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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.48 (2001/04/22)
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 □ 宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』
 □ 『小林秀雄 百年のヒント』
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あいかわらずスランプから抜け出せません。絶不調です。本もちゃんと読めないし、
考えがまとまらない、というより考えるのが億劫で、だから文章も書けない。少し
時間ができると、ビデオと漫画ばかり眺めて過ごしている。たとえば、かわぐちか
いじの『ジパング』とか『沈黙の艦隊』、岡野玲子『陰陽師』とか、それからタイ
トルが思い出せないハリウッド映画の数々。
 

●115●宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社,2001.4)

 冬弓舎[http://thought.ne.jp]から出ている『ポリロゴス』の第3号がドゥル
ーズ、デリダ、レヴィナスの「三人組」を特集するそうで、読者の論文を公募して
いる。これに応じて何か書いてみようとあれこれ策を練り、とりあえず「ドゥルー
ズ流」というタイトルで何か断章集のようなものを書くとまでは決めたものの、肝
心のドゥルーズの本が全然読めない怠惰な数箇月を過ごしていた。書店で本書をみ
つけタイトルを一瞥して「やられた」と妙に焦ったけれど、ちゃんと読み直すと「
ドゥルーズ流」ではなくて「ドゥルーズ 流動の哲学」だったので妙に安心した。

 ベルクソニスムにおける「潜在的なもの」と「可能的なもの」(現実化されたも
のの方からの事後的な投射)との相違を踏まえ、「ドゥルーズの哲学の全体が、潜
在性の哲学といってもいいくらいだ」(36頁)と述べる第一章「ある哲学の始まり
」。新しい『資本論』を書くことをひとつの目標とした『アンチ・オイディプス』
をめぐって、クロソフスキー(『生ける貨幣』)を引用しながら「欲望経済学」や
「ただ一つの経済学=唯物論的精神医学」(144頁)について語る第三章「欲望の
哲学」。

 「たぶんドゥルーズが続けてきた哲学的思考そのものに、何か映画的なもの、映画
のイメージに本質的に対応するような何かが含まれていた」(200頁)あるいは「映
画が思考にもたらしためざましい転換は、現実的であると同時に、潜在的である」
(201頁)と、ドゥルーズにおける映画的思考を論じる第五章「映画としての世界」。
そしてエピローグでの次の文章が印象に残った。

《決して彼の哲学は、悲しみ、恨み、隷従によって連帯する集団としての「大衆」
に捧げられているのではない。ドゥルーズが問題にしているのは喜びを原理とし、
決して支配を内面化しない「民衆」なのだ。それは「欠けている」にしても、「民
衆」は幻想ではなく、実在なのだ。この集団は、ドゥルーズが終始問題にした「内
在性」に深くかかわっている。》(253頁)

 ──もちろん「怪物的」な書物『差異と哲学』を取り上げた第二章「世紀はドゥ
ルーズ的なものへ」や『千のプラトー』をめぐる第四章「微粒子の哲学」、そして、
超越ではなく内在を原理とし、形像ではなく概念によって思考する哲学というドゥ
ルーズ最後の関心を論じた第六章「哲学の完成」も面白かった。

●116●『小林秀雄 百年のヒント』(新潮4月臨時増刊:2001.4)

 生誕百年(2002年)を記念した第五次小林秀雄全集全14巻(別巻2)の刊行がい
よいよ始まった。目玉はなんといっても「感想」を収録した別巻1で、高校の頃、
ホームから転落した「教祖」をからかった坂口安吾の文章を読んで以来、そして『
現代思想について』と題された昭和36年の講演を録音したテープ(名人が語る落語
のように面白かった)で、哲学志望の学生に向かって「君、ベルグソンを読みたま
え」と語る小林秀雄の甲高い声を耳にして以来、気になっていた未完結・未刊行の
ベルクソン論(あるいは現代物理学論)がついに読めると期待に胸を膨らませてい
たのだが、配本計画を見ると来年の6月まで待たないといけない。

 その「感想」の冒頭、全56回のうち第12回までが本書に収められている。(宇野
邦一氏が『ドゥルーズ 流動の哲学』の33-34頁で、ドゥルーズがベルクソンの唯物
論的な思索に注目したことと対比させて、ベルクソンのうちに科学や理性を越えた
生命の神秘的原理を見るような読み方がいつも優勢で、それはしばしば没政治的、
没歴史的な観念論と合体したのであって、西田幾多郎や小林秀雄のベルクソン理解
もこのような傾向と無縁ではなかった、と書いている。本当なのだろうか。)

 そのほか三木清との対話「実験的精神」や昭和17年の講演「歴史の魂」も収録さ
れている。いずれもいつか読みたいと思っていたものばかり。本書に収められた対
談での安岡章太郎の言葉、「やはりね、小林さんは、話が、文章よりもいいかもし
れませんね。いいというのは変だけどね、名人意識が出てくるぐらいいいですよね」
と、吉本隆明の談話中の「僕らが一冊の本で書いていることを、五○枚で言いきっ
てしまう人ですから。あの動かすことのできない言葉の使い方は、僕はやれと言わ
れてもできません」が印象的。

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