第2章 黒い森の旅芸人



  7 黒い森

 老人のくれたきのこのたばこは、ぼくを夢見ごこちにさせた。禁断の地へ足をふみいれた緊張はなかった。
 黒い森は、どこからともなくかすかに洩れてくるやわらかな光につつまれていた。木や草や土やきのこや石や、およそ森の中にあるあらゆるものたちが、たっぷりとすいこんだ月や星の光を、うちがわから少しずつ洩らしているのだ。
 ぼくは、ささやきの泉のそばを歩いた。
 ガルメ村の古い言い伝えにこういうのがある。疲れた旅人がこの泉のほとりでひとやすみした。冷たい水をひとすくい飲みほし、手と足を洗った。旅人はきもちよくなってうとうとと眠った。夢の中に森の妖精があらわれてこういった。
 ──あなたは、この森が草原だったころに栄えた国の王の末裔なのです。泉の底に古い木の鍵が沈んでいます。それをひろいあげなさい。そしてその鍵で、あなたが父親からうけついだ木箱をあけてみなさい。王のしるしと財宝が隠されているでしょう。
 旅人は目をさました。旅人は父親から木箱をうけついだ覚えなどなかった。しかし欲にかられて泉の中へとびこんだ。旅人は大きな渦にまきこまれ、二度と浮かびあがってこなかった。
 またあるとき美しい乙女とその従者の醜い大男がこの泉のほとりにやってきた…
 ささやきの泉の話をはじめたらきりがなくなる。そのほかにも、燃える木や雨に溶ける木、泣く鳥、光る雪、言葉をしゃべるきのこの話など、黒い森はおそろしい話やこっけいな話でいっぱいだ。またいつか話をしよう。
 ぼくはもう何時間も一人で歩いていた。さっきから、何者かにじっとみつめられている気配を感じていた。
 「だれかいるのか。ぼくに何か用か」
 ぼくは大きな声をだしてみた。しばらくして、かさこそという音がきこえた。腐った落葉がうずだかく重なったなかから、小人が顔をだして、にっと笑った。かわいい子どもの顔だった。
 「君は一体だれだい」
 「キミハイッタイダレダイ」
 「なんでこんな所にいるの」
 「ナンデコンナトコロニイルノ」
 しばらくして、小人はいった。
 「コイツハマモノノナカマカ。ボクニナニカワルサヲスルツモリカ」
 こんな話をきいたことがある。黒い森にはタクミンという妖精がいて、旅人にいたずらをする。旅人がいったことや、心のなかで思ったことを言葉にして繰り返す。旅人が疲れはてて道を見失うまで。
 タクミンをふりきる方法はたったひとつある。そうしようと思ったことをタクミンが言葉にして繰り返すよりも早く、その名前を大きく口にすることだ。そうすれば、この妖精は旅人に有益な助言を与えてくれるという。
 「…フリキルホウホウガタッタヒトツ…」
 ぼくは叫んだ。
 「タクミン!」
 小人はきょとんとした顔でぼくを見た。そして残念そうにいった。
 「四ニンノナカマニアウヨ。九バンメノツキガデテカラ十二ニチメニ、サイゴノバケモノトタタカウヨ。ソノヒ、ナミダヲナガスキヲキルト、バケモノハシヌヨ」
 いい終わると、小人は落葉の山の中にもぐりこんでしまった。
 九番目の月が出てから十二日目に最後の化物と戦い、涙を流す木を切るとこの化物が死ぬ。あまりありがたくない予言だが、どうすれば災難をのがれられるかを教えてくれたのだろう。ぼくはタクミンの言葉をしっかりと胸に刻んだ。
 それからしばらくして、ぼくは四人の旅芸人に出会った。


  8 四人の旅芸人

 彼らは、とつぜんぼくの前にあらわれた。黒い服に身をつつんでいた。あのギリスの石の館の庭園で会った四人兄弟をぼくに思いださせた。  
 体の大きな男と小さな男、少女か少年かわからない美しい人、そして表情のない仮面をかぶった男。最後の男は背中に三本の弦をはった楽器をしょっていた。
 「きみはだれだい」
 いちばん背の低い男が、ぼくをじろじろ見ながらやぶからぼうにそういった。
 「きみたちこそ、何者だ」
 ぼくはせいいっぱいの虚勢をはった。
 「やあ、失敬。ロングは気のいいやつなんだが口のききかたを知らない。許してやってくれたまえ」
 美しい人が、目をつむったままやさしい声でいった。声だけきけば女の人のようだ。でも、四人の頭のような口のききかたをした。
 「ぼくたちは訪ね歩く村々で芸を披露しては、いくばくかのお金をちょうだいする旅芸人の一座なのです。ぼくはレングといって、歌を歌います。目は見えないが、人の心はよく見える。きみはどうやら勇敢な、心のきれいな少年のようだね」
 「ぼくはリング。ガルメ村のリングだ。わけあって黒い森を旅している」
 「おれはラングだ。おれはどんな重い物でもかつぎあげてみせるぜ」
 大男はそういうと、近くの木をだきかかえて根こそぎひきぬいてしまった。木が悲鳴をあげて倒れた。
 「ラング、そう無茶をするものではない。このあたりの木は、みんな昔は一度この世に生をうけた者たちの、死後の魂がやどっているのだ。やすらかな眠りをさまたげてはなりません」
 「ラングはあいかわらずの力自慢、そしてこのわたしはあいかわらずの早耳自慢。きみはガルメ村のリングといったね。とすると、あのうさんくさい話売りの商人に、いやたばこふかしの老人といったほうがわかりやすいかもしれないが、あることないことふきこまれて、黄金のきのことやらを探しに黒い森に迷いこんだ、気の毒な少年がきみというわけか。おっと、そう短気をおこすものじゃないぜ。話売りの商人はけっして嘘をついたわけじゃない。それは真実の物語だといってもいいんだが。まあ、きみにはわかるまいね。この世界には真実の物語はきのこの数ほどたくさんあって、人はみなそのうちのどれか一つを自分でえらびとっているんだ。きみもまたそうやって、ごくろうさんなことに随分とやっかいな選択をやらかしちまって、ぼくたちに出会ったというわけさ。いいわすれたけれど、わたしはロング。早耳早駆けのロング」
 小さな男はいんぎんに一礼すると、ぼくの手を握ってあわただしく上下にふった。かと思うまもなく駆けだしていった。
 「ロングはいつもぼくたちの先まわりをして、村々の様子をさぐってくれるのです。旅に危険はつきものですから、ロングはたいへん役にたってくれます」
 レングは、あっけにとられているぼくにそういって微笑みかけてきた。
 「最後にルングを紹介しましょう。彼は口がきけません。もとは僧侶でしたが、いまは私の歌にあわせてあの月の琴をつまびいてくれます」
 仮面をかぶった男は、ぼくのほうへ手をのばしてきた。大きな、毛だらけの手だった。この手であの小さな楽器をひけるのだろうかとぼくはいぶかった。とてもあたたかな手だった。


  9 コンロン王の墓守り

 「ごらんのように、ぼくたちはそれぞれどこか普通の人とちがっているのです。ランガは人並みはずれて大きなからだですが、その力にはだれも及びません。ルングはものがいえませんが、そこしれない哀しさと叡知を秘めた音楽を奏でます。ロングは人並みはずれて小さなからだですが、だれよりも早く駆けだれよりも早くものごとを知ることができます」
 レングは、まるで歌うようにいった。
 「そして、レング様は目が見えないが、鳥のように歌い、時のように語ることができるぜ」
 木をひっこぬいてレングに叱られ、しょげていたラングがほこらしげにそういった。
 「ぼくたちはこれからゴダイの国をめざして黒い森の五つの村々をめぐります。きみもいっしょに行きませんか」
 「そのゴダイの国はどこにあるのですか」
 「ここが、もうゴダイ国の領内なのです。でも、だれもその王宮を見たものはありません。王宮には、ありとあらゆる財宝が集められているとききます。きみが探しているきのこも、もしかするとそこにあるのかもしれません」
 「ぼくがあなたがたのお供をしても、じゃまにはならないだろうか。ぼくにはなんの特技もない」
 「そんなことはありません。きみには生きる目的と勇気がある」
 こうして、ぼくはこの少し変わった四人の旅芸人の一座と、旅をともにすることになった。

 その夜、ぼくたちは木の洞にもぐって眠った。夜といっても、どこからが夜なのかぼくにはよくわからなかった。黒い森にただよう光がほんの少し黄ばむのが、月のでたしるしなのだ。
 いろんな夢を見た。夢のなかに、妙に気になる人物があらわれた。それは、信じられないくらい長く生きた男だった。男は永遠の生命を与えられていた。しかし、それは彼にくだされた罰なのだった。男はぼくに助けを求めた。
       ──わしはとうに死んでいる。だが、わしの墓を守るはずの家来どもが、わしを追い出し、墓への入口をふさいでしまった。わしは帰るべき場所を失って、あてもなくこの森をさまよっている。わしの眠りをさまたげたものどもに復讐をしてくれ。そして、わしを静かに眠らせてくれ。そうすれば、おまえをこの死者の国からぬけださせてやろう。黄金のきのことともにな。
 ──いったいどうやって?
 ぼくがそう叫ぶと、青白い顔をした男はおそろしげに耳をふさいだ。そして、しだいに姿を消しながら、最後にこういった。
 ──わしは、ゴダイの国王コンロンだ。いずれまた会おう。
 ぼくは目が醒めた。夢にあらわれた男のことを仲間に話そうと思ったが、一緒に眠っているはずのみんながいなかった。ぼくは木の洞をぬけでて探した。
 どこからともなく、ささやくようなすすり泣くような声が洩れてきた。近づくと、木のはえていない草地があった。月の光がやさしく降りそそいでいた。四人の旅芸人がそこに座っていた。ぼくは木のかげにかくれて様子をうかがった。
 レングの声によく似た、でも、もっと優しく弱々しい声をぼくはきいた。
 ──レング、よくここまでやってきましたね。しかし、恐ろしいのはむしろこれからです。コンロン王の墓守りたちの魔の力は、この黒い森のすみずみにまで及んでいます。カエレレとアギララは、五匹の怪物をゴダイ国の五つの集落に配して、あなたたちをまちうけているのです。


  10 レンゲ姫の受難

 姿を見せない語り手は、なおも話しつづける。
 ──わたくしにはあなたたちがこうむることになる危難がよくみえるのです。しかし、わたくしにはあなたたちを救うことができません。ですからお願いです。どうかもうゴダイの国への復讐はあきらめて、どこか遠いところで、あのしあわせだったゲドーの国を再興することを考えてはもらえないでしょうか。
 「なにをおしゃるんですか、お姉様。それではコンロン王に殺された父上や母上のご無念は、いかにしてはらされるのですか。忠実につかえてくれた臣下の者たちは、なんのために血を流したのですか。いまもこの黒い森のどこかにある王宮に囚われているゲドーの民を、むざむざ見捨てろというのですか。そしてなによりも、あのけがらわしい墓守りたち、カエレレとアギララによって魂をぬかれたお姉様をこのまま放っておけとおっしゃるのですか」
 レングは涙を流していた。
 「そうですとも、レンゲ姫様。レング様とわたしどもがあの憎っくきコンロン王めに国を逐われて以来、どのような苦しい旅をしてこの黒い森にたどりつくにいたったか、あなたはきっとおわかりでないのでしょう。まずわたくしどもは…」
 ロングの長談義がはじまった。はじめてきくぼくには、これはこれで随分と面白い物語だった。でも、いまはそんな話にかかずらわっている場合ではない。またいつか機会があればお話することにしよう。
 仮面をかぶったルングが片手をあげて、ゆっくりと一回まわした。すると、ロングは口をぱくぱくさせるだけで、声がきこえなくなった。
 「お姫様。どんなおそろしい化物がでてこようと、おれの手にかかりゃあ、ひとたまりもないですぜ。ご安心くだせえ」
 「ラングがいう通りです。それにぼくたちは今日、森で一人の少年に会いました。少年は不思議な運命を背負って、このおそろしい森をたった一人で旅していました。少年を一目見て、ぼくはある予感におそわれました。この少年はぼくたちとはちがう世界からやってきた。だから、コンロン王の墓守りたちがどんなにおそろしい魔術を使おうと、この少年には通じない、きっとそれを打ち破る力をもっているにちがいないと。だからお姉様、けっして心配なさらないで、ぼくたちの冒険を見守ってください」
   ぼくは思わず声をあげそうになった。ぼくにそんな力があるのだろうか。
 そのとき、ぼくのこころの奥深くから、ぼくに語りかける声がきこえた。その声は、夢のなかにでてきたゴダイ国の死せる国王のそれによくにていた。でも、あの凍りつくようなぞっとする声ではなく、こころをとろけさせるような慈悲深い声だった。
 ──少年よ、わたしはルングだ。きみを驚かせたくはなかったが、是非きいてもらいたい話があるのだ。わたしは、おそろしいコンロン王に顔を焼かれ、舌をぬかれて、ものいえぬ身にされたが、人の魂に語りかける術をこころえている。だからきみはこころを澄ませて、わたしの言葉をうけいれてくれ。  
           仮面をかぶった男は、みじろきもせず月の光をあびて草原にすわったままだ。ぼくは不思議なものを見るように、ルングの姿をみつめていた。この世の時間がとまったようだった。
 その昔、黒い森に昼と夜が交互に訪れていたころ、ゲドーの国とゴダイの国が領土をわけあっていた。ゲドーの民は技や芸にすぐれ、ゴダイの民は政治の術にすぐれ、お互いに他を尊敬しあい、両国はともに栄えていた。ところが、コンロン王がゴダイ国王に即位して以来、ゲドー国の領土に野心をいだくようになった。  
 コンロン王には、カエレレとアギララという二人の墓守りがいた。
 墓守りとは、王がその死後をやすらかにすごせるよう、王の存命中に国政を監視する役人のことだ。二人の墓が守りは、不思議な術をつかった。ゲドー国の王子と有能な大臣と二人の勇敢な家来が不具者になり、神の呪いをうけた者とされ、ゲドーの国から追放された。王子の名はレングで、大臣の名はルング、二人の家来とはいうまでもなくラングとロングであった。そして、ゲドー国の王と王妃は病のためにあいついで亡くなった。これらはいずれもコンロン王の命をうけたカエレレとアギララのしわざだった。こうしてゲドー国はゴダイ国によってほろぼされた。
 ゲドー国の王女はレンゲといって、この世の者とは思えぬ美しさだった。カエレレとアギララは、姫がゲドーの民の反乱のもとになることをおそれ、処刑するように王に進言した。だがコンロン王は、姫を四人の王子たちのいずれかに嫁がせようと思い、ゴダイの宮殿へつれてきた。王子たちは、レンゲ姫の美しさにこころを奪われ、姫を妃にむかえようと争い、互いに憎みあうようになった。ゴダイ国の臣下も、四人の王子のだれかの味方について、互いにいがみあうようになった。コンロン王も手のほどこしようがなくなり、二人の墓守りの魔術にたよるしかなかった。
 カエレレとアギララは、レンゲ姫に「離魂の術」をかけた。これは、からだを生かしたままその魂をぬきとる、おそろしい術だった。魂をぬかれた姫のからだは、ゴダイ国の王宮に残され、カエレレとアギララの思うようにあやつられていた。美しい姫のからだは、四人の王子たちの思うがままだった。王宮の奴隷となったゲドーの民は、かわりはてた姫の姿を見て、国を再興する望みをうしないつつあった。
 姫の魂はかえるべき場所を奪われて、黒い森をさまよった。身の凍るほどの孤独にうちひしがれた姫は、みずからいのちを絶つことすらかなわず、いつの日か弟のレング王子が放浪の旅を終え、黒い森へかえってくる日を待ちつづけた。


  11 月下の誓い

 ──そしてその日はついにやってきた。少年よ、いまきみの見ているのが姫と王子の再会の場なのだ。わたしたちは、黒い森の闇のいずこかにひそんでいるゴダイの王宮をみつけださなければならない。そしてそこに囚われているゲドーの民を救わねばならない。
 ゴダイの王宮への扉は、わたしたちがカエレレとアギララの仕掛けた試練にうち勝ったときに開かれる。その試練とは、黒い森の五つの集落を守る五匹の怪物を倒し、奪われたレンゲ姫のからだを奪いかえすことなのだ。
 わたしたちは、この黒い森にたどりつくまでにあらゆる苦しみに耐えてきた。少年よ、どうかわたしたちの力になってほしい。きみの若い力がわたしたちには必要なのだ。

 ルングの長い物語が終わったとき、ぼくはまるでたったいま百年にもおよぶつらく苦しい旅を終えたばかりのような気分になった。ぼくの知らないうちに、ぼくが別の物語の登場人物になっていたのかもしれない、そんな不思議な気持ちだった。
 ぼくの目の前には、やさしく降りそそいでいる月の光に照らされた草地と、そこに車座になって座っている四人の旅芸人の姿があった。ルングがぼくのこころに語りはじめたときから、時間は少しも進んでいないようだった。
 レングとラングとロング、そして仮面をかぶったルングまでもが、ぼくにほほえみをなげかけてきた。まるで長い旅をともにした仲間にむかってそうするかのように。
 ぼくは、彼らの前に歩いていった。
 「ぼくからもお願いします。ぼくたちには、きみが必要なのです」
 盲目の王子レングがいった。
 ぼくはうなずいた。なぜだかわからないけれど、そうしなければならないことは最初から決まっていたんだと、ぼくには思えた。
 ぼくが彼ら旅芸人の一座の、いや、失われたゲドー国の王子と大臣と家来たちの一行に仲間いりするためには、一つの儀式が必要だった。それは、ゲドーの民が先祖代々うけついだ宗教にもとづくものだった。  
 儀式は、もとは僧侶だったルング大臣の手引きにしたがっておこなわれた。ぼくは、ルングがぼくのこころにささやきかけてくる言葉を、声にしてくりかえせばよかった。

  われは月のしずくより生まれたり
  闇にめばえ
  闇にはぐくまれ
  闇から洩れいでし
  月のしずくより生まれたり
  いつの日か再び光となり
  あまねく森に沈むときまで
  われはなんじらとともにあり