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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.46 (2001/03/18)
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 □ 永井均氏『〈私〉のメタフィジックス』
 □ 大森荘蔵『時間と存在』
 □ 茂木健一郎『脳とクオリア』
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哲学本千冊斬りのシュミレーション、その四(続・日本編)。最終回です。このメ
ールが届く頃、私は某観光地での最後の日を過ごしていることでしょう。たぶん。
 

●108●永井均氏『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房:1986)

 本書が出版される少し前のこと、京都で関西哲学会(だったと思う)の会合が一
般公開のかたちで開催されると知って、当時、哲学への関心と哲学者(というより
「哲学研究者」)への根拠のない不審感を募らせつつあった私は、哲学者とはそも
そもどういう種類の人間で、彼・彼女らはいったいどのような議論をしているのか、
覗きに出かけたことがある。

 確か「超越論哲学と分析哲学」といったテーマのもと、シンポジウム形式で議論
が展開されていて、そこに永井氏がゲストパネリストとして招かれていた。私の記
憶では、「永井の〈私〉」対「超越論的主観その他」の論争軸に沿って、関東から
の論客を迎え撃つ関西の論客たちがよってたかって(私の印象)永井氏の所論を吟
味するといった趣で進行していたように思う。

 その時やりとりされていた議論の内容はほとんど思い出せないが、若き永井氏の
端正な容貌とスマートでどこか「素人」っぽい(私の印象)語り口はいまでもあり
ありと覚えている。そして、こういう議論をする人が日本にもいたのだと、それこ
そ目から鱗を何枚も落として、永井氏の著書の刊行を心待ちにしたものだった。

 さて、こうして『〈私〉のメタフィジックス』[1986]にめぐりあった私は、以
来、繰り返し読み直しては、何度も何度もこの著書によって初めて言語的に表現さ
れた(と私は思う)「哲学的問題」へと立ち返ることになった。(少なくとも、そ
こにおいて永井氏の思索が決定的な深化を遂げた――と私は思う――論文「他者」
[1990]が発表されるまでは。)

 ふつう、再読に耐える古典的名著は、読み返すたびに新しい発見をもたらすこと
をもってその名に値するものとされるのが一般的ではないかと思う。しかし、こと
永井氏の著書に関しては事情がやや異なっていて、読み返すごと新たにもたらされ
るものは実は同じ事柄の発見である──というより、最初に読んだときの「驚き」
がまったく同じ感覚を伴って再び出現するといった「問題感覚」あるいは「哲学的
不安」(いずれも永井氏の言葉)の再現なのだ。

 それは、現在の知覚体験のなかに過去の想起体験が重ね合わされる「既視感」と
ちょうど正反対の感覚、つまり過去の想起体験のうちに現在の知覚体験がリアルに
重ね合わされる「永遠回帰感」とでも表現できそうな体験である。

 このような読書(再読)体験のよってきたるおおもとは、永井氏によって言語的
に表現された「問題」そのものがもつ構造にある。──ある問題を「哲学的問題」
として言語的に定式化したとたん、言語がもつ指示機能や意味作用の働きによって
問題が一般化・概念化され、そのことによって実は問題が問題でなくなってしまう
(問題が隠蔽されてしまう)という、私や他者をめぐる「哲学的問題」がもつある
構造。

 一般概念としての「私」でも発話主体としての「私」でもない〈私〉(独在性の
わたし)とは、それにしても把握し難い存在だ。それを把握し続けるのはもっと困
難なことである。私はこれまで、永井氏の文章に接するごとに〈私〉をめぐる「問
題感覚」を(再)発見し、しばらく経つと見失うことの繰り返しだった。(問題を
問題として感じ続ける緊張に耐えられず、要するに、などと概念化を企てようもの
なら、「問題」はたちどころに雲散霧消し、あとに残るのは白々とした自己意識だ
け。)

 ――要するに本書は、「子どもの感覚」(永遠回帰感、あるいは神秘感の伴わな
い神秘体験?)に言語的表現を与えた奇跡的な著作である。

●109●大森荘蔵『時間と存在』(青土社:1994)

 本書とその前後に出版された『時間と自我』『時は流れず』の「三部作」に収め
られた大森氏の論文は、いずれも平易でわかりやすく、時として、論理の飛躍とま
ではいえない説明の省略に躓きながらも、尋常ならざる説得力をもって展開される
論述には、何度も接してきたはずなのに、ついつい引き込まれてしまう。

 しかし、感嘆とともに読み終えてふと気づくと、これまで拠って立ってきた地盤
がすっかり取り払われていて、支えもなくただ一人無重力空間に放り出されたかの
ような名状し難い不安にとらわれる。それと同時に、たったいま読み終えたばかり
の議論はなにかしら悪い夢あるいはよくできた哲学的冗談だったのではないか、と
の疑念がふつふつと込み上げてきて、また一から読み直してみるといった無限地獄
さながらの様相を呈してしまうのである。

 私は何度読んでも大森氏の議論を論破する緒を見つけられず、それどころか読み
返すたびに心底説得されてしまうのだが、それではいったい大森氏の論文でいわれ
ていることはそもそもどういう事態なのか、それがさっぱり要領を得ない(あるい
は、身につかない=言語化できない)のである。

 なるほど、ニューロンの発火のパターンからいかにして心的現象がもたらされる
のかを問うこと自体のうちに、一つの「哲学的」呪縛が、あるいは「哲学的」誤謬
が──そのような「科学的」問題の解明に携わる脳科学者の主観的な意図や願望と
はかかわりなく、そして一元論か二元論かといった粗雑な哲学談義とはいっさい関
係なく──介在していることは、大森氏が繰り返し批判する通りだろうと思う。

 しかし、大森氏が批判する脳科学者の「概念枠」はもちろんのこと、たとえば「
意味制作のシュミレーション」をはじめとする大森氏自身の議論に対しても、「一
般に自然科学者は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる
」という養老孟司氏が『唯脳論』で述べた警告が、ある屈折した回路を経て妥当し
てしまうのではないかと思えてならない。

 ──と、くだくだしく無駄口を重ねたのは、「大森哲学」がもたらす「言秘」状
態からの脱出を試みてのこと。あるいは、大森氏の議論に否応なく説得されながら
も、これを「論破」するか別の言葉に「翻訳」して(別の脳に)取り込まないかぎ
り、たとえば茂木健一郎氏が切り拓きつつある心脳問題解明への魅力的かつ刺激的
な道筋が見失われてしまうのではないか、と直感したからにほかならない。

 実際、「知覚」と「想起」をめぐる大森氏の議論は「クオリア」と「志向性」を
めぐる茂木氏の議論に重ね合せて考えるべきだと思うし、あるいはまた「私に◯◯
が見える」という言語表現のなかの意味的・論理的な(したがって、数学的存在と
同様、独立した知覚対象として直接的に指示することのできない)「語り存在」と
しての「私=自我」をめぐる大森氏の議論は、主観性の構造をめぐる茂木氏の議論
と深いつながりをもっているに違いないと思う。

 そしてなによりも、「私は脳の場合には因果概念が杜撰に使われているのではな
いかと思うので、因果概念に代わる「重ね描き」という概念を提案してきている」
とか、「この方法[自我や時間といった抽象的概念を人類がどのようにして制作し
てきたかを、それらの概念の日常における現実的使用に即して模擬的に叙述する「
意味制作のシュミレーション」]を数学の「集合」と「確率」の概念に適用すると
効果があると思う」(『時間と存在』)といった大森氏の示唆は、第二のコペルニ
クスあるいはアインシュタインをめざして(?)茂木氏が進もうとしている方向と、
ある屈折した回路を経て一致しているように思える。
 

●110●茂木健一郎『脳とクオリア』(日経サイエンス社:1997)

 本書は、心と脳の問題への優れた導きの書であると同時に、おそらく今後この問
題について思索をめぐらせようとする者が避けては通れない論点(たとえば、「認
識におけるマッハの原理」や「相互作用同時性の原理」といったオリジナルな概念)
を体系的かつ明晰に提示した書物である。

 自ら運営するホームページで著者が「青春の書」と紹介しているのを読んだ記憶
がある。「青春の書」とは、若書きであることの謙遜の辞というよりも、以後の展
開のすべてを、少なくとも原理的に胚胎させた「可能性の書」の意に解するべきで
ある。

 その後の茂木氏の論考をつぶさに見ると、本書第二版の刊行が近いことが予想さ
れる。しかし、仮に将来、第三版、第四版と書き換えられ、本書がその原型をとど
めないほどに乗り越えられることになったとしても、その「青春の書」としての輝
きが失せることはないだろう。

 計見一雄氏が『脳と人間』で、『脳とクオリア』は「脳─こころ(Brain-Mind)
問題の今後の戦略図のようなものである」と賞賛しているのを読んでいたく共感を
覚えたことを付記しておきたい。

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