第3章 五つの集落と五匹の怪物



  12 オロチの集落
 
 ぼくたちが最初にたずねたのは、オロチの集落だった。
 ルングが奏でる月の琴の音色にひかれて、村の人たちが集落の広場に集まってきた。
 村人たちは、それぞれ異なった顔の色をしていた。緑色の顔、海のように青い顔、灰色の顔、黒い顔。大人も子供も男も女も、感情を表にださず、生気のない目でぼくたちをみつめていた。どの顔も、そしてだれも言葉を口にしなかった。
 ルングがぼくのこころに語りかけてきた。      
 ──この村では、しゃべってはいけない。声にだされた言葉は、ことごとく現実のものとなってしまうのだ。
 沈黙の広場に、レングの美しい声が響いた。村人たちの顔が、恐怖のため紫色に変わっていった。レングは、月の琴の調べにのせて哀しい物語を語りはじめた。
 
 スサの国は花咲き鳥歌う常春の国
 民みなスサ王の善政を讃え
 美しき姫君とその弟君を愛し
 憂いなく幸せに暮らしていた
 姫の名はツクヨ
 王子の名はタクマ
 妃は王子を生んで間もなく
 病のために死んだ 
 ところが妃の死はスサの国の宰相
 ゾーイが毒を盛ったためだった
 ゾーイは妃に横恋慕し言い寄ったが
 妃が相手にしなかったことへの腹いせ
 ゾーイは面従腹背の邪心たくましき宰相
 ひそかに隣国ソガの国王と謀って
 スサ国をおのがものにせんと企んだ
 音楽隊を装ってソガの大軍が
 スサの領内におしよせてきた
 このときとばかりゾーイ子飼いの精鋭軍
 ソガの兵士とともにスサの民を襲い
 スサ王は捕らえられ無残な最期
 ゾーイはスサ王の王冠から
 かぼそく光をはなつ石を奪う
 これこそスサ国の王位を預かる者のしるし
 月のしずくから生まれた石なり
 ゾーイはほくそ笑み
 野心は成就したかに見えたが
 王冠に埋めこまれた石はまっかな偽物
 本物の月の石はツクヨ姫が身につけた
 首飾りに隠してあった
 平和のうちにもいつの日か
 今日の事態を予見した
 亡き王妃のはからいだった
 さてスサ国はソガ国の植民地とされ
 ゾーイがその長官におさまり
 暴虐の限りを尽くし
 ツクヨ姫とタクマ王子は
 ソガの宮殿へつれさられ
 姫は宮廷の歌奴隷に
 王子は地下牢にとじこめられた
 
 レングは、歌うようにふしをつけて語った。広場にはレングの語る通りの情景があらわれた。美しいツクヨ姫やおそろしいゾーイが、まるでいまそこで戦い哀しんでいるかのようにあらわれては消えていった。
 村人たちの顔色は、話がすすむにつれて次々と変わっていった。突然、みんなの顔がいっせいに紫色にかわった。レングが語りはじめたときのように、それは恐怖をあらわしていた。しかし今度のはもっともっと濃い紫だった。
 村人たちが叫んだ。
 「オナンナ!」
 

  13 怪物オナンナ
 
 村人たちは、ちりぢりになって逃げていった。オロチの集落の広場には、ぼくたち五人しかいなくなった。なにかぞっとする冷気が、あたりに漂いはじめた。  
 なにものかがうごめいていた。それは、ぼくたちのたましいの最も深いところに働きかけ、ぼくたちから、なにごとかをやり遂げようとする気力となにかに感動する気持ちをもぎとろうとした。ぼくたちを言葉にならない悲しみの淵におとしいれ、そこから二度とはいあがれなくさせようとしていた。
 「オナンナはどこだ」
 ロングがあわただしく広場を走りまわり、みえない敵をさがした。
 「オナンナはどこだ」
 ラングが力まかせに広場を踏んだ。大きな音が響いた。
 「オナンナはぼくたちのこころの中に潜んでいるのです。恐れてはなりません。怒ってはなりません。悲しみや怒りのうちにオナンナは生きつづけるのです。こころを楽にするのです。しあわせな日々を思い出すのです」 
 レングが叫んだ。
 そのとき、魂を震わせる大きな声がきこえてきた。
 ──愚か者ども。オロチの集落の静寂を破る者ども。よく聞け。この地ではわが名オナンナを讃えるときを除き、言葉を口にしてはならぬのだ。言葉はすべての災いのもと、争いのもと。わが掟を守り、沈黙のうちに呪われたこの世をしのぐことこそが生きる望みなのじゃ。死こそが救いと知れ。
 ルングの、こころにしみとおるような声がつづいた。
 ──なにをいうか、邪悪なる者よ。オロチの村人の顔を見るがよい。かれらは生きながら死んでおるわ。死後を思いわずらい、今をおろそかに生きる、それが人のしあわせか。 ──愚か者め。生あるものはみな滅びゆくのだ。生は苦しみ、生は悲しみ。死こそがとこしえのやすらぎじゃ。生はつかのまの幻、すべては言葉のなせる術にすぎぬ。言葉こそ災いのもと、言葉こそ争いのもと。醜き生を捨てよ。うるわしき死、静寂なる死のうちに言葉なげすてるがよい。
 オナンナの声をきいているうちに、ぼくのこころの中になにかがめばえてくるのが感じられた。それは、すべては空しいとささやきかけてきた。
 「いけない。オナンナの言葉に耳を傾けてはならない」
 ルングの声が、遠くできこえてきた。
 「ええいうるさいやつめ。おまえこそ言葉だけじゃないか。いいかよくきけ、このラング様は言葉を操らせちゃ天下一品の男だ。おまえのからっぽの言葉ごときにゃ負けやしないぞ」
 ロングがあいかわらず広場をかけめぐりながら、叫んでいた。しかし威勢のいいわりには、その顔は青ざめていた。
 ──愚か者め。言葉におどらされ、言葉に操られ、言葉にあざむかれるがよい。
 そのときラングがつかつかと広場の泉のほとりに歩いていった。泉の水は渇れていた。泉の中央に大きな石が置かれていた。ラングはその大石を力いっぱいもちあげた。石にふさがれていた穴から、冷たい水がこんこんと湧きだした。
 「見ろ、オナンナ。言葉とはこの泉の水のごときものよ。そして、生きているってことは力にあふれているってことだぜ。おまえの言葉は、渇れた泉にただよう腐ったにおいみたいなものさ。おれの力を奪うことはできないぜ」
 ラングはそういうと、高くかかげた大石を思うさま遠くへ投げとばした。すると、どこからともなく悲鳴がきこえてきた。
 ──オナンナの正体は、あの大石だったのだ。オナンナは生あるものに嫉妬し、いのちの泉を渇れさせ、村人たちから生きる望みを奪ってきたのだ。
 ルングがささやいた。ラングがようやく駈けまわるのをやめて、大きく息をはいた。ぼくのこころに、ぬくもりがかえってきた。
 
 その夜、月の光のなかにレンゲ姫の手がうっすらと浮かびあがった。姫の手は透きとおっていた。
 ──ありがとう、皆さん。でも、オナンナはけっして死んだわけではないのです。皆さんがもし絶望したり、沈んだ気持ちになったとき、オナンナは息をふきかえすでしょう。 姫の声はあたたかく、やさしかった。
 

  14 アグイの集落
 
 ぼくたちが次にたずねたのは、アグイの集落だった。
 そこでは、どこまでも果てしなく行列がつづいていた。様々な国からやってきた人々が並んでいた。行列は一日に数歩しか進まなかったが、人々はあきらめることなくひたすら待ちつづけているのだった。でも、一体なんのためになにを待っているのか、ぼくにはわからなかった。
 仮面をかぶったルングが、月の琴をかなではじめた。人々はまったく関心をしめさなかった。ただまっすぐ前を見ているだけだ。
 盲目のレングの語りが静かにはじまった。
 
 ツクヨ姫はソガ国の宮廷の歌奴隷
 毎日毎日心にもない歌を歌い
 ソガ王の栄誉を讃え長命を願った
 それというのも地下牢にとじこめられた
 弟タクマ王子の身を案じてのこと
 ここでソガ王の機嫌を損じては
 大切なスサ国の後継ぎ
 タクマ王子のいのちが危ないと
 泣く泣く歌うツクヨ姫
 恨みに翳るまなざしに
 心奪われたソガ王は
 ツクヨを余の第二王妃にせよと
 驚く大臣たちに命じた
 これを聞いて怒ったのが第一王妃
 妖術使いのキューレを呼びつけた
 憎きツクヨを亡き者とせよと
 妖術使いは怪しく笑い
 お妃様ご安心なされ
 このキューレにおまかせあれ
 ただあの歌奴隷が見につけし
 光る首飾りをわたくしめが奪うこと
 お許しさえくださるなら
 望みはかならずかないましょうぞ
 さてその夜のこと
 高い塔に閉じ込められたツクヨ姫は
 タクマ王子のすすり泣きの声を聞いた
 そのとき突然足枷がはずれ
 見張りの兵士が深い眠りに落ちた
 たまらず姫は扉を開き階段を駈け降りる
 王家のしるし月の石を隠した
 大切な首飾りを落としたのにも気づかず
 どこまでもどこまでも
 地の底までも続く階段を駆けた
 だがこの塔は惑いの塔
 導きのランプを手に持たぬ限り
 行きつく先は暗い墓地
 護符なき者はとこしえにさ迷い
 二度とこの世に戻ることはできない
 これこそ妖術使いキューレの仕組んだ
 恐ろしいわなだった
 
 ルングは語りつづけた。でも、人々はあいかわらず無関心だった。
 

  15 怪物アナンナ
 
 「おいおいみんな、一体どうしたっていうんだい。レング様のおはこ『ツクヨ姫物語』はいよいよ佳境だよ。ちっとはこちらを見たらどうなのかね。どうやらよっぽど有り難い神様にお参りしようとしているらしいね。それならわたしがひと走り、さきまわりしてどんな偉い神様か、拝見させていただくとしようか」
 小人のロングはそういうと、矢のような早さで駆けだした。
 レングの語りはつづいていた。
 
 気が遠くなるほどに長い階段を
 息もたえだえにツクヨ姫は駆け降りた
 愛しいタクマ王子に会いたい思いで
 足から流れる血にもかまわず
 だが疲れ果てた姫がたどり着いたのは
 身も凍る恐ろしい地下迷路
 いったん足を踏み入れたならば
 二度と出られぬ死の世界だった
 思い余ったツクヨ姫
 亡き父王と母君の名を呼び
 助けを求めるが空しいあがき
 とそのとき地を震わす声が響いた
 わしはサル国の王
 おまえは何者じゃ
 サル国とは死者の国の名
 とうとうあの世への迎えがきたのだろうか
 姫は最後の力をふりしぼって
 私はスサ国の王女ツクヨです
 ツクヨ聞くがよい
 おまえはいずれ死にゆく身じゃ
 暗い墓地から生きてでられる者はない
 この世の花と競うほどに美しい
 おまえの体も醜く腐り
 魂もちりじりになってしまうだろう
 だがわしの妃となりサルの国にすまうなら
 おまえはとこしえのいのちを得られよう
 どうじゃわしの望み聞き届けてもらえぬか
 ツクヨ姫は驚き恐れたが
 弟タクマ王子を地下牢から解き放ち   
 自由の身にしていただけるのなら
 死にゆくこの身王に捧げましょう    
 サル王は突然姿をあらわし 
 その望みしかとききとどけよう
 優しく姫を抱き上げ闇の世界へ消えた
 
 そのとき小人のロングがおそろしい早さで駆けもどってきて、荒い息をつきながら見てきたことを話しはじめた。
 「ここから、そうですなあ皆さんの足で一日はかかる先に、わたしはあいつをみつけました。いやあ、恐ろしい奴でしたよ」
 「一体何をみつけたっていうんだい。もったいぶらずに話してみな」
 大男のラングがいらいらしながらいった。     
 ロングの話は、かんじんなところにくるとはぐらかされ、何がどうなったかわからなくなってしまう。でも、おおよその話はわかった。
 ロングが、アグイの集落に集う人々の長い列がどこまでつづいているのか見届けようと駆けだしてしばらくすると、といってもロングがいうようにそこはぼくたちの足で歩けば一日はかかるほどの遠さなんだが、とにかくそこに大きな門があった。中にはありがたい神様がすまわれているという。神様の名前はアナンナといって、お参りする者の望みをなんでもかなえてくれるのだという。
 門の近くに並んでいる人々は、もう一年以上も神様に会えるのを待っていた。しかし、待ちつづけているあいだに、すっかり疲れはててしまい、おまけに神様に会ったら何をお願いするつもりだったのか、すっかり忘れてしまっていた。
 ロングは門の中をのぞきこんで、あっと声をあげた。そこにはおそろしい形相をした怪物がいた。大きく見開かれた二つの眼は赤く血の色にそまっていた。耳まで裂けた口からは刃のような歯がのぞいていた。そして、歯のあいだから人間の首がのぞいていた。
 「驚いたのなんのって、わたしは生まれてこのかたこれほど驚いたことはありません。いやちょっと大げさかもしれませんな。並みの人だったらきっと腰をぬかしたでしょう。しかしこのわたしにとっては、それほどのことではなかったんですがね。とにかく、アナンナという神様はとんでもない化物で、何日もかけて参拝した善男善女をまるごと食っちまうんですから、ひどい話じゃないですか。わたしは思わず、やいアナンナ、おまえはひどい奴だ、このわたしが退治してくれる。そうどなってやりましたよ。するとアナンナは悠然と構えて、ちび、おまえにおれが退治できるか。おまえなんぞまずそうだが、食ってやるからありがたく思えと、毒つくじゃありませんか。わたしはかっとなって、ありったけの悪口をあびせかけてやりました。まあ口合戦でわたしにかなう者はおりませんから、アンナナの奴、おこったのなんの。冷静さを失ってやみくもに突進してきましたね。こうなればアナンナはわたしの操るままです。ひらりひらりと身をかわし、あわやと思う瞬間アナンナの眼に蹴りをいっぱつみまってやった。さしもの怪物も目が見えなくなってはどうしようもない。わたしの悪口雑言たっぷり聞かされて、怒りのあまりわれを忘れた。手あたりしだいに壊すわ壊すわ、とうとう神殿がどうと地響きあげて倒れた。あわれアナンナはその下敷きになっていっかんの終わり。これがその戦利品です」
 ロングが得意げにぼくたちに見せたのは、怪物アナンナの鋭利な歯だった。
 
 その夜、レンゲ姫の透き通った足が月の光の中に浮かびあがった。
 

  16 ウララの集落
 
 アナンナの死を、アグイの集落で行列をつくっていたすべての人々が知るまでには、何日もかかったことだろう。
 ぼくたちは旅を急いだ。アグイのつぎにたずねたのは、ウララの集落だった。
 素晴らしい芳香が漂っていた。ぼくは、あらゆる憂いがはらされて、もうこのまま死んでもいいような思いにかられた。
 ──リング、こころを確かにもたなければならない。きみには生きる目的があったはずだ。あらゆる試練にたえて、きみ自信の運命を変えるという目的が。
 仮面をかぶった僧侶ルングが、月の琴をつまびきながら、ぼくの魂に語りかけてきた。 ぼくは夢見ごこちから醒めた。あたりには人の気配がなかった。目にもあざやかな植物が、さまざまな色をほこって咲いていた。
 盲目のレングの語りに応じて、花の色はいっそうあざやかに輝いた。
 
 タクマ王子は暗い闇の中で震えていた
 そこはソガ国の宮廷の地下牢
 姉ツクヨ姫と離れ離れに引き裂かれ
 一人来る日も来る夜も泣き暮らし
 憎きゾーイに国を奪われた恨みも
 今ではとうに忘れ果てていた
 ある夜の夢に姉君があらわれて
 優しくタクマに語りかけてきた
 いつまでも泣いていてはいけない 
 おまえには成し遂げるべき使命があります
 私はもうこの世の人ではない
 でも嘆くことはありません
 私は夫を得て幸せに暮らしています
 ここには父王も母君もいらっしゃって
 おまえを見守ってくださっているのです
 タクマ王子はぼくもその国へと願ったが
 ツクヨ姫は強くいさめた
 なすべきことから目をそむけてはなりませぬ
 あなたはスサ国の王位承継者なのです
 ソガ国の王宮から逃れて
 ちりじりになったスサの兵を集め
 ゾーイを討ちスサ国を再興しなさい
 夢から醒めたタクマに地下牢の番人が
 王子様わたくしはかつてスサ国の
 宮廷を守っていた騎士
 すきあらば王子をお助けせんものと
 身を偽りソガ国の兵になりすましました
 今こそ好機わたくしが鍵をもっております
 これは有り難いとタクマは勇躍
 スサの騎士とともに敵を切り倒し
 とうとうソガ国の宮殿を逃げ出した
 礼を言うぞと騎士を振り返っても
 そこには誰もいずタクマ王子がただ一人
 いずこともなく姉君の声が聞こえる
 さあ行くのですタクマ追手が来ます
 王子は駆けるソガ国の果てまで
 たどりついたのは古い僧院
 そこには多くの虐げられし者どもが
 庇護を求めて集まっていた
 タクマ王子は彼らに交じって身を隠した
 
 花たちがレングの語りを聞きながら、しだいに萎れていった。そして花の散った後に、きらきらと輝くきれいな石の実がなった。
 

  17 怪物ウナンナ
 
 「おや、もう実がなったのかえ。ずいぶん早いことだねえ」
 甘美な匂いがひときわ強く漂ったかと思うと、髪の毛をふりみだし、体じゅうに美しく輝く石をつけた大きな女があらわれた。ぼくたちがここにいるのに、まったく気づいた様子はなかった。おそろしく醜い顔をした怪物だった。
 「おまえはだれだい」
 大男のラングが、怪物の前に立ちはだかった。でも、驚いたことに大女はラングの体を通りぬけて、萎れた花になった実を摘んで、その身に飾りはじめた。
 「あらあら、この実はいつものとちがうねえ。なにかつらい目にあったのかい。可哀相にねえ。でも宝石になってしまえば、もう何もつらいことはないよ」
 そのとき、ルングがぼくたちに話しかけてきた。
 ──この狂った大女は、ウナンナと呼ばれている。この怪物が支配するウララの村に足を入れた者は皆、ウナンナの力で植物にされてしまう。毎日ウナンナの甘い息を吹きかけられ、陶然とした気持ちのまま腐ってしまうのだ。そして、輝く石の実を結ぶ。
 「ぼやぼやしていたら、わたしたちも植物にされてしまいますよ」
 ロングがラングが指差した。見ると、ラングの足から根がはえて、ルングは身動きできないようにされていた。
 ──わたしに考えがある。レング様、語りをつづけてください。
 ルングはそういうと、月の琴を強くかき鳴らしはじめた。
 
 ソガ国の兵士達が僧院へおしかけた   
 ここにスサ国の王子が逃げこんだはず
 さしださねば僧院を焼きはらってくれるぞ
 年老いた僧院の長が杖をついてあらわれた
 ここにはそのような者はおらぬ
 兵たちは僧院の庭にたむろする
 異形の者どもをかたっぱしから調べ上げ 
 ついにタクマ王子をみつけだす
 すると僧院の長は王子の両目を杖で衝き
 あっ何をすると驚く兵にいいわたす
 この者僧院にて修業中逃亡せし者なり
 たった今制裁を与えたばかり
 汝らの探索せしスサ国王子とは別人なり
 サガ国の兵士達は度胆をぬかれた
 この僧院は亡きスサ国王が建立したもの
 この少年がもしタクマ王子ならば
 このような酷い仕打ができようはずもない
 もしもこれが僧院の長がわれらをあざむき
 王子を救うための芝居だとしても
 このようにめしいてはもはや
 サガ国に謀反を企てることもかなうまい
 いずれにしてもこの少年を
 捨ておいてサガ国に災いをもたらすこと
 よもやあるまいとて兵達は引き返した
 タクマ王子は血を流して苦しんでいる
 僧院の長はその前にひざまずき
 お許し下され王子様
 あなたをお救いするためとは申せ
 このような狼籍をはたらきしこと
 死をもって償いいたしましょうぞ
 長はそう言うと毒をあおいだ
 そこに姿をあらわしたのは片腕の力士
 早駆けの小男と唖者の僧侶の三人
 王子様どうかこれらの者を供として
 巡礼の旅に出て下され
 そしていつの日にか
 この国を遠く離れた森にあるという
 甦りの泉にたどりつき
 めしいた目をを癒し
 ゾーイとソガ王の連合軍を打ち破り
 スサの民の望みをかなえて下され
 言い終えると僧院の長は息たえた
 痛みをこらえてタクマ王は
 三人の従者と供に旅立った
 
 「もうやめとくれ。そんなつらい物語は。いったいだれだね、わたしの村を悲しみで満たす者は。ひどいことをするねえ。わたしがおまえに何をしたっていうんだい」
 ウナンナは激しく泣きながら、レングとルングの方に向かってきた。その顔は怒りと悲しみでいっそう醜くゆがんでいた。
 ルングが強くそしてより哀調を込めて、月の琴をつまびいた。それはこれまでのどの演奏よりも聴く者のこころをかきむしった。こころの奥深くにひそめていた、過去のさまざまな悲しい思い出が誘いだされて、こころゆくまで泣きたくさせる音楽だった。
 根をはやしたラングが泣いていた。ロングも言葉を失って泣きだしそうだった。レングも見えぬ目に涙をうかべていた。
 ぼくも泣いた。悲しみは、次から次へとぼくのこころにわいてきた。でも不思議なことに、そうやって泣くだけ泣くと、しだいにぼくのこころのなかに力が込み上げてくるのだった。それは、これまでに経験したことのない力だった。なんといえばいいのだろうか。すべてが許せるような、どんなことでも受けいれられるような。
 ウナンナも泣いていた。さきほどまでの、激しい怒りをともなったものではなく、静かに、自分自信の悲しみとこころゆくまでつきあっているようだった。    
 ──ウナンナよ、おまえの苦しみを語るがよい。そして悲しみを受け入れるがよい。
 ルングがウナンナに、優しく語りかけているのがわかった。
 「ああ。わたしには三人の子があった。愛する夫とともにむつまじく暮らしていた。ところが夫がほかの女を愛してしまった。そしてこの村を捨て、私達を捨てて、女とともに村を出ていった。わたしは子どもたちのために我慢した。でも、こころの苦しみはおさまることがなかった。わたしはしだいに狂っていった。わが子をこの手で殺して、夫に復讐した。そうすることで、わたしは愛する者をすべて失ってしまった。わたしの苦しさはいや増した。わたしはすべての生ある者を呪い、感情をもつ動物を植物に、そしていつか腐ってしまう植物を永遠の輝きをもつ石に変えることを望んだ。すると、その願いが天に通じ、わたしに不思議な力がさずかった。でも、そのかわりわたしの顔は、化物のように醜くなってしまった」
 ウナンナの顔が、しだいにおだやかな、気品と美しさを感じさせるものに変わっていった。身に飾っていた数多くの宝石が溶けはじめ、地面にしみこんでいった。そこから数々の美しい花が咲き、さまざまな色にきらめいたかと思うと、不思議なことに人間に変身していった。老人も若い人も子どもも男も女もみんな、みちたりた眠りからむりやり醒めさせられたように、怪訝そうにあたりをみまわしていた。そして、手足が動くことに気づくと、信じられないといったふうにお互いをみつめあった。やがて、彼らは歓喜に満ちた顔で互いにいだきあい、こころゆくまで声を交わしはじめた。
 ──見よ、ウナンナ、村人たちのふるまいを。彼らはみな、生きていることを喜んでいる。生あることは、時として苦渋に満ち、哀調にいろどられることもあろう。だが、それこそが生あることのあかしなのだ。ウナンナよ、おのれの悲しみを認めよ。そして、おのが罪をあがなうのだ。
 ルングの言葉は、聞く者のこころを動かさずにはおかなかった。
 
 ウナンナの手からウララの村人たちを救いだした日の夜、月の光をあびて、レンゲ姫の透き通ったからだがあらわれた。一糸まとわぬ美しい裸身を、銀色に輝く長い髪の毛がおおっていた。
 

  18 エンキの集落
 
 エンキの集落は、これまでの三つの集落と違っていた。どこといって風変わりなところのない、温泉観光地だったのだ。
 たくさんの湯治客がいた。病におかされた人や怪我をした人たち。親子で、友だちどうしで、恋人どうしで遊びにきた人たちも多かった。毎日のように、広場で興業がとりおこなわれていた。動物使い、火縄くぐり、手品師、薬売り、その他ありとあらゆる旅芸人たちがもてる技を競っていた。そして、たくさんの珍しい土産物を売る露店がたちならんでいた。集落すべてがお祭り気分に満ちていた。
 盲目のレングの語りがはじまったのは、夜になってからだった。湯上がりでいい気分になった観客たちは、最初がやがやと騒がしかった。でも、話がすすむにつれ、黙ってききいるようになった。
 
 遠い森にある甦りの泉めざして
 盲目のタクマ王子はゆく
 三人の従者たちをひきつれて
 長く苦しい旅が続いた
 通りすぎる町や村の人々は
 彼らをあざけり疫病神のごとく扱う
 子らに追われ石つぶてを浴び
 役人に誰何され獄につながれた
 何度か冬が訪れ生死の境をさまよった
 四人はいつしか一心同体
 お互いに欠けたところを補いあい
 堅い友情をもって助けあった
 そしてその日はやってきた
 何日も何日も昼なお暗い森を歩き
 たどりついたのは寂れた人里
 腰折れた老婆に道を尋ねると
 ようこそはるばるといらっした
 ここはとうの昔に廃れた湯治場じゃ
 よもや訪のう人のあろうとは
 思いもせなんだ嬉しいことじゃと
 涙を流して案内するは亀神の湯
 その昔傷ついた亀がこの湯につかり
 傷を癒したと言い伝わる
 古代から栄えた温泉であった
 ところがうち続く戦乱のため
 このあたり一帯に山賊どもが跋扈し
 訪れる湯治客の命を奪うようになり
 今では人足途絶え忘れられてしまった
 老婆は問わず語りに泉の隆盛を語る
 さてその夜のこと
 月光り星は天に満ちた
 暖かい湯気に包まれた甦りの泉に
 盲目のタクマ王子と三人の従者は
 長旅に疲れた身をゆだねやすらう
 月の光の中で甦りの泉に三晩つかると
 つぶれた両目が再び開き
 欠けた腕が生え曲がった背中が元に戻り
 失われた叡智の言葉が甦るという
 ただしその間いかなる事が起ころうとも
 決して泉から出てはならない
 さもないと泉の効能は未来永劫失われる
 四人は国を出て以来始めて心安らかに
 三日を過ごしとうとう最後の晩を迎えた
 タクマ王子は弱い月の光を感じ
 三人の従者たちも見えない手で水をかき
 背中を伸ばして天を仰ぎ
 細い声でお経を唱え始めた
 ところが後寸刻で夜が明けるという時に
 どこからともなく啜り泣く声が聞こえた
                   
 レングの語りに合わせるように、広場にしくしくという泣き声が聞こえてきた。最初はかすかに、遠くから聞こえてきた。しばらくすると、レングの語りの声をかき消すほどに大きく、たくさんの泣き声が響くようになった。
 見ると、少女たちが数珠つなぎに縄で手をしばられて、歩かされていた。泣き声は、少女たちが洩らしていたのだった。
 

  19 怪物エナンナ
 
 「あれはなんだ。どうして女の子たちは手をしばられているんだい」
 ぼくは思わず大きな声をあげて、広場に集まっている人たちに聞いた。
 「エナンナ様への貢ぎものさね。ああやって毎年、千人の娘を貧しい村々から買い集めて、エナンナ様に捧げるのさ」
 多くの召し使いを従え、醜く太った女がぼくにそういった。
 「あの子たちはどうなるの」
 「さあね、どうなるのやら。エナンナ様のところから帰ってきた娘はいないからねえ。でもあの娘たちも、エナンナ様に捧げられてご機嫌をとりむすび、わたしたち貴族がエンキの湯治場で、退屈せずに楽しくやっていける役に立っているんだから、ありがたいと思わないとね」
 太った貴族の女は、そういうとふんぞり返った。
 この女だけでなく、広場に集まった人々はみな、手を縛られた少女たちのことを気にしている様子をみせなかった。この人たちは、この女と同じ身分なのだ。だから、貧しい村から買われてきた少女たちの身の上など、どうでもよかったのだ。
 「さあさあ、あんたたちも無駄口たたいてないで、『ツクヨ姫物語』とやらの続きをやっとくれな。わたしゃ、ひさしぶりに退屈せずに夜をすごせそうで、わくわくしてるんだからね。貧しい娘たちが、エナンナ様に食われようがどうしようが、もうそんなだしものにゃ飽き飽きしてるんだよ」
 そのとき、レングがとつぜん叫んだ。ふだんのレングとは違って、怒りの気持ちをかくそうとはしなかった。
 「者ども、よく聞け。われこそは、かつてこの集落を統治せしゲドー国の王子なり。ゴダイ国の悪しき風習にそまり、貴族などと称し、貧しき人々をないがしろにするとは、断じて許しがたき所業なり」
 広場の人々は青ざめた。
 「レング様だ。王子様が帰ってこられた」
 手を縛られた少女たちが、歓声をあげた。
 太った貴族の女は、召し使いともどもこそこそと逃げていった。ほかの人々も、いつの間にかいなくなっていた。広場にいるのはぼくたち五人と、いけにえにされるため買われた少女たち、それに少女たちを縄で縛ってひきつれていた役人どもだけになった。ラングがおどかすと、役人どもはほうほうのていで逃げだし、そのすきにロングが少女たちの縄をほどいた。
 「ありがとうございました。わたしたちは千の目をもつおそろしい化物、エナンナに生き血を吸われるさだめでした。あなたがたのおかげで助かりました。でも…」
 少女たちは顔をくもらせた。
 「なにか気にかかることがあるのですか」
 少女たちは、わたしたちが祭壇に捧げられないことを知ったら、エナンナが怒って、エンキの温泉場や周囲の村々を襲い、殺戮と破壊の限りをつくすのだ、と語った。
 「せっかく王子様にお救いいただいたこの身ではありますが、村に住む人たちのためには、わたしたちが犠牲になるほかはないのです」
 「悲嘆にくれることはありません。エナンナの祭壇とやらのある場所をわたしたちに教えてください。わたしがあなたがたの身代わりになりましょう」
 「それはいけません。王子様には、ゲドーの国を再興する大切な仕事がまっています」 「それそれ。そのためにも、エナンナを退治しなくちゃならないというわけでしてね。大丈夫ですよ、お嬢さんがた。レング様にまかせておきなさい」
 ロングが胸をはった。
 
 さて、ふさふさと長い黒髪のかつらをかぶったレング王子と、悪役人にばけた大男のラングが、エンキの集落のはずれにあるエナンナの祭殿の前に立っていた。ぼくとちびのロング、そして仮面の僧侶ルングは、近くのやぶの中で息をひそめて様子を見ていた。
 ラングが、少女たちに教えられた通りの口上を唱えはじめた。
 「天の下あまねくしろしめすエナンナの大神様につつしんで捧げたてまつらん。ここに頭を足れしは、エンキの集落に住む乙女ごにして、エナンナの大神様の僕たる者。いかようにでも御賞味あれと、われらこころよりの貢ぎものなり」
 すると、月夜の輝きをかきくもらせる黒い雲とともに、恐ろしい千の目をもつエナンナが姿をあらわした。思わず目をそむけそうになるほど、残忍な目だった。
 「どうしたことじゃ。今日はたった一人ではないか。わしを怒らせたいのか」
 「エナンナ様。よく娘の顔をごらんください。これまでにないとびっきりの美女です。十人の村娘にまさります。さぞやお喜びいただけるものと思います。娘、エナンナ様に顔を見せろ」
 女装したレングが、エナンナを見上げた。月の光あびて、その顔は息をのむほど美しかった。
 「おうおう、これは美形じゃ。いきなり血をすするのはおしいのう。どうじゃ、娘、わしとともに暮らさぬか。もっともっと美しくなれるぞ。さぞやおいしい血に育つじゃろうて。楽しみなことじゃ」
 エナンナがほくそ笑んだ。
 とそのとき、空からひときわ強く輝く一条の月の光が、レングをめざしてさしこんできた。
 ──いまです、レング!
 聞き覚えのある優しい声が響いた。レンゲ姫の声だった。
 レングはさっと手をのばした。レングの手にふれたとたん、月の光は氷のようにとぎすまされた剣に変わった。
 レングは、黒髪のかつらをぬぎすてると、エナンナに向かって叫んだ。
 「エナンナ。人々を苦しめ、何人もの少女の生き血をすすったむくい、今こそうけるがよい」
 「なにものじゃ、こいつは。わしにはむかうとはふとどきなやつ。わしが成敗してくれるわ」
 エナンナの目が赤く光りはじめた。
 ──エナンナの目を見てはなりません。血を奪われます。
 レンゲ姫の警告は少し遅すぎた。ラングはエナンナの目に見入られて、動けなくなっていた。からだから血の気がうせていった。
 しかし、盲目のレングにはエナンナの術はきかない。レングは、両手でしっかりと剣を握りしめると、エナンナに向かって飛び上がった。そして、エナンナの頭上から力いっぱい剣をふりおろした。
 ギャァーと、魂が凍るような叫び声をあげて、エナンナは倒れた。鮮血がほとばしり、エナンナの千の目が月夜にはじけちっていった。
 
 エナンナを退治してから、ぼくたちはエンキの集落の広場へ集まった。ラングはもう大丈夫だった。少女たちが、涙をうかべてレング王子にお礼をいった。
 月の光の中に、レンゲ姫の顔が透けて見えた。はじめて見る姫の顔は、レングとみまがうほどだった。ツクヨ姫もかくばかりかと思わせるほどの美しさだった。
 「お姉様。月光剣のおかげで、エナンナをたおすことができました。ご助勢ありがとうございました」
 ──わたしこそ礼をいわねばなりませぬ。あなたがたのおかげで、コンロン王に奪われたからだをこうやって取り戻すことができました。でも油断はなりません。最後に最も恐ろしい怪物が残っています。その怪物を倒したときこそ、わたしのからだの欠けたるところがよみがえり、ゴダイの王宮への扉が開かれるのです。
 レンゲ姫のからだの欠けたところとは、いったいなになのか。ぼくは思いあぐねた。
 広場では、少女たちを相手に、レング一座の興業が夜通し行われた。
 
 目を凝らすとさえざえとした月明かり
 耳を澄ますとか細い啜り泣きの声
 妖しい雲が漂い何者かが蠢く気配
 タクマ王子は甦りの湯から出ようとする
 唖者の僧はそれを制止する
 だれかそこにござるのか
 片腕の大男は大音声で叫んだ
 するとどこからか若い女の声が聞こえる
 わたくしはここシリの国の王女です
 シリの国は戦に破れ領土を奪われ
 今や民は甦りの泉の辺りに細々と暮らし
 いつか再びシリの国が栄える日を夢見て
 つらい毎日を耐えていました
 ところが敵国の女王は冷酷非道
 わたしを野蛮な戦士に嫁がせて
 謀反を起こす野心のないことを証しせよと
 日に日に迫りとうとうわたしは
 明日恐ろしい戦士の花嫁となる身なのです
 どんなに恐ろしい戦士かと問えば
 その顔は獅子で身体は人間の剣の名手  
 敵国の兵士たちの総大将だという
 そんな人のお嫁になんかなりたくないと 
 シリの国の姫はさめざめと泣いた
 その時湯気の中にシリの姫の顔が見えた 
 なんと美しいお姫様だったことか
 タクマは頬を赤らめ姫もタクマを恋した
 王子は突然立ち上がった
 その戦士このぼくがやっつけてあげよう 
 タクマ王子は泉からあがった
 いけません王子様いまここを出ては
 せっかくの効能が消えてしまいます
 もう大丈夫これこの通り
 すっかり目が見えるようになった
 三人の従者たちもおそるおそる
 泉からあがると不思議なり
 ないはずの腕が生え背中は真っすぐ
 言葉はこんこんとわいて出た
 四人の勇者は姫と供にシリの部落へ
 王に出会いシリの国再興のために
 力を貸そうと申し出る
 老いたる王は感涙にむせび
 首尾よく敵国を打ち破り
 シリの領土を回復することができたなら 
 姫をめとりこの国の領主になって下されと
 タクマの手を取り堅く誓う
 さて明くる日は姫の嫁入りの日
 満悦至極の女王と慢り高ぶる総大将
 王座に向かってシリ国の一行が一礼する
 姫に化けたるはタクマ王子
 御供の者は三人の従者たち
 豪快に高笑いする獅子頭の戦士
 姫そなたの美しきかんばせとくと見せよと
 油断して近づいたその刹那
 隠しもったる懐剣で戦士を倒す
 狼狽する敵国の兵士を尻目に
 三人の従者は王座に駆け上がり
 氷のごとき冷ややかな眼差し揺るがぬ
 王女を切って捨てる
 その時かねて打ち合せの通り
 シリの兵たちが押し寄せて
 隊列乱れた敵国の大軍を打ち破る
 かくしてタクマ王子と三人の従者の
 獅子奮迅の大活躍によって
 シリ国は広大な領土を回復し
 タクマは若く逞しいシリ国の領主となった
 

  20 イスモの集落
 
 黒い森の最後の集落、イスモは霧につつまれていた。   
 偵察にでたロングは、いつまでまっても帰ってこなかった。不安をおぼえながら、ぼくたちはイスモの集落にはいっていった。            
 霧のうすれたところから、美しい家並みが見えた。人の気配は感じられたけれど、人影はまったくなかった。ついさっきまで人が暮らしていたのに、突然なにかの異変がおき、老人も子供もみんな村を捨ててどこかへ避難した、とでもいった様子だった。
 ロングの前口上なしに、興業ははじめられた。ルングの奏でる月の琴の音が、霧の中でためらいがちに響いた。
 
 シリ国の領主となったタクマは
 愛する妃と力を合わせて国造りに励んだ
 領民はこぞって若き王の勲を讃え
 心優しき妃の美しさを誇った
 やがて一年が過ぎシリ国の世継が生誕し
 タクマは幸せな日々を過ごしていたが
 ある夜の夢に姉のツクヨが現われた
 ツクヨ姫は憂い顔でタクマを諭した
 お前は大切な使命を忘れていませんか
 故国の民は今も悪政に苦しんでいるのです
 父や母の恨みはいつはらされるのですか
 タクマは目を醒まし語った
 仰せの件どうして忘れられましょうか
 わたしが今日あるのも姉上のおかげ
 非道な仕打に無念の涙をのんだ姉上の言葉 
 一刻といえど忘れたことはありません
 だが姉上わたしの考えをお聞き下さい
 人は過去の恨みや憎しみに生きるのでなく
 今を大切にし明日を築くために
 先ず生きるべきではないでしょうか
 今を切り捨て過去に拘泥して
 どこに人の幸せがあるでしょうか
 また人は己れのためにのみ生きるのでなく
 共に在る者の幸せのためにこそ
 先ず生きるべきではないでしょうか
 わたしはそう考え心から愛する人と
 わたしを慕うシリの民のために生きました
 わたし自身のためでなく人のために
 力を尽くして生きてきたのです
 そして今こそ愛する者たちのために 
 憎き悪逆非道の佞臣ゾーイと
 父の仇ソガ王を討つべき時が来ました
 今こそわたしの使命を果たすべき時
 誰のためでもないわたし自身のために
 わたしが自ら選んだ使命を果たすべき時
 姉上わたしはそう考えていたのです
 タクマは見えぬ姉に向かって語った
 見事な王者に成長した弟タクマの言葉に
 ツクヨ姫は喜び涙をぬぐった
 わたしは今や死者の国の妃
 生ある者の世界に未練を残して
 お前の気持ちを疑ったことが恥ずかしい
 どうかお前の思うままに振る舞い
 お前自身の生を全うして下さい
 明くる朝タクマは精鋭の兵士とともに
 シリ国の城を出発した
 目指すは遠きスサの国
 何日かの行軍の後タクマはやって来た
 思えば何年ぶりの故国だろうか
 スサの民は痩せ衰え恐怖におののき
 国土は草も生えぬ不毛の地と化していた
 タクマはゾーイの篭もる城に向かい叫んだ
 我こそはスサの王権承継者タクマなり
 佞臣ゾーイよ速やかに城を明け渡すがよい
 スサの民は歓声を上げ手に手に武器を取り
 最後の力をふりしぼりタクマ軍に合流した
 ゾーイは急ぎソガ国へ使いを出す
 植民地スサの長官ゾーイより
 ソガ国王に謹んで申し上げます
 スサ国王の名をかたる将軍に率いられ  
 反乱軍が城を包囲いたしおれば至急に
 援軍の派兵方お願い申しあげますと
 サガ王は直ちに全軍を率いて出陣し
 王妃も妖術使いキューレとともに随行する
 ここにソガ国の大軍とタクマ軍との
 一大決戦のひぶたは切って落とされた
 両軍の力は伯仲し双方一歩も譲らず
 戦いは何日も続き多くの負傷者が出た
 だが覇気に勝るタクマ軍
 じりじりとソガの大軍を追いつめた
 ここでソガ王妃は妖術使いを呼びつけた
 退屈をまぎらわそうと戦見物に来たものの
 敵方はなかなか降参しないどころか
 ソガ軍が逆に劣勢に追いやられる始末
 このように面白うない戦は見飽きたわ
 早く決着をつけて国へ帰れるように
 なんとかしておくれでないかい
 キューレは闇の中で妖しく笑い
 わたくしめにおまかせあれ王妃様
 ただこの植民地スサの城を
 褒美として賜るようサガ王に
 お取り計らい願えるのであれば
 望みはかならずかないましょうぞ
 キューレは秘術の限りを使い
 まどいの霧を呼び寄せた
 この霧に包まれるや人は皆
 おのれの生きる目的と情熱を奪われ
 兵士は戦意を喪失するという
 そうとは知らぬタクマ軍
 最後の総攻撃へと気勢をあげたその矢先
 突然の深い霧に包まれ
 えも言われぬ思いにとらわれた
 あまつさえ戦いの目的を忘失し
 タクマ軍は総崩れの惨状を呈さんばかり
 妖術使いキューレのために
 戦の趨勢はついに決しようとした
 ゾーイはサガ王とともに城壁に立ち
 タクマに向かい悪口雑言の限りを尽くす 
 戦意を失ったタクマには帰す言葉がない
 スサ国の王を名乗る不届き者め
 サガ国の植民地スサ独立のあかつきには
 我ゾーイこそがスサ国の王となる手筈
 なんとなれば我が手中にあるこの石こそ  
 スサ国の王位を預かる者のしるし
 月のしずくから生まれた石なり
 その時奇跡が起きた
 妖術使いキューレの身につけた首飾りから
 まばゆい銀色の光が溢れ出た
 この首飾りこそかつてツクヨ姫が
 キューレの仕組んだわなにはまって
 暗い地下墓地へ続く階段を       
 駆け降りた時に落としたもの
 本物の月の石はこの首飾りに隠してあった
 月の石から洩れ出た光は周囲に満ち
 まどいの霧を追い散らした
 悪夢から醒めたタクマ軍の戦士たちは
 勝利を確信したソガ軍のすきに乗じ
 一気に城へ攻め入った
 佞臣ゾーイは首をはねられ
 ソガ王と王妃は囚われた
 妖術使いキューレは月の石の光に包まれ
 悲鳴とともに燃え尽きた
 戦いはタクマ軍の勝利に終わった 
 ゾーイの悪政から救われたスサの民は
 荒れ果てたスサの地を捨て
 タクマとともにシリの国へ向かい
 スサの地とソガの地は
 かつてタクマを追っ手から救ってくれた
 セルの僧院に住む者達のために明け渡した
 タクマは愛する妃と王子とともに
 シリの国で末長く幸せに暮らし
 ツクヨ姫はサルの国の妃として
 末長く幸せに暮らした
 かくてツクヨ姫とタクマ王子の
 数奇の物語は幕を閉じた
 
 『ツクヨ姫物語』を語り終えたとき、レングの姿は、ほとんど霧の中にとけかかっていた。ラングの姿はすでになく、ルングでさえ月の琴の音色でそこにいることがわかる有様だった。風が吹いて、霧がいっしゅんはれたとき、ぼくは思わず声をあげた。霧のためにレングたちの姿が見えないのではなかったのだ。文字どおり、消えてしまったのだ。
 

  21 怪物イナンナ
 
 ぼくは、たった一人でイスモの集落に残された。いいようのない不安のために、ぼくは泣き出しそうになった。
 そのとき、あのルングのやさしい声がきこえてきた。
 ──少年よ、こころを落ち着けてわたしの言葉をきいてほしい。この深い霧こそが、黒い森に棲む最後の怪物、イナンナの正体なのだ。イナンナにとりつかれた人は、魂を吸い取られてしまう。この霧の中には、イスモの住民やわたしの魂はもちろん、偵察に来たロングやラングやレング様の魂までもが溶けこんでいる。    
 ──わたしがこうやってきみに語りかけることができるのも、あとわずかなのです。イナンナの体内では、様々な人々の魂の音色が混ざりあって、やがて一つの音のうちに塗りこめられてしまうのです。
 ルングに声が、いつのまにかレングの透き通った声に変わっていた。驚いたことに、その次にはラングが、ロングが、そしてレンゲ姫までもがぼくに語りかけてきた。
 ──おれのからだはどこへいっちまったんだ。おれの力、おれの勇気、おれの怒りは。みんなみんなこの忌まわしい霧の中で、ばらばらにされちまった。お願いだリング。もうおまえに頼るしかない。おれたちを助けてくれ。
 ──わたしは、いつまでわたしでいられるのか。いつまでわたし自身の言葉を口にすることが許されるのか。わたしにはそれが気がかりなんだ。とはいえ、もう半分まどろみかけたわたしは、わたしというこの疑いようもなく確かな意識を、まるで遠い海に捨ててきた懐かしい思い出かなにかのように感じはじめている。いやいや、わたしはこんなことをいうつもりではなかったんだ。リング、きみはなぜきみだけがイナンナの術にかからないのか、不思議に思っているはずだ。思い出すんだよ。きみがこの黒い森を旅するようになったきっかけを。きみは、あのたばこふかしの老人と取引をしたんじゃなかったのかい。商談が成立した後で、きみは老人から何かもらわなかったかい。それだよ。きのこのたばこのおかげさ。イナンナにすっぽりとつつまれたきみのからだから吸い取られたのは、あのときのたばこのけむりだったんだよ。でももう後がないんだ。早いとこ二本目のたばこを吸っとかないと、きみもわたしたちの仲間入りだ。そうなると、せっかくきみがここまできりひらいてきた物語は終わっちまうんだぜ。       
 ──あなたは、イナンナを倒すことができるはずです。思い出すのです。救済は、常にあらかじめ用意されているものなのです。ただ、それを記憶の森にみつけることさえできれば。
 ぼくはもうろうとした意識のなかで、話し売りの老人からもらったたばこを吸った。そして、黒い森に足を踏みいれて最初に出会った妖精、タクミンの言葉を思い出していた。
 九番目の月が出てから十二日目に、最後の化物と戦うよ。その日、涙を流す木を切ると化物は死ぬよ。
 
 タクミンは、確かそういった。レンゲ姫がいう通り、救いはあらかじめ用意されていたのだ。でも、涙を流す木とはなんのことだろうか。霧の中からはだれもぼくに話しかけてこなかった。
 九番目の月が出るまでには、まだだいぶん日があった。ぼくは、イスモの集落を後にした。いくつかの夜を、一人で過ごした。ある夜、恐い夢にうなされて目を醒ますと、うっすらと霧がかかっていた。イナンナはゆっくりとした早さで、黒い森すべてをすっぽりと覆いつつもうとしているのだった。
 ぼくは逃げた。道を見失って、エンキの集落にたどりつくまでに何日もかかってしまった。エンキの集落には、人がいなかった。レングがエナンナを退治してから、この湯治場は、貴族や金持ちたちだけのものではなく、すべての人が利用できるように開放されたはずだった。しかし、温泉は渇れていた。
 ぼくは、何日も何日も、足を棒にして、黒い森を歩きまわった。たった一人で歩く黒い森は、どこまで行っても変わらぬ風景で、ぼくを迷わせた。ぼくは、疲れきっていた。絶望がこころに巣食いはじめた。あのアナンナの声がきこえるようになった。
 ──愚か者め。生あるものはみな滅びゆくのだ。死こそが救いと知れ。イナンナの霧の中で、とこしえの死にやすらうがよい。
 ぼくの意識がすうっと消えていきそうになった。眠りにおちるときとは違って、真っ暗な世界にからだが落ちていくような感じだった。そのとき、ぼくを暖かくつつみこむものがあった。それはきらきらと空を舞う言葉だった。リングさん。リングさん。眠っては駄目。起きてください。リングさん。
 言葉が響きに変わったとき、ぼくは目覚めた。どこか見覚えのある少女が、ぼくの顔を心配そうにのぞきこんでいた。
 「わたしは、あなたとあなたの仲間のみなさんに助けていただいた者です」
 ぼんやりとした意識のなかに、エナンナに捧げられるため貧しい村々から買われて来た少女たちの顔が浮かび上がってきた。ここにいるのは、あのときの少女の一人だった。
 ぼくは、知らない家で眠っていた。粗末な小屋だった。壊れた壁の間からかすかに光がさしこんでいた。光のなかに、あの霧の粒が漂っているのがわかった。
 「ぼくは一体どうしたんだろう。なぜ、ここにいるんだろう」
 「あなたは、森の中で倒れていたのよ」
 「きみが助けてくれたのか」
 「もう十日ものあいだ、熱にうなされておったのじゃ」
 少女から少し離れたところに、老婆がすわっていた。
 「そのまま眠ってしまうと、あなたは二度と眠りから覚めることができなくなってしまうところだったの。父や母と同じように」
 少女は、悲しそうに顔をゆがめた。
 「わたしたちはあなた方に救っていただいてから、それぞれの村にかえりました。ところが、わたしの村では大変なことが起こっていたのです。黒い森には、ときおり不思議な霧がたちこめることがあります。その霧にとりつかれると、二度と覚めない深い眠りに誘われてしまいます。そして、そのからだはしだいに霧の中に溶けてしまうのです。わたしが村へかえってみると、村はすっかり霧に覆われていました。父も母も妹も、村の人たちも、みんな霧の中に消えてしまいました。村を離れていた祖母とわたしだけが、こうして残ったのです。霧はやがて晴れましたが、みんなはかえってきません」
 「不吉なことじゃ。黒い森が牙をむいて襲ってくるのじゃ」
 「イナンナだ。イナンナがぼくを追ってきたんだ。ぼくがぼやぼやしていたから、この村の人たちが犠牲になったんだ。涙を流す木を早くみつけないと、大変なことになる」
 「いま、涙を流す木といわれたのかの」
 老婆がききかえした。
 「そうなんだ。イナンナをやっつけるためには、その木を切り倒さなければいけないんだ」
 「涙を流す木ならば、わしが知っておりますぞ」
 老婆は、古くから語りつがれてきたという話を教えてくれた。
 
 その昔イスモとエンキの集落に住む人たちは、互いに憎みあっていた。ところが、イスモの長の娘とエンキの長の息子が恋仲になった。ある夜二人が逢引きをしているとき、イスモの若者が闇の中からあらわれて、エンキの長の息子を殺してしまった。若者は、娘をめとり、イスモの新しい長になることが決まっていたのだった。
 長の息子を殺されたエンキの人々は怒り、イスモに攻め入ろうとした。イスモの人々も長年のいさかいに決着をつけるべく戦いに臨もうとした。そのとき、イスモの長の娘が、二つの集落の境にある丘の上に立ってこういった。
 ──エンキの人々よ、わたくしの死をもって償いをいたしますゆえ、イスモの若者の罪をお許しください。わが涙が、エンキに幸いをもたらすことでしょう。イスモの人々よ、どうかわたくしの死を無駄にせぬよう、武器をおすてください。
 娘は丘の上で泣きつづけた。愛する人を失った悲しみと、憎しみあう人々への訴えと、身を捨てて戦いを防ごうとする思いとが、果てしなく溢れつづける涙にこめられていた。イスモとエンキの人々は、娘の涙にこころを洗われていった。もう憎しみは消えていた。 泣きながら、娘は一本の木に変身した。その幹からは、涙が湧いて出た。 
 
 「これが、涙を流す木の物語ですのじゃ。木は今も丘の上に立っております。そこから湧き出た暖かい水が、エンキの集落の温泉になっておるのです」
 「それだ!」    
 ぼくは立ち上がった。からだがふらふらした。
 「お婆さん、イスモとエンキの境の丘の場所を教えてください」
 「ここから真っすぐ北へ向かって歩けば、一日でたどりつけるじゃろう」
 「今日はいつですか。九番目の月は、出ましたか」
 「今日で十一日目じゃ」
 「大変だ。すぐに行かなければ」
 「今動いてはだめです。あなたの病気はまだ癒えていないのよ」
 「ありがとう。でも、ぼくは行かなければならないんだ。涙を流す木を切り倒し、イナンナを退治しなければ。たとえそのために、死ぬようなことになっても」
 少女が、父の形見ですといって、斧を差し出した。ぼくは少女と老婆に礼をいって、小屋を出た。   
 ぼくは走った。力のつづく限り走った。まっすぐ北に向かって。足の皮が破れ、血が流れた。かまわずぼくはかけた。九番目の月が出てから十二日目が終わるまでに、丘にたどりつかなければならない。イナンナがぼくを追いかけ、ぼくをつつみこもうとした。ぼくは、きのこのたばこのけむりをはきつづけた。しだいにけむりの色が薄くなり、それとともにぼくの意識がかすみはじめた。急がないと、魂を吸い取られてしまう。
 日がのぼり、沈んだ。月がやわらかな光で夜空を照らしはじめたころ、ぼくは涙を流す木の立っている丘に着いた。霧がもうもうとたちこめていた。木から湧き出た暖かい水がたちまちのうちに湯気になっていた。エンキの温泉が渇れたのはそのためだ。そして、イナンナの正体がこの湯気だったのだ。
 ぼくはわずかに残った力をふりしぼって、少女からもらった斧をもちあげた。霧がぼくのまわりで渦をまいた。まるでぼくの動きを制止しようとでもするかのように、ぼくの手足にからみついてきた。斧がしっとりと水気を吸い込んで、ずっしりと重くなった。ぼくは気が遠くなりそうだった。 
 ぼくは迷いをたちきるように、斧を降りおろした。霧がうごめいて、一瞬、晴れた。
 ぼくはレンゲ姫の声をきいた。
 ──そうです、リング。倒すのです。イナンナを倒すのです。そして、わたしのからだから奪われた最後のもの、涙を取りもどしてください。
 レンゲ姫の声はぼくをふるいたたせてくれた。ぼくは斧を降りおろした。何度も、何度も、ぼくは涙を流す木を打ちつづけた。木から湧き出す湯が、しだいに赤く濁ってきた。霧が苦しみもだえていた。ぼくは打ちつづけた。情け容赦なく。
 最後のひと打ちに、ぼくは満身の力をこめた。斧が木をまっぷたつに切り倒した。そのとき、激しい叫びとともに涙を流す木がくだけ散った。木が立っていた後に、ぽっかりと大きな穴が開いた。穴は暗く、地下深くどこまでも空洞がつづいているようだった。
 力尽きたぼくは、その場にくずれおちてしまった。遠のく意識のすみで、ぼくは暗い穴に吸いこまれていくのを感じていた。