第6章 謎のクサビラ文字



  31 コンロン王の帰還

 「その声はレンゲ姫だな」
 自分一人の世界にひたっていたムリング王子が、冷たい水でもあびせられたように、ぶるっとからだをふるわせて声の主を探した。目がよく見えなくなっているらしかった。
 「おまえがわたしの死をみとるのも、すべてはあらかじめ書かれた筋書き通りなのだ。そうなのだ。わたしがこの世に生をうけ、今日このわたしが愛した部屋で死んでいくことも、カエレレとアギララには最初からわかっていたことなのだ。なぜなら、やつらは、すべてが終わるのを見とどけてから、時をさかのぼり思うがままに歴史をつくりかえてしまうのだから。すべての人の思いも意思も、そんなものは幻にすぎない。わたしたちは皆、物語作家の筆の運び一つで生きたり死んだりする、登場人物のようなもの。愛も野心も怒りも哀しみも、すべては作られたものでしかない。わたしには、結局、わたしに与えられた役割をぬけでることはできなかったらしい。だが、わたしはそのことを知っている。わたしの学問は、真実を発見したのだ」
 ムリング王子は、弱々しい微笑をうかべていた。
 「わたしの思考力が失われてしまうまでにすべてを語ろう。だが、何から話せばよいのだろう。そうだ、わたしが学問をはじめるきっかけになった、あの問題から話そう。わたしには、どうしても解き明かしたい謎があった。それは、わが父コンロン王のことだ。わたしが生まれてこのかた、王はその姿を隠したままだった。声すらきいたことがない。それはすべてのゴダイの民にとっても、そしてゲドーの民にとっても同様だったろう。カエレレとアギララは、王は病に臥しており、二人を除くだれとも会いたがらぬといった。わたしたちはその言葉を信じるしかなかったのだ。わたしには、カエレレとアギララの弁明がどうしても信用できなかった。わたしは考えた。ひたすら考えぬいた。そして、一つの結論に達したのだ。その結論とは、コンロン王は既にこの世の者ではないというものだった。この球根城を支配しているのは、コンロン王の肉体ではなく、その名前でしかないのだ。どうしてこんな簡単な真理に、だれも気づかなかったのか。この結論さえうけいれれば、すべてのことがはっきりと見えてくる。不在の王の名をいただくことで、カエレレとアギララは、人々に見えないものへの恐怖を感じさせ、やすやすと球根城をわがものにすることができる。これほど巧妙な統治の術はほかにない。やつらはさらに、王位継承をめぐる王子たちの争いという、格好の刺激を人々に与えた。これには、滅亡した王国の王女レンゲ姫という絶世の美女まで登場し、人々の熱狂をそそらずにはおかなかった。球根城は毎日がお祭りで、人々にとって、政治とは興奮をそそらずにはおかない見せ物だったのだ。ゲドーの民でさえ、かつて、大当たりした歌劇から王権をうんだ民だけのことはあって、球根城で繰り広げられる陰謀劇にこころときめかせる有様だ。もっとも、中にはアマクサ伝説などという、カエレレとアギララがまいた物語の種子を後生大事に育てあげ、いつの日にか訪れる復讐戦を夢見るやからもいたそうだが、これとて同類だ。世の中を、よってたかっておもしろおかしく演出しようと子どもじみた所業に明け暮れしていたのだから」
 五人組をはじめゲドーの反乱軍がいきりたち、ムリング王子に襲いかかろうとした。アマクサが、いやレンゲ姫がこれを制した。
 「さて、第一の問題は解き明かされた。次にわたしをとらえた謎は、カエレレとアギララはいったい何をもくろんでいるのか、ということだった。そもそもこの二人は何者なのか。わたしの思索は苦しみの連続だった。なんど学問をすてたくなったことか。だが、赤い馬の部屋でのまどろみの中で、ついにわたしはつきとめた。カエレレとアギララの正体を。真理を見出した興奮のため、わたしのからだは震えつづけた。やつらは、人間ではなかったのだ。わが父コンロン王に寄生し、その魂を養分として生きつづける、恐ろしい植物。それが、カエレレとアギララの正体なのだ。わたしがこの真理に達することができたのは、黄金のきのこをめぐる神話に思いをはせたからだ。その昔、ゲドーの国の初代の王と王妃になった男女が、黄金のきのこを球根城にもたらした。この男女はミコータという国の二つの部族の王子と王女で、二人がもちだした黄金のきのこは、神に捧げる大切な品だった。神への捧げ物をなくしたミコータ国には、それ以後、不幸な事件がつづいた。何代か後のある部族の王子が、ふとしたことから、森で黄金のきのこによく似た不老長寿のきのこを食べた。そして、その不思議な力を使って、もう一方の部族を降伏させ、その王女を妃にむかえることになった。大樹の根に寄生する不老長寿のきのこは、一度だれかが口にすると、以後千年は掘りだされてはならない掟だった。だが、この掟を破る者があった。だれあろう、王子の父、今やミコータ国の唯一の王その人だったのだ。恐ろしいことが起こった。とつぜん森が成長しはじめた。とどまることをしらぬ森の増殖に人々はおののいた。神へのいけにえが必要だということになり、王は、王子とその妃の二人を処刑した。だが、森はますます荒れ狂い、ついに王は森の中に取り込まれてしまった。王は黒い森の魔物として人々に怖れられた」 
 この話は知っている。ぼくが黄金のきのこを求めて、黒い森へ足を踏み入れるきっかけになったのが、話売りの老人にこの話を教えられたからなのだ。
 「さて、以上がさる国に伝わる神話のあらすじだ。わたしが発見した真理とは、この神話に出てくる黒い森の魔物、いや、掟を破って不老長寿のきのこを食べたために神の罰をうけたミコータ国の王とは、コンロン王その人にほかならないということだ。そして、カエレレとアギララこそ、王のからだに寄生し、ついにはその魂までも侵食した、偽の黄金のきのこにほかならないということなのだ」
 ぼくのこころの奥深くでうごめくものがあった。それはレンゲ姫のあたたかく優しいこころとは違って、激しい怒りと力に満ちたものだった。
 「カエレレとアギララは、コンロン王の強烈な生命力を養分として、ついに自由に動かせる肉体を手にいれた。そして、王のこころに巣くっていた呪われた邪悪な野心をうけついだのだ。その野心とは、この世のすべての人々の運命を支配することだ。未来永劫、支配しつづけることだ。そこにはいかなる理想もなく、目的もない。ただ、とこしえに働きつづける機械のように、この世に生をうけるものの運命を細大もらさず正確に管理しつづけることなのだ。球根城で起こる出来事は、すべてあらかじめカエレレとアギララによって計算されつくしている。わたしには、わたしが二人に利用され、最後には殺されることがよくわかっていた。だから、わたしはおよそわたしにとってふさわしくない振る舞いにでた。カエレレとアギララが仕組んだ筋書きをなんとかして狂わしてやりたかったのだ。わたしはミリングに相談をもちかけ、マリングを暗殺した。いずれミリングも暗殺するつもりだった。二人の兄には恨みはない。だが彼らとてわたし同様、カエレレとアギララの操り人形にすぎぬ。わたしが手をくださずとも、二人はいずれこの物語から消えていく運命なのだ。だが、わたしは過ちをおかした。カエレレとアギララは、わたしが考えていた以上に、時を自由にかけめぐる力を身につけていた。わたしの振る舞いをみてとって、やつらは筋書きを変更した。わたしは最初から王位継承の野心を密かに抱いていたことにされた。そして、本心をあらわにしたわたしを倒すのが、こころ優しい末弟、モリング王子というわけだ。しかも、ゲドーの反乱軍と手を結んで。これほど、劇的な物語がまたとあろうか。モリング王子は、ただ一人の王位継承者となる。しかもゲドーの民のこころをつかんでいる。やがて、レンゲ姫の魂が二十六年ぶりに球根城に帰り、二人は皆の祝福をうけて結婚する。モリング王子がレンゲ姫の頬にくちづけをする。そのとき、青い亀の間の扉が開き、黄金のきのこが長い年月を経て再び人目にさらされる。だが、そのときこそ、カエレレとアギララのたくらみが成就するときなのだ。黄金のきのこ。それこそやつらが探し求めてきたものだ。この世の過去から未来までのすべての歴史を操る秘術が、そこには隠されている」
 ムリング王子の声は、しだいに小さく細くなっていった。
 そのとき、ぼくのこころの奥深くでうごめいていたものが、激しい勢いでぼくの外に飛びだしていった。レンゲ姫が、あっと声をあげて、ぼくはその場に倒れた。
 「アマクサ様!」
 ラリプーが叫んだ。その声の大きさに、ムリング王子の意識がもどった。
 「その者は、アマクサなどではない。レンゲ姫の魂が宿っていただけなのだ」
 ムリング王子の言葉に、ゲドーの民は驚きの声をあげた。アマクサの顔が消え、彼らがそこに見たのは、ぼくの顔だったに違いない。
 「死の前にこれだけはいい残しておこう。そこにいるモリング王子は、コンロン王の息子ではない。コンロン王の四人の息子の一人は、神話の中で語られているように、とおの昔に妃ともども神へのいけにえとして処刑されている。モリング王子は、カエレレとアギララがつくりだしたまやかしの王子なのだ」
「でたらめをいうのはやめてください。ぼくは、コンロン王の第四子、モリングです」 そのとき、赤い馬の間にいるみんなのこころの中に、しわがれた太い声が響いた。
 ──ムリングのいう通りじゃ。わしには、そのような息子はおらぬ。
 「おまえはだれなのだ」
 モリング王子が、姿の見えぬ相手にむかって叫んだ。さっきまでの優しげな表情がしだいにくずれ、憎しみと残酷さをたたえた、カエレレとアギララに似た顔だちに変わっていった。
 ──わしはコンロン王だ。墓守りどもの陰謀のため、やすらかな眠りをさまたげられ、黒い森をあてもなくさまよっておったが、そこに倒れている少年のこころとともに、この地へ帰ってきた。この少年は、わしが我が身の保身のために処刑した、最愛の息子ミリング王子のうまれかわりじゃ。


  32 青い亀の間の秘宝

 ぼくはずっと前、黒い森でレング王子たちの霊とめぐりあった日の夜に見た夢を思いだした。コンロン王があらわれ、ぼくに救いを求めてきた夢だった。
 ──わしはもはや死をおそれぬ。不老長寿を願わぬ。愛する者もなく一人生きつづけることに、人の幸せはない。わしはもう眠りたいのじゃ。わしのからだと邪悪なこころは、カエレレとアギララに食われてしまった。だがもう墓守りどもの好きにはさせぬ。レンゲ姫の魂もわしがあずかった。黄金のきのこをけっしてやつらの手にわたしてはならぬ。
 「父よ、わたしは先にまいります。さて、カエレレとアギララのやつ、事態の思わぬ進展を見て、大慌てで筋書きを書き直していることだろうが、時すでに遅しだ。おまえたちの最期を見届けられぬのは残念だが、まあよい、わが弟メリングの子孫に、後のことはまかすとしよう」
 そういい残して、ムリング王子はこときれた。
 「あっ、モリング王子の姿が見えない」
 ワッパスッパとニッパスッパの兄弟が騒ぎだした。
 ──あわてることはない。カエレレとアギララの執務室に逃げ込んだのであろう。皆の者、急げ。
 鶴の絵の兜をかぶった戦士たちも、正真正銘のコンロン王の命令にしたがった。五人組に率いられた反乱軍が、後につづいた。ぼくは、ワッパスッパとニッパスッパの手をかりて立ち上がった。
 「どうだ、おれのいったとおりになったろうが。あのぼうずを球根城へ連れていけばきっと何かが起こるってな」
 流刑地の果樹園づくりの男が、ロンガにむかって自慢げにいった。
 「なに、わたしだって一目見て、ぴんときたんだよ。もっとも、本物のコンロン王の魂まで背負っていたとは、さすがのロンガ様にも見通せなかったがね」

 ぼくたちは、カエレレとアギララの執務室におしいった。部屋には、モリング王子のむごたらしい死骸が横たわっていた。二人は、机にむかってなにやら作業をしていた。
 「カエレレ、アギララ。いよいよおまえたちの最期のときがきたようだな」
 ラリプーたちが叫んだ。カエレレとアギララは、ぎらぎらとした眼差しをぼくたちに投げかえした。なにかの術をかけたようだったが、きかなかった。カエレレとアギララの顔にはじめてあせりの色がみえた。
 扉の方で歓声があがった。あの、人形のように眠りつづけていたレンゲ姫が、目を開いて自分の足で立っていた。そして、部屋じゅうにコンロン王の荒ぶる魂が充満する気配がただよった。
 「これはこれは、我が君。お久しいことです。結界が破られてから、いつあなたがわたくしどもの元へご帰還あそばすか、こころまちにしておったのですが。わたくしどもが血眼になって探してもみつからなかったはずですな。レンゲ姫の魂が宿っていることをつきとめるなどは、たやすいことでしたが、まさかあの少年のこころの中で眠っておられたとは思いもよりませなんだ。ムリング王子の服毒自殺という番狂わせがとびだして、おかげであなたが眠りから目醒めた。わたくしどもの筋書きは、ムリング王子がいう通り大幅に狂ってしまいました。ですが、コンロン王、ここは一つ相談です。わたくしどもともう一度手を結びませぬか。黄金のきのこの隠された青い亀の間への扉は、もうわたくしたちの目の前にまで近づいておるのです。黄金のきのこを手にいれれば、あなたがかつてこころから所望されたもの、神の座を獲得することができるのですぞ。わたくしどもはあなたの底しれぬ野心を養分として生きておる者です。あなただけが頼りなのです。あなたをないがしろにした罪は、これ以後の献身であがないましょうぞ」
 コンロン王のあざわらう声がきこえた。
 ──黙れ。おまえたちの魂胆など、手にとるように見えるわ。おまえたちは、わしの肉をむさぼり食らい、わしの邪悪なる野心を養分として生きつづけた。そしてすべての人の運命をあやつる言葉を探し求めた。だが、おまえたちの力でひきのばされたわしの命も、残すところ一年足らずで終わりを告げる。それまでにおまえたちは、黄金のきのこをみつけださねばならない。おまえたち自身が黄金のきのこと一体となり、とこしえに人の運命を支配しつづけるためにな。おまえたちはわしを味方につけぬかぎり、存在することはできないのだ。善なる魂をもって、邪悪なる魂をわが心から追いだしてしまえば、おまえたちはたちまちのうちに枯れてしまうのだからな。だからこそ、おまえたちは、真の幸せを願いはじめたわしを黒い森にとじこめたのだ。だが、もう終わりだ。あきらめるのだな。わしはもはや死をおそれぬ。人としてのわしは、とおの昔に死んでおる。わしはもはやこの世の行く末を最後まで見届けようとは思わぬ。次の世は、次の世代の者たちの手にゆだねようと思う。
 コンロン王は、ぼくのこころに優しく語りかけていた。
 ──カエレレ、アギララ。わしの顔をよく見ろ。
 苦痛と哀しみにゆがんだコンロン王の死に顔が、とつぜんカエレレとアギララの前にあらわれた。二人は恐ろしい悲鳴をあげた。コンロン王の顔は、二人のそむきあった顔の真ん中に近づいていった。カエレレとアギララはコンロン王の顔から目が離せなくなっていた。コンロン王の顔の動きにあわせて、二人の頭がぎしぎしと音をたてながら反転し、ついに一回転した。
 ──おまえたちは、もはやこれまでじゃ。
 コンロン王の顔の像が消えた。そして、カエレレとアギララは、お互いの顔を真正面からみつめあう格好になった。
 恐ろしいことが起こった。カエレレとアギララのからだがまっぷたつに割れ、蛇のようにねじれてからみ合った。苦悶にゆがむ二人の顔は、この世のものとは思えなかった。その悲鳴は、思いだすのもいやなほどおぞましいものだった。からみついた二人のからだから無数の手があらわれては、助けをもとめるようにぼくたちの方に差し出された。最後にひときわ激しく身をくねらせたかと思うと、カエレレとアギララは動かなくなった。しばらくするとからだが硬直しはじめ、みるみる一本の樹に変わっていった。
 ぼくたちは、この恐ろしい変身の一部始終を、息をのんで見守った。いつのまにかレンゲ姫がぼくの手をしっかりと握っていた。ぼくは姫の震える肩をだいた。
 カエレレとアギララがすっかり変身を終えたとき、ぼくとレンゲ姫はお互いをみつめあっていた。ぼくたちの頭の中には、これまでの数々の出来事が一度におしよせてきた。ぼくの胸が高鳴っているのは、たった今目の前で見た恐ろしい変身劇のためだけではなかった。
 「ありがとう、リング。あなたのおかげでカエレレとアギララはほろび、球根城に平和がもどりました。どうかいつまでもわたしたちとここで暮らしてください」
 レンゲ姫の美しい顔がぼくの目の前にあった。姫は頬を赤らめていた。ぼくは姫の手をかたく握りかえした。そして、その頬にそっとくちづけをした。ぼくのこころは、とろけるようにあたたかくなった。まるでからだが空に浮かんでいるようだった。
 レンゲ姫は目を閉じていた。ぼくは、その顔をはじめてみたように感じた。あの黒い森の月の光のなかで見た、透き通った顔ともちがうようだった。もちろん、カエレレとアギララによって見せ物にされていた、あの魂の離れた姫の顔ともちがっていた。でも、ぼくはこの顔をどこかで見たことがある。それがどこだったか、思いだせない。
 人々のざわめきの声で、ぼくはわれにかえった。カエレレとアギララの執務室の壁がくずれ、ぼくたちの目の前にとつぜん巨大な青い扉があらわれた。扉は、亀の甲羅でできていた。
 「青い亀の間の扉だ!」
 だれかが叫んだ。扉が重々しい音をたててゆっくりと開いた。


  33 黄金の茸の秘密

 人々は、扉が開ききらぬうちにわれさきに部屋の中へ入った。ぼくもレンゲ姫とともにみんなにしたがった。
 青い亀の間には、息苦しくなるほどの静けさと、海の底のような深い青い光が満ちていた。部屋の中央に石の台座があり、その上に水晶の玉がおかれていた。
 ──のぞいてみるがよい。
 コンロン王がささやいた。人々は、ぼくとレンゲ姫のために道をあけてくれた。
 「あなたがたから、まずのぞいてみるべきです」
 ワッパスッパとニッパスッパが、変に力をこめてぼくたちをうながした。
 ぼくたちは水晶玉にちかづき、おそるおそるのぞきこんだ。そこにはおびただしい数のきのこがくっつきあい、奇妙な形をつくりだしていた。
 ──それが黄金のきのことよばれてきたものの正体だ。そして、それこそカエレレとアギララが探し求めた、神のみが扱うことを許されたクサビラ文字なのじゃ。
 「クサビラ文字?」
 ──様々な黄金のきのこがからまりあって、数々の模様をつくりだしているのが見えるだろう。その一つ一つが文字なのだ。この文字によってつづられたことは、かならず現実に起こったか、これから起こることばかりなのだ。クサビラ文字を使えば、世界を好きなように扱える。なにごとでも思いのままなのだ。      
 「そいつはすごい。これじゃ、カエレレやアギララでなくても、手に入れたくなるってもんだ」
 だれかがためいきをつきながら、そういった。
 ──この文字を使って書かれた書物が、青い亀の間につづく無数の部屋にうず高く積まれている。そこには、過去、未来を問わず、あらゆる土地に住むあらゆる人の運命が細大もらさず書きこまれているだろう。人だけではない。この世で生をうけたすべてのものの運命が記されておるはずあ。その書物を読み解けば、この世界の成り立ち、宇宙の始まりなど、およそ人が疑問に思うすべてのことがらについての解答も得られることだろう。クサビラ文字を封じ込めた水晶玉を、閉ざされた場所に保管しておくだけで、そのような森羅万象を記録した書物がしらぬまにうみだされてくる。
 素晴らしい。こんなものを一体だれがいつ作ったのだろう。とても人の手で作れるものじゃない。でも、それなら、どうしてクサビラ文字が黄金のきのこという名で、ミコータの国に伝わっていたのだろう。ぼくには、不思議だった。
 ──クサビラ文字は、あらゆる生き物が先祖からうけついだ記憶のなかにしまいこまれている。生き物が進化するにつれて、記憶はからだの奥深くへ沈み、もはやそれをすくいだすことはできなくなる。ミコータの国に古代からの叡知としてクサビラ文字が伝わったのは、だから奇跡ともいうべきことなのだ。だが、もっと素晴らしいことがある。ミコータの国の人々は、クサビラ文字を聖なる神の食料としてあがめ、人がこれに手をだすことを禁じたのだ。これこそ、人としての最高の叡知だった。だが、いつしかこの戒律の真の意味が忘れられ、禁断のきのこをわたくしに使おうとする者があらわれた。ミコータ国の神をまつる民であったギ族の王女が、戦いの民であったガ族の王子と語らって、黄金のきのこを密かにもちだしたのは、そのような不届き者の手から、クサビラ文字を守るためだったのじゃ。そして、このたびもまた、わしの邪悪なる野心からうまれたカエレレとアギララの手によって、クサビラ文字が悪用される寸前だった。
 「おれたちは、とてつもなく恐ろしいものを手にしてるんだ。クサビラ文字とやらを使えば、おれたちは神にだってなれる。どんなことだってできる。でも、それじゃおれたちがこれまで信仰してきたゲドーの神様は一体どうなっちまうんだい。信じるものがなくなっちまうってえことは、おれたちの魂をお救いくださる方がいなくなるってことだぜ。それじゃ、生きてくはげみがなくなるぜ」
 だれかが、おまえさん自身がその救い主になれるんだよ、と声をかけた。でも、そういった本人が、自分で自分を救うなんて、それじゃまるで自分の尻尾にくらいつく蛇みたいなもので、わけのわからねえことになっちまう、と頭をかかえこんでしまった。
 みんながわいわいいいだした。レンゲ姫がぼくに耳うちした。
 「こわしましょう。この水晶玉を床にたたきつけて、こなごなにしてしまいましょう。わたしたちの国に、このようなものは必要ありません。神のものなら、神にお返ししましょう。ねえ、リング」
 ぼくは同意した。ぼくも同じことを考えていたのだ。こんなものを放置しておいたら、いつまたカエレレとアギララのような悪党がこれをねらうかもしれない。
 ──そうだ。メリング王子のうまれかわりのおまえになら、できる。こわすのだ。こなごなにくだくのだ。わしもわずかに残された力をおまえたちに貸そう。
 ぼくは、ゆっくりと水晶玉をもちあげた。レンゲ姫がそっと手をそえた。
 「何をなさるおつもりですか」
 ラリプーたち五人組がとがめるようにそういって、ぼくたちのそばにかけ寄ってきた。でも、だれもぼくたちを止めることはできなかった。ワッパスッパとニッパスッパが固唾をのんでぼくたちの方を見ていた。ロンガもリジーも、みんなが黙っていた。
 ぼくとレンゲ姫は、水晶玉を頭上高くにかかげた。そして、渾身の力を込めて、床にたたきつけた。水晶玉は、あっけなく砕け散った。水晶の破片が飛び散り、青い光の中できらきらと輝いた。その中に、あの奇妙な形をしたきのこたちが数え切れないくらいまじっていた。
 とつぜん世界がぐらぐらとゆらぎだした。この世界を作りあげているすべてのものが、目に見えない大きな渦巻きのなかにまきこまれていった。ぼくのからだも、レンゲ姫のからだも、何もかもが渦の中で渾然と一つにとけあったかと思うと、次の瞬間、大音響とともにばらばらに砕け散った。
 「リング!」
 レンゲ姫の悲痛な声がぼくをよんだ。コンロン王の最期のうめきがぼくのこころにつきささった。でも、ぼくにはどうすることもできなかった。ぼくのからだは激しい衝撃のため、まるできのこの菌子のように無数の部分に細分化され、真っ暗な宙をさまよっていたのだった。

 ぼくは、もうこの世に存在していない。でも、死んだわけではない。ぼくは第二の旅に出たのだ。ぼくのからだと、ぼく自身の起源をみつける長い旅に。  ぼくは、ぼくという一つのまとまりとしては、もうこの世に存在していない。かつてぼくを形づくっていた無数の菌子、その一つ一つがぼく自身なのだ。ぼくは、ただ一人のぼくはもうこの世に存在しない。数知れぬぼくが、それぞれの思いのままに生きている。もはや、唯一の『ぼく』はいない。


  34 旅の終わり

 ぼくは、いや無数のぼくたちのうちの一人であるぼくは、七つの丘に囲まれた大河を、風に乗って漂っていった。果てしなく長い旅だった。
 途中で何人かの旅人と出会った。最初は、若い女だった。女はそまつないかだに乗って大河を下っていた。女は、見えないぼくにむかって、自分は死んでいるのだといった。愛する男が弔いの場で涙を流してくれなかったため、こうやっていつまでもあの世にたどりつけないのだと嘆いた。
 ぼくはまた、年老いて大河に捨てられた老人に会った。子どもをもうけたために破門された尼にも会った。その他、数えきれないくらいの人に会った。ぼくは旅人たち一人一人の身の上話をきいた。それはどれも興味深い数奇な物語だった。またいつか、機会があればお話しよう。
 ぼくが最後に会ったのは、いまにも大河に沈みそうな、草で編まれた船に乗った男の子だった。ぼくはその生まれたばかりの赤ん坊といっしょに、何日も大河を下った。草の船の中に、男の子の氏素性を書き記した紙片が置いてあった。そこには、男の子がどこかの王家の嫡男だというようなことが書かれてあった。この子の運命を大河の流れにゆだねなければならなかったのには、よほどの事情があるのだろう。ぼくはしだいに、この子の運命を見定めてみたいと思うようになった。その思いが強くなるにつれて、ぼくはいつしか男の子と一体化していった。ぼくは、新しい物語の主人公になったのだ。
 それから先をぼくは知らない。なぜなら、ぼくはもうぼくではなく、王家の嫡男にうまれながら大河に捨てられた男の子そのものになってしまたのだから……

 「そこまでで十分じゃよ。そこから先の話なら、わしもよう知っとる。ほっほっほ。おまえさんは、わしの期待通りの少年じゃったようだな」
 ぼくはしばらく自分の置かれた状況がよくのみこめなかった。無数の菌子の一つとなって大河を漂っていたはずのぼくが、いつのまにかあの黒い森の入口に立って、古樹の根元に腰かけて、長いキセルでたばこをすぱすぱ吸っている話売りの老人とむかいあっていたのだった。
 「ぼくはどうしてここにいるんだい」
 「ほっほっほ。おまえの旅は終わったのじゃ。おまえは、ついに黄金のきのこをみつけた。そして、ガルメ村とギリスの都にまつわる歴史をつくりかえたのじゃ」
 老人はそういうと大きくたばこをすいこんで、うまそうに目をとじた。
 「おかげでわしは新しい商売の元を仕入れることができたし、おまえはおまえで、きのこ祭りのいけにえにならずにすんだのじゃから、この取引はお互いにとって有益じゃたのう」
 ぼくの頭は、ようやく考えをまとめることができるようになった。
 「ぼくの冒険はみんな夢だったのか」
 「わからぬやつじゃのう。さっきもいったろう。おまえはまったく新しい物語をうみだした。それはみんな本当にあったことなのじゃ。それが証拠に、ガルメ村へ帰ってみるがよいわ。きのこ祭りはすっかり以前とはちがったものになっているはずじゃよ」
 ぼくの背後に人の気配がした。振り返って見ると、なんとそこに、レンゲ姫が立っていたのだ。
 「レンゲ姫!」
 ぼくは懐かしさのあまり、思わず泣きそうになった。
 「リング!」
 レンゲ姫はかけよってきた。ぼくたちは強く抱き合った。
 「めでたしめでたしじゃ。これでわしの仕事は終わり。後は二人でよく話をすることじゃな」
 そういうと話売りの老人は、黒い森の中に姿を消した。
 ぼくたちは、お互いをみつめあっていた。しばらくして、レンゲ姫はぼくにごめんなさいとあやまった。
 「わたしはレンゲではありません。ギリスの都の領主の娘、リンゲなのです」
 ぼくは、あっと声を出した。そうだったのか。レンゲ姫の顔をどこかで見たことがあると思っていたら、ギリスの領主の館の中で、階段の上からぼくをみつめていたあの少女だったのだ。
 「わたしは、召し使いの女たちがきのこ祭りの話をしているのをきいてしまったの。おこらないでね。わたしは、ガルメの村は恐ろしい人たちが住む、呪われた村だと思いこんでいました。ですから、茸祭りの夜に、ガルメ村の長の息子と結婚させられるのだときいて、わたしはたまらなく悲しくなりました。そして、都に住む占い師に頼んで、わたしの運命を変えてくれるようにお願いしたの。占い師は、わたしに話売りのお爺さんを紹介してくれました。お爺さんに教えらて、わたしは黒い森へ入っていきました。とてもおそろしかったけれど、わたしは必死になってレンゲ姫の役を演じました。そうすれば、きっとわたしの呪われた運命が変わると、話売りのお爺さんに教えられたからです。それから後のことはあなたもよく知っているでしょう。わたしのこころがあなたに惹かれていくにつれて、わたしはレンゲ姫の演技を忘れ、わたし自身の姿をあなたの前にさらしてしまったのです」
 レンゲ姫は、いやぼくのいいなずけのリンゲは、そういうと頬を赤らめた。その姿は可愛くて、清楚だった。
 「わたしは、今こころからあなたにあやまります。あなたを悪魔とののしったこと。そして、まだ見もしないあなたを嫌ったこと」
 リンゲは、涙をうかべていた。
 ぼくはなんといってなぐさめればいいのかわからなかった。

 ぼくたちは手を取りあって、ガルメ村へ帰った。父と母がいた。村人たちがこぞってぼくたちを迎えてくれた。ギリスの領主夫婦がいた。ギリスの住民たちもいた。みんなぼくたちにあたたかい拍手を送ってくれた。なにもかも最初から仕組まれていたんじゃないだろうかと、ぼくは一瞬疑った。でも、それでもいいと思った。
 きのこ祭りはそれから三日三晩つづけられた。

  ガルメリング譚 了