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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.47 (2001/04/07)
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 □ 中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』
 □ 池田晶子編『2001年哲学の旅』
 □ 松岡正剛『日本数寄』
 □ 福田和也『悪の対話術』
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私は昔から季節の変わり目に弱い。何にも集中できず、根をつめて物事を考え抜く
ということが億劫で仕方なくなる。だから少しでも込み入った文章をじっくりと眺
める辛抱が続かない。必然的に、こういうときは「物語」モードになる。

というわけで、最近はミステリー漬けの毎日です。いま夢中になっているのは、ロ
バート・ゴダードの『永遠に去りぬ』(創元推理文庫)。絶品です。
 

●111●中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社:2001.3)

 これはまえまえから思っていたことなのだが、中沢新一氏には「語り部」の才能
がある。人文系ノンフィクションライター、というか人文系の「読物作家」として
は、得がたい書き手だと思う。(CDジャケットのような意匠をこらした書物、音
楽のような語り。中沢氏にとっては、造本作業こそが「概念創作」の現場なのかも
しれない。)

 本書第一部「種の論理──来るべき哲学」でのドゥルーズを下敷にした田邉哲学
(多様体の哲学)の解読、第二部「「場所」の精神分析」でのフロイト‐ラカンの
精神分析学との対比による西田哲学(欲望の哲学)の読解、第三部「最後の田邉哲
学」でのプラトンの「コーラ」から「絶対無」へと到る西田・田邉の二つの「日本
哲学」の軌跡の叙述。

 それらを、とりわけ第一部を私はとても面白いと思ったし、結構気を入れて読ん
だのだけれど、結局のところ、そこでは何も語られてはいない。一座の者を聞き入
らせるのだが、語り終わると何も残らない純粋な語り。そのねらいが、読者に田邉
元の文章を読んでみたいと思わせることにあるのだとしたら、それは見事に成功し
ている。現に、私はしばらく古本屋通いをした。

 「現代生物学は、いまやプラトンを再発見しつつある」とか、「原腸形成」や「
鏡像段階」をめぐる話題など、本書を読んで印象に残った事柄は多々ある。極め付
きは、やはり「日本哲学」(日本原産の哲学=非哲学あるいは非モダンの哲学)を
めぐる著者独自の議論だろう。その是非、意義を見定める作業はここではしない。
ただ、次の文章を引いておく。

《ホモサピエンスにおける大脳の知的過程が、文化や人種の違いによらない普遍性
を持っていることを、彼らは前提にしている。つまり、諸概念を結びつける「結合
法則」は、どこでも普遍的に妥当することを認めたうえで、おおもとの概念の成り
立ちの違いに、彼らは注目したのである。西欧哲学の場合には、「有」と「同一性
」の概念の、アプリオリな真理性のまわりに、諸概念が組み立てられてきた。「日
本哲学」はその一点だけを否定する。なぜなら、それは東洋文化において「みんな
が知っていること」と違っているからだ。……「日本哲学」と呼ばれるものはこの
「無」と「差異性」の概念だけを土台として、マテーシスの論理を創造しようとし
た。》(339頁)

●112●池田晶子編・著/永沢まこと絵『2001年哲学の旅』(新潮社:2001.3)

 池田晶子ファン必携本。『事象そのものへ!』『考える人』『オン!』『魂を考
える』。ちゃんと読んだり買ったりしたのはこの四冊くらいで、まさか自分が池田
ファンだとは思っていなかったのだけれど、書店で本書を手にしたとたん、瞬発力
でレジに向かっていたのだから、もしかしたら相当な隠れファンだったのかもしれ
ない。

 中欧三カ国やギリシャ、トルコの哲学者ゆかりの地を訪ねる「聖地巡礼紀行」で
の、まるでモデルかタレントのような池田晶子の写真入り文章もなかなかよかった
し、ガダマー、藤澤令夫、永井均の三人の哲学者や、スーパーカミオカンデ(戸塚
洋二)や京大ウィルス研(畑中正一)、国立がんセンターでの科学者へのインタビ
ューも面白かった。とくに、永井均対池田晶子の対談(「なぜ善いことをするのか
〈私〉の論理と「魂」の論理」)は、どうしてこれまで実現しなかったのかと思う
組合せで、読ませる。

●113●松岡正剛『日本数寄』(春秋社:2000.6)

 「日本の意匠」「神仏のいる場所」「数寄と作分」「江戸の人工知能」の四つの
パートに分類された26のエッセイで編集されている。松岡正剛が父のことを語り、
自らの生い立ちを語る。現代の幸田露伴(?)の現時点での到達点が示されている。

 とりわけ、能楽と茶の湯にことよせて日本文化の編集知を語る「能とコンピュー
タ」という文章が面白かった。《大事なポイントは、第一に、言葉の情報構造を多
重に取り出せるしくみが必要だということ、第二に、物語が入れ子型に再生できる
ような構造を設定しておくこと、第三に、「情報のトポス」と「そこでロールプレ
ーをすること」と「知識を得ること」とが互いに相同関係になるように工夫してお
くこと、この三点である》(90頁)

 日本の編集文化の原点には「意味のふくみあい」を成立させている「場の構造」
がひそんでいたのである(283頁)とする「編集文化数寄」や三浦梅園を取り上げた
「江戸の人工知能」も面白かった。

●114●福田和也『悪の対話術』(講談社現代新書:2000.8)

 モラリスト福田和也が語る、社会人ならぬ「社交人」のための方法序説。モラリ
ストとは、いってみれば「人が悪い」類の人種で、たとえば彼は、人間の基本感情
は嫉妬と虚栄心であるなどと喝破する人間通なのである。

 福田氏によると、対話とは「表現出来ない、伝えられない、理解されない、とい
う挫折と錯誤を前提として、なお発話するというタフネスを必要とする行為」なの
であって、何を話題にするか、どう演出するかということについて徹底的で細やか
な検討が必要になる。こうした意識、あるいは作為が人間にとっての悪、つまり「
無垢からの脱出の第一歩」なのである。

《大人であるということは、意識していないこと、意識したくないことについて、
明確な認識をもとうと試みること、そのような意図のもとに、自己と他者と世間を
見つめることです。無自覚であること、自分の立場や位置について認識が甘いとい
うことは、それだけで恥ずかしいことであると銘記する勇気と緊張こそが、大人で
ある証しなのです。》(93頁)
 

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