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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.53 (2001/05/07)
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 □ 神野直彦『「希望の島」への改革』
 □ ジェイン・ジェイコブズ『経済の本質』
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先夜、日本テレビ制作の近未来スペシャル「ボクらの希望を探す旅」(2001年5月
6日放映)を観ていて、番組そのものはかなり欲求不満が残るものだったのですが、
夢を取るか、お金を取るかというテーマでの議論がとても面白いものでした。

といっても、中身はあまりよく覚えていなくて、結局、中学校でもお金の授業をや
るべきだという主張に、多くの子供達が賛同していたのが印象に残りました。──
いろいろ発展させるつもりだったのが、面倒になってしまったので、この話題はこ
れまで。「魂の経済学」への序走、というより経済学の練習、その四。(たぶん、
これで最終回。)
 

●131●神野直彦『「希望の島」への改革 分権型社会をつくる』
                        (NHKブックス:2001.1)

 盟友金子勝氏の『日本再生論』に続き、深い絶望の淵から渾身の力を振り絞って、
「若い世代」への思いを託した著者最後のメッセージ(?)とも思える著書が刊行
された。

 ──タイトルの由来は村上龍の『エクソダス』なのか(金子氏の著書が村上龍の
作品への言及から始まっていたように)と思っていたら、1930年代のスウェーデン
を『ロンドン・エコノミスト』が「絶望の海に浮かぶ希望の島」と賛美したことを
踏まえているという。

《「総体としての社会」は、家族、コミュニティなどの社会システムと、そこで営
まれる人間の生活のために存在する政治システムと経済システムから構成されてい
る。人間のために政治と経済学があり、政治と経済のために人間があるわけではな
い。(中略)「強者の論理」を賛美する市場市場主義は、単なる集団的信仰にすぎ
ない。この集団的信仰の催眠状態から目覚め、人間の、人間による、人間のための
「協力社会」を創出しなければ、人類の社会に明日はない。そのために必要なこと
は、人間の手が届き、目に見える距離に公共空間を創り出すことである。》(206-
207頁)

 この、ほとんど本書のエッセンスともいえる文章を読んで、無条件に賛同するく
らいなら、むしろ「甘い」と断ずる方がましだ。

 財政学者たる著者の、実証的な歴史認識と優れた理論的考察(たとえば、政府は
「共同体の失敗」から誕生したのであって「市場の失敗」からではない、等々)に
裏打ちされた政策思考や、そこから紡ぎ出された分権型社会への税制改革論と政府
体系の再編論を抜きにして、結論だけを取り出してみたところで、それは(著者自
身の言葉でいえば)「ロマン」にすぎないだろう。

 「どんなに嘲笑されようとも、どんなに愚弄されようとも、私には人間の「愛と
やさしさ」を見続ける使命がある」。このような言葉が刻まれた経済学の書を、私
は、たぶん初めて目にした。

●132●ジェイン・ジェイコブズ『経済の本質 自然から学ぶ』
            (香西泰・植木直子訳,日本経済新聞社:2001.4/2000)

 ジェイン・ジェイコブズの「高名」はかねてから耳に(いや、目に)していたが、
著書に接するのは本書が初めて。新潮クレスト・ブックスにジョン・L・キャステ
ィの『ケンブリッジ・クインテット』が収録されていたように、五人のかなり年配
の男女の対話で編まれた本書は文芸書として刊行されてもおかしくない第一級の香
気を醸し出している。

 訳者はあとがきで、「八十歳を超える著者の探究心のみずみずしさ」に感嘆して
いる。経済学にも生物学・生態学にも精通していない私は、本書で紹介され議論さ
れている着想や概念や創見のすべてに感嘆し啓蒙された。

 経済発展(質的変化)の本質を、「動物、植物、三角州、法律や修理した靴底」
等々に共通する「発展」の基本過程・普遍的法則──「一般から発生する分化」「
分化したものが一般的なものとなり、その一般的なものからさらなる分化が起こる」
「発展は共発展(co-development)による」──でもって示す第2章。

 経済成長(量的拡大)の本質をめぐって、熱帯雨林におけるバイオマスの拡大と
種の多様性が、生態系(エネルギーが通過していく導管)の中に受け入れた太陽エ
ネルギーの複合的利用によることを踏まえ、「経済拡大についてのエネルギー・フ
ロー仮説」を提唱する第3章。(下記「付録」参照)

 こうした「分化と結合による発展と再発展」や「エネルギーの多様かつ多角的な
利用による拡大」に「活力自己再補給による自己保全」(第4章)を加えた、経済
と生態系に共通な三つの過程の分析を経て、これらのシステムの動的安定性(絶え
ざる自己修正)を支える四つの手段──分岐(発展、技術革新)、ポジティブ・フ
ィードバック(分岐と多様性が出現する構造・背景)、ネガティブ・フィードバッ
ク、そして緊急適応──を論じ、「経済的悪循環は経済的・政治的中毒だ。それを
絶つには、現状の持続ではなく、分岐に拠るのがいちばん効果的だ」と処方箋を示
す第5章。

 そして、経済生活と生息地維持との間のつながりをめぐって、「進化の過程で人
類に授けられた抑止力」──美的鑑賞、報復への恐れ、畏敬、説得力、修繕工夫す
るくせ、加えて道徳感覚?──を提示する第6章。

 さらに、人間と自然とのつながりをめぐって、「意識の神秘」(どうして心は、
心が外部に存在するかのように心を観察できるのだろう?)にまで説き及び、「真
の経済学」は「超自然的でない経済学と人間ぎらいでない生態学の共生」から可能
になるのかもしれないと示唆し、経済と言語の共通性──「予測できないように自
己を形成すること」「文化や目的を実現するための多くの用途を発展させること」
──を論じる第7章。

 いま駆け足でキーワードを抜き出してみたが、本書の豊穣さと深甚さはとても要
約できない。──その他、「貨幣はネガティブ・フィードバックの媒体だ」とか「
国際貿易における一国通貨のフィードバックは小国の数が増えているので改善され
る可能性がある」など、貨幣論にとっても有益な指摘がいくつかあった。

 備忘録。本書のタイトルをめぐって。ジェイコブズは、アダム・スミスによる“
見えざる手”(財の価格と賃金率をフィードバック情報とするネガティブな経済フ
ィードバック制御)の発見が経済学を科学的研究の最前線に立たせたのであり、初
期の生態学者が自分たちの発見を説明するのに経済学を頼りとしたのは不思議では
ないと書いている(131-132頁)。

 また、経済と自然、経済学と生態学の関係をめぐって、本書に登場するある人物
(製品や製法の開発を自然から学ぶ「生物模倣法 biomimicry」を採用する科学者
相手のコンサルタント)に次のように語らせている。

《モノに焦点を合わせるのをやめて、モノを生み出す過程(プロセス)に注意を振
り向けると、経済と自然との区別ははっきりしなくなる。これは新しいアイデアで
はない。初期の生態学者がすぐにも見てとったことなのだが──(中略)彼らのつ
くった新しい言葉[創始者ヘッケルによって「自然の経済」を研究する学と定義さ
れた ecology=oikos+logos のこと。ちなみに、oikos はギリシャ語で「家」の
こと。これに「管理」を意味する nomy を組み合わせると economy になる。:引
用者註]の音韻を聞くだけでも、それが経済と双子の関係であることは明らかだ。
文字の意味はともかく、それが彼らの主張の眼目だった。彼らは自然の経済 the
economy of nature を研究した。私は経済の自然(本質) the nature of economy
を研究している。》(12-13頁)

 付録。「エネルギー・フロー仮説」について。ジィコブズはまず、「経済発展は
自然発展の別の形態である」という。経済成長は自然が用いているのと同じ普遍的
法則を用いている、というのだ(39頁)。

 たとえば、熱帯雨林におけるバイオマスの拡大と種の多様性は、森林が、「エネ
ルギーが通過していく導管」としての自らの生態系の中に受け入れた太陽エネルギ
ーを複合的に利用することによってもたらされる。

《エネルギーを複合的に利用するには、多様な、相互に依存し合うエネルギー利用
者が存在しなければならない。その原則はつぎのように言いあらわすことができる。
『拡大は過渡的エネルギーの取り込みと利用に依存する。エネルギーがシステムか
ら放出される前に、システムがエネルギーを繰り返し取り込み、利用し、回し合う
手段を多くもっていればいるだけ、システムが受け入れるエネルギーの累積的効果
が大きくなる』。》(58-59頁)

 これと同じ原則が、都市や地域という「導管」においても見られる。

《生態系にあっては、導管においてなされる本質的な貢献は多様な生物学的活動に
よってつくりだされる。繁栄する経済においても、導管の中でなされる本質的な貢
献は多様な経済活動によって生み出される。どちらのシステムにおいても、受け入
れられたエネルギーが多様に利用され、断片化され、再利用されるおかげで、その
エネルギーと物質は導管通過の証拠を多く残す。(中略)われわれは、集団それ自
体が豊かにした環境の中でその集団が豊かになっていくのはなぜか、どうしてかを、
いまや理解できるわけだ。集団が存在すること自体によって自らを豊かにする──
これは手品みたいに思える。》(73-74頁)

 ジェイコブズの「経済拡大についてのエネルギー・フロー仮説」は、「多様性が
経済の拡大を生む」と言い換えることができるだろう。そこには、「多様な集団は、
それが受け入れたエネルギーの多様な利用や再利用によってつくりだした豊かな環
境内で、拡大を遂げる」という、生態系と地域経済の両者に適用できる原則が働い
ているのである(77頁)。

 これに対して、単一作柄農場や単一の大製造業に依存する企業城下町のような「
単純な地域経済」(単純で直接的なエネルギー導管をもった地域経済)には、「経
済を拡大させる機構としての潜在能力」が欠けている。古い「規模の経済」ではな
く、分散された生産としての地方的生産、すなわち新しい「地域の経済」こそが多
様性をもたらすのである(100頁,207頁)。

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