マルジナリア14「無縁とコモンズ─政策民俗学序説」(2006/05)



●最近、政策民俗学という言葉を手がかりにして、あれこれ想像をたくましくしている。今回は、言葉にしないと人知れず雲散霧消してしまうだろうそれら思考の細片を記録しておきたい。例によって断片的な思いつき、切れ切れの覚え書きでしかないけれど。
 民俗芸能という表現があるのだから、まつりごとにかかわる政策を芸能の一ジャンルとしてとらえ、前後を入れ替えた民俗政策学を採用することもできる。この言い方の方が語感としては私の関心に近い。政策にまつわる社会現象への民俗学的アプローチではなくて、民俗学が培ってきたアイデアや素材、方法論を導入した政策学。しかし、これだと植民地政策や人種政策を連想させる。
 ここでいう政策は、外交政策や産業政策といった「ステイト」にかかわるもののことではない。中央政府や自治体の政策形成や遂行過程を民俗学的に分析してみるのも一興だが、当面の関心はそこにはない。自然発生的なもの(コミュニティ型)であれ人為的なもの(アソシエーション型)であれ、ステイトとの比較でさしあたり「ネイション」と一括することができる人間集団にかかわる政策のことを考えている。そのような意味合いをこめて、より一般的に地域政策と表現してもいい。「無縁」もしくは「コモンズ」としての地域。「公共体」もしくは「散在体」としての地域。

●思い出したことがあるので書いておく。かつて企業や行政の組織をめぐって勉強とも研究ともつかない作業をやっていた頃、いまから思うと民俗組織論とでもいえる方向を模索していた。組織過程の眼目は推論にあるというのがその時の基本的な考えで、そこで推論されるものは、たとえば組織が達成しようとする目的であったり、組織活動を通じて実現される社会的な価値であったり、組織にかかわる個人の存在の意味であったりする。要するに部分の総和を超える全体の実質、そこに出現する超越的なもの、霊性といった事柄をめぐる推論。
 推論は儀礼の遂行や言説の交換を通じて、組織の内部において日々反復される。これには演繹[deduction]や帰納[induction]だけでなく洞察[abduction]、生産[production]、さらにそれらを包摂する伝導[conduction]といった種類がある。この最後の二つが、組織という民俗社会(共同体)の存在原理であり、同時にこれを稼働させる原理でもある説話体系(命題群あるいは命令体系)を造形する。そもそも組織が成り立つ観念的な基盤であると同時に、その生産と伝導こそが組織の現実的なプロセスそのものでもある説話体系。
 その説話にもいくつか類型があって、私はそれを伝説・民話・神話・スキャンダルに区分してみた。そこから先、ハレ・ケ・ケガレなどの民俗学的概念や文化人類学の成果などを駆使して「霊性の学としての組織論」なるものを構想できないかと想像をたくましくしていたのだが、あいにくこの作業は長く続かなかった。(次のところにその成果というか残骸をより一般化したかたちで要約しているので、よかったら読んでみてください。http://www17.plala.or.jp/orion-n/ESSAY/SYAKAI/YOUYAKU/MOKUZI.html)民俗政策学はこの未完の作業を組織(共同体)の外あるいは組織と組織の間で、より具体的かつ実践的な相において再度試みようとするものだ。

●ウィキペディアで「民俗学」を検索してみると、こう書いてある(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6)。
《誕生から、育児、結婚、死に至るまで人間の生活にはさまざまな儀式が伴っている。こうした人生の節目の儀式とは別に、普段の衣食や、地方の祭礼などの中にもさまざまな習俗、習慣、しきたりがある。これらの風習の中にはその由来が忘れられたまま、あるいは時代とともに変化して元の原型がわからないままに行なわれているものもある。民俗学はこうした習俗の綿密な検証を通して伝統的な思考様式を解明する学問である。》
 この定義が学界的に正統なものなのかどうか、私は知らない。でも、政策民俗学というときの民俗学とはまさにそのような営みのことだ。政策という営みのうちに脈打つ伝統的思考様式の解明(政策に対する民俗学的アプローチ)を踏まえつつ、これとは逆に当の伝統的思考様式を具体的に再生もしくは賦活し、場合によっては生産していく政策のあり方を構想すること。

●「伝統的」の意味について。室田武が多辺田政弘との対談「コモンズの可能性を考える」で、柳田國男の「つららの論理」を紹介している。
《いわゆる進歩主義的な歴史観では、歴史にはある段階があり、それが矛盾を生じて次の新しい段階に移行し、その新しい段階がまた内部矛盾や外部要因によって次の段階に行きということで、結局いま現在が最も進歩した時代であるというような、非常に単線的な見方をしますが、柳田は歴史は「つらら」だと言うわけです。つららは並んで垂れ下がっているわけですが、ある「つらら」はすごく小さいし、別な「つらら」はすごく太く長く伸びるということがある。でも、いつも「つらら」は並んで存在しているんだと。つまり、歴史は単線ではなくて複線なんですね。だから非常に古く思われていることも、いまは消えてしまったわけではなくて、何かの状況で小さく影を潜めているだけで、実はいまでもあるという考えなんです。》(『グラフィケーション』No.144)
 政策民俗学が、その再生・賦活・生産の処方箋を書こうとする「伝統的」思考様式とは、細く小さく影を潜めて垂れ下がったつららのように「いまでもある」思考様式のことだ。そして、それはつららのように身体で感覚できるものでなければならない。儀式や習俗といった社会技術、衣食住にかかわる生活技術、自然(資源)とのインターフェイスで培われる生産技術(資源管理技術)、民俗社会を垂直的に超越しもしくは水平的に横越する身体技術、等々。そのような端的にいえば食と性にかかわる具象的なもの(技術=芸能)のうちに宿る、というよりはそうした形象をもって存在する思考様式。

●室田は続けて「そのように見ていくと、コモンズや入会は古いものだけれど現在もあるし、形は変わるかもしれませんが、今後も恐らくあり続けるだろうと私は思いますね」と語っている。このコモンズは一般に共有地、共同地などと訳されているが、私はむしろ「無縁地」とでも訳すべきではないかと考えている。
 長野県(最近は「信州・長野県」と表記するのが正式らしい)では、「コモンズからはじまる、信州ルネッサンス革命」という事業を推進している。その解説には、コモンズとは「真にゆたかな社会を築くために必要な「社会的共通資本」や「地域の文化」などを、そこに暮らす人たちや思いを同じくする人たちが、自らの思い・考え・熱意をもとに生みだし、育み、維持・管理していく仕組みであり、それに取組む自律した「集落」、「NPO」、「ネットワーク」などをも指します」と書いてある。ある掲示板にこの事業をめぐって、「コモンズの訳語は「公私混同」が相応しいかも」という書き込みがあった(http://members.at.infoseek.co.jp/kenkyuu2/1080133629.html)。文脈はまるで違うけれど、この指摘は正鵠を射ている。コモンズは、公有であれ私有であれ(近代的)所有権という観念ではとらえられない。それは網野義彦がいう「無所有」の世界に属している。
《ふつう「境界領域」といいますと、共同体と共同体の間の空間をさすことが多いと思います。確かにこれは、「境界領域」について考える場合、度外視できない大事な空間であることは、間違いないと思いますが、ここで「境界」という場合はもうすこし広い意味にとらえたい。そのような人の集団と人の集団との間の境界と同時に、境界領域の問題を全面的に考えるためには、現代の言葉でいえば、いわば自然と人間との境ともいうべき空間、場の問題をあわせて考える必要があると思うのです。
 いま自然と人間といいましたが、時代を中世から古代、さらに原始社会に遡りますと、自然はまだまだ人の力の及び難い未知の世界だったことはいうまでもありません。人間がほとんど手を伸ばすことのできない世界は現在でも、まだ地球上にありますけれども、そういう世界が、中世以前にはまだ非常に広かったと思います。いわばそれは、「無所有」の世界、人間の全く関わることのできない世界だったといえましょう。しかし人間の力の全く及んでいない「無所有」の世界が、人間の社会に何の影響も及ぼさないわけでは決してないと私は考えております。そういう世界は、人の力の及び難い力を持った世界として、ときには神仏の支配する世界として、人間の社会に常に影響を及ぼし続けてきたと言ってよいと思うのです。(略)
 しかしそういう場所[道や橋、市や宿、関、渡、津、泊、墓所など]は、人間の社会活動の中にとりこまれても、それ以前からの聖界と俗界の境という性格を依然として持ち続けており、中世以前には神仏の世界と俗人の世界の接点と考えられていたのではないかと思います。それがさらに自覚的にとらえられた時、こうした場が「無縁」、「公界」の場としてとらえられるようになります。》(「境界に生きる人びと」,『日本中世に何が起きたか』19-21頁)

●網野善彦との対談「市の思想」で、廣末保が「市というものは宗教的問題もあるし、交易の問題もあるし、芸能の問題もある」と語っている。
《近世になると、歴史のことはよくわかりませんけれども、商業的な場所というのはそれなりに自立してきます。それと同時に芸能とか、また売春的な要素を持っているもの、これは非常に未分化ですけれども、そういうものが悪所になってくる。市が分化していく過程を近世の中で見ていくと、悪所的なものと商業的なもの、それから宗教的なものと制度的なものに分けられていきますね。その中でぼくは、市の持っている超越性という性格が一番近世的な形で残っているのは悪所じゃないかという気がしているんです。
 その超越性の中には宗教的な要素と、それから天皇のように領主を超越した、ある意味で観念的な、普遍的なレベルのものともつながりがありますが、一方で交易という問題、商業とか交換とかいうものの持っている超越性というか、つまり村落的なものを超えて交換する場所では、交易そのものが人間の観念を変えてしまうということがある。》(網野善彦『日本中世に何が起きたか』83-84頁)
 ここに出てくる「芸能」について、網野善彦は次のように語っている。
《中世の段階では、実際、商人も芸能民に入るんですね。商人だけでなく、呪術者、宗教人も手工業者もいまのような狭い意味ではなくて、ひっくるめて全部「芸能」という言葉でくくっている。博打なんかも芸能民なんですね。勝負師の世界というのは、近世ではそれなりに分化して独立した世界になるんでしょうけれども、中世では未分化なんですね。それが「芸能」という言葉で全部ひっくくられていることに一つの意味があるような気がするんです。》(同91頁)

●宗教と芸能と交易。市場(市庭)という「無縁の原理」がはたらく境界的な場の問題系をかたちづくるこれら三つ組は、スティーヴン・ミズンが『心の先史時代』で述べた、ネアンデルタール人の「特化型の思考様式」を構成する三つの知能、すなわち博物的知能・技術的知能・言語知能を思わせる。
《現代人類の心への進化の決定的な一歩は、スイス・アーミー・ナイフのような構成の心から認知的流動性をもった心への切り替わり、特化した心から一般化した心への切り替わりだった。これにより、人間は複雑な道具を考え出したり芸術を創造したり、宗教的なイデオロギーを抱いたりすることができるようになった。(中略)一○万年前から三万年前にかけての特化型から一般型への心の切り替わりは、進化が選んだ驚くべき「一八○度転回」だった。そこにいたる六○○万年間の進化では、心の専門化がどんどん進んでいた。博物的知能、技術的知能、ついで言語知能が、現生の類人猿と人類との共通祖先[コモン・アンセスター]の心にすでに存在していた社会的知能に加えられていった。しかしさらに驚くべきことに、特化型の思考様式から一般型の思考様式へのこの新たな切り替わりは、現代人類の心への進化の途上でだけ起こった「一八○度転回」ではない。もし心の進化を、たかだか六○○万年のこの先史の中だけでなく六五○○万年にわたる霊長類の進化の中に位置づければ、専門化と一般化の思考様式の間を行ったり来たりする動きが見てとれる。》(松浦俊輔他訳)

●さらに引用を加えると、吉本隆明が「マルクス紀行」でマルクス思想の三つの旅程を論じている。すなわち「<自然>哲学の道」「宗教から法、国家へと流れくだる道」「市民社会の構造を解明するカギとしての経済学」。この文章が収録された『カール・マルクス』の文庫解説で、中沢新一はこれら三つ組をボロメオの輪のように結びつきマルクス思想の統一核をなす三位一体になぞらえ、それぞれをラカンの現実界・想像界・象徴界に対応させている。
《マルクスはいわば精神の底に、このような[人間の精神に内在する非幻想的な活動領域として理解されたエピクロス的な]霊魂の活動領域への通路が開かれていることを主張する古代の自然哲学者の所説のうちに、もっとも徹底した唯物論の萌芽を見いだしていたのである。つまり、自然哲学へののめり込みをとおして、若いマルクスは人間の幻想を突き破ったところに出現する、絶対的なリアル(現実的なもの)を、まず「自然」として発見したのだった。/そこからマルクスは「三位一体」の第二の環をなす、人間の幻想領域[宗教・国家・法]の研究に踏み込んでいくことになる。(略)
 幻想は「リアルなもの」を否定しようとする。しかし、その否定力そのものの根源は、非幻想的でリアルな「自然」の内部にひそんでいることになる。このように、「自然」と「幻想」はたがいに否定しあうようにしながら、ひとつに結びあっている。「三位一体」におけるこの環の部分は、だから簡単にほぐれてしまわないようにできている。そう考えてみれば、自然哲学から宗教・国家・法という幻想領域の研究に進んでいったマルクスの歩みには、深い理由があったわけである。
 しかし、個人の抱く幻想性は、共同生活の中でたわめられ、平準化されなければならない。人間はことばを語って、コミュニケーションをする。この言語習得の過程をつうじて、「幻想的・想像的なもの」は「象徴的」なものにつくりかえられ、共同生活を可能にしていく条件が整えられる。私たちは言葉をしゃべるようになり、共同性を身につけるようになってから、それ以前の自分の心を支配していた幻想性を思い返して、幻想性がことばのような「象徴的なもの」の効果として発生するように考えがちだが、ほんとうのところは、人の心にあってはまず幻想性の基体ができあがったのちに、それを否定的につくりかえるようにして、「象徴的なもの」とそれが生みだす心の秩序ができてくるのである。ここでも、「幻想的なもの」と「象徴的なもの」は、たがいに否定しあいながら、ひとつに結びあっている。(略)
 「経済的カテゴリー」はほかの「象徴的なもの」の諸様式、たとえば言語や記号によるコミュニケーションと多くの共通性をもつとはいえ、価値の増殖をおこなっていくという、きわだった特色をもっている。資本と呼ばれるものが、その価値増殖を実現している。『資本論』に結実したマルクスの研究は、この価値増殖の過程で、労働に内在している「自然」過程が、決定的な働きをおこなっていることをあきらかにしている。/つまり「経済的カテゴリー」と「自然」とは、ここでもひとつに結びあっているのである。》(中沢新一「マルクスの「三位一体」」)
 無縁の場にかかわる三つ組の問題系のうち「宗教」(あるいは霊性)は「自然=リアルなもの」に、「芸能」は「宗教・国家・法=幻想的・想像的なもの」に、「交易」は「経済的カテゴリー=象徴的なもの」にそれぞれ対応している。政策民俗学は主としてこれらのうちの第二の環、つまり網野善彦がいう中世的な広義の芸能の問題系(食と性にまつわる想像界)にかかわってくる。

●ウィキペディアの「民俗学」の項からもう一つ抜き書きをしておく。
《日本の民俗学の礎を築いた人としては、柳田國男、折口信夫らがいる。日本の民俗学は彼らが、明治時代以降の近代化の中で失われていく明治以前の習俗を調査し、記録することから始まった。農商務省に勤めていた柳田が農村研究に訪れた宮崎県の椎葉村で、宿泊した村長宅で聞かされた狩猟の方法や狩に関する言葉・作法に興味を持ち、帰京後に「後狩詞記」(のちのかりのことばのき)を自費出版したのが最初である。折口信夫の場合は和歌などの文学を主に対象としたので、江戸時代の国学の影響がある。》
 とくに目新しい情報が盛り込まれているわけではないのだが、これを読んで、かねてから考えていた政策民俗学の二つの「精神史的リソース」(坂部恵)、すなわち農書と歌論を想起した。それらのうちに表現された食と性をめぐる伝統的思考様式を明らかにしていくことが政策民俗学の基点になるのではないかと私は考えているのだが、それらは実は日本民俗学の発祥そのものにもかかわっていたのだ。仰々しくいうほどのことではないけれど。

●さて、ウィキペディアによると、「政策とは、公共体が主体となって行う体系的な諸策のことである」。ここに出てくる「公共体」はラテン語「res publica」の日本語訳だという。レス・プブリカはたしかプラトンの「ポリティア」にキケロがつけたラテン語訳で、ポリティアは一般に「国家」と訳されている。
 シモーヌ・ヴェーユの『ギリシアの泉』(冨原眞弓訳)では、ポリティアは「都市」と言い換えられていた。ヴェーユによると、プラトンのいうポリティアは「魂を表象する純然たる象徴、虚構」である。たとえば『国家』(592節b)の中で、天上にある理想のポリティアについて書かれた文章。「この都市のひとつの範型はおそらく天上にあって、そう望む者にはだれでもこれを視ることができるし、これを視てその人間自身の自我である都市を築くことができる。」(参考までに「世界の名著」版の訳文を記しておく。「おそらく天上にある理想的な典型として、それを見んと欲し、それを見ながらみずからのうちに国家を建設せんと欲する者にとっては、理想的な範型として献納されているだろうね。」)
 ポリティア=公共体=都市(魂を表象する純然たる象徴、虚構=人間自身の自我)。そのような意味での「地域」はたとえば無縁の場、あるいはコモンズと同義なのではないか。

●柄谷行人は『世界共和国へ』で、「プラトンが哲学者=王が支配するような国家を考えたとき、エジプトが念頭にあった」(56頁)と書いている。ギリシアの都市国家(ポリス)は国家以前の、互酬原理がはたらく部族的な共同体にすぎない。これに対してエジプトやペルシャのような東洋的専制国家こそが完成した国家の形態である。
《生産物交換が共同体と共同体の間に始まるのと同様に、国家は共同体と共同体の間に発生するのです。しかも、これらは別々の事柄ではありません。共同体と共同体の間での交換は、共同体の中での互酬とは別のものです。共同体の内部では、互酬にもとづく規範(掟)があります。しかし、共同体と共同体の間にはそれがない。そこではむしろ、交換がなされる前に、略奪がなされる可能性がある。交換は、むしろ暴力的略奪が断念されたときに生じるというべきです。共同体間の生産物交換は、一つの共同体が他の諸共同体を支配し、それ以外の暴力を禁じること、いいかえれば、国家と法が成立することによって可能になります。
 国家は共同体の中から発生するものではありません。それは本来、一つの共同体が他の諸共同体を継続的に支配する形態なのです。したがって、国家の基盤は何よりも暴力的収奪にあるのですが、それが一時的なものではなく永続的かつ拡大的であるためには、むしろ被支配者を保護し育成しなければならない。国家は、他の国家からの略奪に対して、共同体を防衛します。また、積極的に「公共的」事業を興す。たとえば、灌漑のような大がかりな事業です。もちろん、それは、農業共同体からの賦役と貢納(租税)を確保するためになされるのですが、被支配者は、支配者の仕事を贈与として受けとめ、賦役や納税をそれに対するお返しと受け取る。そこに一種の互酬の擬制が成立するわけです。また、共同体の間で葛藤・対立があるとき、国家はそれを調停し制御します。かくして、国家は公共的あるいは理性的であるという観念が生じるのです。》(48-49頁)

●アジア的集権国家。「軍事的・産業的な技術だけでなく、人間を制御する技術──文字言語・宗教・通信網」をもった公共的・理性的な帝国。そのような「国家」は官僚制と不可分なものだと柄谷は書いている(53頁)。
 官僚制組織こそが、言い換えれば「個人として責任をとらない『システム』」(石牟礼道子)こそが「無縁」あるいは「コモンズ」から発生する組織の一つの完成形態なのではないか。私はそのように考えている。ただし、ここでいう「官僚」には、たとえば巫女のような存在も含まれる。無縁の場における「宗教(あるいは霊性)=自然=リアルなもの」と「芸能=宗教・国家・法=想像的なもの(あるいは食と性)」をめぐる問題系の接点に位置づけられる媒介としての巫女=官僚。

●松岡正剛の千夜千冊で、隆慶一郎『吉原御免状』(第百六十九夜)や福田アジオ『番と衆』(第七百六夜)を経てアーノルド・トインビー『現代が受けている挑戦』(第七百五夜)にたどりついた。そこに「散在体」という言葉が出てくる。「ディアスポーラ」の吉田健一流の訳語だという。
《われわれには世界国家や世界宗教に代わる想像力というものもある。また、「小ささ」というものがある。それによるのなら、おそらく「散在体」とは、移動する共同体であって記憶をもったコモンズであり、電子の網をつかった情報の複合体でありつつ、応答をこそソリューションとするプロセス組織というようなものなのではないかとおもう。》
 末尾に添えられた文章が示唆的だったので、ついでにペーストしておく。
《トインビーの『歴史の研究』にまったくふれないでしまったが、この大研究でトインビーが主張したことは、一言でいえば「文明は成長しすぎれば消滅する」ということである。/とくに注目すべきは、すべての歴史は「神と人間の遭遇の歴史の変形」であって、神をその成員として認知しうる高次な社会を形成しないかぎり、どんな文明も次々に崩壊するであろうと予告したことだった。そして、今日なおわれわれの間に、イスラム文明、ロシア文明、ヒンドゥ文明、中国文明、日本文明が「現存する文明」として共存混在したままにあることに注意を促し、これらをどのように見ていくかということに、もっと世界が賢明な意識をもつべきであると強く示唆した。》
 ここに出てくる「神と人間の遭遇」を自然と共同体との「あわい[betweenness-encounter]」(坂部恵)に置き換えれば、無縁=コモンズ=公共体=散在体という多大な矛盾をはらんだ「地域」が主体となって行う体系的な諸策にかかわる政策民俗学の最大の射程が見えてくる。つらら状に共存混在する諸文明のうちに保存された諸技術(現存する伝統的思考様式)の解明を踏まえつつ、それらを具体的なかたちで再生もしくは賦活し、場合によっては生産していくこと。