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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.20 (2000/11/15)
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 □ プラトン『パイドン』
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西洋哲学の古典を読む、プラトン編(その一)。アリストテレス『心とは何か』の
解説で、訳者の桑子敏雄氏は、アリストテレスが心身が一つであるする立場から出
発したのは、師のプラトンがピュタゴラス主義的な思想をもち、プシューケーは死
後肉体を抜け出て輪廻すると考えていたことにきわめて批判的だったからだと書い
ています。その「プラトンの思想を見るには、『パイドン』を読むとよい」とも。
で、読んでみたわけです。
 

●38●プラトン『パイドン』(岩田靖夫訳,岩波文庫)

 快と苦痛とは二つ(反対物)でありながら一つの頭で結合されているみたいに不
可思議な関係にある。そのように語り始めたソクラテスは続けて、すべての事物の
生成過程は「反対のものが反対のものから」であることを示し、そこから生とその
反対物である死との循環を導き出す。次いで、イデアの認識に関する「想起説」(
もしもだれかが何かを想起するならば、かれはそのものをかつて以前に知っていた
のでなければならない)でもって生前の魂の存在を証明し、合成物と非合成物、分
解可能なものと「常に自己同一を保ち同じようにあるもの」、あるいは目に見える
ものと目に見えないものへと存在を二分することでもって死後の魂の存在を証明す
る。

 ここまでが「魂の不死」をめぐる対話の前半。「白鳥の歌」や「言論嫌い(ミソ
ロギア)への戒め」をめぐる「間奏曲」(いずれも訳者が付した目次から)を経て、
二人の弟子の反論とソクラテスの答えからなるクライマックスへと進んでいく。

 シミアスの反論。肉体の調和(ハルモニアー)がわれわれの魂であるとすれば、
肉体の死とともに魂も滅亡するのではないか。ソクラテスの答え。学習とは想起で
あり、したがって魂は肉体のうちに縛りつけられる以前にどこか他の所に必ず存在
していたと君は認めたではないか。そうだとすれば、調和(魂)を合成すべき構成
要素(肉体)が存在するより以前に、合成された調和としての魂がすでに存在して
いたことになるが、この帰結を君は受け入れるのかね。学習は想起であるという説
と魂は調和であるという説ははたして「調和」するのだろうか。

 ケベスの反論。魂が人間の姿の中に入る前にも存在していたことは十分証明され
た。しかし肉体の死後もなおどこかに存在することは充分に証明されていない。数
多くの生まれ変わりを経るうちに魂が困憊し、何度目かの死に際して遂にまったく
消滅してしまう可能性があるのではないか。ソクラテスの答え。君は魂が不死、不
滅であることの証明を求めている。この問題は容易ならぬものだ。

 こうしてソクラテス(プラトン)はイデア論による「霊魂不滅の最終証明」(訳
者)を試みるのだが、これがなんとも奇妙な論法なのだ。(それまでの議論にも、
まるで長屋のご隠居が得意の「語り」でそそっかしい店子たちを煙にまいているよ
うな「おかしみ」を私は感じた。ソクラテス自身が、いやプラトンがソクラテスに
「僕の言い方は契約文書じみている」といわせているように。しかしこの最終証明
には、それらを凌駕して尋常ならざるものがある。)

 簡略化するとこうなる。Aというイデアが、たとえば美そのもの、善そのもの等
々が存在する。これを根本前提としよう。ある事実がAという性質あるいは形相を
もつとき、つまりイデアAを「分有」するとき、その事物は「A」の名で呼ばれ、
かつそのような固有の本質をもったものとして生成する。ところでAは反対関係に
ある非Aにはなりえない。

 ──いま議論している事柄は、先に述べた事物の生成過程(反対のものが反対の
ものから生成する)とは異なることに注意せよ。《すなわち、あの時には、友よ、
われわれは反対の性格をもつ事物について語っていたのであり、その事物を反対の
性格自体の呼び名で呼んでいたのであった。だが、いまは、その反対の性格自体に
ついて語っているのであり、それに従って名づけられた事物は、その性格が内在す
ることにより、その呼び名を得るのである。この反対の性格それ自体は相互への生
成をけっして受け入れようとはしない、と、われわれは主張するのである》。

 さて、Aは反対関係にある非Aにはなりえない(Aは非Aを受け入れない)とす
ると、「A」の名で呼ばれる事物は、Aのイデアを分有すると同時に非非Aのイデ
アも分有することになる。つまり「A」の名をもつ事物は同時に「非非A」の名で
も呼ばれる。「では、答えてくれたまえ。身体のうちに何が生ずると、それは生き
たものとなるのだろうか」「魂が生ずると、です」「それなら、魂は、生とは反対
のもの、つまり死をけっして受け入れないのではないか」「まったく、そうです」
「よかろう。では、死を受け入れないものを、われわれは何と呼ぶかね」「不死な
るもの、と呼びます」。Q.E.D.

 それにしてもこれは奇妙な論法だ。そもそもイデアAを分有する事物が「A」と
呼ばれることと、そのような「A」がAという性質あるいは形相をもつものとして
生成することとはまったく別の議論なのではないか。桑子敏雄氏によると、アリス
トテレスがプラトンのイデア論を批判したのはまさにこの点である。プラトンが説
明する「想起」とは、たとえば描かれたシミアスを見てシミアスその人を思い出す
ことなのだが、アリストテレスはそのような類似性(相同性)の問題と事物の生成
(発生)の問題とを区別し、イデア無用論を主張した。桑子氏は、アリストテレス
の主張の根柢には「世界と世界に対するわたしたちのかかわりについての或る根本
的な洞察」があると書いている。

《多様な事物についてのわたしたちの知識は、それらの示す類似性にもとづく類的
な相貌によってはじめて成り立つということ、しかし類的な語は、類的な相貌を示
す多くの事物の上に離れて存在するものを意味しているのではないということ、…
そうした類似性は生成物がその名で呼ばれる形相によって世界に固定されているこ
とである。(略)アリストテレスは繰り返し「ヒトがヒトを生む」という標語を口
にする。これは単なる経験的事実を述べたことばではない。それはわたしたちの知
の活動が世界に接する場所を指定することばである。わたしたちの知に含まれる経
験は、生成という自然界の現象と普遍的な知が交差する地点から広がってゆくので
ある。その地点の道標となっているのがエイドスの名にほかならない。》(『エネ
ルゲイア』第一章)

 私の結論。アリストテレスの勝ち。ただしそれは、哲学者としての論理的思考の
徹底性において。つまり「イデア」を概念ととらえる限りにおいて。しかし、プラ
トンの言説にはアリストテレスのそれとは異なる強度がある。知的関心から見ると
稚拙だが、なにか「魂」をゆさぶるところが(少なくともその可能性が)ある。そ
れを高次と呼ぶかどうかは別として、アリストテレスの議論とは根本的に次元が違
うのではないかと私は思うのだ。ソクラテスの死に立ち会ったパイドンが、ソクラ
テスの死後、友人に乞われて語った魂をめぐるソクラテスと弟子たちとの対話を、
病気ゆえソクラテスの死に立ち会えなかった(と『パイドン』には書いてある)プ
ラトンが書き残す。この二重に囲われた異様な構成のうちに語られるイデア論。そ
して魂の不死の最終証明を終えたソクラテスが死の直前に語った天上世界をめぐる
「神話」。これらは一つの「方便」なのではないか。

 こうした事柄を考えるうえで、たとえば訳者解説に出てくる次の二つの記述がヒ
ントになりはしまいか。──プラトンが本書を著わしたのは、第一回シシリー島訪
問でピタゴラス学徒と知り合い、その記憶が生き生きと残っていた頃であったこと。
また次の文章。《…対話の中に現れるいろいろな議論は、それ自体が独立して成立
する主張ではなく、生きた対話の流れの中でのみ意味をもちうる、運動する議論の
一つの契機であることを忘れてはならない。それは、生まれては死に、死んでは生
まれる、生命のある言葉の一切れなのである。》

 ここで私が想起していたのは、D.H.ロレンスが黙示録論(邦訳『現代人は愛し
うるか』)で「古代人の神」と規定したもの──「あるいは青色の閃光が突如とし
て意識をとらえることがあるかも知れない、そうしたらそれが神となるのだ。」─
─であり、私が考えをめぐらせていたのは、このような感覚と抽象とのより「深い」
関係を通したイデアの把握、そしてイデアの分有と神の受肉、イデア論と東方的三
一論との関係といったことなのだ。

 しかしここまで書いてきて唐突に、やはりアリストテレスの方が「深い」のでは
ないかと思えてきた。それは上の桑子氏の文章や「プラトンのイデア論を批判して、
個物の存在をいわば救い出そうとしたアリストテレスの思考」という坂部恵氏(『
ヨーロッパ精神史入門』)の言葉、あるいはポパーの「プラトンの呪縛」などがふ
と頭をよぎったからだ。しかしもうこれ以上愚にもつかない繰り言は止めにして、
二千三百年以上も昔の二人の哲人が残した「生命のある言葉」(魂?)のうちにい
まいちど深く沈潜することにしよう。

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