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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.3 (2000/09/30)
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実はちゃんと読んではいないのに読んだ気になってしまう本というのがあります。
書評や批評、研究書などそれについて書かれた文章や作者の対談などをたくさん読
んでいるうち、なんとなく読んだ気になってしまうんですね。私の場合、『百年の
孤独』や『善の研究』などがその典型。(実をいうと『善』の方は確かに読んだと
いう幻覚、いや幻記憶が強烈に残っているのですが、冷静に思い起こしてみると、
たぶん途中までしか読んでいなかったと思う。いや、確かに…。)最近では『朗読
者』や『ハリー・ポッター』や『コンセント』あたりが「実は読んでいないのに読
んだ気になってしまう本」の有力候補。

で、田口ランディさんの『コンセント』を三月遅れで(手元の本は9月5日付けの
第11刷)読んでみたわけです。これは実際ちょっと凄いと驚嘆しました。「一人の
喪失は一つの世界の消滅なのだ」(223頁)とか「語るって、相手の聞く力に支え
られてできる行為なんだよ」(230頁)とか(カイタイ=解体=トランス=意識の
変容=急性錯乱状態から)「最初に戻ってきた現実感覚は音だった。…それから匂
い」(263頁)とか、書き抜いておきたい文章が本書にはいっぱい出てくる。

そういえば、晶文社のホームページに掲載されていた『「聴く」ことの力』の鷲田
清一氏との対談(「立ち直りたいんなら、やっぱSMでしょ」)で、著者は「男の
身体はかわいそうですね。でも、男の人はもっと身体言語みたいなものを取り戻さ
ないと、正直に生きられないと思うんですよ」と語っているのですが、10月発売
の次作『アンテナ』を「書いていて思ったんですが、本能を解放するモードに入る
と、絶対に男のほうが強いんじゃないでしょうか。女のほうが強いぞと思って書き
始めたんだけど、書き進めるうちに男のセックスのパワーが凌駕してしまう。そこ
に行き着きたくないのに行き着いてしまった。身体性についての意識やイメージは
女のほうがあるんだけど、本質的に奥深い身体性の回路は、じつは男のほうが持っ
ているんじゃないか」とのこと。──これを読んで『コンセント』のテーマは実は
「身体」だったのだと、今さらながら気づく迂闊さ。

著者によると、『アンテナ』は「自傷癖のある男が、SMの女王様と出会って、S
Mを通じて立ち直っていく話」なのだそうで、オンラインブックサービス「bk1」
でもう予約販売が始まっていると「田口ランディのコラムマガジン」で紹介されて
いました。ちなみに、『コンセント』では確か2箇所(255頁と267頁)で「アンテ
ナ」という語彙が出てきます。
 

●5●田口ランディ『コンセント』(幻冬社:2000.6)

 今さら言うほどのことではないけれど、これは紛れもない傑作だ。──と、半分
ほど読んだところまでそう思っていて、その後ちょっと違うかなと一瞬だけ躊躇し
かけたけれど、読み終えてやっぱりこれは凄い小説だと唸った。感動した。深い。
物語の文法をきっちりと踏まえている。手放しで絶賛することの喜びを味わわせて
くれる小説にめぐりあえたのは久しぶりだ。(カバーの写真もデザインも秀逸。)
途中の逡巡は、アカシック・レコードやらシャーマンやら霊視やら意識の変容とい
った話題のせいではなくて、それは断固違っていて、むしろそういった事柄を小説
の題材として織り込みながら、これほどの「リアル」が表現できるのは相当の筆力
だと舌をまいている。(第一、感応は官能だなんて、そんな科白でもって読者を、
つまり私のことだが、納得させてしまう力量の持ち主はざらにはいない。)そうで
はなくて、謎めいた兄の死の意味を探っている主人公(朝倉ユキ)の意識の矢がい
つか自分自身へと向かっていくその転換点、本書のキーワードの一つを使えば「変
換」の瞬間を見逃してしまっていたからなのだと思う。もしかするとこれは、あの
『シックス・センス』みたいに、ネタをばらすわけにはいかない種類の作品なのか
もしれないのだけれど、友人の本田律子がユキに「コンセントは、あんた自身なん
だよ」と言うあたりでやっとそのことに気づくという迂闊さ。

 読後、すこし冷静になって(別に冷静になどならずともよかったのだが)ふりか
えってみると、本書にはいくつかの過剰がある。(ここで「過剰」とは、作品世界
のなかにうまく嵌め込めることができなかった素材のことをいう。うまく嵌め込め
なかったのは作者ではなく、読者である私。)たとえば、いずれもユキが好感を抱
く三人の男たちのこと。「他人にとって仏様は物です」と語るプロの葬儀屋と「人
間の体って、死なないんですよ」と語る清掃会社の美しい青年、そしてどこか機械
を思わせるところがあって「未来は過去の相似形や」と(なぜか関西弁で)語る精
神科医の山岸峰夫。彼らに共通するのは、いずれも「死」ではなくて「死体」を扱
う技術を身につけていることだ。山岸は、医学部を出た臨床家と文学部出の臨床家
の違いは「禊」を受けたかどうかの違いだと言う。「一番の禊は解剖実験だな。人
間の死体を腑分けするわけや。けっこうしんどいが、あれをやらんと医者になれん。
あれは一種の通過儀礼だと思った。」(214頁)──それにしても、山岸がなぜ関
西弁で語るのかは気になる。これはもう一つの過剰だ。もしかすると、関西弁は
「女言葉」の一種なんやろか。(と、文字で表記すると、紛い物の関西弁になって
しまうのはどういうわけなのだろう。本書を読んで、三島の『音楽』とならんで谷
崎の『卍』を連想したのは、何か深い意味があるのだろうか。)

 いま一つの過剰は、ユキの職業が金融関係のフリーライターに設定されているこ
との意味。ハードディスクやOSといったコンピュータ用語が作品中に頻出するの
は(これはこれでもう一つの過剰なのだが)なんとなく解る。が、なぜ株、相場な
のか。「よく聞かれる質問だ。株って面白いの? 面白いに決まっている。この世
界の裏側を動かしているシステムなのだ。」「相場って動かしているのは男なのに、
ヒステリックな女みたいに感情的なの。」(4頁)「ずっとヒステリカルな動きを
示していた相場が、だんだんと、ある全体性をもち始めているような気がした。…
お金の世界が変わりつつある。それは人間が変わりつつあるということと同義なん
だろうか。/人間の心のヒダに分け入って、過去のトラウマを分析している人はも
ちろんこんなことを知らない。…/世界はパラレルに存在している。どこかで、誰
かが世界を支えている。何らかの役割を担って。いや、違うのかもしれない。誰も
がどこかの世界に属し、何らかの力を発揮して、それぞれに世界を支えているのか
もしれない。ある者はお金で世界を支え、ある者は魂を送ることで神話的世界を支
えているのだ。」(207-8頁)──そして「世界は感情でできている。」(257頁)
このあたりにヒントがあることは間違いない。
 

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