第4章 球根城の一夜



  22 流刑地にて
 
 ぼくはずいぶんと長い間、気を失っていたようだ。まるで何年間も眠りつづけていたような気がする。
 ぼくがぼくであってぼくでないような、不思議な空間に漂っていた。イナンナの霧に犯されたのだろうかと疑った。でも、しだいに意識が一点に凝集していったかと思うと、ぼくはわれにかえった。
 たくさんの夢を見た。眠りから覚めて、大きく息をするまでの間は、まだ夢の世界のつづきなのだときかされたことがある。その間なら、夢がくっきりと鮮やかに思い出されるのだという。ぼくは息をつめていた。さらさらと流れる砂のように、夢の情景がぼくの頭のなかをかけめぐった。
 とりわけ印象的な夢を二つ、今でも覚えている。それは、ぼくのからだとレンゲ姫の透き通ったからだが一つになった夢と、大小さまざまな歯車が数多く組み合わさってできた奇妙な機械の夢だった。機械の前には、二枚の羽が生えた子どもがいて、ぼくに何かをたずねた。ぼくが答えると、子どもは歯車をとりかえて、機械は動きはじめた。新しいお話がはじまるよ。子どもが確かそんなことをいっていたのを覚えている。
 
 まばゆいばかりの青色の光が降り注いでいた。空の青でも、海の青でもない、青い色彩そのものが、生あるもののようにきらきらとぼくにつきささるのだった。黒い森を旅していたときには、こんな鮮やかな色を見たことはなかった。涙を流す木が砕け散ってできた穴から、これまでとはまったく違った世界にぼくは落ちていったのだ。
 青い光に目が慣れると、それが岩にびっしりとはりついた小さな植物から発していることがわかった。ここはとてつもなく広い洞窟の中なのだ。ぼくは立ち上がった。仲間を探さなければならない。レングやルング、レンゲ姫、それにラングとロングたちを。
 光がいたるところに溢れていた。泉から水がこんこんと湧き出すように、岩の亀裂からまばゆい光がこぼれていた。岩はどこまでもつづいていた。空を見上げると、うっすらと闇がたちこめていた。
 しばらく歩いて、ぼくはのどの渇きを覚えていた。遠くで人の話し声がきこえた。だれかがだれかをののしっているようだった。ぼくは話し声のする方へ走った。
 「あれほどいったのに、おまえっていうやつは。おれたちにとって、水はいのちの次に大切なものなんだぞ。それをこそこそ隠れて飲んじまいやがって。また街で、大枚はたいて買ってこなくちゃならない。その間にせっかく咲いた花が枯れちまったら、それこそおれたちおまんまの食い上げだぞ」
 「そんなこといったって、おじさん。おれが人一倍汗っかきなこと、知ってるだろう。苦しいんだよ」
 見るからになまけものの太った若い男が、精悍な顔つきの年をとった男にあやまっていた。若い男の横にバケツがあって、水が少しだけ残っていた。ぼくはこっそり近寄って、バケツの水をひとすくい口にふくんだ。くさりかけた匂いのする、まずい水だった。
 「おめえはだれだ。そこで何してるんだ」  
 おじさんと呼ばれた男が、ぼくの肩をつかんだ。
 「どうしてこんなところにまぎれこんできやがったのかは知らないが、よくきけ。おれたちが死ぬ思いで育てた果樹が、たった一滴の水がないために枯れそうになっているんだぞ。その貴重な水を盗むとは、とんでもねえやつだ。ここは泣く子もだまる無法地帯さ。どんな仕打をされても文句はいえねえぜ」
 「ごめんなさい。のどが渇いていたんだ。そんなに水が大切なものだとは知らなかったんだよ」
 「子どもだからって、あやまって済むと思うなよ。おじさん、こいつをおれたちの果樹園でこきつかってやろうよ」
 若い男がずるそうに笑った。
 「ぼくにはやらなければならない仕事があるんだ。こんなところで働くわけにはいかないんだ」
 「こんなところとはなんていいぐさだ。おれたちはなにも好んでこんな荒れ果てたところにきたわけじゃない。カエレレとアギララに街を追放されて…」
 年をとった男が、若い男の口を封じた。
 「そうよ。ここは流刑地なのさ。生きてでることはできねえ。ぼうず、あきらめておれたちの手足になれ」
 「おわびに、いいことを教えてあげるよ。このあたりにきのこがいっぱい生えている場所はないかい。ぼくはきのこの森に生まれたんだ。水をつくるきのこの見分け方を知っている。いくらでもおいしい水をつくりだしてくれるんだ」  
 男たちは、最初ぼくのいうことを信じなかった。ぼくは、水をつくるきのこの特徴をこまかく話した。すると若い方の男が、そういえばそんなきのこを見たことがあるといいだした。
 「そうだ。気味の悪い蛾の羽みたいな模様がいっぱいついている。そいつを狩り集めてつるしておくんだよ。そうすると、切り口から水が尽きることなくしたたり落ちてくるんだ」
 「おじさん。こいつのいうことはまんざら嘘じゃないようだ。試してみようよ」
 
 ぼくはその夜、男たちの家でごちそうになった。二人は叔父と甥で、街のこそどろだった。ある日捕まって、ここへ流されたのだといった。
 「おめえのおかげで、果樹園づくりが成功しそうだ。礼をいうぜ。果物を売り、たっぷりと稼ぐ。そしていつか役人を買収して、ここを逃げ出してやるんだ。おめえには本当のことを教えといてやろう。おれたちが街で泥棒やってたのも、軍資金集めのためだったのさ。ゴダイの国にのっとられた球根城を奪いかえして、いつの日かゲドーの国を再建するためのな」
 「おれのおじさんは、ゲドーの国の偉い役人だったんだぜ」
 若い男が自慢げにいった。ぼくは、気持ちが高ぶっていた。
 「じゃあ、レング王子のことを知っているかい」
 「レング王子は、ルング様たちと一緒に国を逐われちまった。何十年も昔のことだ。今ごろはどこか遠いところで土に埋もれていなさることだろうよ」
 「レンゲ姫のことはどうだい」
 二人の男は顔をくもらせた。若い男が悲しそうにいった。
 「姫様は、長いこと眠ったままなんだ。カエレレとアギララに術をかけられて。コンロン王の四人の王子のうち、眠りから覚ませることのできた者が、姫様を妃にしてコンロン王の後を継げることになっているんだ」
 「ぼくは、レング王子やルングたちと黒い森を一緒に旅してきたんだ。レンゲ姫の姿もこの目でみたんだ!」
 

  23 球根城へ
 
 男たちは、びっくりしてぼくの顔を見た。
 「嘘じゃない。ぼくはレング王子たちと一緒に、黒い森の五匹の怪物を退治したんだ」 「ぼうず、最初からくわしく話してくれ。それに、さっき、やらなければならない仕事があるとかいってたろう。そのこともおれたちに話してみてくれ。できることがあれば手伝ってやるぜ」
 ぼくは話した。一人で黒い森へはいっていったこと。そこで四人の旅芸人に出会い、仲間になったこと。月の光の中にレンゲ姫の声がきこえたこと。恐ろしい怪物たちのこと。イナンナの霧の中に、レング王子たちが溶けてしまったこと。レンゲ姫の涙のこと。ぼくが経験した一部始終を、二人の男に話してきかせた。
 話が終わったとき、男たちの顔は真剣になっていた。
 「なんという喜ばしいことだ。その日が近づいているんだぜ」
 「その日ってどういう意味なんだ。おじさん」
 「街にいたころ、きいたことがある。ゴダイのやつらに球根城を奪われたとき、一人の旅の僧が予言をしたそうだ。おれもくわしくはきいちゃいねえがな。なんでも、二十年ほどたつと救世主があらわれて、ゲドーの民を救ってくれるという予言だったそうだ。ゴダイの役人がそれをきいて、旅の僧を捕まえようとしたが、僧はすうっと消えてしまった。それ以来、ゲドーの民のなかには、その予言を信じて苦しい毎日をしのいできたやつもいる。おれは信じちゃいなかった。だいいち、二十年も待てるものかと思った。ところがどうだ。あの屈辱の日からもう二十年以上がすぎちまった。ゴダイの支配はこの国のすみずみにまでいきわたり、今じゃコンロン王に逆らおうって骨のあるやつはほとんどいなくなっちまった。情けねえ話だが、このおれもいつしかその救世主とやらの出現をこころまちにしていたっていうわけだ」
 「それじゃなにかい、おじさん。この子がその救世主っていうことかい」
 「そいつはわからねえ。ただ、このぼうずがおれたちの国にやってきたのは、その前ぶれじゃないかっていう気がしてならねえ」
 二人の男はそれから、声をひそめてなにごとか相談しはじめた。不思議なことに、二人はぼくがこれまできいたことのない言葉で話していたのに、ぼくにはその内容がすっかりわかった。年をとった男が、若い男にこういっていた。
 「このぼうずを、なんとしてでも球根城へ連れていかにゃならない。ぼうずがそこへいけば、きっと何かが起こるはずだからな」
 「でもどうやって、ここから出すんだい。街へ行くには、役人がたくさんいる関所を通らなきゃならないんだよ」
 「おれにいい考えがある。明日はコンロン王の誕生日だ。それを祝って、球根城で盛大な宴が催される。余興のためにゲドーの芸能民がたくさんかりだされることは、おまえでも知ってるな」
 「もちろんさ。隣の奥さんがだんなと一緒に、明日の朝、城へ向かってでかけるんだって喜んでた」
 「それそれ。このぼうずをあいつらの付き人にしたてるのさ。関所の役人どもも気がつかないだろうぜ」
 「そりゃいい考えだ。おれ、ひと走りして隣のだんなに話をしてくるよ」
 若い男が出ていった後で、ぼくは残った男にきいた。
 「明日はコンロン王の誕生日だっていってたね」
 「おめえ、おれたちがしゃべってた言葉がわかるのか。あれは古代ゲドー語といって、今じゃあゲドーの民でもわかるやつは少なくなってるんだぜ」
 「ぼくにもなぜだかわからないけれど、おじさんたちが話していたことはみんなわかった」
 「ますます間違いねえ。『その日』は必ずやってくる」
 男はそういうと手を合わせて、何か呪文のようなものを唱えはじめた。コンロン王が本当に今も生きているのか、ききそびれてしまった。ぼくは、いつかの夢のなかにコンロン王と名乗る男がでてきて、わしはとうに死んでいる、わしを静かに眠らせてくれとぼくに懇願したことを、思い出していたのだった。
 次の日の朝、ぼくは背中が丸くなった小男と、その奥さんの太った女と一緒に流刑地を旅立った。球根城をめざして。
 

  24 黒い牡牛の間の饗宴
 
 「妻は昔、オペラのプリマドンナでしてね。今でも、美声はおとろえていません。仕事を終えた夕刻、妻の歌うアリアをきくのがわたしの無上の喜びでして。わたしの仕事ですか。うさぎを飼っているんです。たくさんのうさぎがいます。よかったらいつか見にきてください。まるまると太ってて、可愛いですよ。可愛いといえば、まだ妻が若かったころは、それは可愛い歌姫でした。わたしは毎日のように劇場へかよったものです。あんなことがなければ、わたしなんぞと結婚してはもらえなかったでしょうね。ゲドーの民の一人として、ゴダイの仕打には憤りを感じております。しかし、ここだけの話しですがね、わたし個人としてはコンロン王が球根城を奪って、ゲドーの民を街からおいだしてくれたことに感謝しているんです。おかげで妻が大観衆の前で歌う喜びを奪われ、絶望のあまりわたしのようなしがない下級官吏と結婚してくれたんですからな。とはいっても、わたしには弟がいましたが、これがなかなかの人物でしてね。亡くなったゲドー王の息子、レング王子とともに国を逐われました。ちょっとした英雄ですよ。その縁者だというんで、わたしもこんな辺境に流されましたが。悪いことばかりではありません。妻がわたしの求婚を断らなかったのも、祖国の英雄の兄だということがちょっとは影響したのではないかと、残念ながら思わざるをえないところです」
 男の話しぶりが早耳早がけのロングに似ていると感じていたら、なんとこの男はロングの兄だったのだ。
 「ぼくはロングを知っている」
 「わたしもあなたが弟を知っていることを知っていますよ。昨晩、おとなりの太っちょがまわらぬ舌で話してかえりました。弟はいつかえってくるんですかね。わたしはちょっと心配しているんです。妻はどうやら弟のことを好きだったようなんです。わたしは弟のかわりということだったようです。いえ、わたしはゲドーの国を思う気持ちに変わりありません。弟は国のために大切な人間です。ただ、弟がかえってくるとなると、妻が…」
 男の妻は、ぼくたちからだいぶん遅れてついてきた。太ったからだをあえぎあえぎ動かしていた。ときおり声をかけてきたが、確かに素晴らしく澄みきった声だった。その声だけが、往年の美貌を今に感じさせた。
 
 ぼくたちは関所を越えて、街へはいった。浅黒い肌の色をした役人たちは、だれもぼくをあやしまなかった。
 関所で検問の順番をまっているとき、足に鎖を巻かれた片腕の大女を見た。
 「あの女は、あなたがよくご存じの怪力ラングの奥方ですよ。とてつもなく強い女力士でしてね。奥方にかなうのは、ゲドー広しといえどもラングどのお一人でしたな。夫が国を逐われて以来、奥方の荒れたこと荒れたこと。ゴダイの役人どももほとほと手をやきましてね。ああやって鎖でつないだんですよ。大亀と奥方の格闘は、今でも忘れられない好取組みでしたなあ」
 片腕の女力士は、ゴダイの役人にひっぱられていた。その目は、ここでないどこか遠くをにらみつけていた。
 球根城へ到着するまで、役人に監視されながらぼくたちは街の中を歩いた。浅黒い肌のゴダイの民が、やせ細り生気のない表情をしたゲドーの民を奴隷のようにこきつかっていた。
 球根城は、街のはずれに建っていた。黒ずんだ巨石を積み重ねてできた古城だった。いくつもの門と迷路のようにいりくんだ廊下を通って、ぼくたちは狭い部屋に連れていかれた。そこには、たくさんのゲドーの芸能民がひしめいていた。
 「この人たちも、コンロン王の誕生日を祝うために集められたの?」
 「そうですとも。コンロン王九百九十九歳の誕生日を祝うため、九百九十九人もの芸人がかり集められたというわけでしてね。おかげで、流刑地のわたしたちにもお声がかかったというわけです」
 しばらくすると役人たちがやって来て、まるで家畜を扱うように、ぼくたちを大きな広間へおいたてた。中では、たくさんの兵隊が槍をもって並んでいた。広間の扉には、角をふりかざした一匹の黒い牡牛の絵が描かれていた。
 大広間の隅に高い座があった。すだれがかかっていて奥は見えないが、そこが王の座らしかった。
 高座の前には、異様な人物が立っていた。二またにわかれた細い木のように、二つの胴体と手と頭が一体の下半身からはえ出てており、この二人の人物はお互いに顔をそむけるように異なる方を向いているのだった。
 「ようこそ、諸君。本日はコンロン王九百九十九回目の生誕記念日を祝うために、よくぞ集まってくれた。王になりかわって礼をいうぞ」
 喪服のような黒いガウンに身を包んだ、妖しい二人の人物が一緒にしゃべった。腹の底をふるわす不気味な低い声と、耳をふさぎたくなるかん高い声が、同時に大広間に響きわたった。
 「何をいってやがる。むりやり連れてきやがったくせに」
 ぼくのそばにいた男が、聞こえよがしに毒づいた。高座の前の二人の人物が、それぞれの片目でこちらをにらみつけた。黒いガウンが割れて、二本の枯れ木のような腕があらわれ、毒ついた男を指さした。すると、男の顔がこわばり、目を見開いたまま動かなくなった。
 「あれが、かの高名なカエレレとアギララです。不思議な術を使ってコンロン王にとりいり、ゴダイの国を好きなように牛耳っているんですよ。わたしもあいつらを近くで見るのはずいぶん久しぶりですが、いつ見ても気味の悪いやつらですな」
 「今日は終日コンロン王のために、おまえたちが日頃みがいた芸の腕前を存分に披露してほしい。これ、ワッパスッパ、ニッパスッパ。王子様方の入場じゃ」
 カエレレとアギララは、大広間の両翼に整列した音楽隊の方に向かって叫んだ。二つの指揮者台の上で、そっくりな顔をした二人の男の子がおどけた格好で敬礼をした。男の子たちはでたらめに指揮棒を振り、それを見て大広間に並んだ兵隊たちが大笑いした。
 「子どものように見えますが、あいつらはれっきとした大人なんです。それに、もとはゲドーの道化師だったんですよ。それをカエレレとアギララにとりいって、いまじゃ球根城のお抱え道化師にして裁判所書記官という身分にまで出世してましてね。許せんやつらですなあ」
 ワッパスッパとニッパスッパのでたらめな指揮にもかかわらず、音楽隊は荘重なもったいぶった音楽を演奏しはじめた。音楽に合わせて、カエレレとアギララがその前に立っている高座の脇の扉から、四人の王子が入場してきた。見るからに腕力の強そうながっしりした王子、女のような長い髪をたらした美貌の王子、知性あふれる顔立ちの学者みたいな王子、そして最後に優しい目をしたひよわそうな王子がつづいた。
 「最初に出てきたのがマリング王子。これが剛毅豪胆の強者、手がつけられない乱暴者でしてね。マリング王子がコンロン王の後を継ぐとなると、血なまぐさい世になりますでしょうな。二番目に出てきたのがミリング王子。見ての通りの美貌の主でして、明けても暮れても放蕩三昧。ミリング王子がゴダイの王位につくとなりますと、この国の風紀は乱れ人心は堕落すること間違いありますまい。三番目に出てきたのがムリング王子です。底知れない知識の持ち主で、王子と議論して適う者はまずおりません。さすがのカエレレとアギララも、ムリング王子の発言には一目おかざるをえない有様です。ところが天は二物をあたえずと申しますか、まつりごとにはとんと関心を払わず、もっぱら学問三昧。ムリング王子が王座につくと、ゴダイ国はたががゆるみ、諸侯割拠の騒然とした国情を呈することになりましょうな。最後に出てきたのが末っ子のモリング王子。この王子は虚弱に生まれ落ち、無事に育ったのは奇跡といわれております。鶴の足をもった王子と呼ばれておりまして、その可憐な容姿と優しげな振る舞いでゴダイの国民から慕われておりますが、なにしろいつ果てるとも知れぬ薄幸の身。まず王位継承はありますまい」
 四人の王子たちがそれぞれの椅子に座ったところで、宴の始まりを伝えるファンファーレが鳴り響いた。
 「これよりコンロン王九百九十九回目の生誕記念日の祝宴を始める。ゲドーの者ども、日頃の精進の成果を披露し、こころゆくまでわれらを楽しませてくれ。音楽隊、演奏をはじめよ」
 ワッパスッパとニッパスッパの二人の道化師が、カエレレとアギララの声色を真似た。ゲドーの芸能民を除いて、大広間にいた全員が爆笑した。
 「待て待て、大切な方の入場がまだすんでおらぬわ」
 カエレレとアギララが苦笑しながら、でたらめに指揮棒を振りまわしはじめたワッパスッパとニッパスッパの二人ににそういった。 ぼくは、いよいよコンロン王と対面できると思って胸をときめかせた。ところが、ロングのお兄さんがぼくに耳打ちしたのは、思わぬ人の名前だった。
 「レンゲ姫様ですよ。カエレレとアギララは、ことあるごとに魂をなくしたレンゲ姫のおいたわしいお姿をわたしたちゲドーの民の目にさらすのです。そうやって、レンゲ姫をこころの頼りとしていつの日かゲドー国を再興しようという、わたしたちの野心をくじけさせるつもりなんです」
 侍女に手をひかれて、しずしずとレンゲ姫が姿をあらわした。ゲドーの芸能民は一斉にうつむき、四人の王子たちはそれぞれの思いで姫の姿をみつめていた。マリングはぎらぎらとたぎる征服欲をむきだしに、ミリングは好色そうな眼差しで、ムリングは不可解な研究対象を観察するように、そしてモリングは姉を慕う弟のような憧れとともに。
 レンゲ姫は目を見開いて眠っていた。その顔からは、まるで白痴のように感情が欠けていた。だが、黒い森の月の光の中で見た姫と同じように、この世のだれよりも美しい顔立ちだった。
 

  25 牢獄の中で
 
 コンロン王の誕生日を祝う祝宴は、終日つづけられた。主役のコンロン王は王座のすだれの奥に潜んでいるらしく、姿も見せず、声さえ発しなかった。
 女力士たちの闘い、大きな壷の中から姿をあらわす妖精や、空を飛ぶ魚たちを操る奇術師、見えない水の衣を身にまとった女や、コーモリと戯れる女たちの踊り、吟遊詩人たちの歌合戦、その他ありとあらゆる見せ物が、途切れることなくつづけられた。夜もだいぶん更けたころ、目もくらむような舞台衣装に身をつつんだ元オペラ歌手、つまりロングのお兄さんの奥方が、大広間の中央に進み出た。ぼくは、長々とのびた裾をもちあげてその後につきしたがった。
 「これより皆様におききいただきますは、ゲドーの国にこの人ありといわれた名花、国立歌劇場往年の花形歌手、リジー嬢」
 「今は名を改めまして、ゲドーの国にこの人あるとはだれも知らなかった元三流官吏、ロンガの奥方にして、太っちょリジーおばさん」
 「そのリジーが歌います、歌劇『球根城の一夜』からのアリア『黒い女の嘆き』。その昔、満場の涙をしぼったリジーの十八番。こころゆくまでお楽しみください」
 ワッパスッパとニッパスッパの滑稽な身振り手振りでの紹介をうけて、ロンガの奥方は深々とおじぎをした。その顔はうっすらと赤みをおび、そこはかとない気品さえ漂わせていた。あまく切ない旋律にのって、奥方は信じられないくらいの哀しさを秘めた、澄みきった声で歌いはじめた。
 
 わたしの戦いは終わった
 わたしは傷つき力は尽きた
 愛する人も今はなく
 愛する祖国は今も苦しむ
 死にゆくわたしの最後の嘆き
 月よ黙って聞いてておくれ
 
 それからロンガの奥方は、とうとうと語るように歌った。「黒い女」とよばれたゲドーの国に古くから伝わる救国の英雄の悲劇を。
 その昔、ゲドーの国が恐ろしい武器を持った侵略者のために亡国の危機にさらされたとき、ゲドー国の最果てにある砂漠を流浪していた芸能民たちの部族の中から、一人の娘があらわれた。娘は、その人のこころを動かさずにはおかない歌で、意気阻喪したゲドーの民を奮いたたせた。娘に励まされた兵士たちの活躍で、ついに恐ろしい敵は撃退され、ゲドーの国は守られたのだった。人々は娘をその肌の色から「黒い女」とよび、救国の英雄と讃えた。
 ところが再び平和が訪れると、為政者たちは娘のあつかいに苦慮した。国民のこころが娘のもとに一つになり、王をないがしろにさえしかねない有様だったからだ。そこで、ある大臣が卑劣な陰謀をたくらんだ。娘が燐国ゴダイと通じていて、ゲドー国侵略の手先だといううわさをまことしやかに流したのである。
 娘の部族が生活する砂漠は、ゴダイ国との国境地帯にあった。ゴダイ国は闇の国とよばれ、その内情はほとんど外部には洩らされなかった。当然、ゲドー国との間に国交関係はなく、ゲドーの民が知っているのはゴダイの民の肌が浅黒いということぐらいだった。だから、大臣が流した嘘のうわさは、砂漠の流浪民への根深い差別意識もあって、人々の間でしだいに本当らしく伝わっていった。
 娘は裁判にかけられた。球根城の一室で厳しく尋問され、娘はとうとう嘘の自白をさせられてしまった。娘に下された審判は、火刑という残酷なものだった。ある夜、城門が開かれ、すべての国民が城の中庭に集まった。人々の怒号がとびかう中、娘は処刑台につながれ、火が放たれた。  
 その時、不思議なことがおこった。どこからともなく娘の歌う歌が聞こえてきたのだ。それは、球根城の牢獄で、処刑執行を待つ娘が月にむかって身の潔白を訴えた歌だったのだ。  
 人々は娘の無実を悟った。だが時はすでに遅く、娘の目は二度と開かれなかった。
 
 ロンガの奥方リジーは、アリア『黒い女の嘆き』を歌い終えた。その顔は、夢見る娘のように魅力的だった。
 黒い牡牛の間に集まった、すべてのゲドーの民は泣いていた。ぼくもわけのわからない感激にとらわれていた。そして、驚くべきことがおこった。あのリンゲ姫のうつろに見開かれた二つの目から、涙の粒がこぼれていたのだった。
 「レンゲ姫が泣いてるよ」
 「泣いてるよ、レンゲ姫が」
 ワッパスッパとニッパスッパが叫んだ。カエレレとアギララが、ぎょっとして、姫の方へ二つの顔をむけようと悪戦苦闘した。四人の王子たちが一斉に姫のそばにかけよった。 「ここにいるすべてのゲドーの民を逮捕せよ! この中にわれらゴダイへ国への謀反をたくらみし者がまぎれておる。レンゲ姫の涙はそのことをわれらに知らせるものなり」
 カエレレとアギララの命令が下った。ぼくたちは全員その場でつかまり、球根城の牢獄の中に閉じ込められてしまった。
 
 ぼくたちは食事さえ与えられず何時間も牢獄に放置された。暗く冷たいところだった。 「わたしはくさいと思うんですがね。どうもおかしいじゃありませんか。わたしたちみたいな流刑地の者までかり集めるのは、ゴダイ王九百九十九歳の誕生日を祝う九百九十九人の芸人を集めるためだとばかり思っていましたが、大広間に集まった連中の顔ぶれを見ると、どれもこれもゴダイ国に反感をもってるやつばかりじゃありませんか。カエレレとアギララにとりいった世渡り上手なやつらの顔はは、まったく見えません。だから、大した芸をもってない三流芸人が来ているかと思えば、何をおいてもこの人だけはと万人が認める大御所が姿を見せない。こんなちぐはぐなことはありません。これは、間違いなくカエレレとアギララの仕組んだわなです。わたしたちを一網打尽にして、ゴダイ国の安泰をはかるために一芝居うったに相違ありませんな。レンゲ姫の涙だって、やつらがあやしげな術を使ったんですな」
 ロンガがいかにも本当らしく自説を述べていた。なぜかはわからないが、ぼくはそれは違うと思った。ロンガの説は間違っている。レンゲ姫の流した涙は、カエレレとアギララをこころから怖れさせたに違いないのだ。
 どうしてそんなことがわかるかだって? ぼくは知ってるんだ。なぜなら、ぼくは、ぼくは…
 
 牢獄に一条の光がさしこんできた。岩の亀裂を通じて忍びこんできた月の光だった。光は、まっすぐぼくをめざした。まばゆい光を浴びて、ぼくは激しい衝撃を覚えた。ぼくのからだのなかから、ぼくとは違う生きものが姿をあらわした。ぼくのこころのなかに、懐かしく優しい気持ちがこみあげてきた。その気持ちは、ぼくのものであってぼくのものではなかった。ぼくは立ちあががり、牢獄の仲間にむかって言葉を投げかけた。そうしたのは、ぼくであってぼくではなかった。
 「皆さん。怖れることはありません。わたしたちが救われる日は近づいているのです。希望をもつのです」
 それは、あの黒い森の月の光の中できいた、レンゲ姫の声だった。
 

  26 アマクサ伝説
 
 牢獄の人々は驚き、怖れた。後になってきくと、月の光を浴びて、ぼくの顔が別人のようになったのだという。きっとそれは、黒い森で会ったレング王子に似た顔つきだったことだろう。
 ぼくが、いやぼくのからだを借りて、レンゲ姫がゲドーの民に言葉をかけたあと、息づまる沈黙の中で、一人の老婆が小さくささやいた言葉がみんなのこころの緊張を解いた。 老婆は、祈るようにこういったのだ。
 「アマクサ様じゃ」
 人々は、老婆の言葉に励まされたように、こわばった顔をおだやかにさせ、しだいに喜びの声をあげるようになった。
 「あの僧の予言は本当だったんだ。この方こそ、救世主アマクサ様だ」
 それから先、牢獄の中で何があったかをぼくは知らない。岩の亀裂からさしこむ月の光が弱くなり、それとともにぼくは気を失ったからだ。
 
 気がつくと、ぼくは多くの人たちに取り囲まれていた。ロンガがいた。リジーもいた。ラングの奥さんもいた。どの顔も希望に満ちていた。
 「ぼくはどうなったんだろう」
 「あなたはアマクサ様じゃ」
 老婆がぼくにむかって手を合わせて、再びそういった。
 「アマクサとはいったいなんのことなんですか」
 「われらゲドーの民の救世主じゃ」
 「もっとくわしく教えてください。ぼくがなぜ救世主なんですか」
 老婆は目をつむると、呪文を唱えるように重々しくいった。
 
 その者女にして男
 習わざるに言葉を知る
 今より二十六年の後
 我らの前に必ず姿を現し
 ウワノガ原を紅色に燃やさん
 その名をアマクサという
 
 「今から二十六年前のことじゃった。ある日、われらが球根城をゴダイの戦士どもが襲ったのじゃ。おそろしく強い戦士どもであったそうな。城を守っておったゲドーの兵士はたちまち打ち殺されてしもうたのじゃ。球根城はコンロン王に奪われての、ゲドーの民はことごとくゴダイの民の奴隷にされてしもうた。ところがここに一人の旅の僧があらわれて、われらに予言した。今わしが唱えた言葉がそれなのじゃ。その者女にして男。おまえ様はさっき女の顔とからだ、それに女の声をもってわれらに言葉をかけてくださった。それこそアマクサ様のあかしじゃ。習わざるに言葉を知る。おまえ様は、わしらゲドーの年寄にしかわからぬ古い言葉を使われた。よそ者のおまえ様に、どうしてそのような語が使えようぞ。これこそアマクサ様のあかしなのじゃ。旅の僧はさらにこういわれたのじゃ。今より二十六年の後に、アマクサ様がわれらの前にお姿をあらわされるとな。今日こそがその日なのじゃ。わしには目の前に見えるようじゃ。ウワノガ原に、狂ったように紅色のきのこがたんとたんと生えているのが」
 筋骨たくましい一人の若者が、老婆の言葉の意味をぼくに説明してくれた。
 「ウワノガ原というのは、球根城のずっと西にある、わたしたちゲドーの発祥の地といわれている高原の名前なのです。そこには、かつて鮮やかな紅色のきのこがいっぱい生えていたんです。ところがゴダイに国を滅ぼされ、何人もの仲間がカエレレとアギララの手で処刑されるや、きのこは枯れて、そのなきがらは白い石になってしまいました。白い石は処刑された仲間の数と同じ、二千七百九十個ありました。わたしたちには、その白い石が処刑された仲間の骨のように思われたのです」
 別の若い女が、ぼくにすがりついて訴えた。           
 「アマクサ様、お願いです。わたしたちをお救いください。わたしたちはこの日がくるのを二十六年間まちつづけました。コンロン王の支配がはじまるや、とつぜん時の進行が止まり、わたしたちはとこしえにつづく苦しみに耐えなければならなくなったのです。あなたとなら死は恐ろしくありません。あなたと共にならコンロン王と戦えます。カエレレとアギララにもたちむかえます。どうかお願いです。アマクサ様」
 牢獄にいるすべての人が、ぼくにむかって涙とともに祈っていた。そこには底知れない静かな力がみなぎっていた。