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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.45 (2001/03/17)
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 □ 鈴木大拙『日本的霊性』
 □ 下村寅太郎『ライプニッツ』
 □ 寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』
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哲学本千冊斬りのシュミレーション、その三(日本編)。
 

●105●鈴木大拙『日本的霊性』(岩波文庫)

 鈴木大拙は本書で、霊性とは精神と物質を一つにするはたらきであると書いてい
る。その概略を述べると、そもそも精神とは二元的思想を含むものであり、物質と
の対抗関係のうちにある。そして、精神と物質が対峙するかぎり矛盾・闘争・相克
・相殺を免れないのであって、人間が生きていくためには、「なにか二つのものを
包んで、二つのものがひっきょうずるに二つでなくて一つであり、また一つであっ
てそのまま二つであるということを見るもの」がなくてはならない。これが霊性で
ある。

《精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。超越は否定の義ではない。
精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智である。これも分別性を没却
了して、それから出てくるという意ではない。精神は、必ずしも思想や論理を媒介
としないで、意志と直覚とで邁進することもあるが、そうしてこの点で霊性に似通
うところもあるが、しかしながら霊性の直覚力は、精神のよりも高次元のものであ
ると言ってよい。それから精神の意志力は、霊性に裏付けられていることによって
初めて自我を超越したものになる。いわゆる精神力なるものだけでは、その中に不
純なもの、即ち自我──いろいろの形態をとる自我──の残滓がある。》

 要するに、精神の奥に潜在しているはたらきこそが霊性なのである。物質との対
立・桎梏に悩む精神が霊性に目覚めると、対立相克の悶えは自然に融消し去るわけ
だが、これこそが本当の意味での宗教である。

《…宗教意識の覚醒は霊性の覚醒であり、それはまた精神それ自体が、その根源に
おいて働き始めたということになるのだ…。霊性は、それ故に普遍性をもっていて、
どこの民族に限られたというわけのものでないことがわかる。漢民族の霊性もヨー
ロッパ諸民族の霊性も日本民族の霊性も、霊性である限り、変ったものであっては
ならぬ。しかし霊性の目覚めから、それが精神活動の諸事象の上に現われる様式に
は、各民族に相異するものがある。即ち日本的霊性なるものが話され得るのである。》

 それでは日本的霊性とは何か。浄土思想と禅がその最も純粋な姿であるというの
だが、先哲からの引用はここまでにして、以下は私見。

 鈴木大拙がいう「精神」とはおそらく個人的・個体的なものではなく、本来、文
明的な次元での人間社会の共同性の根幹をなす文化様式や思考の枠組みといったも
のを意味しているのだと思う。そして、精神が「不純なもの、即ち自我」の残滓に
よって汚染されており、したがって本質的に二元的思想を含み、それが物質対精神
という図式で表現されるのであれば、ここでいう物質はもはや「生の物質」ではな
く、たとえば身体のようなものとなり、精神も広狭二義に、つまり物質に対立する
精神とそのような対立そのものを自らのうちに含む精神に分類することができるだ
ろう。

 そうすると、「二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つである」
ところの霊性とは、実はそのような精神の(形式論理的な意味での)矛盾をメタレ
ベルで解消する、いわば「高次元多様体」にほかならず、ここにおいて個(自我)
対共同性の対立も宗教的次元で解消されることになるわけだ。

 このような要約は、鈴木大拙の真意をとらえそこねているかもしれない。だから、
上に述べたのは私の勝手な議論であると了解していただきたいのだが、さらに私見
を重ねれば、物質と精神を一つにするはたらき、あるいは物質と精神を媒介し通底
させるもの、より端的にいって物質と精神の間にあるものに「生命」と「意識」が
ある。そして、霊性とは「生命」に関係するもの、たとえば生命感覚あるいは「種
社会」にリアリティをもたらす内属感のようなものではないかと思う。私自身はそ
れとは異なるもう一つの回路、つまり「意識」を介した精神と物質の関係を考察し
ていきたいと目論んでいる。

●106●下村寅太郎『ライプニッツ』(みすず書房・再刊版)

 本書は、次の文章で始まる。「古典的哲学者は常に二つの生活をもっている。彼
自身のと彼の死後のと」。とりわけライプニッツのように、政治家、形而上学者、
科学者、論理学者、数学者へとその天才を分散させ、「自ら生涯の思索を纏めた主
著を残さなかった思想家の「体系」はわれわれ自身が代ってこれを書く他ない」。

 私が心ひかれているのはライプニッツその人というよりも、むしろライプニッツ
について情熱的に語る若き下村寅太郎なのかもしれない。この「熱い」書物から、
ここでは哲学と論理学と数学の関係をめぐる印象的な文章を抜き書きしておこう。

 まず、論理学は「現実を全体として把握し貫徹しようとする思想的努力──哲学
あるいは形而上学と結びつき、これを前提して初めて可能となる」ものである。「
論理学の形成は何よりもまず哲学の問題である。あるいはむしろ哲学の成果である。
それ故、結果から見れば、哲学はむしろかかる論理学への努力であり、過程である」。

 そして、この論理学の形式化がその時代の数学にほかならない。「数学こそその
時代の形式論理学である。(略)思想の論理の形成、すなわち論理としての具象化
は、かえって数学的形式化、あるいは抽象化によって自覚せしめられる。抽象化に
よって具象化せしめられる。論理学の形成と数学の形成とは相互に媒介的である」。

 論理学と数学が相互に媒介的であるとはいかなる意味か。「もちろんギリシア数
学はプラトン、アリストテレスを俟たず古くから存していた。むしろそれらによっ
て「論理学」が具象化され、形成される機縁を与えている。しかし厳密な意味にお
いて、直観的・具象的な事態ないし神話的・形而上学的な内容を離れた純粋な数学
の組織は、アリストテレスの論理学を経過して初めて成立し得たのである故、両者
は互いに媒介的である」。

 ところで、ギリシア数学とは「数と形態において思想一般を把握しようとした」
ものなのだが、ライプニッツの数学はこれとは異なる。記号によって思想一般の形
式化を実現すること。この未完に終わった普遍数学(普遍学)の可能性こそが、ラ
イプニッツの哲学の根本的信条であった。「すべて存在すなわち個体的実体はそれ
自身有限にして、しかもよく無限な神および世界を表出する、世界を表現すると同
時に世界の表出である。各々の個体自身世界の Symbol である。かくて個体は表出
的自同者として互いに相照応し、相調和し、完全に同一なる二者なく、すべて相異
なる個性をもちながら、いかなる二者の間にも間隙がなく、充実し連続している、
まさにかくのごときものが現実的世界の構造である。世界は連続的自同者として定
式化され得るであろう。記号法はライプニッツの形而上学を前提して初めて単なる
 Formelspiel でなく世界の数学たり得るのみでなく、それ自身すでにライプニッ
ツの形而上学を表出している」。

 若干の蛇足。足立恒雄著『たのしむ数学10話』に、ライプニッツが命題に文字を
あてはめた(命題変数を導入した)最初の人であったこと、「それどころか、原始
的概念に素数を割り当て、合成数に積を割り当て、「論証を数の計算に還元する」
という驚くべき構想まで書き残して」いたこと、そしてこの「論証の算術化」とい
う構想の実現は二十世紀のゲーデルをまたなければならなかったことが書かれてい
る。

 それにしても、紀元前4世紀のギリシアと17世紀の西欧はつくづくすごい時代だ
ったのだと思う。これに匹敵する時代を人類が再びもつには、37世紀まで待たなけ
ればならないのだろうか。

●107●『寺田寅彦随筆集』第二巻(岩波文庫)

 寺田寅彦の文章を読むことは現代人の(いや、私の)幸福の種だ。とりわけ本書
は私の愛読書で、それというのもここには「ルクレチウスと科学」が収められてい
るからである。

 たとえば次の文章など、尽きせぬインスピレーションの源泉だ。──なお、寺田
寅彦は、現代物理学の「原子」と区別するため、ルクレチウスの‘atom’を「元子
」と訳している。また、ルクレチウスのいう‘animus’を心、‘anima’を精神と
それぞれ訳し、前者は「脳」に、後者は「全身に広がれる知覚ならびに運動神経」
に相当するのではないかと指摘している。

《私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟「わかりやすい言葉
に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最
後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想に
襲われるのである。
 ちなみにわが国の神官の間に伝わる言い伝えに、人間の霊魂は「妙に円き」たま
であるという考えがあるそうである。この事を私は幸田露伴博士から聞いて、この
条[『物質の本質について』第三巻]の心や精神の元子と多少でも似た考えがわが
民族の間に存した事を知り奇異の感に打たれたのである。これはギリシア語のテュ
モスが国語のタマシイに似ていると同じく、はたして偶然であるか、そうでないか
全くわからない。》

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