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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.54 (2001/06/03)
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 □ 清水哲郎『パウロの言語哲学』
 □ 山本七平『小林秀雄の流儀』
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「目下のお仕事は?」と問われて「経済学の勉強」と答えても、「おまえの柄から
すれば、お門違いもはなはだしい」などと誰も言わないだろうし、そもそもそのよ
うに思われる「柄」が私にあるわけではない。──以上は、ジョルジュ・バタイユ
『呪われた部分』の書き出しの文章を参照。冒頭から、いきなりの蛇足でした。

短期集中的な「経済学の勉強」のなかで、ちょと面白い指摘を見つけたので紹介し
ます。ベルナール・リエター「地域通貨、21世紀の新たなツール」(森野栄一訳,
『自由経済研究』第14号)に、「マイナス利子」をめぐる歴史的先例として、次の
二つの事例が挙げられていました。

古代エジプト。凶作に備えての食料備蓄に貢献した農業者は、納めた穀物量と引き
渡し日の碑文が焼き込まれた陶片を受け取る。この陶片(受領証明書)にはタイム
・チャージがあった。たとえば、6か月後に小麦10袋を表象する陶片を買い戻そう
とすると、9袋しか受け取れない。この滞り料は、倉庫の保守費用や食害によって
失われる量を反映している。

したがって、エジプトの農業者はけっしてこうした通貨を保藏しようとせず、土地
改良や灌漑設備といった困難なく扱えるものに投資した。この通貨はエジプトで千
年以上にわたって使用された。その後、正の利子率をもった「現代的」なローマの
通貨システムが一般化するとともに、古代世界の穀倉地帯をなしたエジプトは「発
展途上の」国家となってしまった。

西欧中世。1150年からおよそ1300年まで、ヨーロッパは例外的な繁栄期にあった。
この時期は貨幣改鋳の通貨システム(brakteaten monetary system)が存在した時
期と一致する。このシステムのもとでは、領主が発行した銀貨は平均6か月から8
か月で回収され、この期間の1か月につきおよそ2%から3%の額になるデマレー
ジ率だけ、少し薄くして再発行された。それゆえ人々は自ずから、ほぼ永久的に持
続するであろうもの、たとえばカテドラル(大聖堂)に投資することになった。

《経済的視点からみると、カテドラルは将来に対する投資としての意味をもってい
る。キリスト教世界すべての巡礼者を惹きつけるため、都市の間ですさまじい競争
が存在し、今日ならちょうどウォルト・ディズニー社がしているように、競ってカ
テドラルへの投資が行われたのである。もちろん、その違いは、カテドラルのほう
が信仰のシンボルでもあり、数千人の名も知られぬ職人たちの傑作であり、永遠の
美を表すものとして設計されたことにある。西欧史において、コミュニティの連帯
性のもっとも巨大な象徴としてカテドラルは開花したが、改鋳貨幣のシステムが国
王の貨幣創造の独占に置き換えられるや、それと同時に姿を消したのであった。》

古代エジプトも面白いのですが(あるのかどうか解らないけれど、死後の世界をめ
ぐるエジプト的観念が、ギリシャ哲学と西欧宗教思想に与えた影響や通貨システム
との関係など、ある本に「アラビア貨幣経済が、今日の経済感覚の源流である」と
書いてあったこととあわせて、ここ数年、私の尽きせぬ関心の的)、ここでは後者、
大聖堂時代の西欧中世の話題に少しだけリンクを張っておくことにします。

といっても、行きて還らぬスリリングな知的探検へ向けた旅程表をしつらえるため
などではなく、関心が赴くままの漠然とした漂流から帰還するため、あらかじめ到
達点に投錨しておくといった臆病な所為にすぎません。──個人的な関心から、い
ま一本の補助線を引いておくとすれば、古代エジプトと西欧中世の間には、ヘレニ
ズム期のグノーシス主義とイエスの復活という出来事が介在しています。(さらに、
蜘蛛の糸ならぬ蛇の足を加えれば、エリック・スティーブン・レイモンドの『伽藍
とバザール』が西欧中世とイスラムの関係を示唆しているように思えてくるし、ケ
ン・フォレットの『大聖堂』の圧倒的な読後感が想起されるのですが、これらはま
た別の話題です。)

まず、カテドラル(大聖堂)は楽器、それもピラミッドとともに地上最大級の霊的
楽器であるという話題から。──私は、建築物は楽器である、と考えています。建
築物がその内部や外部にかたちづくる空間は、音が宿り、生まれ、増幅し、通いあ
い、響きあう場として機能する。そして、建築物に宿る音は、非‐人間的な霊性や
神性そのものなのではないか。それは、ギリシャ語のプネウマ(息)や、ヘブライ
語のルーアハ(風)に相当するものなのではないか。建築物とは、そうした「音的
存在」(形而上の存在)を捕獲し、培養し、顕現させる霊的器、霊的コミュニケー
ションの媒体として機能してきたのではなかったか。

唐突ながら、ここでいう「霊的コミュニケーション」をめぐって、私の霊感ならぬ
直感は、かのパウロを想起させます。「肉体の棘」(コリント人への第二の手紙)、
つまりエゼキエルやドストエフスキー、ゴッホと同じ「癲癇」持ちのパウロ。──
以下、二つばかり、註釈ぬきの素材(後の考察のための?)を羅列しておくことに
します。

その一。「フィリピ人への手紙」に、イエスを「聴き従う者」と表現する節が出て
きました。そして、「パウロは、神から人への語りかけとして言葉をとらえ、人が
それをどのような姿勢で聴く、ないしは受容すべきかという場において論じている」
とは、『パウロの言語哲学』(まえがき)での清水哲朗氏の言葉。神の語りかけに
耳をすますことと信じることとの関係は、「祈り」の不可思議さともども、どこか
しら深甚なものがある。[*]

その二。パウロのアテネ演説(「使徒行伝」)に、ギリシャ人の神は「何かを欠い
ている(欲しがっている)」というくだりが出てきます。清水氏は前掲書で、その
ようなものとして神をとらえる人間の目論見を「取引き」する姿勢と呼び、ここで
のパウロのギリシャ的宗教批判の核心は、「取引き」しようとする態度に向けられ
ていると書いています。

《パウロは取引きという姿勢を否定し、続いて、それに代わるものとして神を探求
するという姿勢を提示している…。(略)取引きというのも人格間のコミュニケー
ションのあり方の一つである。パウロはこのようなコミュニケーションは神と人と
の間では成り立たないとして否定した。(略)…現実はコミュニケーションが成立
していない状況にあること、したがって神とのコミュニケーションを拓こうと求め
ることこそがまずなされねばならないといっているのである。探求とは神と出会う
こと、つまり私の言い方では神とのコミュニケーションを開始することを求める道
行きにほかならない。》(212頁)

ここで私が想起しているのは、今村仁司氏が『交易する人間』で、「人と人との関
係(相互行為または交易)は、必ず、神々と人間の関係によって媒介される」と書
いていたこと、あるいは、中沢新一氏が「新贈与論序説」(『純粋な自然の贈与』
所収)で、「キリスト教教理という形で、ヨーロッパが確立しようとしたのは、イ
エスの十字架上の死を、神にたいして人類がおこなった供犠とみなすことによって、
社会の深層に、壮大な贈与の精神をセットすることにあった」と書いていたことな
のですが、それにしても、前口上が不当に長くなってしまったし、このままだとま
すますカテドラルから離れていきそうなので、この続き(と言えるかどうか)は次
回へ引き継ぎます。

* 山内志朗氏の『天使の記号学』から、「祈りの言葉」をめぐる若干の抜き書き。

《…言葉が出来事としてあったことは、中世においては、しかも〈声の文化〉の影
響を残している中世においては、当然のことだ。言葉のもつ出来事・力としての側
面、しかも神の言葉ではなく、人間の言葉にそれらの側面が見出されるとした場合、
ここで考えられるものの一つが「祈り」ということだ。もし祈りが神へのコミュニ
ケーションとしてあるならば、祈りを声に出す必要はない。神は祈るものの心の内
をすべて知っているからだ。(略)しかし、祈りはコミュニケーションではない。
これが中世における標準的理解である。祈りとは行為なのであり、しかも自己へと
帰ることによって、神に至る行為なのだ。そこでは言葉に発するということが大き
な意味を持っている。》(26-27頁)

《「これは私の肉である」という言葉によって、パンが性質の上での変化を伴わな
いで、実体においてキリストの肉に変質するという議論は、…言葉に内在する力を
強調する発想として、言葉を考える場合の原点におかれねばならないことだ。言葉
とは、心の内で懐胎されたものの受肉した姿である以上、聖餐における実体変化
(transsubstantiatio)との連関は当然のことだ。(略)中世が、身ぶりにおいて
も言葉においても儀式の秩序においても、形式的で定型的であったのは、心の姿は、
具体的な「形」を持ったもの──音声もそこに含まれる──に転じる過程で徐々に
現象することを前提していたからだと思われる。「形相・形は事物に存在を与える
(Forma dat esse rei.)」という中世の格率は、形相(forma)が、予め存在する
事物の原型・範型の側面(「かたち」)と、目や耳や触覚といった感覚が把握する
「形(forma)」の両側面を有していたこと、しかもその場合、形相は初めにあっ
てしかも最後に登場するものであること、つまり、渾然としたものが明確なものと
なる過程を表すものと理解することができる。そして、このような現象する過程を
担う力が意志であるし、また意志であると理解されていたと私は思う。》(28-30頁)
 

●133●清水哲郎『パウロの言語哲学』(双書現代の哲学・岩波書店:2001.2)

 書名は二重の意味をもっている。パウロによる言語哲学と、パウロの言葉の意味
への著者による言語論的なアプローチ。そしてこのダブル・ミーニングは、「イエ
スの信=ピスティス・イェースゥ」というロマ書の語句が、「イエスに対するピス
ティス」ではなく「イエス自身においてあったピスティス」を意味する表現であっ
たこと、したがって、パウロは「イエス・キリストを信じる信仰などというユダヤ
教の枠を越えた思想を抱いていたわけではなかった」と結論づける導入部とパラレ
リズム(並行法)をなしている。秀逸。

 本書で面白かったのは、第4章「イエスは何者か」での「プシューケー」=「土
でできたもの+神の息吹(プネウマ)」=「身」をめぐる議論や、第5章「復活と
終末」と第7章「アテネのパウロとギリシア哲学」での次の記述。

《もし死に際して霊といったものが遊離し、それがどこかで生き続けるというなら
ば、それが天国に行くというような至福の在り方をすればそれでいいのであって、
復活は必要ないことになろう。だがパウロの背景にある死は人は死んでネクロス[
死体・死者]状態に置かれるというものであった。そうであれば、ここでは「霊」
と「肉」の意味は規定できなくなる。パウロ的に規定し直すためには、復活をも視
野に入れた上で、死に際して身体から分離し、従って死後も生き続けるものとして
ではなく、復活以後の人の在り方として「霊」を決め、これに対応して、死以前の
人の在り方を「肉」とする外ないであろう。このようにしてパウロは霊肉二元論的
用語を換骨奪胎して自家薬籠中のものとしたと私は考える。》(156-157頁)

《…アテネにおけるパウロの活動についての使徒行伝の記述は、日頃中世哲学を専
門分野とする私にとって〈中世哲学〉という一つの探求ないしディスカッションの
流れの源の検討という意義を持つ。アテネにおけるパウロの演説こそが、少なくと
もその後のギリシア教父のしていることの、さらには中世哲学という営みの枠を決
めることになった、と私には思えるからである。(略)中世哲学に多大な影響を与
えた五世紀の或る文書群が、パウロの演説を聞いて従った少数の者として名が挙げ
られた、アレオパゴスのディオニュシオスに擬して記されたものだったということ
が、このことを象徴的に表している。》(205頁,224頁)

●134●山本七平『小林秀雄の流儀』(新潮文庫:2001.5/1986)

 小林秀雄はドストエフスキーという目標を、三つの線が交合する点で捉えようと
している。──山本七平は本書に収められた「小林秀雄とラスコーリニコフ」で、
帝国陸軍最新の「光学兵器」であった軽地上標定機をもちだして、小林はこの装置
を据える大体の位置は知っていた、と書いている。「どこかって、そいつはまずプ
ネウマティコンとプシュキコンとサルキコンの三点のはずだ」。

 ここに出てくる「サルキコン」を「肉・肉欲的」と訳し、「プシュキコン」を「
肉体をもつ人格的霊魂的存在」の意味にとれば、一応は理解できる。だが「プネウ
マティコン」(神からの風)を「霊・神に属する者」と訳したとて、それがどんな
ものか、日本人には理解できない。「精神と肉体」とか「霊と肉」といった言葉を
ごく普通に使い、しかもこの「精神」や「霊」を「良心と理性の座」だと信じて疑
わず、だから人間に「罪」(良心に反すること)を犯さすものは「肉の欲望」だと
簡単に考えているからだ。

 ラスコーリニコフは「罪」を犯していない、従って「罰」はない、と小林は繰り
返し言っている。しかし「最も良心的な個人全体主義」(山本の造語)を奉ずる者
には、このことが理解できない。「個人全体主義、そこにあるのはプシュキコンの
自問自答だけ」だからである。ある特定の対象へのプシュキコンの預託によって、
自問自答の世界(他が一切ない全体主義の世界)は拡大する。それこそが『悪霊』
のテーマである。

《プシュキコンの預託はプネウマティコンとは関係がない。だが預託した先からの
影響…を人は天からの啓示いわばプネウマティコンと間違える。この間違いを思い
知らされるのは、本物のプネウマティコンが来たときだ。それを否応なく経験させ
られたのが使徒パウロであろう。(略)一体、「神からの風」[プネウマティコン]
が来るとはどういう心理状態なのか。それは確実に来た。来たがゆえにラスコーリ
ニコフがムイシュキンになるという考えられないことが起こったのだ。そしてムイ
シュキンこそ、ラスコーリニコフの、シベリア以後の物語であることを、小林秀雄
は明確に指摘している。ではこの「別人格への転回」はどのようにして起こったの
か。そしてこの転回が、パウロのいう「自分のために生きないで……復活した者の
ために生きる」ということなのか。》(148-151頁)

 付録。小林秀雄特集を組んだ『ユリイカ』2001年6月号に、宇野邦一、山城むつ
み両氏の対談「小林秀雄、その可能性の中心」が掲載されている。「フシギなこと
ですが、キリストが問題になってくると書けなくなってしまう小林がいる」と語る
山城は、ラカンがいう「フロイト的なもの」と「日本的なもの」との対置を『本居
宣長』の『新潮』連載稿に読み取ることで、63年以降の小林の可能性や限界を見る
ことができるのではないかと言う。面白い。

 「非常に共有していることは多いのに、ベルグソン主義者としての小林とドゥル
ーズの違いは一体何なのか」と問う宇野は、「小林秀雄はドストエフスキーについ
て、電磁場の中にある人間のヴィジョンと言い、一つ一つの粒子、一つ一つの実体
などない世界である、そういう見方をドストエフスキー論の結論で言うわけです」
と述べている。どの作品のことを言っているのだろう。

 同誌にはまた、小林秀雄と坂口安吾の対談「伝統と反逆」(昭和23年8月。つま
り「教祖の文学」以後)が掲載されていて、これもとても面白かった。「新しいモ
デルがなければ、新しい技術を磨くことが出来ない。新しい技術がなければ新しい
思想も出て来ない。思想と技術を離すのは観念論者にまかせて置く」。「信仰する
か、創るか、どちらかだ──それが大問題だ」。これらはいずれも小林秀雄の発言。
そのほか、骨董の世界は公定価格(標準)のない世界だという坂口安吾の指摘が妙
に印象に残った。

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