マルジナリア1 「哲学の欄外」(2004/03)



●私の部屋の本棚の常備本に、草稿、遺稿、覚書、断章、引用の類を集めた書物がいくつかある。ノヴァーリスの「断章と研究」や「一般草稿集」を収めた沖積舎版全集第2巻とかベンヤミンの『パサージュ論』、ニーチェが遺した膨大なアフォリズム群を実妹エリーザベトが編集した偽書『権力への意志』が、読むでも考えるでもない朦朧とした、たとえばキース・ジャレットやグレン・グールドのピアノソロなどを聞き流しながら過ごす箸休めにも似た一時の旅の道連れとして、目下のところ重用している本たちだ。
 そのほかノーマン・O・ブラウンの『ラヴズ・ボディ』やウィトゲンシュタイン全集第1巻に収められた「草稿」、いま手許にはないけれどパスカルの『パンセ』やヴァレリーの『カイエ』やシオランの著書なども、かつて熟読はしないまでも玩味した書物だったし、ニーチェがいう悲劇時代の古代ギリシャの哲人たち、いわゆるフォアゾクラティカーをはじめとする、ディオゲネス・ラエルティオスの『列伝』に登録された哲人たちの思想詩群──たとえば「すでに過ぎ去った無限の時間から考えてみると、全宇宙には、何も目新しいことは起こらないのである」(岩波文庫『エピクロス』,118頁)など──は、『論理哲学論考』ともども私の個人的な聖典ともいえるものだった。

●哲学系の書物を読むとき、それを体系的叙述として逐行的に追思考するよりは「思考細片」の編集物として、あるいは概念の「モザイク」として、細部を逐語的に賞味しては私秘的な註釈や批評・解釈をほどこしたり、記憶の片隅にわだかまる他の断章とのつながりをこじつけて楽しむのが私の癖で、だから断片・引用好きは、いってみれば私自身の身体感覚や体質に根ざした(というか、体力に合った)思考の方法なのだと思う。
 ポーのひそみにならった「マルジナリア」の最後に、澁澤龍彦は「私はこういう形式、つまり断章の形式が性に合っている」と書きつけている。澁澤になぞらえるのは不遜だけれど、私もまた断片的思考(もしくは引用的思考)が体質に合っている。

●ここで「性」もしくは「体質」は「気質」といいかえてもいい類のものだろう。ジンメルによれば、哲学とは「ひとつの世界像をとおして見られた気質」である。
《ところで、人格はこのような絶対的な意味においてはつねにただ不完全にしか到達されないひとつの発展目標なのであるから、人間のもつ諸特質は幾度となくいわゆる比較可能性の段階に停滞して、魂というかけがえのない一点に関係づけられることがない。すべての偉大な哲学はしかし、心的現実においては到達しがたいこのような形式的統一の先取りなのである。というのは、芸術が「ひとつの気質をとおして見られた」世界像であるように、哲学はひとつの世界像をとおして見られた気質であり、つまり、ひとつの中心が確定され現存在に対する人類の偉大な態度のひとつが確定されるように世界の諸要素を配列し解釈することだからである。哲学は、一切をみずから包括している根本主題の統一のなかへはいってこないような気分はすべて排除する。こういうことに生はふだんなかなか成功しないのだが、世界像は人格の理想という完結性をそなえている。それゆえ、折衷的でない哲学はすべて、その内的な本性にかんがみて、もっとも深い根底においては、いかなる他の哲学とも比較することはできない。》(吉村博次訳『ショーペンハウアーとニーチェ』新装復刊,33頁)

●ちなみに、思想家の哲学を解説することではなく「思想家について哲学すること」をめざした『ショーペンハウアーとニーチェ』において、ジンメルがいう「形式的統一」としての「人格」はまた、哲学者の「像」とも呼ばれている。
《この像はけっして現実のなかに直接の片割れをもつようなものではなく、芸術的な肖像画にも似て、対象の現実の総体ではなくむしろその理想的な形成を、つまりある一定の表現目的から見られた対象の意味と重要性を、現わしているのである。哲学者をあつかう際に肝要なことは、彼の言表の総体のなかから、的確でまとまりのある、重要な思惟の連関を生みだすような言表を選びだすことであって、この言表の総体がなおかつ矛盾するもの、気勢を和らげるもの、相反目するものを含んでいるかどうかというようなことは、問題ではない。精神史的な発展はいたるところで、それ自身がまとまってひとつの全体をなしている思惟複合体を、このように分離したり、摘出したり、つなぎあわせたりすることを遂行して、ある哲学者の、それもこのような仕方で形づくられた像だけを有効なものにするのであって、すべてのいわば心理的変動にすぎないものや、あの理路整然とした思考系列の周囲を浮游したりこれに矛盾しさえもする思惟の振子運動などには、目もくれないのである。》(同,11-12頁)

●思考の方法や表現形式と身体のあり様との不離の関係。あるいは、体質に即して紡がれる思考。ここで私が思い浮かべているのは、ベンヤミンとニーチェである。
 たとえば、スコラ哲学で使われた入門教育書「トラクタート」にふれた「認識批判的序章」の冒頭などを読むと、それはほとんどベンヤミンの「まわりくねった」文章がもつ体質(要約を許さない物質性、アドルノの言葉を借りるならばたとえば「音楽」のような)それ自体を言い当てている。
《叙述こそ、トラクタートの方法の精華にほかならない。方法とは迂回路なのだ。迂回路としての叙述──これがトラクタートの方法上の性格である。(中略)気まぐれな断片に分かたれていながら、モザイクにはいつまでも尊厳が失われることなく保たれるように、哲学的考察もまた飛躍を恐れはしない。モザイクも哲学的考察も、個別的なもの、そして互いに異なるものが寄り集まって成り来たるのである。超越的な力──聖像のそれであれ、真理のそれであれ──というものを、このことほど強力に教えてくれるものはほかにない。思考細片が基本構想を尺度として直接に測られる度合いが少なければ少ないほど、思考細片の価値はそれだけ決定的なものとなり、そして、モザイクの輝きがガラス溶塊の質に左右されるのと同じように、叙述の輝きは思考細片の価値にかかっている。断片のこまかな細工が造形的な全体また知的な全体という尺度に対してもつ関係に見てとれるのは、真理内実は事象内実の個々の細部のすみずみにまで沈潜していく場合にのみ捉えうる、ということである。》(浅井健二郎訳『ドイツ悲劇の根源』上,19-20頁)

●あるいは、ハシッシ吸引による「実験」の核心部分にふれた文章。ベンヤミンという身体のあり様から発生した概念。
《それはアウラの本質について僕が述べた部分である。(中略)第一に、真のアウラはあらゆる事物に現われる。みんなが思うように、特定の事物にだけ現われるのではない。第二に、アウラは事物がとるあらゆる運動──それがアウラなのだが──につれて根本的に変わる。第三に、真のアウラは決して、通俗的神秘主義の書物が図解したり描写したりしているような、通り一遍の心霊術的光の魔術ではない。むしろどぎついもの、その中にこそアウラがある。装飾的なもの、事物やその本質が裏地に縫い込められているようにしっかりと入りこんだ装飾模様──そこにこそアウラがある。》(飯吉光夫訳『陶酔論』,143-144頁)

●今村仁司は、「過去の中に未来を見る」というベンヤミンに独特な歴史概念をその「特異体質」に結びつけている。
《性格をもつ人はいつも同一に現れるというニーチェの言葉を引くのを好んだベンヤミンは、同一なものの反復を厳しく批判した人であったが、やはり彼も、傾向的に回帰してくる特異な性格の保持者であった。そのことを私は体質という言葉で言い表しているのである。体質は癖のようなもので、いわば無意識であり、意識して抑えようとしてもけっして抑えられるものではない。》(『ベンヤミンの〈問い〉』,89-90頁)

●あるいは「認識批判的序章」の基礎的観念をなすイデアとモナドとの関連にふれた文章に出てくる「内臓的体質」や「動物感覚」といった語彙。
《彼にとって内臓的(visceral)とでも言える体質となった独自の観念は「星座」(Konstellation)である。
 彼の星座論あるいは星座のイメージを哲学的概念として表現する場合に、それにもっとも親和力のある観念を伝統の遺産のなかから選ぶとすれば、彼の動物感覚からすれば、イデアとモナドであるほかはなかったのだと思われる。だからイデアもモナドも、ベンヤミンの思考のなかでは星座の観念/イメージによって充電され、あるいは変形される。》(同,243-244頁)

●念のために、これに続く文章を引用しておこう。
《しかしなぜベンヤミンは、イデアとモナドを彼の「星座」と同類のものと見なしたのであろうか。彼はプラトンのイデアを何よりも空間性または場所性において受けとめている。だからイデアをプラトンの別の言葉で言いかえると、それはむしろコーラ(いっさいの事物を包む容器、母胎)である。だからベンヤミンがイデアに言及するときには、イデアをコーラの含蓄で理解しているのである。コーラとしてのイデアはすべての存在者を包摂する「根源」としての場所なのである。この場所性がベンヤミンの星座の場所性と共鳴するのである。
 ライプニッツのモナドもまた「星座」のイメージを浸透させて転用される。ただモナド論の場合には、星座の場所性ではなくて、星座を構成する要素あるいは部分(「星々」)が前景に出てくる。ライプニッツのモナドがたがいに無関係(相互の通路をもたない窓なきモナド)でありながら、それ自体においてマクロモナドを映し出すように、星座の数々の星たちもたがいに不連続でありながら、したがって対立と緊張に満ちて、それぞれにふさわしいやり方で星座自体を映し出す。ここで「映し出す」というのは、ライプニッツでもベンヤミンにおいても、Expression/Ausdruckである。
 つまり映現/表現とは「表情」でもある。ベンヤミンは簡潔な定義を与えていないが、彼のまわりくねった記述から解釈して言えば以上の通りである。》(同,244頁)

●思想的体験としてのニーチェの病。──樫村晴香は「ドゥルーズのどこが間違っているか?」[http://www.k-hosaka.com/kashimura/jiru.html]で、永劫回帰の体験は隠喩なのではなく、「実体としての細部をもつ思想的体験」としての病であったと書いている。
《永劫回帰の総体は、彼に悪魔の囁きという、思念的‐聴覚的な、ひとつの現実的「体験」として訪れた。ある晩、悪魔が彼の孤独に忍び寄り、これまで生きたこの人生を、さらにまた無限回、何一つ新しいものなくくり返さねばならないことを語りかける。この瞬間の眼前の蜘蛛も、梢を洩れる月光も、悪魔の声も、あらゆるものが細大漏らさず回帰するだろう。この同じことを、何千回となくくり返し欲し続けるためにのみ、人は自らの存在と人生を、さらに愛さねばならないというのだろうか?……。もし人がニーチェの言葉に直接耳を傾けるなら(つまりハイデッガーのそれも含めて、解説書を通じて何かを「理解」しようとしないなら)、この体験が「真実」であり、そこには表現の一語一句が代置不能な価値をもつ、緊密な「物理的実在」が存在し、その実在的力によって、啓示‐伝播の最大限の魅惑‐暴力が駆動することが、了解されるだろう。体験が「悪魔」の「声」を通じて到来したこと、すべてが「無数」に到来し、それが「苦痛」をもたらすこと、そして眼前に「蜘蛛」と「月の光」が「見える」こと。これらすべてが固有の理論的‐実体的(症候的)価値をもち、しかもそれらは狭い意味での発症過程の症候的要素というのではなく、そこに至る彼の、ディオニュソス、偽装、真理の転倒、善悪の彼岸、力‐意志、といった「明晰な思考としての症候総体」の一過程としての、(表現‐表象ではなく)内実そのものとして立ち現れる。》

●ところで、エリーザベトによると、1881年8月の永劫回帰体験に先立つ前年秋には、ニーチェは既に物理学・生理学・数学の研究に励んでいた。「当時兄が強い賛意を表しながら口にした名は、ヘルムホルツ、ヴント、数学者リーマンであって…」(浅井真男監訳『孤独なるニーチェ──ニーチェの生涯(下)』,119-120頁)。ニーチェとリーマン! 唐突だが、この二つの名の結びつきは実に美しい。

●強度の近眼がもたらしたニーチェの世界。──澁澤龍彦の「ニーチェ雑感」に次の文章が出てくる。
《シュテファン・ツヴァイクはゲーテとニーチェのイタリア体験を比較して、前者は地中に埋もれたもの、たとえば古代の芸術だとか、ローマの精神だとか、植物や鉱物の神秘だとかを探求するのに対して、後者は頭上にあるもの、たとえばサファイア色の空だとか、無辺際に澄み渡った地平線だとか、全身の毛穴に射しこむ日光の魔術だとかに惹かれる、と言っている。(中略)もしかしたら、ニーチェは度の強い近眼だったから、ゲーテのように植物や鉱物や造形美術に注意を惹かれるということがなく、むしろもっと大きな、光と影の対照のはっきりした、風景とか空間といったものに関心を向けざるを得なかったのではなかったろうか。(中略)「ニーチェが発見したのは、気分(ドイツ語のシュティンムンク)に基づいた不思議な深遠な詩情、神秘的で無限な孤独であった」とキリコは書いている。「それは空が澄みわたり、太陽が低く沈みかけるので、影が夏におけるよりも長くなる、秋の午後の気分に基づいている」と。》(『洞窟の偶像』)

●再び、ニーチェの病について。──田島正樹によると、ニーチェのテクストに繰り返し立ち現れてくる「病と病からの快癒」という主題は、決して偶然的なエピソードの回顧にとどまるものではなく、ニーチェはそこに自分の哲学の隠喩を見ている。
《さまざまな病をかいくぐり、病から癒える経験によって、哲学者は自らの生を使って思想の実験を行うのである。つまりそれは、さまざまに異なる生のパースペクティヴに自ら身をさらすことなのだ。(中略)ニーチェの主眼は、多くの哲学や形而上学がじつは病の症候にすぎないという診断を下すことにあるが、そのためには自らがさまざまの「病気」とさまざまの「健康」の視点を体験し、比較することが有益なのである。(中略)クモの巣にからめ捕られた虫のように、いくらもがいてもその概念の網を逃れられない。それゆえにこそ、我々は理性的洞察や意志の力によって自由に自分の信仰と形而上学を捨てたり、疑ったりすることができないことになる。意識的努力はどんなものであれ、この概念のクモの巣の中での無益なあがきでしかないだろう。我々をそこから引き離すのは、理性や意識の外からの暴力的な力でしかない。生そのもののなかにおける身体の反逆である病とその苦しみが、我々に生から無理やり距離をとることを学ばせ、暴力的な覚醒を強いるのである。それは、健康な生の観点と病める生の観点との違いの比喩たらしめる。》(『ニーチェの遠近法 新装版』,39-40頁)

●田島正樹は「ニーチェのテクストは、真理を直接語るのではなく、上演しようとする」と言う。そしてそれは、超越論的哲学を転覆するものとして企てられたニーチェ哲学の首尾一貫した帰結であると。──「超越論的」とは本来、認識が認識者の実存へと振り返るような構造をもつものであった。
《ところが超越論的哲学は、自らを真理一般について語られた一つの真理と装うのだが、その際それを語ることが語られることに対して、せいぜい外的・偶然的に関わるにすぎない。発話内容の真理性にとって、実際の発話はあってもなくても変わりがないものであるかのように見なされてしまうのである。したがってまた、そこで内容を理解するということも、理解される内容にとって外的・偶然的なことがらとして、超越論的反省を免れた理解の外的額縁にとどまっているのである。だから、誰によって理解されようと、理解内容は同一のままであることが、自明視されてしまっている。つまり、超越論的哲学は、哲学を哲学者の実存に基づけようとしたにもかかわらず、その際認識者としての哲学者の能力が考慮されたばかりで、哲学的発話の現場(論争的対話状況)が視野の外に出てしまっているのである。そのため、その哲学の表現や、それを受け取る読者の側の理解様式の問題は、哲学的反省の外に置かれてしまった。このことは、哲学的真理を匿名的な真理一般・客観的真理として語ることであり、その結果、パースペクティヴの観念を流産させてしまうのである。》(同,154頁)
 ──ここに出てくる「外的額縁」は「欄外」ともいいかえられる。そしてそれは、永劫回帰の肯定的理解について論じる場面で、回帰=反復の認知に関して「そこには、いかなる欄外もありえない」(同,211頁)とか、「もしニーチェの回帰思想が、真理についての一般論を説くものであったとしたら、この思想自身は、回帰の欄外に立つものとなってしまうだろう。そして、真理一般についての超越論的真理は、その背後に必ずや哲学者のルサンチマン的権力を胚胎してしまうのである」(同,215頁)といったかたちで使用される。

●「欄外」はまた「余白」とも「表象できないもの」とも、「至高性」や「非知」(バタイユ)とも、ウーシア(目の前に既にあるもの)に対する「フィシス」もしくは「コーラ」(ハイデガー『形而上学入門』)とも、あるいは「流動的知性=対称性無意識」(中沢新一『対称性人類学』)といった概念とも、捻れた関係を結ぶことになるだろう。
 哲学的思考にとって、もしくは、ある体質をもつ身体に到来した体験を通じてかいま見られる世界において、欄外への書き込みを行う主体(第四人称で表記される?)はいない。