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 ■ 不連続な読書日記               ■ No.18 (2000/11/5)
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 □ 田口ランディ『アンテナ』
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アリストテレスの『心とは何か』(桑子敏雄訳,講談社学術文庫)に、ヒトのもつ
触覚はもっとも精確なものであり、人類に賢愚のあることはこの器官によるという
叙述(118頁)が出てきます。また、多木浩二著『ベンヤミン「複製技術時代の芸
術作品」精読』(岩波現代文庫)の「触覚の人ベンヤミン」の章に、次の文章が出
てきます。

《触覚的知覚は、あえていうなら現象学的な経験の根源をなしている。現象学も含
め、これまでの思想のほとんどが、視覚の比喩で成り立っていたことを思うと、触
覚を根源に据えることは、思考そのものの大幅な組み替えである。しかも触覚は再
現できないのである。》(124-5頁)

何が言いたいのかというと、『アンテナ』は触覚の物語、つまり皮膚と肉の物語で
あるということ。──また、『アンテナ』は知と血の物語でもある。まず「血」に
ついては、『心とは何か』の訳者、桑子敏雄氏が『「私」の考古学』(宗教への問
い3,岩波書店)に寄せた「同一性の宗教空間──宇宙へと分散する「わたし」」
のなかで、次のように書いているのが参考になります。

《朱子学では、世界全体は「気」という物質的な要素によって構成されると考える。
「物質的」といったが、生命をまったくもたない物質を意味しているわけではなく、
気の集散が生命を生み出すのであり、人間の精神のはたらきもまた気の作用にほか
ならない。》(156-7頁)

《なぜ死んだものに対して儀礼を行うのかという疑問に対しては、朱熹はそこに「
感格の理」ないし「感通の理」があるという。死んで気が発散してしまうといって
も、完全に散じ尽くしてしまうわけではない。死者の子孫は、死者に対して感応す
る。つまり死者の思い出を想起し、その思い出を語る。死者がそのような力をもっ
ているかぎり、死者の気は散じ尽きてしまっているわけではない、と朱熹は理解す
るのである。(略)生前の気のはたらきがわたしたちの記憶のなかに残っていると
いうことは、その気のはたらきが完全に消滅していないということを意味している。
》(162頁)

いま一つの「知」については、これもまたアリストテレス由来の「能動知性」(桑
子訳では「作用する理性」)が関係してきます。このことについては別の機会に書
くとして、ここでは、『アンテナ』には知りたがる人たちが三人登場することを指
摘しておきます。藤崎美紀と相馬俊平と荻原祐一郎(語り手)。これと対照的なの
が「冷たい手」(「ひんやりと冷たい」大地へ、「地中を流れる無数の水脈」へと
通じる)をもつ人たち、ナオミと「先生」(祐弥の主治医)の存在です。物語の展
開とともに、語り手が前者から後者へと移行していくこと、精確に述べれば、知と
血を総合(?)していくことが本書を解く鍵になると私は考えています。

それにしても『アンテナ』は、前作にも増して強靭な構造と仕掛けをもった知的構
築物で、解読されかつ結合されるべき記号群がいたるところにばらまかれています。
私にはそのすべてが見えていないし、気がついた「謎」の多くはまだ解けません。
たとえば、「三位一体は、癒しの形だと思う」(216頁)と美紀が言い、「大切な
のは三だ。三つが集まった時に世界はジャンプする」(224頁)と祐弥が語り、風
水師の東堂が「生者と、死者と、大地の気の三つが合わさった時、転換は起こる」
(263頁)と摂理を述べる。このクライマックスに向けて明らかに計算された反復
は、物語世界の構造とどうかかわってくるのか。

なかでも最大の「謎」は、どういうわけか固有名を割り当てられない登場人物であ
る「先生」の存在です。読者の代理者、この物語のほんとうの作者(記録者)、神
のような存在(第四人称?)、あるいはこれらの「解釈」を超えたもの。《彼は黙
って頷いた。まるで僕に起こったことをすべて知っているような優しさで。(略)
僕たちに何が起こったか。それは言葉でうまく伝えられるような性質のものじゃな
い。でももし、先生が本当に知りたいと切望するのなら、伝えることができるかも
しれない。真実を語る言葉は、それを聞こうとする人にしか、話せないから。》
(295-6頁)

最後に、以上述べたいっさいの知的意匠を拭い去ったときに見えてくるもの。『ア
ンテナ』は英雄譚である。(英雄譚に謎解きはつきものだ。作者の手玉にとられる
読者!)
 

●35●田口ランディ『アンテナ』(幻冬舎:2000.11)

 この作品は紛れもない「家族小説」の傑作だ。あるいは、男が男になる「切断」
の物語。傷ついた触覚(皮膚)をめぐる「接続」=快復の物語。──コンセント(
女性性器)、アンテナ(男性性器)ときて、さて次は何だろう。本書でたしか一度
出てきた「スイッチ」あるいは「チューニング」あたりだろうか。(両性具有者の
性器、あるいは性転換=生転換のための器官たる「モデム」?)

 家族小説。──父(男)と母(女)と子の三位一体。セックス(生殖)と成長(
性徴)と弔いの物語。「シ」が父を現し、切断を意味する。母を現すのは「チ」で、
これは接続を意味している。知(チと読むが、動詞形ではシる)と血、死と地、哲
学(言語的妄想)と心理学(物質的妄想)。それでは第三の音、子を現す音は何な
のだろう。(「キ」? それとも「ヒ」か「ガ」?)
 切断の物語。──「じゃあ、僕も兄さんの夢なんだね。」(198頁)夢=妄想(
リアリティのある妄想、というよりリアリティそのものとしての妄想)=パーフェ
クト・ワールド=金魚鉢=家族的無意識の切断、少女の殺戮、そして大海原=世界
への帰還。「僕は女性性を取り戻した。だから女性が何をしてほしいのかが手に取
るようにわかった」(233頁)。
 接続の物語。──アンテナ=触角が媒介するもの、声と映像(フラッシュバック
)。「声だ、ナオミの声は触覚を刺激する。声が僕に一つになろうと誘惑する。」
(235頁)他者のためのメディア(他者を映す鏡)としての顔。「カガミからガを
抜くと、カミになる……。」(218頁)そして、皮膚(襞)。冷たい手をもった二
人の登場人物、祐弥の主治医とナオミ。「もしかしたらこの世界は同じ物質で作ら
れているのじゃないか。」(223頁)

 ところで、本書を読みながら村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をしきりと連
想したのはなぜだろう。それはたとえば、本書に出てくる「コンセント」と名乗る
女性(セックスによって他者を癒す女性)やナオミ(シャーマンと呼ばれる女王様)
の存在が、加納クレタ──加納マルタの妹で、幼少の頃からあらゆる「痛み」に取
りつかれ、肉と精神を分離する方法を学び「僕」と夢の中で交わる「意識の娼婦」、
そして最後に「僕」と肉体的に交わることによってその名前を失う──を想起させ
たからだろうか。
 あるいは祐弥のヘッドホンの中で、そしてナオミの部屋で響いていた(シャーマ
ンならぬ)シューマン、ロラン・バルトが「狂者の痛み」を聞き取ったシューマン、
そして『森の情景』第七曲「予言する鳥」の作曲者シューマンの残響なのだろうか。
──ミシェル・シュネデールは『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫訳,筑摩
書房)で、苦しみ(souffrance)と痛み(douleur)の違いをめぐって次のように
書いている。

《…苦しみがまずは誰か人間の存在を想定する、自分自身の内部でそれを感じ、そ
れを強くかきたて、それを汲みつくす人間を想定するのに対して、痛みの方はわれ
われの内部の無名の存在に関係している。(略)苦しみは私のものなのであり、あ
るいは逆にわたしは苦しみの所有物なのである。苦しみは主体そのものを問題化し
ない。苦しみは主体を作り替え、その変貌を助け、その本質的繊維を織り上げる。
(略)これに対して痛みは主体を解体し、糸をほぐしてしまう。痛みについて語ろ
うとするのであれば、非人称的な語り口が求められざるをえない。今度はそれほど
簡単にわたしの痛みとは口にできなくなる。痛みは「わたし」ではなく、いわば「
誰でもない人」にかかわるものなのである。痛みは自己の忘却にほかならない。》
(33頁)

《痛みは快不快とは別の次元にある。苦しみには快感が隠れているのだが、痛みの
場合はそのようなことはありえない。痛みのなかには虚無がある。フロイトが憂鬱
症患者について語るとき、彼が用いるのは苦悩 Leid という語であって苦痛 Schm
erz ではない。(略)フロイトの表現を借りるならば、シューマンの音楽は快感原
則の彼岸にある。…言語原則の彼岸にあるという言い方も成り立つだろう。たぶん
それは同じひとつのことなのである。シューマンの音楽は別次元、すなわち反復、
死の欲動、抑鬱の次元にある。(略)シューマンを弾くときは、喜びを感じること
はまずありえない。ショパンやブラームスとはまったく異なるわけであり、まるで
あの痛みのなかに入り込み、そこから抜け出せなくなる心配があるというかのよう
なのだ。この音楽──なぜにと問う──、それは傷ついた皮膚、日々を織りなす繊
維の破壊、静かな苦悩の包囲、突如として化粧が落とされた生の姿にほかならない。
》(37-8頁)

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