ベンヤミン・ノート[1]
 
 
 

【オデュッセウス的】1997.11.9
 
 マレイ・ゲルマン『クォークとジャガー』(野本陽代訳・草思社)のまえがきに、次のような文章がありました。
 <ニーチェは人間のタイプを「アポロ的な人」と「ディオニュソス的な人」とに分類した。前者は論理、分析的な方法、証拠に基づき冷静に判断することを好み、後者は直観、総合、感情により傾いている。こうした性向は、左脳と右脳のどちらを主に使用しているかに関係している、とよくいわれる。しかし、なかには別のカテゴリー「オデュッセウス的な人」に属する人もいるように思える。ニーチェのいう二つの傾向を併せもち、いろいろなアイデアのあいだの関係を追究するタイプである。>
 
 ニーチェ由来の「アポロ的」と「ディオニュソス的」を人間の性向の類型と見ても少しも面白くないし、ましてや両脳の機能分化に結びつけたところでそこから刺激的な議論が展開できるとはとても思えません。(そもそも魅力的なタイトルと某サイエンスライターが絶賛していたのにつられてとにかく最後まで読んでみたこの書物は、少なくとも私にとって「読み物」としてはいまひとつだった。)
 ただ「オデュッセウス的」という表現はちょっと面白いし「使える」と思いました。以下はニーチェともマレイ・ゲルマンともいささかの関係もない、私の勝手な議論(というより思いつき)です。
 
 まず、ディオニュソス的という言葉から私が連想するのは「死」です。あるいは「可死性」といってもいい。ただし、ここでいう死は虚無を意味するものではなく、強いていえば豊穰な死、死を媒介として無際限に繁殖していく薄気味悪いものとしての生のイメージを伴った死。生に犯された死。あるいは植物的な生。
 一方、アポロ的という言葉からは「不死性」を連想します。死を超越した生や死の彼岸にある生ではなくて、より正確には「不可死性」とでも表現すべき強いられたものとしての永遠の生。いましめられたイデア。あるいは、鉱物的な生。
 
 これらに対してオデュッセウス的という言葉は、紛れもない死、プロセスとしての死そのものを連想させます。ここでいうプロセスとは旅、遍歴、エグザイル、冥界降りなど、そこから時間や歴史や物語が分泌され産出される何かしら根源的で単純な出来事の連鎖のようなもの。あるいは、そこにおいて細部と全体が対等の広がりと奥行きをもって拮抗しうる場としてのプロセス。(動物的で悲劇的な生。そして、生と死が共在する菌類の生。)
 オデュッセウス的という概念で私が考えているのは、実はベンヤミンの生の軌跡でありその思考のスタイルなのです。ただしこれは直観にすぎず、いまの私にはこれ以上の議論を展開するだけの素材の持ち合わせはありません。
 
 ところでマレイ・ゲルマンといえば「クォーク」の命名者、そして今をときめく複雑(適応)系の科学の総本山サンタフェ研究所の創設者です。
 前掲書のタイトルは、単純で基本的なもののメタファー(クォーク)と複雑なもののメタファー(ジャガー)との組み合わせでできていました。著者はそのプロローグの中で、ジャングルでのジャガーとの遭遇という出来事を生き生きと叙述し、<私たちの身のまわりの世界は、生物、非生物にかかわらず、それ自身の歴史をもった個別のものによって構成されている>という認識=発見を書き記しています。
 そして、物質の究極の構成要素を支配する普遍的で単純な法則の理解と、ジャガーに象徴される個別的なものを生み出す生物の進化や言語・文化の進化といった複雑なものの探究とが、奥深いところでつながっている一つのものであることに気づいたことも。
 
 単純なものと複雑なもの、普遍的なものと個別的なもの、全体と細部、近いものと遠いもの、根源と表徴、等々──これら相反するものの異和と親和を同時に感受し表現する思考の両義性が、私をひきつけてやまないベンヤミンの魅力です。(などと、かつてほとんど理解できないままにベンヤミンを読み漁った頃の感覚を想起しながら、勘を頼りに書きました。)
 
 最後に一言。「クォーク」の名の由来はいうまでもなくジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』。ジョイスの『ユリシーズ』は、これまたいうまでもなくオデュッセウスのラテン名の英語読み。そしてジョイスについてベンヤミンは、カフカ、プルーストと並べて「現代の詩人の中の三人の偉大な形而上学者」と呼んでいる。このあたりのことをいずれ詳しく探ってみたい。
 

【オデュッセウス的(続)】1997.11.14
 
 アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』に、西欧文明の原テクスト『オデュッセイア』をめぐる論文が収められています。
 そこに描かれたオデュッセウスは知謀に長けた英雄で、この場合、英雄とは「生き延びる人」あるいは「帰郷する人」のことにほかなりません。
 生き延びるために策を弄し(理性を発揮し)圧倒的な自然の誘惑を断ち切り(自然を支配する者として自己を修練し)、そのようにして獲得した「主体」のうちに外面的自然が孕む根源的・神話的な暴力を繰り込んだ仮借なき殲滅者となって帰郷するオデュッセウス。
 
 野蛮(獰猛な自然)の否定としての「主体」化への道筋(啓蒙)のうちに再び野蛮への兆しが懐胎されること(仮借なき暴力としての自然の内面化)──神話はすでに啓蒙であり啓蒙は神話に退化するしかないこと──が、オデュッセウスの帰郷譚(神話)を物語るホメロスの語り(叙事詩)のうちに示されているというわけです。
(ここでアドルノ/ホルクハイマーが着目しているのはホメロスの語り口がもつ可能性──叙事詩から小説へ、そしてメルヒェンへと移行する──であり、またベンヤミン自身も神話とメルヒェンの境界線にオデュッセウスを位置づけていた(らしい)のですが、これらについてはいずれ機が熟せば本格的に取り上げてみたいと考えています。)
 
 さて私が述べたかったのは『啓蒙の弁証法』の面白さではなく、ベンヤミンの生の軌跡がいま紹介したアドルノ/ホルクハイマーによるオデュッセウスのそれとちょうど裏返しの関係にあるのではないかということでした。
 それは、自ら進んで罠にはまり窮地に陥ること、危機に接近し破局に沈潜すること──つまり、生き延びること=帰還することから最も遠い軌跡を描きながら、そこから救済へと至る不可能な途を模索すること──と形容できるでしょうか。(ところでベンヤミンが帰還すべき場所とは?)
 
 たとえば死の前年、ゲルショム・ショーレム宛の書簡に<フランスはぼくにとって今のところ最大の危険地帯になっている>と書いたベンヤミンは、しかし仕事場の国立図書館──ベンヤミンの友人ジョルジュ・バタイユが司書をつとめていた!──に通うため亡命先のパリにとどまりボードレール論の執筆に没頭していたのです。
 それは運命による悲劇なのか、それとも性格(破壊的性格?)に基づく一種の喜劇なのか。いずれにしても、アンチヒーローとしてのベンヤミンの生の軌跡は、私たちにはうかがい知れない秘められた教説に導かれているかのように謎めいた部分を宿しています。
 

【エッセイ的思考】1997.11.24
 
 今村仁司『ベンヤミンの〈問い〉』の冒頭で紹介されているベンヤミンに関する評言の一つに、<ドイツにはなかったエセー形式の哲学>の開拓者というのがあります。だれがそのようにいっているのかは知りませんが、私はどこかすわりの悪いものを感じました。というのもジンメルの存在があるからです。
 
 北川東子氏は『ジンメル──生の形式』(講談社)の中で、<現代ドイツの哲学には、「エッセーの思想」ともいうべき流れがある>(232頁)と指摘しています。そして、初期のルカーチやアドルノといった例示とともに、ベンヤミンが『パッサージュ論』で流行や売春や冒険について語ったこと、さらにはブロッホが『ユートピアの精神』で「古い瓶」について語り、ハイデガーがブレーメン講演「物」でやはり「瓶」を扱ったことを挙げた後で、<わたしはそこにジンメルに遡る懐かしい形を認める>(237頁)と書いているのです。
 
<…エッセー的な語りを通したジンメルの教えがある。それは、いっさいの些末な現象を、ジンメル言うところの「存在の内の切片」を、哲学のうえで切り捨ててはならないという「哲学的文化」の教えである。「たがいに見つめ合うこと」や「顔」について、「橋」や「扉」について、「取っ手」や「椅子」といった日常的な道具存在について思考することをやめてはならない。それらの些末な現象において、哲学的になにを獲得できるかは、まだこれからの課題なのである。>(同書236頁)
 
 このような文章に接して、私はジンメルとベンヤミンとの間にある「親和的」なものをより一層強く感じます。実際、北川氏は同書巻末の文献案内の中で、<ベンヤミンは、ジンメルの「精神的な相続人」とみなすことができる>(285頁)と書いています。この魅力的な二人の思索家をつなぐものこそが<エッセーの思想>──あるいは<エッセーのスタイルに結晶せざるを得ないような思考運動>(高橋順一『ヴァルター・ベンヤミン』12頁)──にほかならないのでしょう。
 
* ちなみにベンヤミンは『パッサージュ論』の中で、『ドイツ悲劇の根源』で用いた「根源」という概念は、ゲーテ植物論の基本概念である「原現象」という概念を<異教的な観点で捉えられた自然の脈絡から、ユダヤ教的に捉えられた歴史のさまざまな脈絡に移し入れたものである>こと、そしてそのことがはっきりしたのはジンメルの『ゲーテ』を読んだからであると述べている。
 
* 細見和之氏『アドルノ──非同一性の哲学』
<「形式としてのエッセイ」でアドルノは、エッセイは断片において考える、と述べている。現実が総体として把握されず、きれぎれの断片としてしか出会われない時代に、その破れ目を覆い隠すのではなく、その破れ目をとおして考えること、それがエッセイ的思考の面目躍如とした点である。こういうエッセイというスタイルをつうじてアドルノは、クラカウアーやベンヤミンのミクロロギーの視点を引き継ぎつつ、微細な部分に沈潜して、大きな問いを成り立たせている現実そのものを、内側から破砕する方向を示唆せんとするのである。>(82頁)
 
* 高橋順一『ヴァルター・ベンヤミン』
<…もし表現の真理内容が顕在化されぬままに終われば、表現自身もそしてまたその表現を読み解こうとするこころみも共に挫折する。それは表現と表現の真理内容の間の非同一的な関係が孕んでいる宿命といってもよいだろう。だが真理内容を「読むこと=認識すること」はこの危機の状況のただ中へ入っていくことによってしか成立し得ないのだ。ベンヤミンにおけるエッセーという表現スタイル、あるいはオーム・ド・レットル[文の人]としての思考スタイルは、こうした危機の中へ踏み込んでいくことをつねに回避しない姿勢と深くつながっている。
 思えばベンヤミンの生涯自体が、こうした「危機」的状況に実人生そのものにおいていくたびも遭遇し、そのたびに不器用な挫折を繰り返すという経過をたどっていった。ベンヤミンの生そのものが、自らのはめこまれているさまざまな状況の中で、いわば表現と表現の真理内容との間のずれや抑圧・隠蔽の関係を運命として受容しつつ、危機を生きるのである。>(17頁)
 
* エッセイ的思考の人ベンヤミンとともに、書簡的思考の人ベンヤミンを考えることもできるのではないか。その系譜はおそらくライプニッツにつながっていくように思う。
 

【ヴァルター・天使・ベンヤミン】1998.1.25
 
 ユダヤ人の男性は市民生活で使う名以外に、割礼の際に授けられるヘブライ名をもっていて、シナゴーグでの礼拝など宗教生活の場でこれを使ったのだそうです。そして改宗ユダヤ人の間では、このヘブライ名は固く秘守すべきものとされていた。
 ベンヤミンの言語論で「名」が独特の重みと陰影を与えられているのは、このあたりにもその出所がありそうです。
 
(レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で報告したナンビクラワ族の「固有名詞の諍い」とこれをめぐるデリダの解釈、グリムのメルヘンに出てくる小人の話や『ゲド戦記』、あるいは日本でも、昔の武士が元服とともに童名を廃したことや歌舞伎の世界で今も行われている襲名など、「名」をめぐる現象と機能を根源的に考察することはきっと刺激的なことでしょう。)
 
 ところで、ベンヤミン自身のヘブライ名は何かというと、「イビサにて、1933年8月13日」と執筆の場所・日付が付された手記で紹介されているように、それは「アゲシラウス」(古代スパルタの王の名)と「サンタンデル」(スペインの地名)の二つでした。
 といってもこれはベンヤミンの仮構であって、ゲルショム・ショーレムによれば、この名は“ Der Angelus Satanus ”(悪魔なる天使=堕天使ルシファー)のアナグラムなのだとのこと。
 
 この手記の中で、ベンヤミンは次のように記しています。
 
 <わたしが住んでいたベルリンの部屋でも、あれ、つまりあの新しい天使は、ある時まで自らの像を壁にしっかり固定していたが、やがて、甲冑を身にまとい、わたしの名のなかから抜け出してくることになったのだ。カバラの語るところによれば、神は、一瞬ごとに無数の新しい天使を創造し、それら各々の天使に、玉座の前でほんの一瞬神を讃える賛歌を歌ったのち無のなかへ消えてゆくことを、唯一の使命として課しているという。新たに出現した天使がそうした天使のひとりであることは、自ら名乗るまでもなく、明らかなところであった。ただひとつ危惧されるのは、わたしはこの天使を不当に長いあいだ、賛歌を歌わせないままにしておいたのかもしれないということだ。>(「アゲシラウス・サンタンデル」(道籏泰三訳『来たるべき哲学のプログラム』,晶文社所収))
 
 ここに出てくる「新しい天使」とは、いうまでもなくパウル・クレーが描いた絵画のことであって、ベンヤミンが1921年に入手し、パリ亡命中の2年を除き、最期の時までその傍らにあったものにほかなりません。
 また、引用文中の<カバラの語るところによれば>以下は、1921年に書かれた「雑誌『新しい天使』の予告」でも<タルムードの伝えるところによるならば>云々とほぼ同様の内容で言及されており、続けて<そのようなアクチャアリティーこそが唯一の真実なもの>なのであると記述されていました。(岩波文庫『ベンヤミンの仕事1』103頁)
 
 しかし、この手記の中に現われる甲冑を身にまとった天使(=悪魔)は、かつての天使像とはまったく趣が異なっています。(以下、稿を改めます。)
 
* ピエール・クロソフスキーのベンヤン評。「天使の魂。実際、彼は天使のごとき人物だった。」(出典不明)
 
* 野村修氏は『ベンヤミンの生涯』(平凡社)の中で、クレーの絵はベンヤミンの生涯の転機において三度<かれ自身を読むための鏡>としての役割を果たしたとしている。一度目は<時代精神のアクチャアリティー>を証言する雑誌の象徴として。二度目は<甲冑を身にまとい、わたしの名のなかから抜け出して>きたものとして。そして三度目に現われた天使こそが、あの「歴史の天使」である。
 

【三木清とベンヤミン】1998.2.8
 
 昨年、川勝平太氏の『文明の海洋史観』(中央公論社)を読んでいて、面白い記述をみつけました。前後の文脈を大胆に省略して(というよりほとんど忘れてしまったので)該当箇所だけを引用します。<ヘーゲルに西田幾太郎を、ダーウィンに今西錦司を対置することに、それほど異論はないであろう。しかし、マルクスに梅棹忠夫を対置することは、どこか無理がある。>(106頁)
 
 最低限の前提に触れておくと、ここで川勝氏が試みているのは、西田→今西→梅棹の系譜に代表される京都学派の認識論的構図を「存在と空間」と見定めて(これに対する近代西洋のそれは「存在と時間」)、そこから西洋舶来の唯物史観とは異なる日本固有の歴史観としての「生態史観」をあぶりだすことです。
 川勝氏自身は、これらはいずれも「陸地史観」としての限界をもっていると批判し、独自の「海洋史観」を打ち出しているのですが、それはさておいて、ここで私が注目したいのは、川勝氏の次の指摘なのです。
 
 <京都学派から新しい社会科学が生まれる可能性は、西田哲学から自然科学への道をつけた今西自然科学を媒介にしながら、今西理論の母胎となった西田哲学にふたたび立ち返り、西田哲学から社会科学への道を模索するところにあるように思われる。その道を歩んだ先達がいた。マルクス理論を手掛かりとして、西田哲学から社会科学への道を踏みしめながら道なかばにして獄中に倒れた三木清である。>(132頁)
 
 <今西は自己完結性をもち保守的な生物の形に関心をもったのに対し、三木は形を作り変えるという存在の仕方をもつ人間に関心をもった。今西が生物学を哲学的に基礎づけるに際して自然が創造した形について論じたのに対し、三木は人間学を哲学的に基礎づけるにあたって人間が創造する形について論じたのである。今西自然学も三木人間学も「形の論理」によって基礎づけられている。今西自然学は形の静態学であり、三木人間学は形の動態学であるということもできるであろう。>(136頁)
 
 三木清の思想については、『構想力の論理』という主著のタイトル以外ほとんど知りません。そうであるにもかかわらず、私はベンヤミンと三木清の間になぜか親和的なものを感じはじめています。
 

【ヴァルター・天使・ベンヤミン(続)】1998.3.1
 
 ベンヤミンは「雑誌『新しい天使』の予告」(1921)の中で、時代精神の真のアクチュアリティーをめざす雑誌の<はかなさ>をタルムードが伝える天使になぞらえていました。
 <天使は──毎瞬に新しく無数のむれをなして──創出され、神のまえで賛歌をうたいおえると、存在をやめて、無のなかへ溶け込んでゆく。そのようなアクチュアリティーこそが唯一の真実なものなのであり、この雑誌がそれをおびていることを、その名が意味してほしいと思う。>(野村修訳)
 
 モーティマ・J・アドラー『天使とわれら』(講談社学術文庫)によれば、<肉体なき精神>としての天使とは<おどろくべき例外>なのであって、単なる地球外の存在ではありえません。<それらは宇宙外の知性の形態である。>(稲垣良典訳)
 ここでいわれている<宇宙外>とは、物質性を超越した世界を意味するものにほかならないでしょう。つまり、神のまえで賛歌を歌いおえた天使たちが溶けこんでいく<無>がそれなのです。そうであるならば、つまり肉体なき知性体である天使には、もとより性の区別がありえないことはいうまでもありません。
 
 ところが、「アゲシラウス・サンタンデル」(1933)に描かれた天使、すなわちベンヤミンの(架空の)名のなかから抜け出してきた天使=サタンは、男性的形姿と女性的形姿をあわせもっているのです。
 <この天使は、わたしが土星──このきわめて回転の遅い星、この迂回と遅延の惑星──のもとに生まれたという事実をうまく利用して、きわめて長く宿命的な回り道をしながら、像としての男性的形姿のあとから、自らの女性的形姿を追送してきたというわけだ。とはいえこれらの二つの形姿が、互いに熟知し合っているとはいえないまでも、かつてこのうえなく近しい関係にあったものであることは確かである。>(道籏泰三訳)
 
 この謎めいた文章をめぐって、野村修氏はショーレムの所説に準拠しつつ、天使の男性的形姿=ベンヤミン自身、その女性的形姿=ユーラ・コーンほかベンヤミンの「生涯の天使」となった三人の女性、ととらえています(『ベンヤミンの生涯』第4章)。たしかに「アゲシラウス・サンタンデル」全体が醸しだす雰囲気は、ショーレムや野村氏の指摘の正しさを示しているといえるでしょう。
 しかし私は、とりわけベンヤミンのようなタイプの思索家にとって、その生涯の伝記的事実と思索の内実とはあたかも楕円の二つの焦点の関係にあると思うのです。(それがどういう「タイプ」の思索家なのかは定性的に表現できませんが、私は他にスピノザやウィトゲンシュタインといった「非ユダヤ的ユダヤ人」を想定しています。)ですから、ここでは道籏氏が訳注で示した見解に与したいのです。
 
 「アゲシラウス・サンタンデル」の末尾に次のような叙述があります。
 <天使は幸福を望んでいる。その幸福とは闘争、すなわち、一回きりのもの、新しいもの、いまだ生きられざるもののもつ恍惚が、いま一度のもの、再獲得されるもの、すでに生きられたものがもっているあの至福と衝突するときの闘争である。>
 
 道籏氏はここに出てくる<一回きりのもの>(未来の幸福)を天使の男性的形姿に、<いま一度のもの>(過去の失われた至福)をその女性的形姿に結びつけています。そして、『ドイツ悲劇の根源』(認識批判的序説)に出てくる「一回性」(現象)と「反復性」(理念)との闘争としての「根源」に言及した後で次のように述べています。
 <このエッセイでは、一回性は「すでに生きられた」過去の出来事(天使の女性的形姿)として、反復性は「いまだ生きられざる」未来の理念(天使の男性的形姿)として表現されており、この闘争のなかに根源における幸福があるとされている。>
 ところで、ベンヤミンによれば天使の男性的形姿と女性的形姿とは<かつてこのうえなく近しい関係にあったもの>なのでした。──過去のなかに未来を見てとること。未完結の過去。あるいは真実の<アクチュアリティー>を求めるべき方向。
【破片、瓦礫、廃虚──引用と覚書】1998.3.3
 
* 「アゲシラウス・サンタンデル」に後年(1940)の「歴史の天使」を思わせる叙述が見られる。
 <だが天使は、わたしたちがかつて別れざるをえなかったあらゆるもの、人間たち、そしてとりわけ物たちに似ている。わたしがもはや所有していない物たちのなかに、天使は住んでいるのだ。天使が物たちを透明にすると、わたしには、それらひとつひとつの背後に、それが贈られることになっている者の姿が浮かび上がってくる。それゆえ、贈るということにかけては、わたしの右に出る者はいないのだ。そう、もしかすると天使は、贈り物をするばかりでついには無一物になってしまう者に、引き寄せられていたのかもしれない。というのも、天使自身もまた、鉤爪と尖ったナイフのような翼をもってはいるものの、待ち望む相手を遠くに認めたときでも、この相手に向かって突進してゆくようなそぶりは見せないからである。天使は、この相手をしかと眼にとらえ、長いあいだ見つめたのち、一歩一歩、だが断固として、後ずさりしてゆく。なぜ後ずさりなのか? 未来へと続くあのもと来た道を通って、この相手を引きずってゆくためである。>(道籏泰三訳)
 
 <かれ[歴史の天使]は顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただカタストローフのみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃虚の上に廃虚を積みかさねて、それをかれの鼻っさきへつきつけてくるのだ。たぶんかれはそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せあつめて組みたてたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでいく。その一方ではかれの眼前の廃虚の山が、天に届くばかりに高くなる。ぼくらが進歩と呼ぶものは、〈この〉強風なのだ。>(野村修訳「歴史の概念について」)
 
* この二つの天使の違いは<鉤爪と尖ったナイフのような翼>をもっているかどうかではなくて、それらが見つめているもののうちにある。──カタストローフ。廃虚。
 だが、「歴史の天使」が見つめるものは、初期に書かれたエッセイ(1921)のうちにすでにその姿をとどめている。(そしてそこには、ショーレム経由のユダヤ思想の影響が色濃く漂っている。)
 
 <…ある容器の二つの破片をぴたりと組み合わせて繋ぐためには、両者の破片が似たかたちである必要はないが、しかし細かな細部に至るまで噛み合わなければならぬように、翻訳は、原作の意味に自身を似せてゆくのではなくて、むしろ愛をこめて、細部に至るまで原作の言いかたを自身の言語の言いかたのなかに形成してゆき、その結果として両者が、ひとつの容器の二つの破片、ひとつのより大きい言語の二つの破片と見られるようにするのでなくてはならない。>(野村修訳「翻訳者の課題」)
 
* 小岸昭氏は『離散するユダヤ人』(岩波新書)で、近代カバラ創始者の一人イサーク・ルリア(1572没)の「器の破壊」理論は近世初期の神秘主義者からシェリング、モーリトアその他のドイツ・ロマン派哲学者、ショーレム、ベンヤミン、アドルノ、ブロッホに至るまで、ドイツの思想家に計り知れない影響を与えたとしている。
 
 <ルリアの考えによれば、一切であった神は、世界を創造するのに先立って自己自身の内部へ収縮・撤退した。かくて、神不在の真空地帯は、悪の跳梁をゆるす空間となった。>──神の収縮[ツィムツム]は神の「亡命」とも表現され(ショーレム)、1492年の大追放によってスペインから離散の旅に出たユダヤ人(カトリックへの改宗を拒んだ「セファルディ」あるいは改宗者「マラーノ」)の境遇に重ね合わせて考えることができる。
 
 <セファルディあるいはマラーノを襲った、このような破局を、イサーク・ルリアは壮大な宇宙のドラマのように描いたのである。この場合、神の内部から、神自身の展開として一〇個のセフィロト[神の根本属性]が、種々の純度をもって生まれてくるが、この一〇個のセフィロトは同時に神の器でもある。だが、最初の三つのセフィロト…だけが、神の原光を受け入れることができた。神聖な光の流れが沈下して下の七つのセフィロトの層におよんだ時、七つのセフィロトはその光をとらえられないどころか、それによって破壊されてしまう。>
 
 こうしてできた神の器の破片(殻[ケリッポト])の堆積の中から悪の力が生まれ、ディアスポラの境遇にあるユダヤ人とともに神の臨在[シェキーナ]もまた追放の身の上にあることとなる。
 
 <以上が、器の破壊…の概要であるが、これには破壊された器の修復「ティクーン」という最後の弁証法的展開が接続している。すなわち、いつの日か神聖な火花が殻「ケリッポト」から解放されることがあるとすれば、神聖な光の追放と流謫もまた終わりを告げたことになるのであり、ここに人間と宇宙の救済が成就されることになる。…したがって、追放あるいは流謫は、逆に見ると、悪の持つ力を奪い、聖なる光をその捕縛状態から救済することを目指すことになるのだ。ルリアのカバラ思想によれば、個々の人々が各自の魂に課せられた「ティクーン」の使命を果たした時、世界は調和ある状態に達し、メシア時代の幕開けにいたるという。>
 
* イサーク・ルリアの器の破壊理論について。ヨセフ・ダン/市川裕訳「ユダヤ神秘主義─歴史的概観」(岩波講座東洋思想第2巻『ユダヤ思想2』所収)から。
 
 神・無限なるもの(エーン・ソフ)からの宇宙創造に関して、ルリアは一見論理的な問いを発する。
 <エーン・ソフの外側には何も存在せず、場所も空間も存在しなかったとき、いったいどうやって、エーン・ソフは自己の外側に何かを創造するということを思索できたのだろうか。これが問いである。そうした願望が思索される前に、神は、エーン・ソフの純粋な神の精髄で満たされていない空間を創造しなければならなかったはずである。そうであれば、第一のセフィラー[神の根本属性を意味するセフィロトの単数形]が発散できるよりさらに前に、すでに存在の第一段階があって、それはこういう空虚な空間の創造でなければならない。
 
 その空虚な空間が生起する過程を、ルーリアはツィムツームと呼んだ。神の、自己自身の内への収縮、ある空間から離れて自己の「内奥」へ収縮するという意味である。…神は自身を自己自身の内に収縮させて、ある空間から離れた。それによって、そこに空虚な嵩が残された。ルーリアはこれをテヒルーと呼んだ。このテヒルーが、以後の創造の展開にとってふさわしい空間となった。ツィムツームの過程は、ある意味で、離散とみなすことができる。創造の歴史における最初の行為が肯定的な行為ではなく否定的な行為、つまりテヒルーからの神の離散である、という意味で。>
 
 ちなみに前掲『離散するユダヤ人』によると、エーン・ソフとは<一切の性質や属性を取り去った隠れた神>なのだが、<この隠れた神は宇宙にあまねく活動している神でもあるので、神は自らの本性の何らかの側面を表出する様々な属性[セフィロト]を顕現させてもいる>。また、<セフィロトという名称はユダヤ教の思弁的思想の最古の文典『創造の書』に由来するのだが、その意味は万物の基本的な諸力としての一〇個の塑形的な数(サファル=数える)を表している>。
 

【ベンヤミンの三一論──覚書】1998.3.4
 
 ベンヤミンが考えた三一論ではなくて、ベンヤミンをめぐっていつか考えてみたい三一論のための素材集として。──
 
 その一。三つの天使をめぐる三一論。
 1921年、1933年、1940年の三度、ベンヤミンの文章の中からたち現われた天使。毎瞬に創出され無へと消滅する無数の天使たち、あるいは「現在」。男性的形姿と女性的姿形と鉤爪をもち未来へと帰還する天使、あるいは「過去」と「未来」。そして、廃虚と死者たちをみつめながら楽園からの強風にあおられ未来へと運ばれる天使、あるいは「歴史」。
 
 その二。三人の女性をめぐる三一論。
 ショーレムの『わが友ベンヤミン』によれば、ベンヤミンとごく親しかったある女性は、彼のことを「肉体がない」と評したという。そのような「天使」ベンヤミンの生涯の思索の原型をつくった三人の女性。ドーラ・ケルナー、あるいは「友情」。ユーラ・コーン、あるいは植物的(天使的)な「エロティシズム」。(ショーレムは「アゲシラウス・サンタンデル」に出てくる女性的形姿の天使をユーラ・コーンと見ている。)そして、アーシャ・ラツィス、あるいは「性愛」。
 
 ベンヤミンは1931年3月6日付の日記に<真の愛が私を私の愛した女性と似た存在にかえていく>と書いている。そして<私の生涯における三つの大きな恋愛体験>についてこう書き記している。
 <私は三人の異なった女性を人生において相知った。そしてそれによって三人の異なった男性を私の中に知ったのである。私の生の歴史を記述することは、この三人の男性の成り立ちと没落および三人の男性の間の妥協を叙述することを意味するのかもしれない。──あるいはこうもいえるかもしれない。私の生を今叙述しているのは、(三人の男性による)三頭政治[トリウムヴィラート]であると。>(高橋順一『ヴァルター・ベンヤミン』106頁)
 
 その三。ベンヤミンの生涯をめぐる三一論。
 『ドイツ悲劇[哀悼劇]の根源』(1925)まで、パリ亡命(1933)まで、そしてポル─ボウ(1940)。そのそれぞれの時期にあの三つの天使がたち現われる。
 というより、「若さ」と「成人」と「老年=晩年」(?)をめぐる三一論、あるいは、ゲーニウス(創造的精神・天才)と象徴法とアレゴリー(?)をめぐる弁証法、と一般化できるかもしれない。
 さらに、「若さ」をベンヤミン自身に引き戻して考えるならば、若きベンヤミンの「形而上学」をかたちづくった純粋言語論、認識論、歴史哲学をめぐる三一論を考えることができるかもしれない。
 
 パウル・クレーの「Angelus Novus」は幼い(未熟な)天使であって、ベンヤミンが「ein neuer Engel」すなわち新しい天使と考えたのは誤解である。──これは、野村修氏の『ベンヤミンの生涯』(26頁)で紹介されている「異説」だ。(提唱者は、ペーター・フォン・ハーゼンベルグという人物。)
 ここに出てくる幼さや未熟さを「若さ」[Jugend]に置き換えることができるだろうか。1913年の書簡で、ベンヤミンは「若さ」とは「純粋な精神の抽象性を求めて絶えず震えている精神」だと書いている。(『来たるべき哲学のプログラム』42頁)
 

 さて、ベンヤミンの周辺をめぐる話題はこれくらいにして、いよいよ「本格的」にテクストに取り組むことにします。
 アドルノが「メドゥーサのまなざし」にたとえた独特の思考が幾重にも折り畳まれたベンヤミンの文章は、読み手をしだいに「沈黙」へと引き込んでいきます。(石化していく読者。)
 この沈黙の中から再び言葉とともに帰還するためには、それなりの戦略が必要なのでしょう。いまだにその手がかりはつかめないままですが、勘を頼りに、初期の未刊のテクスト群に取り組むことにします。
 
【若さの形而上学(1) 】1998.3.16
 
 ベンヤミンが仕掛けた「迷宮」へ、いよいよ身を投じることにしましょう。
 初期の未完の(刊行されなかった、そして文字どおり未完結の)テクスト群を編纂した『来たるべき哲学のプログラム』(道籏泰三訳,晶文社)から、まず「若さの形而上学」(1913〜14)を取り上げます。
 
 訳者解説には、<言語と認識と歴史に対する彼の基本的な考え方>が<漠然とながらもすでに出そろっている……このエッセイこそ、未完とはいえ、まさに彼の処女作の名にふさわしいと言えるかもしれない>とあります。
 また、村上隆夫氏は『ベンヤミン』(清水書院)で次のように書いています。
 
 <これはきわめて難解な作品であって、不思議な寓意的表現に満ちたその神秘的な文章は容易には読解されえない。この作品は古代ユダヤの預言者たちのみた幻影についての記述に似せて書かれており、激情と陶酔のなかに立ち現われる幻影について語る時のような謎めいた表現に満ち溢れている。ここにおいてベンヤミンは、『旧約聖書』におけるユダヤの預言者の系列に連なる幻視者として登場している。>(80頁)
 
 <きわめて神秘主義的なこの『青春の形而上学』はベンヤミンの思想の「根源」をなしている。すなわち、小さな種子が芽を吹いて、枝を伸ばし、巨大な樹木へと成長していくように、この作品のなかに萌芽的に含まれていた多くの主題が、彼のその後の著作活動のなかで展開していくことになる。>(89頁)
 
 ──以上の解説や評言を「予断」として脇へ置いて、この「対話」「日記」「舞踏会」の三章からなるエッセイを私なりに要約しておきます。(次回へ)
 
* 村上氏は上記の引用文で「青春の」形而上学と訳しているが、道籏氏が訳注でいうように、ベンヤミンが用いる‘Jugend’の概念には<青年、若者、青年期などといったいわゆる肉体的若年性という具体的意味はなく、むしろもっと抽象的なニュアンスが強い>と解するべきだろう。(あるいは未完結性そのものの象徴なのかもしれない。)
 
* また村上氏は、ユダヤ教は伝統的に夢の意味を説き明かすことに大いに関心をもち、フロイトの『夢判断』(1900)もこのような文化的背景のもとで出版されたこと、ベンヤミンもまた自らの批評活動を「夢判断」と読んでいることから、ベンヤミンへのフロイトの影響を指摘している。<そして『夢判断』におけるフロイトの思想とよく似たものが、すでに『青春の形而上学』のうちに見られるのである。>(前掲書81頁)
 
* 今村仁司氏も『ベンヤミンの〈問い〉』(講談社)で次のように書いている。
 <ベンヤミンがかなりフロイトを意識していたことは、多くの断片的言及から知られる。おそらくは夢の形象の問題においてベンヤミンはフロイトと格闘していたに違いない。ベンヤミンは、フロイトの夜の夢と違って、社会のなかで民衆が集団的に見る昼の夢を探究の対象にしていた。どの程度まで精神分析が白昼夢としての集団の社会的夢想の分析に適用できるかを、ベンヤミンは考えたに違いない。>(24-5頁)
 
* ベンヤミンとフロイトの関係を考えることは(ウィトゲンシュタインとフロイトの関係と同様)きわめて刺激的なテーマだ。ここでは、その手がかりになるかもしれない断片をいくつか思いつくままにメモしておこう。
 
* ピーター・ゲイ『神なきユダヤ人』(入江良平訳,みすず書房)から。
 <誰であれ信仰をもつ者は、原理的に、精神分析を発見できなかったのだろうか。最初の精神分析家は、神なき[ゴッドレス]ユダヤ人でなければならなかったのだろうか。>(38-9頁)
 <フロイトが精神分析家になる前から無神論者だったことを証明する必要はない。私が証明したいのは、むしろ、フロイトが精神分析家になったのは、多分に彼が無神論者であったためであるということなのだ。>(42頁)
 
 <この最後の主張[フロイトの精神分析と、フロイトを善きキリスト教徒と呼んだフィスターの神学が、ともに愛を人生の中核とみなしているものであるとする主張]はそう唐突なものではない。フィスターと同様、フロイトもはっきり精神分析における性愛[エロティシズム]を牧会[パストラル・ケア]の核心にある愛になぞらえている。彼はこれとほぼ同じことをユングに語り、精神分析とは「本質的に言って、愛によってもたらされる癒しです」と述べている。>(85頁)
 
 <私の示唆したいのは、フロイトの規定されざるユダヤ性の感覚なるものが、獲得形質の遺伝についての彼の執拗な信念の一特殊事例ではなかろうかということである。……フロイトは自分のユダヤ性を、なんらかのかたちで系統発生的な素質の一部をなすものとみていた。一九二二年、彼はフェレンツィを相手に、自分の内面から湧き起ってくる「奇妙な、密かな憧憬」について考えをめぐらせた。「これはおそらく私の祖先からの遺伝に由来するものでしょう──オリエントと地中海世界、まったく異なる種類の生活への憧憬、現実にうまく適応していなかった幼年時代後期からの願望なのでしょう。」古代に対するフロイトの情熱、彼が何年もかけて勤勉に収集した飾り板や小彫刻類に対する情熱は、幾重にも多元決定されている。しかしこの「有史以前に対する偏愛」が形成された理由の一つは、それらが一度も訪れたことがないけれど、彼が密かに自分の本当の故郷だと考えていた世界を思い起こさせる力をもっていたからだということは間違いない。これこそフロイトが『トーテムとタブー』のヘブライ語版への序文の中で伝えたかったことだった。>(132-3頁)
 
* J.ドイッチャー『非ユダヤ的ユダヤ人』(鈴木一郎訳,岩波新書)から。
 <かれら[スピノザ、ハイネ、マルクス、ローザ・ルクセンブルグ、トロツキー、フロイトなど]はすべて決定論者である。すなわち多くの社会を考察し、身近にいろいろな「人生のあり方」を学んだかれらは、人生の基本的な法則性を把握したのである。かれらの思考様式は弁証法的である。なぜなら諸国家、諸宗教の限界線上に生きたかれらは、社会を流動の中に捕えるからである。かれらは現実を静的にではなく、動的に理解している。>(47頁)
 

【文化施設と街路】1998.5.3 
 
 ミュージアム、劇場、コンサート・ホールは都市における美的生活の場である。つまり消費と社交の場であり、「都市の記憶」(創造や学習、思索や感動など、都市の細部を彩る人々の生の記憶の集蔵体)を保存し、伝達・分配し、展示・上演する場である。(そもそもミュージアムの語源にあたる「芸術・学問を司る九女神」ミューズは、ギリシア神話で記憶の女神とされたムネーモシュネーから産まれた。)
 
 正確にいえば、文化施設こそが、そのような都市の内部空間(すなわちパブリック・スペース)が潜在的にもつ意味を集約的に表現する「シビック・コア」(日常的に市民が集まり、交流し、情報や知見を交換する場)であるということだ。
 
 したがって、文化施設が内臓すべきソフトとは、そこで展示・上演される内容はもちろんのこと、立地場所や営業時間、レストラン、酒場などの利便施設との連携、他の文化施設との連携(共通チケットや関連イベントの同時的・逐次的開催など)、そしてなによりも市民の美的生活のための情報スペース・交流機能の装備(たとえば美術館のスペースを「サロン」として市民や企業の使用に供するなど)なのである。
 
 ここでいう文化施設とは、美術や音楽、舞台芸術のために建設されたものだけに限らない。たとえば現在たつみ都志氏が進めている「鎖瀾閣」(谷崎潤一郎が自らデザインした和洋中折衷の住居で先の震災により全壊。通称「岡本の家」)の復元運動は、文学に結実した「都市の記憶」を保存するミュージアムづくりをめざすものであると同時に、住民や企業も巻き込んで文学遺産をもとにしたまちづくりをめざす運動のプロセスそのものが、一つの目に見えない「シビック・コア」を形成し、いわばハードをまといつつあるソフトであるとさえいえるものだろう。
 
 あるいは街路(路地、界隈)もまた、パブリック・スペースであり「シビック・コア」である。洗練された「アート」ではなく、風俗と欲望によりダイレクトに根ざした時代感覚(ストリート感覚)の表現と交換の場である街路は、都市の内部を流れる見えない情報の水路であり、様々なモードがいきかう一つの演劇(芝居)空間でもある。
 
 ヴァルター・ベンヤミンは、パリのパサージュ(第二帝制期のパリに出現した商店街。ガラス天井で覆われ、大理石が敷きつめられた街路)を論じた書物の中で、パサージュとは「外側のない家か廊下」であり「集団の夢の家」であると書いている(今村仁司ほか訳『パサージュ論』岩波書店)。
 
《眠りと目覚めによってさまざまにかたどられ区切られている意識の状態は、そのまま個人から集団へ転用することができる。いうまでもなく、個人にとって外的であるようなかなり多くのものが、集団にとっては内的なものである。個人の内面には臓器感覚、つまり病気だとか健康だという感じがあるように、集団の内部には建築やモード、いやそれどころか、空模様さえも含まれている。そして、無意識の不定形な夢の形象のうちにとどまっているかぎり、それらは消化過程や呼吸などとまったく同じ自然過程なのである。》
 
 ベンヤミンがいう「集団の夢」とは、資本主義のことにほかならない。19世紀中葉に現われたパサージュは同時期に始まった博覧会場の空間と通底し、やがて百貨店の誕生を経て20世紀の大衆消費社会をもたらした。このことをベンヤミンは、第二次世界大戦直前のパリの街路を遊歩するなかで確認しているのである。
 
 このように、街路は「新たなものを再認識」(ベンヤミン)させる空間であり、過去と未来が錯綜する「この今」の渦巻く場なのである。
 

【若さの形而上学(2)】1998.5.30
 
 処女作にはその後の作家のすべてがあるのだとしたら、あるいはそのような未展開のヴェクトル群を宿した作品こそが処女作の名に値するものなのだとしたら、対話・日記・舞踏会の三章仕立てのエッセイ「若さの形而上学」には、たしかに後年のベンヤミンの思索のあらゆる方向とその独特の癖がフルセットで示されているように思えます。
 
 たとえば──<創造的精神[ゲーニウス]のなす対話は、じつは祈りなのだ>、<祈る者が神よりも静かなように、語っている創造的精神は、耳を傾けている者よりも静かなのである>といった印象的な断章を通して──、不可解な象徴法により運命と化した空虚な過去(精神の廃虚)を語り直し新たに創造する真の言語、沈黙のごとく未来をはらんでいる新たな言語の可能性を示唆する「対話」からは、ベンヤミン独自の言語論の原形質が透けて見えます。
 
 あるいは、「男性性」(魂をもたない曖昧な言葉や饒舌、猥談にうち興じ、世界を問いと答えからなる言語で組み立てるもの)による「女性性」(過去であり死の領野に属するものとしての魂への導き手、見つめるもの・耳を傾けるもの)の支配に関する叙述や、創造する者[ジエニー]と「娼婦」との文字どおりの対話を記した文章からは、愛する女性そのものになりたかったに違いないベンヤミンの生のかたちをうかがい見ることができるように思えます。
 
 そして、「対話」の末尾に登場するサッポーとその友の女性たち(見つめ合い寄り添って愛撫し合う女性たち)によって、対話の内なる終極点としての「沈黙」(未来における愛の恍惚)と沈黙のもつもうひとつの対話としての「愛の恍惚」(過ぎ去った沈黙)とがひとつに溶け合い、「沈黙せる愛の恍惚」という極点から「若さ」が、つまり本質が光り輝きながら生まれ出るという叙述の展開からは、ベンヤミン独自の「弁証法」の最初の表現を見て取ることができるように思えるのです。
 
 同様のことは「日記」についてもいえそうです。ベンヤミンのいう日記とは、暦の時間、順に展開していく時間、体験が連鎖的につながっていく時間のなかを動いていくものではなく、断続的な「空隙」(沈黙)を置きながら書き継がれていくものです。<時間によって生み出された書、それが日記なのだ。日記は、空間を通してその認識の光を送ってよこす。>
 
 つまり、「日記」の章を通して見えてくるのは(訳者解説で道籏氏がいうように)歴史や認識についてのベンヤミンの基本的な考え方の萌芽なのであり、ついでにいえば、<けっして夜明けを迎えることのないこの夜のなかの夜>で行われる「舞踏会」を叙述した最終章は、その未完結性・断章性と問題のたて方──<どのようにすれば、われら目覚めている者は、これらの夢を白日のもとに連れ出すことができるのだろうか?>──によって、後年の『パサージュ論』をあらかじめ模倣したものだとさえいえそうに思えます。
 
 ──しかし、以上のような読み方はあまりおもしろいものではありません。もしかすると処女懐胎したままついに表現されることのなかったものを見逃してしまうかもしれないし、そもそもベンヤミンの文章をほんの少し読み噛っただけの段階では手におえる作業でもないはずです。
 

【若さの形而上学(3)】1998.6.14
 
 二週か三週に一度、休日の午前を「ベンヤミン・タイム」にあてて、ここ三か月ほど断続的に「若さの形而上学」を読み直してきました。
 その都度、曖昧だった細部が鈍い光を放ちはじめ、秘教的な雰囲気に包まれていた全体がしだいに鮮明になっていったのはいいのですが(このような機会がなければ、一つのテキストを五度も繰り返し玩味する経験はできなかったでしょう)、困ったことに、そうなればなるほどこれを簡潔に「要約」することができなくなってしまう。
 要するに……などと書き始めると、ベンヤミンが「創造を知らぬ者」について述べた次の文章が頭の中に浮かんでくるのです。
 
<いまや彼は二つの言語を自在にあやつることができる。二つの言語、すなわち問いと答えである(問いを発する者とは、生涯を通じて言語のことに思いを馳せなかった者のことであり、彼の望みは言語に媚びへつらうことだ。問いを発する者とは、神々に向かって愛想をふりまく者のことである)。創造を知らぬ者は──沈黙のなかへ、すなわち、行動する者、思考する者、そして女性たちのもとへ──啓示とは何かと問いを浴びせかける。いちども挫折を知らずにきた得意満面なる者とは、所詮は、このような者のことをいうのだ。そのような者からは言葉の充溢は逃げ去る。彼はうっとりとしておのれの声に耳を傾けるばかりである。彼には、言葉も沈黙も聞きとれないのだ。>(『来たるべき哲学のプログラム』(道籏泰三訳,晶文社)16頁)
 
 たとえば人生の意味や道徳の基礎についての何らかの命題(自ら問い自ら答える言葉)をあげつらってみたところで、人生の意味や道徳の基礎を明らかにしたことにはならないでしょう。人生の意味や道徳の基礎は、よく生きることや正義の感覚そのもものうちに、つまり「行動する者」「思考する者」の行為や思考のうちに示されるものだからです。
 ベンヤミンのいう「沈黙」には何というか静謐な倫理感のようなものが漂っていて、その意味でウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』でいう「沈黙」に通じるところがあるように思います。──両者に違いがあるとすれば、それは「有性の思考」(ベンヤミン)と「無性の思考」(ウィトゲンシュタイン)」とでも表現できるでしょうか。
 
 話が拡散し始めました。要するに……私はまだ、ベンヤミンを読んでそこから汲み取ったものを自分なりの言葉で表現する「方法」を見い出せないのです。
 多分、ベンヤミンの文章を読むことの意味は、ベンヤミンがそこで展開したアイデアや概念を「使って」何かを分析したり批評するための「工具」を入手することか、徹底的にテクストの細部にこだわって、そこから人類がいまだ(それとして意識して)思考したことのない未発の思考を掬い出すことなのではないかと思います。
 
 ちょっと大袈裟ないいかたですが、ベンヤミンのテクストにはそう思わせるだけのものがあるのは確かです。
 いつかそのような「解読」ができる日の来ることを夢見ながら、ゆっくりと先を急ぐことにして、「若さの形而上学」についてのレジュメはここでいったん中断します。
 
* 個人的な覚書(書かれることのなかったレジュメのための)
 「若さの形而上学」の三つの章を横断する三つのキーワード。──沈黙と空隙、子供時代と風景、そして女性たち(沈黙する女性、娼婦、サッポーとその友の女性たち、風景が送ってよこす恋人=すでに妻である少女、広間にたたずむ少女)。
 沈黙と空隙について。──ハンナ・アレント『過去と未来の間』序でカフカの寓話を素材に語られる「時間の裂け目=精神の領域」論を要約せよ。