マルジナリア2 「世界の肉」(2004/05)



●私が初めて買った哲学書は『世界の名著25 スピノザ・ライプニッツ』(下村寅太郎編)だった。高校2年の時、ある雑誌である探検家の愛読書が『エティカ』と紹介してあるのを見て、探検家に特段の関心があったわけではないが、妙にその選書が気になって買い求めた。学校に持っていき、級友から「お前は変態か!」といった類の反応を引き出して満足したことを懐かしく思い出す。その友人もいまは某大学で都市社会工学を教えている。すっかり疎遠になってしまったけれど、あの頃、最初の数行だけ読んだ『死に至る病』を肴にエントロピー増大の法則をめぐる大激論を交わして互いの早熟ぶりを、というより負けん気を競いあったこともいまとなっては懐かしい。
 初めて買った、であって初めて読んだではない。初めて最後まで通して読み切った最初の哲学書は『世界の名著46 ニーチェ』(手塚富雄編)に収められた「ツァラトゥストラ」で、それは大学1年の時だった。読み終えたのは下宿の二階の部屋の窓際で、その時たしか春の雨がまるで重力にさからうように弱々しい白い光のなかでたゆたっていたのを覚えている。
 一冊の哲学書を読むことで世界が変わってしまうわけなどないが、私の身体の感覚はその一瞬だけたしかに変わったような気がした。夜を徹して一気に読み耽ったあとの身体の重い疲れと精神の軽い興奮ゆえの錯覚だったかもしれない。そういえば読み終えた時に雨が降っていたという記憶も、視力が弱って春先の鈍い光を捕らえ損なったがゆえの幻覚ではないかと言われれば、そんな気もしてくる。第一、哲学書を読んだといったところで、それは「ツァラトゥストラ」がそのジャンルに分類されているからなのであって、一編の文学作品に没頭した経験との区別さえ当時の私にはできなかったはずだ。
 いずれにせよ読書体験が意味記憶としてではなく、そのようなエピソード記憶として後々まで残るという経験は、たぶん若い肉体ゆえのことだったのだと思う。なにしろ最近では短期記憶としての定着ですらおぼつかないのだから。

●メルロ=ポンティは1960年5月の研究ノートに「私の身体は世界と同じ肉でできている」と書きつけている(「世界の肉──身体の肉──〈存在〉」,『見えるものと見えないもの』363頁)。──「ツァラトゥストラ」を読了した時のあの身体の浮遊感、まるで宙を舞う水滴とともに舞踏しているような、世界のうちに浸出し渾然と溶け込んでいくような消失感と一体感とのキアスム(絡み合い)、見ることと見られること、思惟することと思惟されること、感覚することと感覚されることの一致、共感覚的な響き合い(五大ならぬ五感に響きあり)の体験を表現するのに、「肉[chair]」という語彙はいかにもふさわしい。
《肉は物質ではないし、精神でもなく、実体でもない。それを名づけるためには、水・空気・土・火について語るために使用されていた意味での、言いかえれば空間・時間的個体と観念との中間にある一般的な物、つまりは存在が一かけらでもある所にはどこにでも存在の或るスタイルを導入する一種の受肉した原理という意味での「エレメント」という古い用語が必要になろう。肉は、その意味では、〈存在〉の「エレメント」なのだ。》(「絡み合い──交叉配列」,『見えるものと見えないもの』194頁)

●中山元さんは『メルロ=ポンティ・コレクション』に付された論考「メルロ=ポンティの〈身体〉の思想」で、メルロ=ポンティの「肉」の思想は「まだ仕上げられておらず、思考の方向の線だけが素描されているにすぎない」(298頁)と書いている。
《…メルロ=ポンティは、この世界の〈肉〉を形成するのは、言葉としてのロゴスだけではないと考えている。同じ音楽を聞く人々の間には音楽そのものが降り立ち、一つの世界を創り出す。ピアニストはソナタの〈道具〉となり、演奏の場にソナタがたち現れる。ピアニストが演奏するのではなく、ソナタがピアニストの身体を借りて歌いだす。
 あるいは演劇では、俳優の身体を借りてフェードルが語りはじめる。言葉だけではなく、俳優の身体の表現そのものから一つの世界が生まれる。観客もその世界の一部となり、観客たちと俳優の間に、一つの厚みのある〈肉〉のようなものが形成される。これは言語表現を利用しない舞踏の場合にはさらに顕著になるだろう。ダンサーの身体を借りて、ある〈精〉のようなものが踊りだす。観客とダンサーの間に、〈精〉が降り立つのである。
 メルロ=ポンティは、セザンヌはこの世界という原初的な〈場〉を描くことを目的とした異例な画家だと考えている。セザンヌは〈制度〉として西洋の絵画に与えられた遠近法をゆがめ、印象派の手法をずらしながら、世界をその「厚み」のうちに描き出そうとする。これは眺めるという日常の経験の背後につねに隠されているある原初的な体験をよみがえらせようとする試みなのである。》(289-290頁)

●私は、メルロ=ポンティがいう「肉」はプラトンが『ティマイオス』で「存在」(イデア・形相)と「生成」(質料)の中間においた謎めいた「コーラ」(場所)に、すなわちハイデガーが『形而上学入門』で「そこでそれが生成するそこ、媒介、生成するものがそこへと自己を形成し入れるもの、生成するものが、生成してしまうと次にはそこから抜け出るもの」と説明し、中沢新一が『精霊の王』で「胞衣」にたとえたものと響き合うのではないか(「感覚の論理」を通じて?)と考えているのだが、これはまだ仕上げられていない生煮えの粗描でしかない。──あるいはヒュポスタシス(どろどろしたもの)。あるいは「音響的鏡すなわち聴覚−音声的皮膚」(ディディエ・アンジュー『皮膚−自我』)もしくは音響の化石。
 これはもちろん蛇足だが、身体のこと、肉のことを考える時、いつも決まって思い出す言葉がある。藤原新也の『メメント・モリ』だったか『全東洋街道』だったかに出てきた(たしかイスタンブールの)娼婦の言葉、「人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ」。

●さて、『エティカ』はその後どうなったか。──スピノザについて書かれた文章はずいぶんたくさん読んできたように思うが、肝心のスピノザの著作では『知性改善論』を一瞥しただけで、いま(退屈の虫を噛み殺しながら)『神学・政治論』を読んでいるところ。つまり『エティカ』は──池田晶子が「遠目から眺めれば、壮大に緻密に繰り広げられるペルシャ絨毯のような」(「スピノザ、ライプニッツ 整然たる宇宙、乱反射する宇宙」,『考える人』225頁)と形容した、観念論と唯物論のキアスムともいうべき書物、「二つの首をもつ謎の政治哲学」(中山元、飯島昇蔵『スピノザの政治哲学』の書評[http://www.nakayama.org/polylogos/books/iijima03.html])の書は──まだ読んでいない。池田晶子がいうように、『エティカ』を読むのは、めんどうくさい。だからこれまで、これまた池田晶子いわく「野蛮な読み方」、すなわち「とばし読み」をするしかなかったのだ。
 ところで『知性改善論』を読みながら、私は(御しがたい退屈とともに)形容しがたい薄気味悪さを感じていた。スピノザは私に「オマエハ一個ノ機械ナノダ」と告げている。ここには「この私」が帰属する場所がない。──このあたりの感触を池田晶子は次のように表現している。
《…デカルトの合理主義に触発されて、[東方的な]汎神論的直観を叙述しようと思い立った近代人スピノザの神は、徹底的に論理の神、目的でもなければ価値でもない、もとより人格ではないから自身を意志して在ったわけでもない。端的に、「その本性が存在するとしか考えられない」から存在する神である。実に淡泊な神である。
 cogito を完遂すると ego は消失する、そのときそれは神の cogito に成り変わっている、したがって宇宙とは神の自己思惟の所産である、この過程をつづめて言えば、「我即自然」、ただし、これは私の直観である。そして、その「我」は、あの「我」でも、どの「我」でもいいのではなくて、スピノザが絶対に認めなかったまぎれもない他でもないこの「我」でなければならないのだが、この話は、また別の機会にします。》(『考える人』228-229頁)

●スピノザの退屈さは尋常ではない。たとえば『神学・政治論』に出てくる次の指摘など、近代人の末裔たる私にとって陳腐な物言いでしかない。
《…聖書は、自然的光明に依って認識される諸原理からは導き出され得ない事柄を極めて屡々取り扱っている。というのは聖書の主要部分を構成するものは物語と啓示とであるが、物語は専ら奇蹟を、換言すれば…自然の異常な出来事に関する話を内容としており、それはそれを語る人々の見解と判断に順応させられたものであるし、一方啓示も亦預言者たちの見解に順応させられたものであることは我々が…示した通りであって、それは実際には人間の把握力を超越するものなのである。だからこれらすべての事柄に関する認識、換言すれば聖書の内容を為す殆どすべての事柄に関する認識は、聖書自身からのみ得られなくてはならぬ。恰も自然に関する認識が自然そのものから得られねばならぬと同様に。》(岩波文庫上巻235-236頁)

●ところが田島正樹によると、そこにこそスピノザの哲学の根底をなす最も重要な要素がある。
《『聖書』を『聖書』自身から理解するという徹底した「内在主義」は、同時に、『聖書』の言葉を『聖書』全体から理解するという「全体論的解釈」へと導くだろう。『聖書』解釈を通じてスピノザが若くして確立したこの二つの態度こそ、…生涯を通じて彼の哲学の根底を形成した、最も重要な要素をなしているのである。(略)
 彼が使用する哲学用語は、よく見るといずれも伝統的用法から大きくずれており、しばしばその用語法を生み出した問題圏域からさえ無関係なことが多い。そのため、その用語の歴史を手がかりにしようとするスピノザ解釈の試みは、しばしば途中で路を見失うことになってしまうのである。それらは、むしろスピノザ哲学全体の文脈から、全体論的に解釈されなければならないだろう。それは、スピノザの方法を、スピノザ自身に適用することなのである。》(『スピノザという暗号』45-46頁)
 ──これに続けて田島正樹が引用しているスピノザの文章、「預言なるものが個々の預言者の表象力や気質に応じて相違したばかりでなく預言者が抱いていた思想に応じても相違したこと、従ってまた預言は決して預言者をより賢くしたわけではないこと」(89頁)云々は、そこに出てくる「気質」という語彙によって、また「キリストは精神対精神で神と交わった」のであって、「キリストの外には誰もが表象力の助けに依ってのみ、即ち言葉や彫像の助けに依ってのみ神の啓示を受けとった」(71-72頁)のだという文章ともども、私の退屈をほんの少しだけ癒してくれる。

●スピノザの方法を、スピノザ自身に適用すること。──池田晶子の「スピノザ、ライプニッツ 整然たる宇宙、乱反射する宇宙」(『考える人』)に付されたエピグラム、「夢見る世界に/夢見られつつ/夢見る宇宙の/夢を見ている」と、メルロ=ポンティの「世界の肉──身体の肉──〈存在〉」の次の文章とを比較せよ。
《世界の肉、それは見られる〈存在〉(l'E^tre-vu)に属している。言いかえれば、それはすぐれた意味での percipi[知覚されるもの]であり、percipere[知覚するということ]が理解されうるのもこの世界の肉によってなのである。私の身体と呼ばれるこの知覚されるものは他の残りの知覚されるものにおのれを向け、おのれ自身を自己によって知覚されるものとして、したがって或る知覚するものとして扱うのであるが、こういったことがすべて可能であり、それになにか意味があるのは、結局のところ〈存在〉があるから、それも闇のなかで自己同一的であるような即自的〈存在〉がではなく、おのれの否定、おのれの percipi[知覚されること]をも含んでいるような〈存在〉があるからにほかならない。》(「世界の肉──身体の肉──〈存在〉」,『見えるものと見えないもの』366-367頁)

●メルロ=ポンティは、1960年5月のもう一つの研究ノートに「肉とは鏡の現象であり、鏡は私と身体との関係の拡張なのである」と書いている(「触れること−おのれに触れること。見ること−おのれを見ること。〈自己〉としての身体、肉」,『見えるものと見えないもの』375頁)。──スピノザが磨いたレンズもまた「肉」にかかわっているのだろうか。(スピノザの屈折率。魂のレオロジー。)──「想いにふける、スペキュレート。見張る、傍観するという意味のラテン語スペクラートゥスから来ていて、鏡を意味する英語スペキュラムともつながっている。」「彼にとって言葉は透明である。彼と世界とのあいだに立つ大きな窓である。」(ポール・オースター『幽霊たち』)
 ついでに書いておくと、1960年5月のこれとは別の研究ノートに「文学とはつまり感覚的なものの哲学である」というのがある。──ここで言われる「感覚的なもの」とは感覚質、すなわちクオリアのことだろう。

●それにしてもメルロ=ポンティの文章は美しい。その美しさは尋常ではない。池田晶子の言葉を借りるならば、形而上学的感受性と論理的思考力との幸福な一致がそこにはある。いかなる脈絡も抜きにして、ただただ純粋に引用したくなる文章がいたるところに象嵌されている。以下は、そうした「純粋引用」の一つ。
《ヴァレリーが言っていた牛乳のひそかな黒さにはその白さを通してしか近づきえないように、光の理念や音楽的理念は、光や音を下から裏づけているのであり、それらの裏面ないし深みなのである。それらの理念の肉的な組成[きめ]は、すべての肉に欠けている組成[きめ]をわれわれに見せている。それは、不思議にもわれわれの眼下に、線引きする者もなしに引かれる航路であり、或る種のくぼみ、或る種の内部、或る種の不在、何ものでもないようなものではないところの否定性なのだ。》(『見えるものと見えないもの』208頁)

●あるいは世阿弥の「離見の見」。──『有鄰』(No.437)に掲載された「世阿弥と金春禅竹――『精霊の王』を読んで――」[http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_437/yurin4.html]で、松岡心平は「スピノザが、デカルトの精神と物質の二元論哲学(現代のわれわれの思考のベースである)に強く反発することで、極端な一元論へと傾斜していったプロセスとよく似たことが、世阿弥と禅竹の間におこっている」と書いている。
《世阿弥は、もちろんデカルトのように精神と物質の二元論を考えたわけではないけれども、ものごとを「二」に分けることで対象を明晰に認識しようとし、「一」の陶酔に陥ることをあくまで避けようとする、その意味での二元論の人であった。その極致が、『花鏡[かきょう]』で説かれる「離見の見」説である。それは、舞の流動に身をまかせている演者が陥りやすい陶酔に、鋭く釘をさす演劇的身体の二元論である。<舞に、目前心後といふことあり。「目を前に見て、心を後ろに置け」となり。>と世阿弥は始める。舞を舞う演者である自分は、目前や左右までは見ることができる。それは「我見」である。しかし、「我見」では、自分の後ろ姿まで見ることはできない。<目前左右までをば見れども、後ろ姿をばいまだ知らぬか。>
である。そこで世阿弥は、「離見」を持ち出す。<見所(観客)より見る所の風姿は、我が離見なり。……離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり。その時は、我が姿を見得するなり。>つまり、観客が舞台上の自分を見ている視線、これに同化するようにして自ら見て、自分の眼では決して見ることのできない、自分の後ろ姿まで見よ、自分の姿の全体を捉えよ、と言っているのである。<離見の見にて、見所同見となりて、不及目[ふぎょうもく](肉眼の届かない)の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。>もちろん、ここでいわれていることは、舞だけにとどまらず、舞台上の役者の心身のあり方に敷衍できるだろう。俳優は、演じている自分とそれを客観的に認識している自分をつねに合わせ持たなければならない。演技や役に没入する自分と、それを醒めた目で見つめる自分との二重性を生きることが、すぐれた役者の要件だというのである。》

●ちなみに『精霊の王』について、松岡心平は次のように書いている。
《中沢さんが、スピノザと金春禅竹を対比するとき、そこには明らかにジル・ドゥルーズの影がある。つまり、ドゥルーズが、スピノザの一元論を過剰とも思われる身振りで読み込んでいったのと同じように、中沢さんは、ドゥルーズの多様性の哲学をバックに金春禅竹を過剰に読み込んだ。これによって、金春禅竹は、日本思想史上で、新しく発見されたのである。ただ私は、中沢さんのドゥルーズを媒介にした禅竹読みが過剰だとはちっとも思っていない。少なくとも、『明宿集』を発見した能楽研究界の大御所表章さんが、いまだに「金春禅竹は非合理だ」と切って捨てる世界観の狭さ、あるいは知的怠慢を怠慢とも思わない傲慢さから見れば、中沢さんの態度はきわめて誠実だろうと思う。》

●話は変わるが、ジュンク堂書店大阪本店で「<私=意識>とは何か〜哲学を柱に認知科学から脳科学まで」というブックフェア[http://homepage3.nifty.com/luna-sy/bookfair.html]が企画された際、ひるますさんとともに私も選書に協力した。その時リストに挙げたいくつかの哲学系の書物の一つに『スピノザという暗号』がある。私が念頭においていたのはクオリアをめぐる田島正樹の論考だったのだが、この「精神と物体の関係が最大限に厄介な形で具現されているこの血の詰まった皮袋」(池田晶子)、すなわち心身問題にかかわる話は、また別の機会にします。