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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.24 (2000/12/09)
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 □ ポール・オースター『ムーン・パレス』
 □ ポール・オースター『孤独の発明』
 □ ポール・オースター『偶然の音楽』
 □ ポール・オースター『ルル・オン・ザ・ブリッジ』
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いま、ポール・オースターの『空腹の技法 The Art of Hunger』(柴田元幸/畔
柳和代訳,新潮社:2000.8)を読んでいます。70年代、無名時代のオースターが
書いた十九本の短い批評と、やや長めの「二十世紀フランス詩」を含む七本の序文、
そして小説家デビュー後の四つのインタビューを収めた三部構成。これがまた実に
いい文章たちで、かつてのオースター熱が再発しそうです。

(タイトルの由来となった批評的エッセイ「空腹の芸術」のエピグラムに引用され
ているアントナン・アルトーの文章を抜き書きしておきます。──大切なのは、人
を空腹から守ってくれたためしのない文化を擁護することより、文化と呼ばれてい
るもののなかから、空腹と同じように人をつき動かす力を持つ思想を引き出すこと
ではないか。)

柴田元幸さんが『ダ・ヴィンチ』(2000.11)のインタビュー記事で、「流し読み
をするともったいない本です」と述べられています。まだ、カフカやマラルメの名
が出てくる文章をパラパラと拾い読みしただけなのですが、オースター・ファンで
なくても充分に楽しめるし、確かに流し読みなどするのはもったいない。

というわけで、今回はポール・オースター特集(?)です。これまでに読んだ作品
のなかから好きなものベスト3+1を選んで、あれこれゴタクを述べず、ただ印象
に残った文章を抜き書きするだけのことなのですが、これがまたファンには堪らな
く楽しい作業なのです。なお、『偶然の音楽』の項に掲載したのは、「オースター
通信」[http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/20.html]とい
う、オースターの名を世界的なものとした「ニューヨーク三部作」(『ガラスの街』
『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)を題材にして書いた(私の)文章からの抜き
書き。
 

●47●ポール・オースター『ムーン・パレス』(柴田元幸訳,新潮文庫)

《アパートのなかの、翳りゆく午後の光に包まれて、僕たちは何時間も愛しあった。
それは間違いなく、僕の身のうちに起きたもっとも素晴しい出来事のひとつだった。
いまにして思えば、僕という人間はそれによって根本的に変わったと思う。単にセ
ックスとか欲望の交わしあいとかいうだけの話ではない。内なる壁の劇的な崩壊、
わが孤独の深奥で起きた地震、そういうことを僕は言っているのだ。》(141頁)

《つまり、まずはじめに天文学がある。天文学があって、そこから地上の地図が出
てくる。ふだん何となく思っているのとは正反対さ。じっくり考えてみると脳味噌
がひっくる返るみたいな気になってくる。〈ここ〉は〈そこ〉との関係においての
み存在し、その逆ではない。〈これ〉があるのも〈あれ〉があるからだ。上を見な
ければ、下に何があるかはわからない。考えてみたまえ、自分でないものを仰いで
はじめて、我々は自分を見出すんだ。空に触れなければ、大地に足を据えることも
できない》(227頁)

●48●ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸訳,新潮文庫)

《言葉同士が韻を踏む。現実的なつながりは何はなくても、彼はそれらを一緒に考
えずにはいられない。部屋[ルーム]と墓[トゥーム]、墓[トゥーム]と子宮[
ウーム]、子宮[ウーム]と部屋[ルーム]。息[ブレス]と死[デス]。あるい
は「生きる」(live)という言葉を組み替えれば「悪」(evil)になるという事実。
……それぞれの言葉の核に、種々の韻や、類音や、重なりあう意味などの織りなす
網がある。それらの網目の一つひとつが、世界のなかの、たがいに反対で対照的な
要素を結びつける橋渡しとして機能するのだ。だとすれば、言語とは単に個々の事
物のリストではない。それらを足してあわせれば世界に等しい和が生じる、という
ものではない。……[モナドとしての言葉。ライプニッツの引用]……だが同じよ
うに、世界もまた、そのなかにある事物の総計ではない。世界とはそれらの事物の
あいだに存在する、無限に錯綜した結びつきの総体にほかならない。言葉の意味と
同じく、事物もまた相互の関係においてのみ意味を帯びる。……[耳にとっての韻、
目にとっての韻。パスカルの引用]……Aはこの発想をさらにもう一歩推し進め、
人生における出来事同士が韻を踏むこともありうるのだ、と考える。一人の若者が
パリで部屋を借り、父親も戦争中にその部屋に隠れていたことを知る。これらの出
来事を別々に見るなら、どちらについても言うべきことはほとんどあるまい。両者
を同時に眺めたときに生じる韻が、それぞれの現実を変革するのである。それはち
ょうど、二つの物体を近接させると、そこから電磁力が生じ、それぞれの物体の分
子構造はむろん、両者のあいだの空間にまで影響を及ぼして、環境全体を変えてし
まうのに似ている。二つ、もしくはそれ以上の出来事が韻を踏むことによって、世
界のなかに新たな結びつきが生み出され、経験の充満せる巨大な空間を循環すべき
もうひとつのシナプスがつけ加えられるのだ。…世界のなかに韻をかいま見るごく
まれな瞬間にのみ、精神はそれ自身から飛び出し、時空を超えて事物の橋渡し役を
努め、見ることと記憶とを結びつける。だがそこでは単なる韻以上のものが介在す
る。存在の文法にも、言語の文法に備わる要素はすべて備わっている。……[過去
は事物のなかにかくされていること。プルーストの引用]……[精神はそれ自身以
上のものを包含していること。アウグスティヌスの引用]……》(263?268頁)

●49●ポール・オースター『偶然の音楽』(柴田元幸訳,新潮社)

 ヴァン・ゴッホはテオドル宛の手紙で自らを「偶然の色彩家」と呼んだ。──僕
がここで念頭においているのはもちろん『偶然の音楽』なのだけれど、その「訳者
あとがき」で柴田元幸さんはオースターと「石」の関係について次のように書いて
いる。
 
 詩集『消失』に収められた(1970年代の)詩に頻出する、言葉を厳として拒絶す
る「厳しい石」から、オースター自ら監督・脚本をてがけた『ルル・オン・ザ・ブ
リッジ』(1998年)の、言葉を超えた次元へと人を導く「生命の石」(暗闇の中で
妖しい青い光を発する石)への変容。

 これらとは違った意味を担うのが、『偶然の音楽』(1990年)で富豪とのポーカ
ー・ゲームに敗れた二人の男──主人公ジム・ナッシュとその「スプートニク」(
旅の連れ)ジャック・ポッツィ──が奴隷のような境遇下でアイルランドから運ば
れた一万個の石を積み上げて城壁を再現する場面に出てくる石たちで、それは幽閉
のメタファーのようでもあれば過去の償いと救済をもたらすもののようでもある。
 
 以上が柴田さんの説。──僕は『言葉と物』というときの「物」にあてはめてオ
ースターの「石」を考えることができると思うし、ヴァルター・ベンヤミンが「歴
史のモナド的構造」というときの「モナド」に関係づけることもできると思う。(
ついでに書いておくと、近代カバラの創始者の一人イサーク・ルリアの「器の破壊」
の理論をもちだすこともできるだろう。)

 でもこの問題にはこれ以上立ち入らない。というのも、僕がここで伏線をはって
おきたいと考えたのは、石(固体=弾性体)との関係で「ガラス」(液体=粘性体)
を考えることだったのだから。(なんのための伏線か。いうまでもなく『ガラスの
街』と『幽霊たち』を結ぶための。) ──以下、略。

●50●ポール・オースター『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(畔柳和代訳,新潮文庫)

 脚本とインタビュー。オースター監督の映画もよかった。──暗闇の中で燦然と
光を放つ石に触ったシリアが、生命力と喜びに満ちた顔で(シナリオにそう書いて
ある)イジーに語る科白。《前よりも、つながってる感じがする。…なんだろう。
…自分と。テーブルと。床と。部屋の空気と。自分以外のすべてのものと。…あな
たと。》

 インタビューでのオースターの言葉。《物語を最初に書いたとき、あの石は何か
神秘的な、何もかもをくるみこむような生命の飛躍だと思っていた──二つのもの
をくっつけるもの、人と人をくっつける糊、愛を可能ならしめる未知のものだと。
やがて、イジーが箱から石を引っ張りだすシーンを撮影しているとき、違う考えが
浮かんできた。…石がまるでイジーの魂のように思えてきたんだ。…男は石に対し
て恐怖と混乱を示し、パニック状態に陥る。翌日、シリアに出会ってようやく、何
が起きたかがわかる。つまり、「自己」の真髄は、他人との関わりのなかでしか見
出せない。それこそが大きなパラドックスなんだよ。》

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