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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.30 (2001/01/14)
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 □ 瀬名秀明監修『「神」に迫るサイエンス』
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心脳論の「お勉強」のためのノート、その二。──今回、抜き書きしたもののなか
で、科学で文学するのではなく「文学で科学する」という佐倉統氏の言葉が妙に心
に残りました。そこで、最近、ふと頭をよぎった「文学知」という言葉をめぐって
メモしておいたものを、以下に紹介します。

ジョン・ホーガン著『続・科学の終焉』(竹内薫訳,徳間書房)のエピローグに、
心の科学への「文学的アプローチ」の話題が出くる。──《ハワード・ガードナー
[ハーバード大学の心理学者で教育学の教授]やクリフォード・ギアーツ[プリン
ストン高等研究所の人類学者]たちは、心の科学を厳密に科学的な営みではなく、
文学に近いものとして見ることを奨めた。》

まず、その「お手本」であるオリバー・サックスがホーガンに語った言葉の紹介。
《自分は、本というものは一般化されたものではなく「実例」からなるべきだ、と
いうウィトゲンシュタインの格言に従うようにしているのさ》。次いで『妻を帽子
とまちがえた男』からの引用。《われわれは事例を物語のレベルにまで深めなくて
はならない》。

そして「事例研究の大御所」フロイト――ギアーツが「実在の人たちについて、実
在の場所について、実在の時間について、想像的に書くもの」と定義した「ファク
ション」そのものである「事例史」の大御所、あるいはガードナーがホーガンに語
った言葉によれば「心の最も深い秘密を扱うことが要求される種類の文学的心理学
の達人」(いずれも本書第2章「フロイトが死なない理由」から)――に言及した
後で、ホーガンは次のように書いている。

《心の科学者の大半は、自分たちの結果を文学的な表現に置き換える才能に欠けて
いる。もしかしたら、彼らは、自分たちのことをエンジニアだと割り切ったほうが
いいのかもしれない。…エンジニアにとって大事なのは「究極の答え」ではない。
絶対的で最終的で確固たる真実に用はない。…エンジニアは、究極の答えではなく、
一つの答えを探すのである。身近な問題を解決したり状況を改善するのに役立つも
のなら何でもいい。》
 

●63●瀬名秀明監修『「神」に迫るサイエンス─BRAIN VALLEY 研究序説─』
                        (角川文庫:2000.12/1998.3)

 『BRAIN VALLEY』初版の三か月後にセミハードカバーとして発売され、このたび
同時に文庫化された。「心の遺伝子」(山本大輔氏)が新たに収録され、各章(脳
科学・澤口俊之、人工生命・佐倉統、霊長類学・金沢創、脳型コンピュータ・山田
整、UFO・志水一夫、臨死体験・瀬名秀明)に「文庫版のための補追」が付され
ている。森山和道氏による解説にも有益な情報が盛り込まれていてとても重宝。科
学の最先端の分野を扱う書物にとって、数年単位での文庫化の意味は大きい。

 本書で印象に残ったのは、「文学で科学する──こんな小説は、今までなかった
」と『BRAIN VALLEY』評を述べ、「生命現象とはすなわち情報のパターンである」
(生命の本質はその物質的な側面にはない)とする「人工生命のセントラル・ドグ
マ」を認めるなら、神も文化も人間の知識体系も「生命体」(進化することができ
るシステム)であり情報システムである、つまり「神は情報体である」と議論を進
める佐倉氏の文章。

 それから、チンパンジーは(ニホンザルのように)ただ黙々と課題をこなす実験
動物ではなくて、「ただそこにいるだけで、どうしてもかかわり合いをもってしま
うような存在であった」と、はじめてチンパンジーの心理実験を行った日の記憶を
語り、我々が「死の観念」をもつのは「他者の死」を通してであり、他者の身体(
コミュニケーションをしかけてくる身体)がただの細胞の塊(物体)に化す瞬間に
失われる「ある統合」、それを魂とよぼうと情報処理システムとよぼうとどちらで
もよいと述べる金沢氏の文章。

 その他にも記憶にとどめておきたい素材はたくさんあったのだが、ここでは一点
だけ記録しておく。──澤口氏が、「ある特別な心・意識には、ある特別な脳活動
が「対応」することをはっきりと指し示している」データを紹介したあとで、それ
が「あくまでも、「対応関係」であることは注意すべきだが、「因果関係」に関し
てもきちんとしたデータがいくつもある」と述べている箇所を読んで、これは澤口
氏の同趣旨の主張に接するたびいつもきまってそうなのだけれど、それ以上の議論
についていけなくなった。

 対応関係云々のところまではとてもよく分かる。ついでに書いておけば、私もい
まのところ臨死体験については瀬名氏が拠る「脳内現象説」に賛成なのだが、それ
は特段の論拠や証拠があってのことではなくて、あくまで「ある特別な脳活動」(
「脳内」現象=情報システムとしての生命過程?)と「ある特別の心・意識」(脳
内「現象」=情報システムとしての精神過程?)との間になんらかの対応関係があ
ることは科学的事実だろうと推測するからだ。

 しかしそこから先に行くためには、因果性をめぐるより「大きなシステム」(複
数の観察者の観察行為を組み込んだ?)を構想しなければならないと考えている。
しかし、これは非専門家、つまりある領域に関して充分な「リアリティ」を感じと
れるだけの訓練と経験を重ねていない者が弄する駄弁にすぎない。自分が語ってい
ることの意味をたぶん分かってはいないと思いので、これ以上は控えておこう。

 余録。『BRAIN VALLEY』を読んだときの感想文をあらためて見てみると、「いい
ところまでいっているがラストに疑問が残る」と書いていた。そのラストから、い
までも印象に残っている文章を二つ抜き書きしておく。──コンピュータの中の人
工生命のプログラムに準えることができるものが本物の脳にもあるとすれば、それ
こそが「神」なのではないか、つまり「神」とはヒトの脳の中で生まれるデジタル
生命なのではないか、という「アイデア」をめぐる記述だ。(ところで、いったい
何が疑問だったのか、自分のことなのにどうしても思い出せない。)

《そうだ、「神」をひとつの生命体であると仮定した場合、何が考えられる? こ
れまで「リアルな生命体」は地球上で何十億年という時間をかけて試行錯誤を繰り
返し、多様性を獲得し、進化してきた。その先端に、いま我々は立っている。進化
の積み重ねによって我々は高度な演算能力と大きなメモリを有する「脳」を獲得し
た。そのハードウェアによって我々は「神」という概念を創り上げ、発展させてき
た。おそらくヒト以外の動物は「神」という概念を持っていないだろう。すなわち
「神」という概念は、脳の進化にあわせて作り上げられてきたものだ。「神」にと
って、ヒトの脳とは己の棲息する環境であり、また己を保持しておく宿主に他なら
ない。/だが、「神」がもし生命体であるとするならば、「神」もまた増殖し、子
孫を残すはずだ。「神」がコピーを増やすにはどうすればいい? それは何を意味
する?/──信者を増やすことだ。》

《我々ヒトが「神」を創り出した。常識的にはそう結論づけることができる。だが
真実は逆であるとしたら? 「神」は己のリアルを獲得するため、リアルな「神」
を考えることのできる優れた脳を欲した。そしてそれを世に出現させるべく、膨大
な時間を費やして生物を進化させ、脳をアップグレードさせてきたのではないか?
 つまり、これまで生まれてきた全ての生物は、「神のリアル」を創るという大目
的のために利用されてきた駒に過ぎないのではないか?/ヒトが「神」を必要とし
たのではない。「神」がヒトを必要としたのだ。/──「神」が生まれるためにヒ
トは創られた。》

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