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■ 不連続な読書日記 ■ No.44 (2001/03/15)
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□ シモーヌ・ヴェーユ『ギリシアの泉』
□ エリック・A・ハヴロックの『プラトン序説』
□ ミシェル・セール『五感 混合体の哲学』
□ ペンローズ『皇帝の新しい心』
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ところで、このメールが届く頃、私はたぶん日本にはいません。親、子、孫の三代
にわたる血縁者と連れ立って、某観光地へ小旅行に出かけているはずです。旅行に
持っていく本という、そういうことに関心のない人にはまるで理解されないハード
プロブレムの解答は、今回は、池澤夏樹さんの『ハワイイ紀行【完全版】』にすん
なり決定しました。
●101●シモーヌ・ヴェーユ『ギリシアの泉』(冨原眞弓訳,みすず書房)
古代ギリシア哲学の世界へ旅立つなら、まずこの本を読むといい。私は本書の、
たとえば「『イリアス』あるいは力の詩篇」や「プラトンにおける神」といったエ
ッセイを読んで、それこそ脳細胞ごと更新されてしまった。シモーヌ・ヴェーユはあるエッセイの中で哲学には二種類あると書いていた。体
系的な哲学と救いを求める哲学がそれで、アリストテレスとプラトンにそれぞれ遡
ることができるものだという。「プラトンにおける神」では、ギリシアにおける唯
一の近代的な意味での「哲学者」であるアリストテレスと対比させて、ギリシア的
霊性・神秘的伝統を引き継いだ一人の神秘家としてのプラトンが描かれている。こ
の極めて刺激的な論考から、ここでは印象的な文章を一つ引用しておこう。《かれの霊感の拠り所は、われわれのもとに断片が残存する先人哲学者たちの体系
のより高度な統合による同化であったり、かれの師ソクラテスであったり、オルフ
ェウス教の伝統、エレウシスの秘儀伝統、ギリシア文明の母胎たるピュタゴラス主
義の伝統といった、かれを通じてでなければわれわれにはほぼ知りえないギリシア
の秘儀的伝統であったり、またおそらくは、エジプトやオリエント諸国の諸伝統で
あったりする。プラトンがギリシアの霊性の最上の部類に属するものであるかは、
われわれには判断できない。ほかに残存していないからである。おそらく、ピュタ
ゴラスやかれの弟子たちはさらにすばらしかったであろう。》翻訳もいい。ここでも一つ「例」をあげておこう。――以前読んだ『国家』で、
プラトンは天上にある理想の「国家」について次のように書いていた。《おそらく
天上にある理想的な典型として、それを見んと欲し、それを見ながらみずからのう
ちに国家を建設せんと欲する者にとっては、理想的な範型として献納されているだ
ろうね。》(592節b,中央公論社「世界の名著7」)しかし、これでは何がいわれているのかさっぱり判らない。たとえば「みずから
のうちに国家を建設」するとはどういうことなのか。『ギリシアの泉』の冨原眞弓
氏の訳文を読んで、ようやく了解することができた。(もっとも、それはシモーヌ
・ヴェーユの「仏訳文」に由来するのかもしれないけれど。)この訳書では「国家」は「都市」に置き換えられており、シモーヌ・ヴェーユは、
プラトンのいう「都市」とは「魂を表象する純然たる象徴、虚構」であると指摘し
ている。《この都市のひとつの範型はおそらく天上にあって、そう望む者にはだれ
でもこれを視ることができるし、これを視てその人間自身の自我である都市を築く
ことができる。》なお、タイトルに出てくる「泉」は、ギリシア最古の「哲学者」にして伝説上の
詩人、西欧の霊肉二元論の源流──そして、凄惨な狂宴(オルギア)のディオニュ
ソス密儀と並ぶ、静謐な「霊的照明」(イリュミネイション)のオルペウス密儀の
始祖──オルペウスの断片から取られている。岩波書店から出ている『ソクラテス
以前哲学者断片集』第1分冊から該当箇所を引用しておこう。あなたは,冥界の館の左側に泉を,
そしてその傍らに白い糸杉を見つけるであろう.
この泉には,そばに近づくことさえしてはならない.だがあなたは,
別の泉を見つけるだろう.その冷たい水は,ムネモシュネの沼から流れ出ている.ここで訳注が付いていて、「左側の泉」は忘却の泉で、その水を飲むことにより
魂は一切を忘れふたたび転生するが、右側の「記憶の泉」を飲むと、過去の神的な
生についての記憶を取り戻し、魂はみずからの起源を知るとともに、ディオニュソ
スと同化すると考えられていたとある。●102●エリック・A・ハヴロックの『プラトン序説』(村岡晋一訳・新書館)
本書は実に刺激に満ちていて、簡単な言葉ではとても要約し尽くせない豊穰な可
能性をもった論考である。ここでは、イデア論の誕生に深く関係すると思われる点
を紹介しておこう。ハヴロックによれば、ソクラテスに特有なものとされる対話法とは、「詩的一体
化の習慣に挑戦し、人びとをその習慣から引き離すための一般的な装置」であり、
「意識を夢の言語から目覚めさせ、抽象的な思考へと意識を鼓舞するための武器」
であった。まずハヴロックは、古代ギリシアにおいて「遠い昔から口誦という方法が集団的
伝統の保存[記憶]を支配してきたのだとすれば、自己意識なるものはいったいど
のようにしてつくりだされえたのか」と問いをたてる。そしてこれに対する解答は、
コミュニケーション技術の変化にあるという。《聴覚による記録は感情的一体化によってしか確実に想起されなかったが、書かれ
た文字によって記憶が新たにされるようになると、読者はそうした感情的一体化の
ほとんどを必要としなくなった。これによって心的エネルギーは解放され、いまや
書きとめられたものを、つまり、ただ聞き取られ感じ取られただけのものではなく、
一つの対象として眼に見えるものを、再検討したり再配列したりするために使われ
るようになった。》紀元前五世紀のギリシアで対話法が使用されるようになったのは、「記憶された
ものからのこうした分離」が原因である。「それはどういう意味ですか、もう一度言ってください」と問うことは、韻律と
定型表現と物語の連続によって聴く者を催眠的な昏睡状態に置く記憶装置としての
詩(叙事詩)を中断させ(話の腰を折り)、散文的な、計算的反省を伴うことばに
かえてしまう。これが、「プラトンの対話篇にみられるような論理的な論証の連鎖
というあの発達した形態」に先立つところの「もっとも単純な形態の原初的な装置
[対話法]」である。こうした対話法を通して、意識が夢の言語から目覚め、同時にそのような(自己)
意識による抽象的思考の対象としての客観が、ひいては「そのものそれ自体」とし
てのイデアが導き出される。ハヴロックによれば、イデアとは「概念」にほかならず、それは「イメージ」に
対置される言葉である。「プラトンの思想とは実のところ、イメージ的な言説に替
えて概念的な言説を採用しようという呼びかけだと言うのが正しい」。そして、ホメロス的なイメージ思考からプラトン的な概念的思考へ、叙事詩的言
語から形式的・抽象的言語へのこの「革命」は、「ギリシア精神ばかりか、ヨーロ
ッパ精神の発展におけるまったく新たな段階の到来を告げるもの」であった。●103●ミシェル・セール『五感 混合体の哲学』(米山親能訳,法政大学出版会)
このような書物を前にして、どう言葉を紡ぎだせばいいのだろう。
本書は、凝縮されたアフォリズム──たとえば「風景、顔、皮膚ほどに奥深いも
のは何もない」とか「ことばが人間の肉をこね上げたのだ」など──がいたるとこ
ろにちりばめられた蠱惑的な、しかし概念的にとらえようとすると(つまり要する
に、などとまとめようとすると)整序された意味の領域を軽やかにすり抜けてしま
う詩的なエッセイ群からなる書物で、「ヴェール」「ボックス」「テーブル」「探
訪」「歓喜」の五つのパーツのタイトルからしてどこかしら謎めいた趣を醸し出し
ている。いわゆる「哲学・思想系」の書物で、引用の愉悦をこれほどまでに堪能させてく
れる文章を私は(いまのところ)他に知らない。比類ない美しさと明晰さをもった、
しかしあくまで概念的な整理要約を拒み続けるエッセイの混合体である『五感』の
最終パート「歓喜」から、本書のテーマらしきものを匂わせる二つの断章を抜き書
きしておく。
◎私の言語は世界の美を称えなくてはならない
《堅固で的確な私の古き麗しき言語は、自らの力を失って科学の利益に供され、情
報や興行の巨大企業に自らの魅力と魔術的力を譲り渡し、口述するところが事実と
なる者たちに自らのことばを譲った。/私の言語に残されたものはもはやぼろ切れ
しかない。ぼろを纏ったこの幽霊は、模糊とした美的機能を保持している。あるい
は美的感覚だろうか。/それゆえ、私の言語は五感について語らなくてはならず、
世界の美を称えなくてはならない。》
◎第三の記憶の解放によって出現するもの
《ところで、記憶は三度にわたって解放されたことになる。文字の到来のときに、
印刷術の発明のときに、今やコンピューターによって。幾何学の発明が最初の記憶
の解放に何を負い、実験科学の出現が二番目の解放に何を負い、われわれが第三の
記憶の解放に到達した今、何が出現しようとしているのかを、誰か解明しうる者が
いるだろうか。》●104●ペンローズ『皇帝の新しい心』(林一訳、みすず書房)
ペンローズは本書で、「真剣」な哲学的立場はいかなるものであっても、少なく
ともかなりの分量の「実在論」を含んでいると書いている。そして「数学と実在」
と題された章で、数学的概念の「プラトン的実在性」について、マンデルブロー集
合と複素数系に言及し、またボルヘスの「有名な詩人は発明者である以上に発見者
である」という言葉が真の数学的発見にも妥当すると述べた後で、自らの立場を明
らかにする。《数学については,少なくともより深遠な数学的概念については,他の場合に比べ
て,玄妙な,外的な存在を信じる根拠はずっと強い,と私は感じないではいられな
い.このような数学的アイディアには,芸術あるいは工学に期待されるものとはま
ったく異なる,有無を言わせない独自性と普遍性がある.数学的アイディアが無時
間の,玄妙な意味で存在しうるという見解を古代に(紀元前360年頃)提唱したの
はギリシアの偉大な哲学者プラトンだった.そのためにこの見解はしばしば数学的
プラトン主義と呼ばれている.後ほどこれはわれわれにとってかなり重要になる.》私は、いま引用した文章の最後で示唆されている「後ほど」の議論に実はついて
いけなかったのだが、その後『ペンローズの量子脳理論』に掲載された論文やイン
タビュー記事を読んで、なんとなく理解できたように思った。(気のせいかもしれ
ない。)しかし、その「理解」の内実を自分の言葉で表現することはいまの私には
とてもできそうにないので、ここでは引き続きペンローズ自身の言葉を紹介してお
く。以下は、同書所収「ペンローズインタヴュー」(竹内薫・茂木健一郎訳)から。《私の新しい本、『心の影』では、私はこのような問題を、もっと広い観点から取
り上げました。つまり、私たちの心が物質的世界からいかに生じるかというのが唯
一のミステリーではないということです。実は、ミステリーは三つあります。つま
り、物質的世界、心の世界、そしてプラトン的世界の三つの世界の関係が謎なので
す。(略)物質的世界は、プラトン的世界の一部から生じます。だから、数学のう
ち、一部だけが現実の物質的世界と関係しているわけです。次に、物質的世界のう
ち、一部だけが意識を持つように思われます。さらに、意識的な活動のうち、ごく
一部だけが、プラトン的世界の絶対的真実にかかわっているわけです。》これはほとんどエッシャーの世界だ。(実際、少年ペンローズが考えた不可能図
形のアイデアが、その祖父を通してエッシャーに影響を与えたらしい。)引用を重
ねながら、スリリングな議論の展開に刺激を受けて、私の脳髄は激しく高揚してい
く。私が最も感銘を受けたのは、「あなたの世界観は、完全に物質主義的というわ
けではないのですね」というインタビュアーの質問に対するペンローズの次の回答
だった。《「物質主義者」とか、「イデア主義者」というような言葉が最初に考えられたと
き、「物質」のイメージは、非常に具体的で、まさにそこに「ある」ものだという
ものでした。それに対立するものとして、人々はミステリアスな「心」というもの
を考えたわけです。/ところが、今では、物質そのものが、ある意味では精神的な
存在であるとさえ言えるのです。/そのことを見るためには、私の図で、二つのス
テップを追う必要があります。つまり、物質はプラトン的世界の数学的構造に根差
しており、そして数学的構造は、私たちの精神世界の中でつくりだされるものだと
いうことです。》ペンローズの議論に納得がいかなければ、無視すればいい。反実在論だとか反証
可能性だとか、その他出来合いの言葉をもちだしてあれこれ(感動のない)言説を
弄するのは時間の無駄というものである。(私はだれに向かって遠吠えているのだ
ろう。)〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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