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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.32 (2001/01/26)
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 □ 柄谷行人『原理』
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私はあまり「近代人の朝の礼拝」に時間をかけない。たいがい5分、まれに10分、
夕刊にいたってはせいぜい2、3分。それも新刊本の広告や週刊誌の見出しに目を
奪われがちなので、記事はほとんど読まない。主義としてやっているわけではなく
て(そうだったらとっくに購読を止めている)、ただ時間がとれないだけのこと。

それでも、ときおり気になる署名記事があって(単に習慣でとっている新聞でいえ
ば、たとえば吉田秀和さんの「音楽展望」など)、頁ごとびりびりと破って、その
へんにほうっておいて、気が向けばまとめて読んでいます。

昨年暮れから年頭にかけて、そうやってためこんだコラム類を、一気に捨ててしま
うのもちょっと惜しくなり、いくつか読んでみたなかで、印象に残った文章をスク
ラップしておきます。まず、私の地元紙、神戸新聞の「未来への発想」というイン
タビュー記事から。

村上龍:二十一世紀をどうとらえるか、という問いですが、その設問には意味がな
 いです。個人レベルで受け止め、考えざるを得ない設問をいかにして立てるか、
 それこそが二十一世紀初頭のメディアと日本社会のもっとも重大な課題だと思い
 ます。(1月5日)

辺見庸:失われていったものは何か。僕はリアルさの感覚であり、人間の鮮やかな
 身体感覚だと思う。資本の蓄積を自己目的にした虚構の経済が、額に汗して働く
 リアルな労働の意味を空洞化している。…だいたい食料からイヌのえさまで外国
 に作らせる、世界に冠たる消費国家で、人倫や愛国を語るのがチャンチャラおか
 しい。(1月6日)

大澤真幸:自由が関係の中にあるならば、関係に対して開かれた「弱い他者」との
 つながりにこそ自由があるのではないか。…もっと弱い者は生まれてさえいない
 者、つまり何の権利も主張できない未来の世代です。最も弱き者との関係におい
 て過去と未来への生きた想像力が触発される。(1月7日)

いま一つは、昨年の暮れ、仕事で東京へ出かけたときにみつけた、毎日新聞夕刊(
12月19〜21日)の、柄谷行人vs.坂本龍一「ビッグ対談」から。なお、この記事は
インターネット[http://www.mainichi.co.jp/eye/index.html]で今も読める
はずです。

柄谷:倫理というと、みんな生きている他者との関係だけで考えるけど、死んだ人
 間、これから生まれて来る人間こそ「他者」であって、そのような他者との関係
 にこそ、倫理の問題がある。
坂本:アメリカ先住民のイロコイ連邦の議会で物事を決める時には、7世代先まで
 考えて決めるというのが原則なのだそうです。これはすばらしいと思う。僕が思
 う現在の経済の根本的な間違いは、自然の資源、ナチュラル・リソースはタダだ
 という前提です。…
柄谷:林業を例にとると、木を植えてそれを切って売るのに100年から300年
 かかるわけです。自分が切って利益を得たとしても、それは300年前の人がや
 ったことのおかげです。共同体の倫理は、そういう時間性においてある。…僕が
 考えているアソシエーショニズムというのは、互いに知らない個人の間で、共同
 体を回復しようとするものです。…
坂本:地域通貨を媒介としてね。
柄谷:そうそう。それは資本主義的ではないが、市場経済です。家族や共同体は排
 他的・排外的ですが、それは開かれている。

というわけで、今回(と次回)、NAMへと至る柄谷氏の「思想的軌跡」をたどっ
てみました。文學界(2001.2)に掲載されたインタビュー「飛躍と転回」での発言
によれば、それは批評家・柄谷行人から哲学者・柄谷行人への転回のプロセスをた
どるということになるのかもしれませんが、もちろんここではそんな込み入った事
柄の解析に手を染めるつもりはなくて、例によって数珠つなぎにした書物をめぐる
不連続な雑感と抜き書きでしかありません。

ところで、これはたぶん私の勘違いだと思うのですが、この問題(どの問題?)を
たどっていくと小林秀雄に、そして小林を介して「宣長問題」へとたどりつくので
はないか、と私は前々からあたりをつけています。

(そういえば、小林秀雄の全集が近々刊行されるそうだ。以前から入手したいと思
っていた、未刊行のベルクソン論「感想」が収録されているのなら、たしか八千円
程度だったと思うけれど、買ってもいいかなと思っている。と、これは個人的な感
想でした。)
 

●69●柄谷行人『原理』(太田出版:2000.11)

 柄谷氏が「私自身にとって「希望の原理」である」という「NAM(New Associ
ationist Movement)の原理」は、五つのプログラムと三つの組織原則からなる。

 すなわちNAMとは、第一に「倫理的─経済的な運動」である。
 第二に「消費者としての労働者」による資本と国家への外側と内側からの対抗運
動である(内側からの抵抗・内在的闘争とはたとえばボイコットで、外側からの対
抗・超出的闘争とは、地域通貨経済の形成と生産消費協同組合による資本制企業の
非資本制的企業形態への組み替え)。
 第三に資本制貨幣経済と国家の廃棄を「非暴力的」にめざす。
 第四に参加的民主主義の保証などその「組織形態自体において、この運動が実現
すべきものを体現する」。
 第五に情報資本主義的段階への移行がもたらした社会的諸能力(たとえばインタ
ーネット)によって現実の矛盾を止揚する「現実的な運動」である。

 またその組織は、第一に個人の「地域」(地理的空間としての地域と関心と社会
的階層からなる)への交差的・多次元的所属を通じて、第二にくじ引きによる代表
者やセンター(代表者評議会)の構成をもって、第三に自主的で開かれた互酬的交
換を支えるLETS(地域交換取引制度)の導入によって運営される。

 私は本書を読んで、小学生の頃の「結社ごっこ」を思い出した。数人の仲間で「
**団」を結成し、秘密の隠れ家で組織の運営方針やルールとその解釈、将来に想
定される諸問題の解決方法を詳細に協議し、団のシンボル・マークや合言葉まで決
定して、そこまでは楽しくてとても充実していたのだけれど、さてそれではいった
い何をやるのかという「ビジョン」をよく練っていなかったため、いざ行動という
段になって興奮は一気に冷めてしまった。

「一定数以上のメンバーがいれば、NAM**と名乗ることができる」。「組織が
大きくなったときに、今存在しないような権力の問題が出てくるだろう。そして、
それらに対して理論的に備えていないようなら、運動を始めるべきでない」。NA
Mの原理は「決してわかりやすいものではない。また、そこからどのような具体的
なビジョンが出てくるかといえば、さらに難しい」。

 けっして茶化しているのではない。「**団」はアソシエートするためのアソシ
エーション、つまり純粋アソシエーションの媒体でありながら、それ自体が一つの
アソシエーションであるという不思議な「遊具」だったのだ。(高度な抽象力、つ
まり原理的な認識力に裏づけられた純粋な遊戯としての「結社ごっこ」。)

 その「運動」の原理はたぶん団員を増やし続けることにあったのだろう。だから、
具体的に何をやるのか、どのようなビジョンを描くかといったことにかかずらわる
よりも、クラスの全員をたとえば簡単な宣誓でもって仲間に迎え入れること、クラ
スという「公式組織」に対する純粋社交体としての「非公式組織」をこっそりつく
りあげることに徹したならば、「結社ごっこ」は長続きしたのだと思う。

 柄谷氏がいう「原理」とは「組織原理」のことである。そして、それは実は「N
AMの原理」を提唱した時点ですでに現実のものとなりえている。現に柄谷氏もこ
う語っている。「われわれの運動は、それ自体NAMの原理の実験でもある」。「
運動は、すでに各地で起こっている。われわれはそれをNAMの支配下に置こうと
考えているわけではないし、そう考えるべきでもない。ただ、そのような運動は明
確な原理を持っていなければ、必ず潰れる。あるいは、資本とネーション=ステー
トに回収される。それははっきりしています。だから、原理的な認識が不可欠なの
です」。

 プログラムの第三に出てくる「組織形態自体において、この運動が実現すべきも
のを体現する」云々とはそういうことを言っているのだと思う。(それはたとえば
「エネルゲイア」もしくは「エンテレケイア」としての、つまり実現態もしくは終
局態としての組織であって、目的に対する手段としての運動の論理に根ざした「キ
ーネーシス」ではない。)

 そしてプログラムの第五に出てくる「情報資本主義的段階への移行がもたらす社
会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えること」云々は、
とくにその後段はそれこそ「遊び」の常套手段だ。

 廃墟となった国家や資本制の機械群、しかしまだ稼動する部品類を使った遊び。
それはたしか笠井潔氏が書いていたアナーキズム国家(?)を思わせるし、私の年
来の友人で組織論を専攻している太田肇氏がいう「インフラ型組織」にも、趣旨は
異なるが通ずるところがあるように思う。(インフラ型組織については太田氏の『
仕事人の時代』を参照。昨日刊行の中公新書『ベンチャー企業の「仕事」』でも触
れられている。)

 くどいが、けっして茶化しているのではない。このことは何度でも繰り返してお
く。私がいいたいのは、NAMの原理にもし現実的有効性があるとすれば、それは
いま述べた点(プログラムの第四と第五に表現されている事柄)につきると思える
のだが、しかしそれはプログラムの第二や第三に記されている事柄とは相容れない
のではないかということだ。

 あるいは組織原則の第二や第三、特に第三の原則は遊戯性の維持にとってとても
有益な方法だと思うのだが、しかしそれはまさに、そこからどんな「ビジョン」が
生まれてくるか分からないという、その分からなさゆえの可能性だと私は考える。
だから、それが何かの手段として意識されたとたん駄目になってしまう脆さをはら
んでいるのではないか。(それとも、柄谷氏はあっと驚く「秘策」を練っているの
かもしれないが、たぶんそれはないだろう。)

 それにしても柄谷氏の議論はいつもながら刺激的で、今回読んだなかでは、交換
の三つの原理(収奪・再分配=封建国家=ステート=平等、贈与・互酬=農業共同
体=ネーション=友愛、貨幣交換=都市=資本・市場経済=自由)とその三位一体
による近代国家(capitalist-nation-syate)成立プロセスの分析、そして第四の
型(アソシエーション)の提示へといたる箇所がとりわけ面白かった。

 強いて「難点」をあげるなら、というより無い物ねだりをするならば、私はつね
づね芸術や思想を論じる際メディアの問題を抜きにできないように、経済や政治に
ついて論じる場合、貨幣(的なもの)と同時にエネルギーの問題を措いては意味が
ないと(勉強不足の身ながら)思っていて、だから本書に収められた柄谷氏や西部
忠氏の講演録を読んで、そのあたりのことが気になって仕方がなかった。

 余録。週刊東洋経済(2000.1.20)のインタビューでの岩井克人氏の発言が面白
かったので、以下にスクラップしておく。「見出し」は私が勝手につけたもの。な
お、発言中に出てくる「エコマネー」は、いわゆるエコマネーではなく地域通貨一
般を指すものとして読むべきだろう。

◎終わりなき資本主義
《20世紀の終わりに、資本主義に対抗するものと考えられていた社会主義が崩壊し
た。それは、社会主義が非効率だったというだけではないですね。よく見てみると、
社会主義と資本主義というのは同じ次元のものじゃなかった。
 社会主義というのは一つのシステムです。…ところが、今言ったように[引用者
註:情報資本主義は遠隔地貿易、つまり二つの異なる場所の価格の違いを媒介して
利益を得る商人資本主義に似ている。また、産業資本主義も、過剰人口を抱える農
村からの安い労働力を都市の工場で確保できたこと、つまり農村と都市の大きな差
異が利潤を生みだしていた大きな差異が利潤を生みだしていた。]資本主義は差異
性をめぐる競争でしかない。ある意味、融通無碍。複数のシステムの間を媒介して
いる経済活動そのもの、一つの活動プロセスなんです。とすると、これに対抗する
ものが出てくるということは考えられないですね。
 しかも、資本主義がこれだけ世界を覆ってしまうと、資本主義を上から抑圧する
政治権力はありえないでしょう。そうなると、資本主義は永久に、少なくともこの
一世紀は続く。もはや越えがたいもので、われわれはその中で生きていかざるをえ
ないのです。》

◎貨幣システムの外に立つ国家の役割
《[引用者註:21世紀の危機について]特に大きな問題は貨幣にかかわってくると
思う。…市場経済の枠組みの中に、少なくとも貨幣に関しては、そこに市場経済の
原理から外れるプレーヤーがいなくてはならないでしょう。…一つは国家の役割を
考え直さないといけない。…たとえば、金融市場に参入できないような多くの人た
ちが、グローバルな資本主義の不安定性にさらされてしまうことに対する防波堤に
はなれる。国家にはそうした意義はあると思う。》

◎コミュニティの防波堤としての「エコマネー」
《[引用者註:限られた地域内で流通させる「エコマネー」のような“通貨”が資
本主義に対するアンチテーゼにはならないか、との質問に対して]それが資本主義
を覆すとか、そういう力にはならない。ただ、グローバル化の不安定から自分の身
を守るという意味で、ローカルな防波堤にはなる。「エコマネー」による贈与交換
が、お互いの顔を見ながら生活する連帯意識の強い共同体をつくる。「エコマネー」
を使うさまざまなコミュニティがあって、人は自分にいちばん合ったコミュニティ
を選ぶというのがあるべき姿でしょう。共同体維持の新しい手法であり、資本主義
にバラエティを与える役割はあると思います。》

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