トパーズ』(角川文庫,原著:1988年10月刊行)

 村上龍の「トパーズ系」の作品にはこれまで関心がなかった。というより『トパ
ーズ』の前年、1987年に刊行された『69』や『愛と幻想のファシズム』を堪能し
て以来、村上龍の作品をほとんど読まなくなっていた。

(いま記憶に残っているのは、1989年の『ラッフルズホテル』と1991年の『超伝導
ナイトクラブ』がまったく面白くなくて興味を失い、それから1992年の『長崎オラ
ンダ村』と1994年の『五分後の世界』でやや息を吹き返し、2000年の『希望の国の
エクソダス』でようやく回復の兆しが見えたこと。)

 本書を読み終えて、「公園」だとか「紋白蝶」だとか「バス」だとか、いくつか
気に入ったり気になったりした短編をめぐって何か気の利いた評言など捻り出そう
とする魂胆が嫌になったので、本作から十年後、1998年8月に刊行された『ライン』
のあとがきの一部を抜き書きしておく。

(それにしても、村上龍は自著解説というか自註風のあとがきをよく書いていて、
いずれもそれなりに面白い。「まえがき」ではなくて「あとがき」なのが何よりも
面白い。あれ、俺、こんな小説を書いてしまったよ。これって、何なんだ?

 「トパーズ系の作品群の集大成」と謳い文句にある『THE MASK CLUB』をめぐる
『ダ・ヴィンチ』2001年8月号でのインタビューでも、村上龍は自作について精力
的に語っていて、とても面白かった。『THE MASK CLUB』でも、もちろんあとがき
が書かれていて、この小説のモチーフの一つに「男性のライフスタイル」がある、
と書いてあった。村上龍はほんとうに自作について考え、語る作家なのだ。)

《八〇年代に『トパーズ』という短編集を書いたとき、登場するSM風俗嬢たちは
日本的共同体の中で特殊な人間たちだった。SMという演劇的な性のゲームに自分
のからだを提供することで、彼女たちは社会から個として露になろうとしていたの
ではないかと思う。つまり、近代の物語・個人史を、テーマではなく背景としたと
いう点で、わたしにとってこの小説は新しい。

 この数年、幼児虐待や殺人・自殺願望、ボディピアスや援助交際といったネガテ
ィブなモチーフで小説を書いてきて、この『ライン』に到達したような気がする。

 『トパーズ』のSM風俗嬢たちが抱えていた精神的な空洞は、今やごく当たり前
のものとしてあらゆる社会的階層に見られるものである。そのような人々は言葉を
持っていない。近代化を終えた現代の日本を被う寂しさは有史以来初めてのもので、
今までの言葉と文脈では表現できないのだ。そこかに閉じ込められているような閉
塞感と、社会と自分自身を切り裂きたいという切実な思いが交錯して空回りしてい
る。

 そのような時代にはドキュメンタリーは有効ではない。また、近代化が終わった
のだから、近代文学も滅びるべきだと思う。文学は言葉を持たない人々の上に君臨
するものではないが、彼らの空洞をただなぞるものでもない。文学は想像力を駆使
し、物語の構造を借りて、彼らの言葉を翻訳する。》(『ライン』あとがき)

●148●村上龍『ライン』(幻冬舎:1998.8)

 カンディンスキーの絵やワグナーの音楽を好み、電気信号を解凍するソフトを内
蔵していて、見えるはずのない映像を見、聞こえるはずのない音を聞くユウコを中
継点にして、18人の人物の姓や名を章名にもつ20の短い文章が数珠繋ぎにされた連
作小説(と、言っていいのだろうか)。

《おいソノダ気が狂ったふりをしていると本当に気が変になるんだぜ知ってか……
ソノダおれはこの世の中の人間みんなが仮面をつけて生きていると思っているんだ
がおまえはどう思うかな……シリコンとかそういうやつで、それをつけているとい
うことがわからないくらい顔にフィットしてしまう透明な仮面……》(159-160頁)

●149●村上龍『THE MASK CLUB』(メディアファクトリー:2001.7)

 『ダ・ヴィンチ』2001年8月号でのインタビューで、村上龍は「フィクションと
いうのは、ある程度、現代科学の知識を前提にしないと作品として成立しません」
と語っている。

 臓器生物学、情報理論、コミュニケーション論、臨床心理学の情報が小説の中に
ふんだんに盛り込まれている、と取材者は記事に書いていて、村上龍自身は、「7
人の女性の一人が自分のトラウマを告白するシーン」を書く前にジェームス・ギブ
ソンの『生態学的視覚論』を読んだと述べている。

《記憶や意識は物質だ》(87頁)

《お前が今いるのはたぶんニューロンの端だ。電気信号の流れに接触しようとして
いる。そこにいろ。脳まで一瞬だ。お前は今、電子の特急に乗ろうとしているんだ
よ》(94頁)

●150●村上龍『イン ザ・ミソスープ』(冬幻舎文庫,原著:1997年10月刊行)

 河合隼雄の解説がすべてを語っている。強いて言えば、「巨大なミソスープの中
に、今ぼくは混じっている、だから、満足だ」とフランクが最後に語るとき、そこ
で言われる「ミソスープ」は日本的な「ぬるま湯」の象徴というよりは、むしろ「
脳味噌」という語彙が連想させるものを思うべきではないか。

《…人間は想像する、あらゆる動物のなかで、想像力、を持っているのは人間だけ
だ、…危機を回避して生き延びていくためには、予測、表現、伝達、確認、などが
絶対に必要で、それを支えるのは想像力だ…》(262頁)

《…人を殺すとき、どれほど緊張してどれほど集中が必要かケンジにはわからない、
極度に研ぎ澄まされる、そいつが発している信号がわかる、信号は、脳を巡る血流
からくる、退化している人間は脳を巡る血流がものすごく弱い、殺してくれという
信号を無意識に発しているんだ…》(292頁)

●151●村上龍『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』
                   (集英社文庫,原著:1996年12月刊行)

 名作『69』の続編。ヤザキケンとアオキミチコが23年ぶりに再会して、長崎ハ
ウステンボスのレストランでディナーを三度共にする。これはたぶん、絶対に書い
てはいけない類の作品だと思う。「読み進むのが哀しかった」という村山由佳の解
説は、おそらくそういうことを言っている。

《中学時代は違う、中学の頃の思い出はまるで別の惑星で起こったことのように、
新鮮で、完結している。中年男となってアオキミチコに電話してもその輝きのよう
なものは決して再現されない。高校時代のように、抽象化もできない。絶対に研磨
を許さない宝石の原石のようなものだ。私は中学時代が好きだ。/恐らく、あの時
期に、すべての本質的なことが既に起こっていて、今それを変えることなどできな
いのである。》(75-76頁)

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