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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.22 (2000/11/23)
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 □ 瀬名秀明『八月の博物館』
 □ 松浦理英子『裏ヴァージョン』
 □ 坂口ふみ責任編集『「私」の考古学』
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旅先に持っていく本にはいつも悩まされます。どうせ立ち寄った書店で記念に何冊
か購入するにきまっているのに、車中の時間を計算もせず鞄いっぱい詰め込んでは、
まるで行商人のように持ち歩き、結局、あちこち読み齧りはするもののほとんど読
破できずに持って帰る、その繰り返し。

日本語の書物が入手困難な外国へ出かけるときはもう大変で、数日前からそわそわ
落ち着かず、必要以上に買い込んでは出発の数分前まで選びあぐね、いつぞや英国
へ十日ばかり出向いたときなぞ、ウィトゲンシュタインから樋口一葉まで十冊近く
機内に持ち込み、予定通りどれ一つろくに読めなかった。

先日、一泊二日で東京へ行く機会があって、往きは五冊、帰りは七冊、往復七時間
ですべて読み切ろうというのがどだい無理な話で、今回もまた重たい鞄を持って運
んだだけに終わってしまいました。その時読んだ本を含め、最近、不連続に読んだ
本たちをいくつか。
 

●40●瀬名秀明『八月の博物館』(角川書店:2000.10)

 タイトルに惹かれ、装丁・装画に惹かれ、そして瀬名秀明の新作だということで
安心して中身を確認せずに購入、旅先で若干の睡眠時間を挟み一晩で読み終えた。
そのあと人にやってしまい手元に残っていないので、物語の細部や登場人物の名前
などは記録できないけれど、タイトルと装画から連想し期待していた通りの読後感
がいまでも心の深いところに残っている。

 ある空間をリアルに復元すると、それはかつてあった現実の空間と「同調」する。
この、本書に出てくる「どこでもドア」ならぬ「ミュージアム」の原理を準用する
なら、ある時間をリアルに再現(想起)すると、それはかつてあった現実の時間と
「同調」する、つまり「永劫回帰」する。本書が湛える静かな感動(喪失感をとも
なった未来感覚とでも?)は、そのような物語の奇蹟とでもいうべきものの力によ
ってもたらされる。

 いろいろ趣向と工夫が凝らされた本書を簡単な言葉で括ることはできないと思う
し、もしかしたら作者は私が迂闊にも見逃してしまった巧みな伏線を張り巡らせて
いて、たとえば本書を読み終えた読者はその時点でもう一つの物語世界に入り込む
ことになっているといった大仕掛けが用意されていたのかもしれないのだけれど、
とにかくこれはとてもよくできた最後の夏休みの物語だ。(本書を読み終えて、大
長編ドラえもん、たとえば『のび太の魔界大冒険』を読み返したくなった。)

●41●松浦理英子『裏ヴァージョン』(筑摩書房:2000.10)

 読み始めたら止められなくなった。ソレルスの『黄金の百合』を思わせる作品の
趣向、というか仕掛けについては、いくつかの書評を読んで承知していたので、い
きなり「ステーヴン・キングまがいのホラー」や「アメリカのレスビアンSMを描
いた」短編群に接してもうろたえなかったのだが、家主の磯子こと鈴子(読者)の
「質問状」と居候の昌子(作者)の応答を屈折点として「ホモセクシャル・ファン
タジーを愛する日本の女」たちの物語、そして「詰問状」と「果たし状」をはさん
で「本格的な私小説、さもなきゃ自伝小説」やら実録議論(喧嘩)小説と、読者と
作者が変形されたかたちで登場する連作風の短編群が変幻自在に繰り出される後半
部を読み進めていくうち、語りのうまさに舌を巻きながらも、なぜ著者はかくも込
み入った構成を設えなければこの作品を仕上げることができなかったのか、そして
その構成、というより構造がどうして成功していると私は思うのか、そのあたりの
ことが気になって仕方がなかった。

 ただ一人の読み手との小説契約にもとづいて書かれた物語群とそれをめぐる作者
と読者(批評家)の交わり(時として役割交代)が同じ空間のうちに繰り込まれた
メタフィクション、そしてフィクションとメタフィクションを区画する関係の枠組
みそのものに言及し変換しつつそこに不変の構造を痕跡のように残していく、その
ような複雑な組み立てをもってしてはじめて「性」をめぐる語りの場が設えられて
いく。いまのところ私はまだ、そんな借り物の言葉を使った生硬で難解な言い方し
かできない。《ここにいるわれわれはすでに空に書かれたテクストの中にいる。か
れ[作者]がもはや書かなくてもいいところ。》――この第十四話の冒頭に引用さ
れたウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』(山形浩生訳)からの一文がヒン
トになるのだろうが、それもまた作者の仕掛けた罠なのかもしれない。
 付言すると、森岡正博氏が『親指Pの修行時代』の書評で次のように書いていて、
私はこれと類似した事情が『裏ヴァージョン』にも生じているのではないかと思っ
ている。(それにしてもこのタイトルは実に意味深長。気になってしょうがない。)
《松浦の小説を読んでいると、理科の実験室で、様々な制約条件を設定されて黙々
と動き回っている生物を、上から子細に観察しているような気分になる。たぶん、
これはサイエンティストの視線なのだ。》
☆[http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/oyayubi.htm]

 追記。第2話に出てくるマグノリアが、「一般的な夫とか恋人よりもずっと近し
い存在」で「何ていったらいいのかずっとわからなかった」エディ――十六歳のと
きマグノリアの母親殺しの計画を一緒に立てた(その計画は後に実現する)――の
ことを「共犯者」と呼んでいた。もしかしたら、この共犯者という言葉が鍵なのか
もしれない。
 二人で一人だった藤子不二夫やドゥルーズ/ガタリのこと、あるいは『トマスに
よる福音書』(荒井献訳)に出てくる次の記述を想起せよ。「あなたがたが、男と
女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、あな
たがたが、…一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、そのときにあなたがた
は、[天国に]入るであろう。」
 そして、ドゥルーズ「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」(丹生谷貴志訳)
のいくつかの断片。「倒錯者において性差が無効なものとなり、分身からなる両性
具有的世界が形成される、そのプロセスを重視すること。」「サディストは他者を
犠牲者あるいは共犯者として捉えるのであって、またそれ故に犠牲者も共犯者も他
者として理解されはせず、常にその逆、〈他者〉とは別の《他者》として捉えられ
ている。」「分身─犠牲、あるいは共犯者─分身、共犯者─元素」等々。(こんな
借り物の言葉ばかり収集せずとも、とにかく『裏ヴァージョン』は読み物としてと
ても面白かったのだからそれでいいじゃないかとも思う。でもやはり、どうしてこ
んなに面白かったのだろうと考えてしまう。)

●42●坂口ふみ責任編集『「私」の考古学』宗教への問い3(岩波書店:2000.10)

 本書第一部を構成する坂口ふみ「〈個〉のアルケオロジー―自我の祖型をたどる」
が実に芳醇な刺激と思想的「倍音」に満ちていた。坂口氏はこの論考で、形而上学
的・自然学的な「個」ではなく、おきかえのきかない「ひとりしかいない自分」と
いう意味での〈個〉の体験の祖型を西欧思想の古層にたずねている。私の内なる深
みの探求と大宇宙を統べる共通なる原理の探求の両者が実は車の両輪の関係にある
という「ヘラクレイトスのモチーフ」のその後の「変奏」をプラトン、アリストテ
レス、プロティノス、アウグスティヌスの思索のうちにたどり、ロゴスという概念
の「おどろくべき多義性と柔軟性」に東西思想の対話と歩み寄りのための大きな示
唆を見出すその叙述はスリリング。

 第二部に収められた五つの論考(彌永信美「魂と自己―ギリシア思想およびグノ
ーシス主義において」、熊田陽一郎「姉なる魂 宇宙霊」、桑子敏雄「同一性の宗
教空間―宇宙へと分散する「わたし」」、金学鉉「飯と天と人と―東学の思想」、
山本ひろ子「霊魂の形態学―中世神道の「発生」をめぐって」)も興味深いものだ
った。とりわけ彌永氏の文章は素晴らしくて、存在と生成の二元論からストア派・
ネオプラトニズム的三元論(プネウマ・ダイモーン・パンタシアあるいはヌース・
プシューケー・ソーマ)へといたる「ギリシアの魂の物語」の叙述を経て、グノー
シス主義のシュジュギアー(合一)体験や『トマスによる福音書』の記述から「シ
ジジイ」(細胞核の移動と融合と再分裂)による単性生殖へと向かうその筆の運び
に私はすっかり酔ってしまった。桑子氏や山本氏の論考も面白かったし、聖霊・魂
・気・義・霊示の各セクションに分割された「アンソロジー」(第三部)もとても
重宝。

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