修辞学的世界




【1】説得と合意による他者との世界の共有

 修辞学的世界の特質について、以前、それは「説得を通じた他者との合意」であると書きました(「註釈学的世界」1節)。韻律を通じた「他者との 融合」と、推論を通じた「他者との乖離」との間に、それら二つの項を“綜合”するたらきとして、修辞学的実践(説得)を位置づけようとする趣旨で した。
 そして、(唐突ながら)そこで引用したのが、カントの美的判断(趣味判断)をめぐるハンナ・アーレントの文章の断片でした。「修辞学的世界」の 考察に着手するに際して、いわば弾みをつけるスプリングボードとして、汲めども尽きぬ含蓄に富んだその思考を、いま少し詳しく見ておきたいと思い ます。

 アーレントは「文化の危機」(『過去と未来の間──政治思想への8試論』第六章)において、「芸術と政治を結ぶ共通の要素は、両者がともに公的 世界の現象だということである。」(295頁)と書いています。そして、「『判断力批判』のうち「美的判断力批判」は、カントの政治哲学のうち で、おそらく最も独創的な面を含んでいる」(296-297頁)と。

《判断する能力は、まさしくカントが示した意味で特殊に政治的な能力、すなわち、事柄を自ら自身の視点からだけではなく、そこに居合わせるあらゆ る人のパースペクティヴで観る能力にほかならないこと、さらに、人びとが公的領域、共通世界で自らの位置を定めうるのは、判断力によるのであるか ら、判断力は政治的存在者としての人間の基本的な能力の一つでさえあること──これらは、政治的経験が他から区別されて以来の古い洞察である。 (略)判断することは、他者との世界の共有を可能にする、最重要ではないにしても一つの重要な活動様式である。》(『過去と未来の間』299頁)

《しかしながら、『判断力批判』におけるカントの諸命題のまったくの新しさ、それどころか驚くべき斬新さは、次の点にある。カントが他者との世界 の共有という現象をそのすべての威容において発見したのは、まさに趣味の現象、つまり、美的=感性的な事柄にのみ関わるがゆえに、理性の管轄範囲 はもとより政治の領域の外部にあると常に見なされてきた判断の一つにすぎないものを検討していたときであった、という点にある。(略)カントは、 たしかに美的なものへの溢れんばかりの感受性の持ち主ではなかったが、美のもつ公的な性質は大いに意識していた。カントが、ありふれた格言[趣味 については論議するあたわず]に対して、趣味判断は「われわれは同一のよろこび〔適意〕が他者によっても共有されるのを望む」がゆえに論議しうる ものであり、趣味はそれが「誰であれ他者による合意を期待する」がゆえに論争に服しうると強く主張したのも、美的なものが公的な意義を具えるから にほかならない。》(同300頁)

《さらに、一般に趣味判断が恣意的であると考えられているのは、立証可能な事実とか、論拠をもって証明されている真理が合意を強制するという意味 では、趣味判断は合意を強制しないことによる。趣味判断は、説得を試みるという性格を政治的意見と共有する。カントがこの上なく見事に描き出した ように、判断する者は、最終的には他者との合意に達する望みを抱きながら、ただ「あらゆる他者の同意を請い求める」ことができるだけである。この 「請い求め[ウーイング]」いいかえれば説得は、ギリシア人がペイテイン…と呼んだものにぴったり一致する。ギリシア人は、ペイテインすなわち他 者を納得させ説得する言論を、人びとが互いに語り合う典型的に政治的な形式と見なしていた。》(同301頁)

 「註釈学的世界」から受け継いだ論点すなわち「政治」と、「修辞学的世界」において最初の話題として取りあげようと計画していた「芸術」(美的 判断)とが、かくして一つの世界に結ばれました。

 「文法的世界」15節の註において、私は、藤原俊成を論じた尼ヶ崎彬氏の文章(『花鳥の使──歌の道の詩学Ⅰ』)を踏まえ、大要次のように書き ました。

 ……和歌の言語(それは俊成にとって「像=イメージ」ではなく「喩=フィギュール」であった)が結びついてきた無数の価値体験の型の集積(和歌 的言語世界における「含み」)を読みほぐしていくための技法としての註釈学、そしてその実践の積み重ねの結実としての文法。
 歌を詠み読むための言語体系である“やまとことば”のレトリック、すなわち「歌の姿(=複合されたフィギュール)」を構成する「見立て/縁語/ 本歌取り/掛詞」の四つの技法は、それぞれ「顕在化された引用/非顕在化された含み/顕在化された含み/非顕在化された引用」として捉えられ る。……

 また、同じく「文法的世界」18節では、藤井貞和著『日本文法体系』をめぐって、こんなことを書いていました。

 ……あまりに豊穣な内容なので、これは少し時間をかけて──たとえば終章「論理上の文法と深層の文法」で論じられた、懸け詞、序詞、枕詞、縁語 などの詩歌の技法をめぐる「深層の文法」の議論を、今後予定している「修辞学的世界」の考察に際して参照すべく──読み込んでおきたい。……

 宿題を果たすべき時が到来しました。

 ことのついでに、いま念頭に浮かんでいることを書いておくと、最初の話題、すなわち「見立て」「縁語」「本歌取り」「掛詞」という和歌のレト リック──和歌の“美学”[*]ならぬ“詩学”──をめぐる考察に目処が立てば、つづいて、それらと映画の技法あるいは「映画の文法」(ダニエ ル・アリホン)との関連性という、かねてから私的に関心を寄せてきた話題──私説「王朝和歌は映画である」に裏打ちされたもの──に手を染めてみ たい。
 どこまで出来るかわからないことを書きました。こうやって内圧を高めておけば、もしかすると実現するかもしれません。

[*]『定本 柄谷行人集4』に収められた「序説──ネーションと美学」で、柄谷氏は「カントは、感性と悟性あるいは理性を直接的につないでしまうことを批判した。それ は想像的なものを実体化することである。私は、そのような思考を「美学的」と呼ぶことにしたい。」(33頁)と書いている。

《哲学史においては、カントが感性と悟性の二元論に固執し、ロマン派がそれを乗り越えたということになっている。カントが二元論にとどまったの は、感性と悟性は想像力によって綜合される、しかし、綜合は想像的なものでしかない、という考えに固執したということである。ところが、カントを 超える一元論とは、そのような綜合が想像ではなく、もともと存在するという考えなのである。この場合、二元論か一元論かということは、たんなる哲 学的形式の問題ではない。カント的二元論からロマン派的一元論への移行には、明白に、フランス革命の前後に生じた、アソシエーショニズムからナ ショナリズムへの転向がある。
 具体的にいえば、カントにとって、アソシエーションは「想像=創造された共同体」であった。すなわち、そこでは、それが創造されたものであるこ と、あるいは創造されるべきものであることが自覚されている。ところが、ロマン派はそれを実体化した、すなわち、「美学化」した。そのとき、ネー ションが実体的に見出されたのである。》(『定本 柄谷行人集4』35頁)

 私はここに、アーレントによるカント(『判断力批判』)読解に通じる思考を読み取り、かつ、王朝和歌とは自然な感情の発露などではなく、想像= 創造された共同体という場における、歌詞(うたことば)のモンタージュによる想像=想像物(言語表現)であるという、私自身の“和歌観”に通じる ものを感じている。


【2】和歌の四つのレトリックの位置関係を画定する

 心に浮かぶ“思ひ”や“感じ”を、自然な感情の発露としてダイレクトに表現する(万葉歌で言うところの「正述心緒」)のではなく、「見るものき くものにつけて」、すなわち、伝統的に想像=創造された場(詠歌共同体とでも呼ぼうか)において共有された詩語=歌詞(うたことば)の体系──花 鳥風月、草木鳥獣虫魚の「らいふ・いんできす」(折口信夫)もしくは「想起のリスト」──に付託して言い表わすこと(同じく「寄物陳思」)、言い かえれば、歌の姿の造形を介して歌の心(もののあはれを知るこころ)を相互に伝達しあう言語的営み、これが、私が考える王朝和歌の定義です。
 そして、「見立て」「縁語」「本歌取り」「掛詞」といった、和歌の詩学の中軸をなすレトリック群は、詠者自身の和歌的体験をめぐる記憶のアル シーヴから、自在に歌詞を引き出す「(無意志的)想起」の技法であると同時に、「歌の道の深き心」(俊成『古来風躰抄』)に根ざしつつ、「あらゆ る他者の同意を請い求め」、これを「説得」する──感動や感情や思考を他者に伝え、理解を得、共有する──ための表現技法、すなわち、詞の編集 (モンタージュ)術にほかなりません。

 込み入った言い方になりました。
 以下、数回にわたって、「哥とクオリア/ペルソナと哥」(第46章~第48章ほか)における考察を“原資料”として、現時の知見や所感を踏まえ た“編集”を施しながら、和歌の四つのレトリックをめぐる考察をおこないます。

     ※
 最初に、四つのレトリック相互の「位置関係」を画定しておきたいと思います。

 まず、和歌的表現の世界(歌詞のモンタージュ空間)を、虚実の二つの極によって図式化します。具体的には「虚(imaginal)」と「実 (real)」を結ぶ水平方向の線分によって、歌に詠まれた世界(歌の心)を表示するわけです。
 次に、この世界のうちに、表に顕れた現実的(顕在的)次元と裏に隠れた潜在的(非顕在的)次元を区画し、これを「現(actual)」と「空 (virtual)」を結ぶ垂直方向の線分によって表示します。
 これら二つの線分によってつくられる直交座標のうちに、和歌の四つのレトリックを落とし込んだのが、次の図です。

         【現】
          ┃
         ←α→
    可能的存在 ┃ 現實的存在
     │    ┃    ↑
 【虚】━β━━━━╋━━━━γ━【実】
     ↓    ┃    │
     消極的無 ┃ 積極的無
         ←δ→
          ┃
         【空】

  α=見立て:A⇒B  β=縁語:A∨B
  γ=本歌取り:A∧B δ=掛詞:¬A=A

 若干の説明を加えます。
 αからδまでのレトリックに付した矢印は、たとえば「α=見立て」の場合だと「現實的存在と可能的存在を往還する」ことを、「β=縁語」の場合 では「可能的存在から消極的無へと潜在化(非顕在化)する」ことを表現しています。
 また、座標の各象限に書き込んだ「現實的存在」「可能的存在」「消極的無」「積極的無」は。九鬼周造「講義 文學概論」からの借用です。「仮面的世界」30節でも「虚/実/空/現」のマトリックス(伝導体)のうちに、これらを位置づけました。
(九鬼周造全集第11巻から。──「存在」には「現實的存在(ens reale,ens actuale)=狭義の存在(existentia)」と「可能的存在(ens possibile)=本質(essentia)」の二つの様態があり、「無」(または非存在)には「積極的無」(「現實的存在でないといふ無の領域」= 「ない」事柄)と「消極的無」(「可能的存在でもあり得ないといふ無の領域」=「有り得ない」事柄)とがある。)
 最後に、各レトリックに付した論理記号は、「推論的世界」で考察した四つの推論・比喩形象との関連を意識しました。

 ・見立て :A⇒B :洞察(アブダクション):隠喩(メタファー)
 ・縁語  :A∨B :演繹(ディダクション):提喩(シネクドキ)
 ・本歌取り:A∧B :帰納(インダクション):換喩(メトニミー)」
 ・掛詞  :¬A=A:生産(プロダクション):逆喩(オクシモロン

 私自身は、第五の推論・比喩形象として「¬A⇒A:伝導(コンダクション):寓喩・反語(アイロニー)」なる様式を構想しているのですが、はた してこのアイデアが和歌のレトリックをめぐる議論と繋がるかどうか、(そもそもレトリックと推論を関連づけて考えることに意味があるかどうか)、 これは今後の論点です。

 一点、補足します。前節において自己引用した議論のなかで、私は、和歌の四つのレトリックを次のように規定しました。

 ・見立て :顕在化された引用
 ・縁語  :顕在化された含み
 ・本歌取り:非顕在化された含み
 ・掛詞  :非顕在化された引用

 大雑把に言うと、「引用」は虚と実の境を往還する(水平方向の)レトリックのはたらきを示し、「含み」は潜在的な空の領域を本籍としつつ、空か ら現へ現勢化したり、あるいはその逆に再び現から空へ非顕在化する(垂直方向の)レトリックのはたらきを示しています。
 「含み」が文字通り“内に籠った”(内在的な)関係を示唆するのに対して、「引用」は“外に開かれた”隠し隔てのない”(外在的な)関係を表わ している、とも言えます。その意味では、顕在的な現の領域における見立てこそ、「引用」と呼ぶにふさわしいはたらきをするレトリックなのであっ て、非顕在的な空の領域における掛詞が担う「引用」にはどこかしら“不穏”な、見てはならない禁忌めいたところがあります。(先走ったことを書く と、掛詞は枕詞や序詞などの“古代的”すなわち“呪術的”なレトリックにつながる謎めいた深みをもっている。)
 「含み」のレトリックに関してさらに補足しておくと、縁語と本歌取りに与えた規定は、それぞれ「顕在化された含み(の再非顕在化)」、「非顕在 化された含み(の再顕在化)」と言葉を補うのが精確だったかもしれません。

 以上のことを念頭に置きながら、和歌の四つのレトリックについて順次概観していきます。


【3】見立て─「ことば」によってのみ成り立つ映像

 まず、ひとつの貫之歌から。

  桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける

 ……散る花が狂おしく降り敷く桜の樹の下に立っていると、何やら心が騒ぎだし、いつしか夢幻の界域へと迷いこんでいく。その虚の世界の大空で は、(実の世界で吹雪く桜花にオーバーラップ/ディゾルブするかのように)季節外れの雪が舞い頻っている。……

 桜を雪と見立てるのは、言葉の戯れ(比喩)としてそのように「見る」ことではなく、あたかも柱を立てて神の依代とする、つまり柱を神に「見立て る」ように、言葉の力によって花=雪というあり得ないもの(非実在物)を出現させ、世界の見方・見え方を(意識変容を介して)更新し、さらには世 界そのものを作り直す=新たに出現させることにほかなりません。
 というか、そのような体験(メタフィジカルなメタファー体験とでも?)が伴わないならば、見立てのレトリックを使った和歌作品は、いやそもそも 和歌そのものが随分とつまらない表現物でしかないでしょう。
(ジャン・コクトーが映画について語ったように、集団で同じ夢をみるという特質が詠歌体験にもあるだろう。宴や相聞を通じて集団で言葉に酔い、言 葉の見る夢もしくは言葉が見させる夢に集団で没入する、そのときこの世界は多数の可能世界=非実在世界=言語的制作物に分岐している、といった具 合に。)

 以下、日本文化における「見立て」のレトリックの系譜を、引きつづき貫之歌、そして俳諧、歌舞伎から一瞥します。

 その1.見立ての系譜─和歌の場合

 鈴木宏子著『「古今和歌集」の創造力』四章「レトリックの創造力──見えないものにかたちを与える」によると、「見立てる」つまり「しっかり見 さだめて立てる」という動詞は『古事記』にも見られるが、「ある物を別の物になぞらえて見る、見なす」という文学用語としての「見立て」のルーツ は江戸時代の俳諧にある。
 鈴木氏は、貞門派の松江重頼が著わした江戸初期の俳書『毛吹草(けふきぐさ)』の「よろしかるべき句躰の品々」を列挙する個所に「見たて」の項 目が設けられていることを紹介し、このレトリックの精神は「俳諧のみならず歌舞伎・戯作・絵画(浮世絵)・茶道・庭園など、江戸時代の日本文化万 般の基調ともなった」としたうえで、次のように括っています。
「近世の俳諧の世界で育まれた術語が、遡って十世紀初頭の『古今集』歌の表現の分析に援用され、有効に機能しているのである。ふり返ってみれば、 日本文学・文化における「見立て」の起源は古典和歌にあったことになる。」(202頁)

 古今集歌人の中でも「水際立った手腕」を発揮した「見立ての達人」貫之をめぐる鈴木氏の指摘を引く。

《貫之はこのレトリック──表現と発想の〈型〉と言い換えてもよい──について省察し、その中心が取捨選択と誇張にあることを見抜いていたように 思われる。というのは、彼の歌には「見立てる」際に取捨選択されたはずの相違点に敢えて言及しては、あらためてそれを打ち消していく手法、つまり 見立ての過程を可視化するかのような手法が、しばしばみられるのである。そうした貫之の歌は、見立てというレトリック自体の[「あり得ないものを 「ことば」の力によって創造するという」(211頁)──引用者註]不可思議さを、「かたち」にしたかのようである。》(『「古今和歌集」の創造 力』210頁)

 鈴木氏が具体例としてあげる貫之歌は、「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」──「すでに散ってしまった桜=ゼロ記号」を 「波=幻」に見立て、そして「空」を「海」へ、というもう一つの見立てを喚起する歌──である。
 ここで鈴木氏は貫之の「ことば」の組み立て方に注目し、「吹く風に散りぬる花を水もなき空のはたての波かとぞ見る」と、この歌を「AをBと見 る」という「見立ての判断形式」を明示した構文に置き換えてみる。

《このような改悪を行なってみると、貫之が「桜花」「散る」「風」「なごり」[水」「空」「立つ」という一連の「ことば」を、いかにしてつなげて いるのかが、あらためて見えてくる。一首の要にあたるのは、第三句の「なごり」なのである。「なごり」には、物事が過ぎ去ったあとに残る気配の意 の「なごり(名残)」と、風が止んだあとに水面に残る波の意の「なごり(余波)」の二つの意味がが重なっている。「なごり(名残/余波)」という 掛詞が、ちょうど蝶番のように機能して、上句「桜花散りぬる風の名残」と下句「水なき空に立つ余波」とを結びついている。(略)
「AをBと見る」という枠組みがないことで、この歌を読む者は、ふと軽い眩暈のような感覚に襲われる。上句が実在の事物(実像)、下句は見立てに よって創造された虚像であるはずなのだが、貫之の目は本当のところ、何を捉えているのだろうか。ただ空のかなたに縹渺とした白いイメージが拡がっ ているだけで、具体的な景を思い描くことは難しい。そこにあるのは、純粋に「ことば」によってのみ成り立つ映像なのである。》(同212-213 頁)

 その2.見立ての系譜─俳諧の場合

 次に、『毛吹草』の昌意の句「散る花は音なしの滝といひつべし」。尼ヶ崎彬氏が『日本のレトリック』第二章「見立て──視線の変容」において取 りあげたものである。
 いわく、この句の解釈者(読者)は「和歌俳諧を通じた日本の文学的伝統における「散る花」」の世界を話題として志向し、したがって「滝(音もな く落下する水しぶきの白い広がり)=前景」は「花(降りそそぐ桜の花びらのイメージ)=後景」に重ね描きされ、「その[解釈の]中に〈滝〉という 観念は含まれない」。

《しかし、前景の音もなく落下する滝のイメージはそれで消えるわけではない。いやイメージは消えるとしても、それが私たちの内に呼び起こした戦慄 するような印象は消えないであろう。その構えが落花のイメージに対して適用される。花は、私たちを戦慄させるような姿をもって降りしきり始めるで あろう。そのような印象をもつものとして「花」を発見することが、つまり「花」について新たな見方を作り出すことが、この見立ての句の効果であ る。》(『日本のレトリック』(ちくま学芸文庫)57-58頁)

 「滝」という語によって「散る花」を表す「言葉の見立て」は、「AをBとして見る」(A→B)と定式化できる。ここで「A」は見立てという行為 の出発点(滝=前景)、「B」はその結果(散る花=後景)を指す。これに対して、和歌俳諧の読者の側は「BをAとして」解釈する。たとえば「冬な がら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」(清原深養父)で、作者は「雪」を「花」に見立てており、読者は「花」を「雪」として見る (解釈する)。
 尼ヶ崎氏は、作者の見立てとは逆方向に行われるこの解釈行為を、歌舞伎用語を借りて「見顕(みあらわ)し」と呼ぶ。「見顕し」とは仮の姿の向う に正体を見てとること、つまり見かけは「花」、実は「雪」という見立ての構造を見破ることである。しかし、それだけではこの歌の辻褄があわない。 下句に「雲のあなたは春にやあるらむ」とあるように、作者はあくまで「雪」を「花」と扱っているからだ。

《この「花」が同時に〈雪〉であり〈花〉であるという仕掛けをもつ文を、首尾一貫した意味をもつものとして解釈するには、後景に合理的な意味を構 成するだけでは足りない。ではどうするか、「〈雪〉を〈花〉として見る」という作者の見立てをそのまま踏襲することである。この「見立て」という 物の見方をとることによって、この歌は雪の歌であると同時に花の歌となる。即ち、「雪を花として見る」ことによって生ずる春への憧憬が追体験可能 となる。だから「見顕し」とは、Bという記号が実はAという記号の代用であるという暗号の理解ではないのだ。それは「AをBとして見る」という見 立ての原行為そのものの共有化なのだ。》(同62-63頁)

 もっと「素朴」な例でいうと、たとえば「春雨のふるは涙か桜花ちるを惜しまぬ人しなければ」(大伴黒主)の歌を前にして、「私たちがしなければ ならないのは、「春雨を涙に見立てる」という物の見方そのものの獲得である。それは「涙」に対する態度や身構えをもって「春雨」を見る、というこ とである」。

《こうして「見顕し」は「見立て」の生成を追体験する。つまり、春雨が涙と同じものに見えてくるような主体の態度を実現する。読者は(おそらく作 者がそうしたように)春を惜しむ共感の現れを春雨に見出すのである。春雨はもはやいつもの春雨ではなく、春を惜しむ私に優しく応えるもの、正確に 言おうとすれば「涙」としか言いようのないものとして立ち現れる。》(同65頁)

 その3.見立ての系譜─歌舞伎の場合

 次に、弁慶を演ずる団十郎。『日本のレトリック』第三章「姿──見得を切る言葉」で取りあげられた「演劇における前景優位のケース」(97頁) をめぐる尼ヶ崎彬氏の議論を引く。

《たとえば『勧進帳』を見るとしよう。弁慶を演ずるのは団十郎である。私たちは『勧進帳』の筋を追う時、団十郎を弁慶に見立てている。しかしふつ う私たちの関心はそのストーリーを知ることにはない(筋は先刻承知である)。団十郎の「芸」にある。そして私たちの期待している芸とは、歴史上の 人物の真に迫る再現ではなく、富樫との問答における、また花道での飛び六方における、目の覚めるような演示にある。飛び六方を見る私たちは、それ が〈弁慶の疾走〉を表すことを解読してもそれで満足するものではない。むしろそれがいかに華やかに、あるいは力強く演じられるかを問題にするので ある。この時私たちは「飛び六方を‘弁慶の疾走’として見る」というよりは「弁慶の疾走としての‘飛び六方を見る’」のである。この時〈弁慶〉と それが属する義経伝説の世界は、団十郎の演示のための口実にすぎない。なぜなら、〈弁慶の疾走〉という口実なしに「飛び六方」は演じられないから である。口実は演示に一つの「意味」を与える。浮遊する観客の志向的意識は、その意味を掴むことによって錨を下ろすことができる。つまり私たちは 「何を」見ているかを知っていると安心しつつ、演示に対面することができる。さらに私たちは、その「何を」に関わる知識、たとえば弁慶の心理(喜 び)や性格(忠義心・豪傑)等を投影しつつ、その演示を味わうことさえできるのである。しかし大向うからの掛け声が「弁慶!」ではなく「成田 屋!」であるのは、観客が本当は何を見ているかを暗示しているだろう。》(同95-96頁)

 ──尼ヶ崎氏の議論を整理すると、「見立て」は、次の三つのプロセスで構成される。

①事物事象の集合体(言葉・記号の体系)から前景としてのAと後景としてのBを切り出し、AをBとして見る=見立てる(A→B)。
②見立てという「物の見方」もしくはそこに実現された「主体の態度」を追体験することによって、Bに対する印象や憧憬や共感や身構えをもってAを 見る(解釈する)=見顕す(A←B)。
③AがAであると同時にBであるような仕掛け(重ね描き、複合、圧縮)をもった表現あるいは事態が成立する(A=B)。

 なお、「前景/後景」は「見立ての出発点/見立ての結果」「団十郎/弁慶」「演示/筋」等々と説明されますが、これを「実像/虚像」「実在する もの/実在しないもの」「知覚対象物/想起対象物(言語的制作物)」などと置き換えることができるだろう。
 あるいは「図/地」と言い換えてもよいが、精確には、見立てにおいて「地」に相当するのは「A=B」の複合状態そのものであり、ここから 「A→B」と「A←B」が「図」として浮上するのだ、と言うのが正しい。私はそう考える。 



【4】縁語─歌は複数の詩境から成り立っている

 まず、鈴木宏子氏による「縁語」の定義から。

「一首の歌の中の複数のことばが、文脈上のつながりとは別に、何らかの連想関係によって結びついていること、あるいは、そのような関係にある語群 のこと」(『「古今和歌集」の創造力』191頁)。
「印象深い一つのことばを中心として、連想関係にある語を連ねていくことによって、一首の中に有機的な構造が出来上がり、統一的なイメージが生み 出される。たとえば真珠の首飾りを身につけるときには真珠のピアスを選ぶように、一首の中でも「ことば」のコーディネートがなされる、それが縁語 なのである。」(同192頁)

 鈴木氏によると、縁語は掛詞とともに『古今集』において発達したレトリックであり、相互の「密接な関わり」が認められます。そうしたことから、  『「古今和歌集」の創造力』では、同じ節で併せて考察されているのですが、これは、私が試みた和歌の四つのレトリックの「位置関係」(本稿2 節)の議論とはずいぶん異なっています。
 そこでは、掛詞を、枕詞や序詞の系譜につながる古代的・呪術的な、意味から離れた純粋な音・聲の逆喩的な関係性(¬A=A)にかかわる言語技術 に深く根ざした──したがって、本来は表に顕われない、たとえば「同音異義」語として顕われるのはその頽落したかたちであるような──レトリック として位置づけています。(ちなみに、鈴木氏による「掛詞」の定義は「同音異義を利用して、一つのことばに複数(通常は二つ)の語を重ねるレト リックである」というもの。)
 また、縁語は、潜在的(非顕在的)で古代的な“語”(言霊ならぬ音霊?)とのつながりを掛詞と共有しつつ、表に顕れた現実的(顕在的)な次元に おける語群を、そのような根源的な“語”を核としたネットワーク(「重々無尽の縁起」という華厳経の思想につながる?)のうちに(A∨Bの「縁 起」のレンマ的理法に則って?)捕捉し蒐集する“垂直”のレトリックとして位置づけました。

 専門家が実証の裏打ちをもって語ったことを、国文学者でも美学者でもない門外漢が、頭(だけ)で概念的に考え、くだくだしく述べています。強い て言えば、私は、四つの和歌のレトリックを、詩的表現のいわば理念型として考えていきたいと思っているのです。そのことを“免罪符”として、とに かく先へ進むことにします。
 以下、二人の先達(真正の美学者と国文学者)による議論を援用します。

 その1.無限に広がり重なり合う縁語のネットワーク

 尼ヶ崎彬氏は『日本のレトリック』第七章「縁語──言葉の連鎖反応」において、掛詞と対比させながら縁語を論じている。いわく、掛詞と縁語は、 語の縁の二つの形である(174頁)。掛詞は音声の縁。縁語は意味の縁で、次のように分類できる(188-191頁)。

 1.隣接関係による縁語
  ①語法の慣用・統辞上の隣接関係(「来ぬ人」と「待つ」)
  ②同じ意味の圏域に属する縁(「五月」と「雨、たちばな、ほととぎす」)
  ③本歌・本説を典拠とする縁
 2.類似関係による縁語
  ①イメージの類似(露と涙)
  ②観念上の類似(涙と紅葉)

 またいわく、掛詞の機能の一つは「言葉の不透明化=物化」であるが、縁語はさらに「生物化=生命化」の機能をもつ。

《言葉の「縁」が視野に入ってくるのは、「表現」を組み立てる際に「内容」との対応だけでなく、「言い回し」そのものに注意を払い始めた時、つま り修辞の意識をもちはじめた時である。すると、語が単なる「事項」を指示する記号ではなく、それ自体の重さや抵抗をもつ物体であるように見えてく る。さらに、これが生物のように見えてくるなら、歴史の中で引き受けてきた運命を、一つ一つの語が担っていると気がつくだろう。つまり、言葉のゆ かりである。たとえば「露」の語はただ葉末に光るだけでなく、恋する者の頬をつたって袖に落ちるものでもある。「紅葉」は単に変色した葉ではな く、恋する者の涙の色でもある。》(『日本のレトリック』172-173頁)

《一つの語は複数の引力場に所属する。その中から一つの場を選べば、一連の語の系列が引かれて出てくる。これが縁語である。しかし、その縁語の一 つを選べば、その語はまた別のいくつかの引力場に属しているため、さらに一連の語の系列を第二次の縁語として呼び出すことになる。こうして縁語の ネットワークは無限に広がり、重なり合っている。一つの語を一つの鏡に喩えてもよい。無数の鏡が一見無秩序に置かれているように見えながら、一筋 の光が射しこむ時、たちまち鏡は互いに光を反射して、数えきれぬ光の糸が空間の中に光芒の伽藍を敷設する。銀河のようなこの光の領域が一首の和歌 の世界なのである。
 語を組み合わせるとは、実は語の属する場を組み合わせているのである。そして複数の意味の圏域を縫い合わせるものこそ、語の「縁」という光の糸 なのである。縁語や掛詞は直接には語の統辞のためのもう一つの文法であるけれども、呼び寄せられ、繋ぎ留められるものは多様な本歌やモチーフの圏 域であり、そのオーバーラップの中に私たちはある種の映像や諧調を読みとるのである。別の言い方をするなら、縁語の使用が呼び出すものは、その縁 を生じた歴史である。「露」と「袖」の語が連れ立って現れる時、「露」と「袖」とを詠んだ全ての和歌が呼び出されて解釈の背景となる(コンテクス トとなる、と言ってもよい)。つまり、〈袖に落ちる涙〉のイメージばかりでなく、その嘆きのさまざまなありようが見え隠れしているのである。歌人 はこの歴史の遺産から自由に引用し、組み合わせて、新しい効果を調合する。この時一首の歌はいわば複数の詩境から成り立っている。》(同 193-194頁)

 その2.言葉から言葉が自己増殖してゆく縁語

 渡部泰明氏は『和歌とは何か』の「縁語──宿命的な関係を表す言葉」の章で、縁語の機能について、「二つの内容を結びつけ、それによって今ここ の場、という現在性を強く浮かび上がらせる」(86頁)と書いている。

《和歌というのは、そもそも作者の現在を表すものだ。作者の現在には、心境や感覚、あるいは現在の境遇など、さまざまなものがある。心境一つを とっても、現実には、過去を回想したり、将来への期待や不安を吐露したりと、ずいぶん揺れ動く。だからそれに即応することでリアリティが生まれる はずだが、反面和歌であるかぎり、これを一点へと収斂させなければならない。でなければ、短詩型の抒情詩である和歌は、解体の危機にさらされてし まうだろう。和歌らしさがなくなってしまう。当然、共感も得られない。
 そこで一点に収斂させ、共感を喚起するために、縁語が用いられる。縁語の一方は、二重性を持つ[たとえば古今集歌「秋霧のともに立ち出でて別れ なば晴れぬ思ひに恋ひやわたらむ」における縁語、「秋霧」と「晴れぬ」のうち後者の意味が「霧が晴れない」と「心晴れぬ」に分裂しているように ──引用者註]。すなわち掛詞(広義)なのだから、ここにも「声を合わせる」機能が存在する。これがその場にいる人々の心を一つにする端緒となる はずだ。しかし縁語の場合、二重になった片方の意味は表面的に露わになっていないので、「声を合わせる」印象は[(狭義の)掛詞より]どうしても 薄くなる。それを補うのが、言葉の関係性だ。
 そもそも、どんな言葉でも縁語になるわけではない。縁語の一方を構成する二重性を持った語…のうち、B[=心晴れぬ]は作者の現在を表す。 (略)物(B'[=霧が晴れない])のつながりに引かれて縁語どうしをつなぎ合わせてみると、作者の現在がきちんと浮かび上がるようになってい る。作者の現在のさまざまな要素が、一つにまとめられていく。必然的に、その歌を味わっている人間も、その現在に身を寄せるよう、吸いこまれてい く。縁語は、相手に、あるいは複数の人々に、声を合わせ、身を寄せることを要求しつつ、作者の現在へと導く機能を持つ。そして共感を生み出す。す なわちコミュニケーションの具なのである。》(『和歌とは何か』87-88頁)

 補足すると、渡部氏は、掛詞について「偶然性」の重要さを強調している。
「風景とわが身の言葉の偶然の出会いに、我々の生きる現実の存在の重みを転移していると考えたのである。掛詞と表裏一体のレトリックであり、かつ その発展形式と見なされる縁語においても、偶然性はその生命である。いや、言葉から言葉が自己増殖してゆくような縁語のあり方からすれば、より運 命とか、宿命とかいうべき感覚は強いかもしれない。」(同92-93頁)


【5】本歌取り─無意志的想起による重層的な詩の空間の創造

 前節で私は、縁語とは虚の世界において、現から空へと下降し、A∨Bの「縁起」の理法に則って「語」のネットワークを造形するレトリックである と規定しました。本歌取りは、これとちょうど裏返しになった運動と機能を示します。すなわち、実の世界において、空から現へと上昇し、A∧Bの隣 接性の法則に則って潜在的な「哥」の集蔵体(マトリックス)を顕現化・現勢化するレトリックであるということです。

 このことに関連して、私はかねてから、本歌取りと無意志的想起との関係について思いをめぐらせてきました。
 しかし、本歌取りとは和歌におけるいわば「意志的」なテクニックなのであって、この点で、「無意志的」想起のメカニスムとは決定的に異なりま す。異なるものを共在させる力の場が言語である。あるいは、異なる事象を同一の概念で括るのが(虚構を司る)言語のはたらきである。と、そう言っ てはみても、ではその「力」や「はたらき」の実態はなにかを語らなければ、それはただの呟きでしかないでしょう。
 ここで、「作者の心」(生身の歌人=詠歌主体の実感や趣向)と「歌の心」(歌に詠まれた心)と「詠みつつある心」(詠歌時においてのみ生じてい る虚構の、しかし動的な生命をもった心──尼ヶ崎彬氏が定家論において提示した概念)の区別をもちだし、次の言うことでもって、この矛盾を解消す ることができるのではないかと、私は考えています。
 すなわち、本歌取りという「意志的」なレトリックを講じるのは「作者の心」にほかならないが、実は、その詠歌プロセスにおいて生起する「詠みつ つある心」のうちにおいて生じるものこそが、「無意志的」想起なのである。
 詠まれつつある作品とともに立ち現われる「詠みつつある心」が、その本来の住処とする場所は、歌の道の深き伝統に根ざした潜在的世界、すなわち 累々たる和歌(歌の心)の集蔵庫(「和歌そのもの」あるいは「歌の心そのもの」の界域といってもいい)ではないかと思います。
 このヴァーチュアルな次元から「いま、ここ」のアクチュアルな次元に向けて生起した「詠みつつある心」にとって、古歌(本歌)は一種の手続き記 憶のようなもので、意識して思い出そう(言語化しよう)とすると、そのかたちは壊れてしまうでしょう。
 具体の歌人、たとえば定家の詠歌行為によって、物質的現象として、つまり声と文字にかたどられた作品(「個々の和歌」あるいは「個々の歌の 心」)として現象界に出現したとき、そこに、和歌のレトリックとしての本歌取りが成立し、それが同時に無意志的想起としての巧まざる本歌取り(詠 みつつある心にとって)になっている、そのような「無意志的想起の意志的創出としての本歌取り」とでも表現すべき事態が成り立っているのではない か、ということです。

 まだまだ生成途上の生煮えの“理論”
でした。素材蒐集の作業にもどります。

 その1.現実体験の歌、感情の歌からの超脱

 錦仁氏は「本歌取り─―古き良き和歌を味わいぬき、それを自分の歌の中で装いも新たに息づかせる。」(『和歌のルール』第6章)で、定家の「駒 とめて袖うちはらふ陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮」と本歌「苦しくも降り来る雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに」(万葉集歌)を比較し て、次のように述べている。

《定家の歌をみると「佐野の渡り」は本歌と同じですが、「雨」は「雪」に、季節は「冬」になっています。さらに注意すべきは、「苦しくも」という 感情表現がなく、馬に乗って旅する人の姿が一枚の絵のように浮かんでくる作り方をしていることです。衣服に積もる雪を払って休む物陰もなく、辺り は暗くなり舟もなくて川を越えられない。
 読者の目の前にこんな風景が見えますが、この風景はいつまでもあるわけではない。「夕暮れ」なのでまもなく見えなくなり、雪の原は微かな夜の光 を吸ってうっすらと広がるだろう。視覚が利かなくなると、そういう風景が脳裏に浮かんできます。「万葉集」とまるで異なった凄絶な美の世界。美し いけれど寒々として妖しくもただよいます。
 現実体験の歌、感情の歌からの超脱。それは本歌の否定ではありません。定家の歌の底に「万葉集」の歌が重く低く響いている。それを感じるとき、 定家の巧みさがよくわかる。重層的で立体的な詩の空間が創造されているのです。》(『和歌のルール』94-95頁)

 その2.二つの視点が同時にもたらされることによって生ずる効果

 『日本のレトリック』第八章「本歌取──創造のための引用」から、定家の「駒とめて」の歌をめぐる尼ヶ崎彬氏の議論。
 いわく、この歌を一気に読み下す時に生ずる印象は、旅人の侘しい心情よりも光景の絵画的な美しさの方である。しかしこの歌が本歌取りであったこ とを思いだすと、視点は一転して、暮れかかる雪空の下を遠く行かねばならない旅人の憂鬱と不安を呟きはじめるだろう。そのどちらの解釈が正しいの か。実は正しい解釈というものはない。おそらく定家自身、この歌に一つの正解があるなどとは考えていなかった。(229-230頁)

《彼は、ある「内容」(風景の美であれ、侘しい心であれ)を表現するために言葉を選んだのではなく、言葉ができる限り大きな効果を生むべく言葉を 組んだのであり、本歌取はそのための手段であったはずである。つまり、この歌が二つの視点をもつこと自体、定家の意図した効果であったろう。で は、この歌は、二つの解釈が可能という、両義性をもつ歌ということなのであろうか。いや、おそらく定家は、単なる情報の二重性ということに興味は なかった。むしろ、この二つの視点が同時にもたらされることによって生ずる効果の方に、彼の狙いはあったはずである。
 本歌によって一つの憂愁の〈型〉が喚起され、私たちはそれに身をなぞらえる。旅の侘しさと不安を私たちは思いやるであろう。ところが同時に、こ の〈憂愁〉は、広大な風景画の中に点景として吸収されてしまう。本歌の主観的な心情の〈型〉は、別次元の美的世界の一要素として外から捉え直され るのである。私たちは、旅人の内と外と、二つの視点の間を往復することになろう。眼の前に雪景色がある。その中の一点の影にすぎないものが、私た ちと等身大の〈憂愁〉を抱えている。しかし、その卑小なるものを無視して、白い原と暗い空とがどこまでも広がっている。これを一種の「寄物陳思」 と言ってよいかもしれないが、それが喚起するものはもはや旅人の〈憂愁〉ではなく、さあ何と言ったらよいか、宗教的な世界観に近いものである。読 者は行き悩む旅人に一体化したとたん、自分がこの上なく大きく美しいものに捉えられ、包まれているのを感じるであろう。それはほとんど一種の陶酔 にさえ近いだろう。多分定家が「余情妖艶」と読んだものがここにある。定家は解釈されるべき「内容」など語りはしなかった。正銘の詩人であった彼 は、常に「効果」だけを仕掛けた。その効果が確かに読者の内ではじけるなら、読者は彼の「余情妖艶」の世界の中に立つことができるのである。》 (『日本のレトリック』230-231頁)

 ──解釈されるべき「内容」ではなく「効果」の仕掛け。内と外、二つの視点が同時にもたらされること(「無観点」ならぬ「複視点」的もしくは 「異像」的パースペクティヴ)の効果。宗教的な世界観に近いものの喚起。ここで述べられたことは、「駒とめて」の歌に固有のことではないだろう。 新歌を「前景」、本歌を「後景」と見るとき、定家はあたかも演出家のように、舞台上の演示が観客にもたらす「効果」を測定している。

 ここで補助線を引く。
 内田樹著『レヴィナスと愛の現象学』で次のように語られる「演出家の仕事」が、本歌取りという一代限りの技法を駆使した定家の仕事を思わせる。 「現象学によって対象性を明示するというのは演出家の仕事のようなものです。」(『暴力と聖性』)というレヴィナスの言葉を受けて、内田氏はこう 書いている(第19章参照)。

《現象学者は「演出家」である。演出家は、「しらけた」まなざしで、俳優の演技や照明や音響や舞台装置をチェックしている。それが「つくりもの」 であり、仮象でしかないことを彼は熟知している。だが、舞台を分析的に見ることに逆に「没入」しすぎると、観客が舞台の上で「ほんとうに見ている もの」を見逃す可能性がある。舞台の上には、批判的なまなざしが見落とし、心を奪われた観客だけが幻視する劇的世界があるからだ。だから、すぐれ た演出家には、覚めていると同時に没入していることが必要となる。現象学者の仕事はこれに似ている。》(『レヴィナスと愛の現象学』(文春文 庫)118-119頁)

 現象学者・定家。それは、私の見立てでは、貫之の歌論世界に包摂された定家歌論の存在様式である。


【6】掛詞─同音異義に得体の知れない何かを感じ取った心の働き

 枕詞や序詞の系譜につながる古代的・呪術的な、意味から離れた純粋な音・聲の逆喩的な関係性(¬A=A)にかかわる言語技術に深く根ざした── したがって、本来は表に顕われない、たとえば「同音異義」語として顕われるのはその頽落したかたちであるような──レトリック。私は先に、枕詞に ついてそのように規定しました(本稿4節)。
 これに付け加えるべきことがあるとすれば、掛詞は潜在的・非顕在的な空の世界において、現実的・顕在的な世界における見立てと同類のはたらき、 すなわち「引用」の操作を行うのですが、表層における見立ての場合とは異なり、深層における「引用」にはどこかしら“不穏”な、見てはならない禁 忌めいたところがあると、これも先走って述べた事柄にほかなりません(本稿1節)。
 こうした枕詞のイメージは、折口信夫や吉本隆明の古代歌謡・初期歌謡をめぐる著書を通じて得られたものなのですが、いまそれらを子細に腑分け し、書き留めておく余裕がありません[*]。素材蒐集を進めます。

 その1.詩的言語における言葉の不透明化という機能

 尼ヶ崎彬著『日本のレトリック』第六章「掛詞──話題の交錯」において、掛詞の二つの機能が論じられている。

 第一、言葉の不透明化(165頁)。
「こうして掛詞において、リズムという形式感は失われるかわりに、言葉の抵抗感が増し、その形が客体として現れることにより、「歌詞」と「ただの 詞」の差異を強化するのである。(ヤコブソンの言い回しを借りるならば、これは「メッセージそのものへの焦点合わせ」であり、言葉の「物化 reification」である。)即ち掛詞は、同音反復や詩句構造の並列化などと同様、詩的言語における言葉の不透明化という機能をもつのである。」 (157頁)

 第二、疎遠な句の統合(165頁)。定家詠「春を経てみゆきになるゝ花の陰ふりゆく身をもあはれとや思ふ」をめぐって。
「「みゆき」[=深雪・行幸]「ふり」[=降り・古り]という二つの掛詞は、雪のように降りしきる桜の花のイメージと、官途不遇を嘆く定家の怨み 言という全く異質なものを一つに結び付けてしまう」(163頁)
「定家の歌の散りゆく花を、不遇の嘆きの「象徴」というのは適当ではないかもしれない。しかしこの二つのものが一種の照応関係にあるとは言えるだ ろう。そしておそらく象徴という関係は、この照応関係の一派生形なのである。」(164頁)
「序詞を掛詞で下句につなぐ時、多くが物のイメージを序詞とし、下句で思いを語るものであったことを思い返せば、掛詞とは、日常的文法では無関係 でしかない物と心とを強引に結合し、照応させ、場合によっては隠喩や象徴を産み出す統辞法であると言えるだろう。つまり「寄物陳思」のための仕掛 けの一つなのである。」(165頁)

 その2.声を合わせることを演じつつ偶然を必然に変えるレトリック

 渡部泰明氏は『和歌とは何か』の「掛詞──偶然の出会いが必然に変わる」の章において、掛詞の意義につき、古今集におけるその展開を概観したう えで、「偶然性」と「声」の二つの面から論じている。

 第一、偶然性。
「掛詞は、偶然性の上に成り立っている。「眺め」と「長雨」、「松」と「待つ」などが同音なのは、たんなる偶然にすぎない。」(74頁)
「掛詞のリアリティは、言葉の持つ意味に依拠しているというより、言葉が存在していることそのものの重みによっている、と私は思う。風景とわが身 が偶然に出会う。それは一つの事件である。その事件が存在した重みを、言葉の出会いの中に置き換えようとするのが掛詞なのであろう。」(75頁)
「その定型[=五・七・五・七・七の五句三十一音が定まっていること]の中に掛詞がうまく当てはめられることで、偶然にすぎなかった言葉の二重性 が、まるであらかじめ決められていたものであるかのような錯覚を起こさせる。(略)運命を錯覚させるような気分が生まれれば、和歌に描かれた風景 は、かつてそれを見たことがあるような、既視感の中で捉えられることになる。初めて触れた存在感をはっきり示しながら、なおかつ懐かしさを生じさ せる感覚。(略)だから、「声」(言葉の音)が一致することは偶然のことながら、それが当然のことだったように思われてくる。偶然が必然化するの である。」(76頁)

 第二、声。
「「声を合わせる」ことを求めるかのような掛詞の「声」は、実は文字の発達によって逆に意識化されたもので、その意味で文字によって演じられる、 という側面を持つ「声」なのであった。(略)掛詞は、声を合わせることを演じつつ、偶然を必然に変えてしまうようなレトリックなのであった。 (略)これこそ定型文学・和歌の真髄ともいうべき「力」である。その意味で掛詞は、和歌の中心的レトリックと呼ぶにまことにふさわしい。」(78 頁)

 その3.得体の知れない何かが立ち上がる

 高田祐彦氏は、共著『日本文学の表現機構』の第一章「多義性」で、次のように述べている。

《掛詞は、和歌の修辞としては、多くは自然と人事を表すことばから成る。その二語の間に何らかの連想関係をともなう場合(「秋」と「飽き」、「思 ひ」と「火」など)、和歌のことばとしては、ある安定性を持つが、本来は、同音異義という「同」にして「異」であることへの素朴な驚きと、それゆ えにそこに得体の知れない何かを感じ取った心の働きに支えられているのだろう。そうした思いは、もちろん同音異義を単純に興ずることにも広がり、 後には広範なしゃれの世界を展開するようになる。こうした多義性への志向は、広く見た場合、さまざまな連想や類似や縁によってことばを結合させよ うとする日本の文学表現の特徴の一つといってもよいだろう。》(『日本文学の表現機構』27-28頁)

 次に引くのは、高田氏の議論を受けた渡部泰明氏の文章(同書第五章「縁語的思考」)。なお渡部氏によると、「縁語的思考」は「未完成でありなが ら過剰であり、つながりの可能性に富む言葉の流動性を、身をもって捉える行為」、すなわち「歌ことばの生成する動態を演じてみせる演技」である (同書第四章「規範」、101頁)。

《縁語的思考とは、言葉の連想力のことである。ただし、その連想は固定したものではない。ゆるやかな、むしろ意図的にくつろげられ、ゆるめられた 言葉どうしの関係である。だからこそ、さまざまな言葉が、網の目のような関係性を形成している。いや、形成しているといってはなるまい。形成する 手前で、さまざまな結び合いの可能性を秘めてたゆたっている。第一章の「多義性」での議論を想起したい。そこでは、和歌の掛詞の例をあげて、そこ に多義的な言葉の積極的な運用が見られ、得体のしれない何かが立ち上がっているさまが示されていた。同じものを、この縁語的思考においても見たい と思う。「得体のしれない何か」は、鋭い着想のもとに新たな言葉がそこに放り込まれることによって、明確な結合の形をもって初めて出現するのであ る。縁語的思考とは、歌の言葉の可能性に満ちた流動体ということができる。》(『日本文学の表現機構』129頁)

 ──掛詞は「得体の知れない何か」につながっている。
 その「何か」はおそらく、市川浩氏が『〈身〉の構造──身体論を超えて』において枕詞の機能として述べたこと──「枕詞なども最初は、言葉の 持っている意味の拡がりを多重化して、間〔あいだ〕の意味を発生させ、それを共有させる試みだったのでしょう。」(講談社学術文庫、201 頁)──につながる古代的な言葉のはたらきに根ざしているだろう。
 それはまた、折口信夫が短歌における「生命の指標(ライフ・インデキス)」と呼んだ「無内容」の虚辞につながっている。枕詞や掛詞などの「神の 語は音楽として人の胸に泌む」(「俳句と近代詩」)。

[*]ここでは一点、折口信夫-吉本隆明(と折口信夫-井筒俊彦)の系譜に属する丸山圭三郎の、『カオスモスの運動』に収められた「深層意識のメ タファーとメトニミー」をめぐる文章から、関連する議論を引く。
 いわく、詩人の言葉にあって、メタファーは「語の多義化」を、メトニミーは「文の多義化」をひきおこす(158頁)。たとえば小町歌「花の色 は」では、「花」は桜のメトニミーもしくはシネクドックであり、女性の美のメタファーである。また、「いたづらに」は「よにふる」「ながめせしま に」「うつりにけりな」を重層的に修飾している。(158-159頁)

《…深層の言葉に働く〈連辞関係〉とは、コード化されていない差異の離合集散であるから、そこでは必ずしも文法的とは限らない〈語の連鎖〉が移動 する不断の動き(=置き換え、メトニミー)が見られるのに対し、〈連合関係〉にあっては、一つの語が他の語を排除することなく互いに重なりあって (=圧縮、メタファー)、豊かなイメージがつくり出され、表層の言葉とは異なる多次元性・可逆性・ポリフォニー性を生み出す。
 さらに重要な相違として指摘しておかねばならない点は、意識の深層において次々と置き換えられたり圧縮されたりする語を喚起する媒体としては、 語の‘意味’より‘音’の類似性の方が圧倒的に優勢であるということである。
 たとえば、〈桜〉から梅や桃といった花、あるいは桜の咲く頃にとれる小鮎、さらには桜色の海老や貝を連想するイメージの帯は、〈桜〉という語の ‘意味’がきっかけとなっている。他方、私たちの連想には、語の‘音’だけがきっかけとなるイメージ群もある。この場合であれば、〈サクラ〉から 枕、和倉、神楽、櫓、胡坐などが連想されるたぐいで、これらの語の間には何ら意味の類似性はない。(略)
 また、深層の言葉の特徴である音のイメージを媒介とした連合関係が、異質なものを同一化したり、同一物を複数に分裂させる狂気の言葉にも通底す ることに注目したい。S・アリエッティによれば、述語の‘音の同一性’によって異なるものを同一視するのが精神分裂病の心的構造の典型であり、こ の論理は古論理的[パレオロジカル](フォン・ドマールス用語では擬論理的[パラロジカル])だという。》(『カオスモスの運動』(講談社学術文 庫)161-163頁)


【7】王朝和歌は映画である

 見立て、縁語、本歌取り、そして掛詞と、和歌のレトリックについて概観してきました。肝心なことは、個別のレトリックの内実がどうであるかとい うことより、それらが組み合わさって──かの「現/虚/空/実」の修辞(学)的フィールドにおいて(本稿2節)──どのように稼働するのかという ことです。
 私自身は、いまだその実相を明らかにするところまで調査や考察を進められていませんが、ただ探究の方向としては、古今集から新古今集までの、貫 之、俊成、定家に代表される王朝和歌と映画(体験)との類似性に着目することで、何らかの有益な手がかりが得られるはずだと確信しています。
 以下、これまで(論考群「哥とクオリア/ペルソナと哥」において)取り組んできた“成果”を編集(モンタージュ)して、ペーストしておきます [*1・2]。

<王朝和歌は映画である>

 ……王朝和歌と映画との密接かつ隠在的な関係性について。──言葉を補うと、時代も離れジャンルも異なるふたつの領域における美的体験、つまり 「詠歌体験」と「映画体験」とのあいだには、(それが本質にかかわるものか現象にすぎないか、あるいは内的構造がもたらす必然か外的状況に依る偶 然か、等々の詮議はさておき)、なにかしら見えない関係性が潜んでいるのではないか、という私の直観が告げ知らせる仮説をめぐって。

 私が王朝和歌の世界を映画と関連づけて考えるようになった、そのそもそもの発端は、『雪国』冒頭の、「映画的」という形容がふさわしいリアルな 心象を喚起する文章をめぐって、これは、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を上句、「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まっ た。」を下句とする一首の和歌に見立てることができるのではないか、と思いついたことにあります。

 いま「映画的」と書いたのは、たとえば『夜明け前』の冒頭の一文、「木曾路はすべて山の中である。」が俳句であり、情景を客観的・無時間的に俯 瞰、圧縮して描写する一幅の画であるとすれば、『雪国』のそれは、時間の推移がもたらす情景と身体経験の変化を織りこんだ、いかにも主観的な、あ るいは永井均著『西田幾多郎』の議論を援用すると、「もし強いて「私」という語を使うなら、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったという、そ のことそれ自体が「私」なのである」と言うしかない、主客分離以前の「純粋経験」を描写する──永井氏自身が用いた駄洒落で言えば、「虫」ならぬ 「無私」の視点が見させる──「暗に独我論的」で「非人称的」な“動くイメージ”(“動きつつある形”)を思わせる、という私の個人的体験を言い 表わす比喩表現にほかなりません。

 しかし、それは単なる比喩を超えている。すなわち、王朝和歌は「映画的」なのではなくて「映画」そのものなのだ。だから、『雪国』冒頭の文章を 一首の和歌に見立てることは、これを一篇のショートムービーと見ることと──あるいは、「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐ れ」の定家詠が、白一色の冬の原野に立ち現われたパンタスマを描写する、一篇のショートムービーであったことと──同義なのであって、私が目論ん でいるのは、そのような「王朝和歌は映画である」という命題の妥当性と実質を見極め、それが和歌的‐詩的言語の世界にもたらす帰結を見定める、と いうことにほかなりません。……(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第55章1節)

<和歌のレトリックと映画の技法>

 ……たとえば「掛詞」のレトリックは「オーバーラップ」に通じている。
「掛詞の場合、「同音」という等価性は、並行するのでもなく、連続するのでもなく、表裏に重なり行くことになる。映画でいえばオーバーラップであ る。」(尼ヶ崎彬『日本のレトリック』156頁)
 また、ヤーコブソンは「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」で次のように書いている。
「D.W.グリフィスの作品以来、映画芸術は、アングルや遠近法や“撮影画面[ショット]”の焦点を変える高度に発達した技術をもってして、演劇 の伝統と手を切り、いまだかつてなかったほど多種多様な提喩的な“大写し”や、換喩的な“仕掛け”を広く取りそろえた。チャーリー・チャップリン の映画などでは、このやり方に代って、こんどは“重ね溶明[ラップ・ディゾルヴ]”を用いての新奇な、隠喩的な“モンタージュ”──映画的直喩 ──が代置された。」(『一般言語学』41頁)
 これらの文献から「和歌のレトリックと映画の技法(映像構成法)との同類性」を考える手がかりが得られる。

 ・見立て(メタファー型レトリック) ⇔オーバーラップ、フェイドアウト/イン
 ・縁語(シネクドキ型レトリック)  ⇔クローズアップ・ショット
 ・本歌取り(メトニミー型レトリック)⇔トラッキング・ショット
 ・掛詞(オクシモロン型レトリック) ⇔オーバーラップ」……(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第58章1節)

[*1]三浦哲哉著『映画とは何か──フランス映画思想史』に描かれたフランス映画思想の系譜に即して言えば、おそらく次のような対応関係が成り 立つだろう。(私はここに第五の形態である映画(機械仕掛けの伝導体)を付け加えたいと夢想している。)

 ジャン・パンルヴェ  =なぞなぞ =貫之以前
 アンドレ・バザン   =歌    =貫之
 ロベール・ブレッソン =物語   =俊成
 ジル・ドゥルーズ   =劇    =定家(世阿弥)

[*2]いま朧気に考え始めていること。
 絵に描ける(表象可能な)ことと、絵には描けないが言葉でなら書ける(概念化可能な)ことの中間に、映画で編集できる(“動くイメージ”で表現 可能な)ことという類型をたてることができるのではないか。和歌のレトリックがそこにおいてこそ十全に機能する領域。次節以降で取りあげるよう に、私はその領域を「モンタージュ」あるいは「アナグラム」の場と捉えている。
(永井均氏が『『純粋理性批判』を立て直す──カントの誤診1』の第2章で論じているように、「否定絵」や「肯定絵」、「可能絵」や「必然絵」や 「偶然絵」、「過去絵」や「現在絵」や「未来絵」は描けない。表象内容はみな同じだからである。「それらの違いを描き出すことができるのは、ただ 言語のみである。」(48頁))

 絵には描けないが映画化可能なこと(その1)。
 貫之の「桜散る」の歌をめぐって尼ヶ崎彬氏は、「詩的世界において、花は雪のように降る(比喩)のではなく、花は雪として(複合)降るのであ る。」と書いている。そして、そのような「イメージの複合」は、現実の世界では存在することも表象することも不可能なのであって、あくまで詩的言 語の「姿」のなかで、花と雪は結合するのであると指摘していた(「文法的世界」15節註1参照)。
 言語のなかでなくとも、スクリーンやディスプレイの上でオーバーラップする映像としてであれば、イメージは自在に結合するだろう。和歌のメカニ ズムやレトリックと映画のメカニズムや技法とは相互に密接に通じ合っている。そうだとすると、「桜散る」の歌に詠まれた「像(イメージ)」は、俊 成的な「喩(フィギュール)」に分類されるべきなのではないか。(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第38章1節)

 絵には描けないが映画化可能なこと(その2)。
 和歌的体験(詠歌体験)同様、映画的体験もまた、「むこう側」(表現された言葉)から「こちら側」(認識の動き)への視点の転換によって成り立 つ。福尾匠氏は『眼がスクリーンになるとき──ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』で次のように書いている。(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第 56章5節)

「映画はモンタージュによってかけ離れた視点を一瞬で切り替えることができるが、とうぜんわれわれは、テレポーテーションでもしない限りそんな経 験をすることはできない。こうした映画的な体験を条件として、あるいは動作環境として…哲学するとどのようなシステムが立ち上がるのか。ドゥルー ズの『シネマ』は、このような「もしも」によって成り立っている書物であるとさえ言える。」(22頁)


【8】モンタージュの空間─王朝和歌は映画である

 和歌のレトリックと映画の技法に共通するはたらきとそれが機能する場のことを、私は、「モンタージュ」および「モンタージュの空間」と呼んでい ます。このことについて、引きつづき、これまで取り組んできた“成果”を、加筆修正のうえ自己引用します。

<モンタージュの空間、その基本フォーマット─知覚と想起>

 ……和歌=映画の構造は、詞や動くイメージの編集による「メカニカルな側面」と、その効果としての「心的現象の側面」の二つの側面から考えるこ とができます。

 ここで、ベルクソンの『物質と記憶』を持ちだすと、映画製作にあたっての「メカニカルな側面」は〈物質〉に、観客にとっての「心的現象の側面」 は〈記憶〉に、それぞれ対応づけることができるでしょう。そして、前者を水平軸、後者を垂直軸として直交させると、映画的構造を表示する(伝導体 類似の)座標図が得られます。
 仮に、これを「映画的なものの基本フォーマット」とした場合、そのメカニカルな側面である水平軸(〈物質〉の軸)は、さらに「知覚」と「想起」 というふたつの側面から構成されることになると私は考えます。ややこしい言い方ですが、精確には、「メカニカルな側面における(狭義の)メカニカ ルな側面」(=移動カメラの視点)である「知覚」と、「メカニカルな側面における(狭義の)心的現象の側面」(=モンタージュのはたらき)である 「想起」というふたつの側面が、映画的なものにおける「(広義の)メカニカルな側面」を成り立たせる、ということです。

 なぜ「メカニカルな側面」のなかに、これと一見対立する「(狭義の)心的現象の側面」を設ける必要があるのか、そしてそれは誰の「心的現象」な のか、そもそもなぜ「知覚」と「想起」なのか。
 第一の問いに対する答えは、第二の問いへの答え──「それは映画の登場人物(主人公)の心的現象である」──でもって了解されるでしょう。つま り、登場人物(とりわけ主人公)への感情移入や同一化にもとづく観客の心的現象(“ほんもの”の「心的現象の側面」=映画的なものの基本フォー マットにおける垂直軸=〈記憶〉の軸)を生起させるモンタージュのはたらきを、移動カメラのはたらき(フレームの作成)と区別するために、「メカ ニカルな側面における(狭義の)心的現象の側面」などというややこしい言い方をしたわけです。

(「感情移入」や「同一化」は、いかにも「古典的」な映画を思わせる。「古典的ハリウッド映画における観客とは主人公が見たものを見る存在です」 (加藤幹郎著『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』44頁)。ただ、いま私の念頭にあるのは「古典的」な和歌の精粋たる王朝和歌との比較のも とでの映画なのだから、この言葉遣いは間違ってはいないだろう。
 ちなみに英語版『シネマ』の序文でドゥルーズは、「ヒッチコックはおそらくふたつの映画の蝶番に位置するでしょう。すなわち彼が完成させた古典 的な映画と彼が準備する現代的な映画とのです」と指摘しているが(加藤前景書101頁による)、王朝和歌の歴史において古典期とポスト古典期の蝶 番に位置するのは定家だろう。)

 そして、第三の問いに対する答え。「知覚」と「想起」の出典は、『物質と記憶』の第三章にあって、その冒頭でベルクソンは次のように書いていま す。

《われわれは、純粋想起、イマージュ想起、知覚という三つの項を区別した。ただし、それらのどの項も実際には孤立して現れることはない。知覚は、 精神と現在の対象との単なる接触では決してない。知覚には、それを解釈しながら補完する数々のイマージュ想起が全面的に浸透している。イマージュ 想起それ自体はというと、イマージュ想起が物質化し始めるところの「純粋想起」と、イマージュ想起がそこへと受肉するのをめざすところの知覚双方 の性質を帯びている。この後者の観点から考察されれば、イマージュ想起は、生れつつある知覚と定義されるだろう。最後に、純粋想起は、権利的には おそらく独立しているのだが、純粋想起を現像する色鮮やかで生き生きとしたイマージュのなかでしか、通常は現れることはない。これら三つの項を、 同じ直線ADの連続した線分AB、BC、CDによって象徴するとすれば、われわれの思考はこのAからDへと進む連続した運動の線を描いており、こ れらの項の一つがどこで終わり、どこで始まるのかを正確に言うのは不可能であると言うことができる。》(ちくま学芸文庫『物質と記憶』190頁)

(いま私の脳髄には、「知覚=フレーム」「イマージュ想起=ショット」「純粋想起=モンタージュ」という対応関係が浮かんでいるのですが、それは それとして)、ベルクソンが言う「直線AD」、すなわち、純粋想起から知覚へと「連続した運動の線」が、映画的なものの基本フォーマットを構成す るメカニカルな水平軸に該当する。というか、そのように対応づけて、私は、映画的構造における「(広義の)メカニカルな側面」を、「知覚」= 「(狭義の)メカニカルな側面」(=移動カメラの視点)と「想起」=「(狭義の)心的現象の側面」(=「純粋想起を現像する色鮮やかで生き生きと したイマージュ」を合成するモンタージュのはたらき)とに分割したのでした。

 次に、「知覚」と「想起」という、ふたつの項の関係性について考察を進めたいと思います。ここで、中島義道著『「時間」を哲学する──過去はど こへ行ったのか』の議論を援用します。
 中島氏によると、想起における過去と現在との時間関係は、出来事Eは過去でありかつ現在であるという、時間の本質(過去・現在・未来の区別=マ クタガートのA系列)に反する矛盾した事態をもたらします。ここで中島氏は、マクタガートのように時間の実在性を否定するのではなく、現在と過去 の両立不可能な関係こそ世界のあり方の基本をなす根源的な関係であるととらえ、出来事の実在性を否定する方向に、すなわち大森荘蔵の時間論を踏み 台に、「実感に忠実に沿った過去論をつむぎ出す」(145頁)方向に思考を転じ、過去とは原理的に言語的=意味的世界であって、観察可能な物理的 事象ではない(164頁)と断言するにいたります。
「つまり、想起とは過去の原体験とはまったく異なった体験であり、いわば‘過去形の原体験’だというわけです。」(141頁)

 中島氏の議論を敷衍すると、想起体験は夢の体験に通じ、言語による意味体験に通じ、そして映画体験に通じています。そして、知覚と、その知覚の 想起とは、「‘同一の’光景であるという…概念のレベルで同一なのであって、その存在の仕方はまったく異なる」(117頁)。
 遠くのビルを見ているとき、「そこに登場してくる光景には細部にわたるまで固有の色・質感がある。しかも、私はある固有の視点からビルをその背 景の全体とともに見ており、同時に裏側に回ったり、空から見下ろしたりすることはできない」(116頁)。
(『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で伊藤亜紗氏は、目の見えない人は「視点」に縛られないから、三次元のものを平面化せず三次元のま ま空間の中でとらえている、そこでは表と裏、内と外が等価なものになると書いていた(69頁、77頁)。目の見えない人が見ている光景は夢や映画 や小説の体験に、つまり想起体験に通じている。)

 以上、映画的構造におけるメカニカルな側面を、知覚(=移動カメラ)と想起(=モンタージュ)というふたつの項に分割し、それぞれの違いを(主 として、想起の側から)概観しました。
 次に、この二項をつかって、映画的なものの基本フォーマットの別ヴァージョン(精確には、映画的なものの基本フォーマットを構成するふたつの側 面のうち、メカニカルな側面に関する別の表現)を工作しておきたいと思います。そのため、あとひとつ、中島氏の『「時間」を哲学する』から必要な 工具を蒐集します。
 それは、中島氏が主題的に論じている事柄ではなくて、たとえば、ラッセルの五分前世界創造説をめぐって書かれた文章のなかでもたらされた「過去 自体」という概念です。
「ラッセルはこう語ることによって、われわれの知識から独立にカントの〈物自体〉のような過去自体を積極的に承認しているわけではありません。む しろ、ラッセルの力点は過去に関する知識から過去自体へのいかなる通路もないということにおかれ、このことによって過去自体の無意味性を指摘する ことにあります。」(135頁)

 中島氏の概念を、私は、知覚における「物/物自体」、想起における「過去/過去自体」の区分として導入し、そのうえで、下図のような(伝導体類 似の)座標空間「モンタージュ空間」のなかにそれぞれ位置づけてはどうかと考えました。
 「想起/知覚」のメカニカルな水平軸(横軸、図の太線部分)が、移動カメラの視点の稼働範囲であり、そこで切り取られたフレームや組み合わされ たショット(フランス語で“la plan”=面)が、モンタージュのはたらきによって合成され、「遠景/近景」の縦軸によってひらかれる平面上の四つの領域(α,β,γ,δ)のいずれか に収まります。

         【近景】
          │
        γ │ α
          │
 【想起】━━━━━┿━━━━━【知覚】
          │
        δ │ β
          │
         【遠景】

 ※α=物,β=物自体,γ=過去,δ=過去自体

 ここで、「遠景」と「近景」で縦軸を表示したのは、「遠景=彼方、後景、ロング・ショット、むこう側(表現された言葉)」「近景=身体的近景、 前景、クローズアップ・ショット、こちら側(認識の動き)」といった言葉のつながりを意識してのこと。
 この「遠景/近景」の縦軸と「想起/知覚」の横軸(水平軸)によってかたちづくられるメカニカルな平面(モンタージュの空間)から、“ほんも の”の心的現象の側面にかかわる〈記憶〉の垂直軸が(この図を見ている者に向かって)たちあがり、映画的なものの基本フォーマットが完成するわけ です。あたかも、「見立て」「縁語」「本歌取り」「掛詞」といった和歌のレトリックの操作(和歌におけるメカニカルな側面のはたらき)を通じて、 詠みつつある心を含めた「歌の心」(和歌における“ほんもの”の心的現象の側面)が立ちあがるように。……(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第 57章4・5節)


【9】拡張されたアナグラム─王朝和歌は映画である

 王朝和歌および映画にとって共通の技法であるモンタージュの操作を、言語表現によりシフトして捉えるとアナグラムになるのではないか、少なくと もそう考えてみることで、見通しのきく展望がひらけるのではないか。
 そのような見込みのもと、複雑なリズムや文様としての──すなわち「すきとほった」水や風のように、透明な意味や形象の「下絵」となる〈物質〉 としての──声と文字、韻律、観念のすべてを包含する、より拡張されたフィールドにおけるアナグラムの現象を考察してみました。
 以下は、その“成果”の縮約版です。

<拡張されたアナグラムとしての本歌取り>

 ……本歌取りについて、プルーストの「無意志的想起」と関連づけて考察したことがあります。前後の文脈や論脈を捨象して、その結論部分だけを抽 出し、若干の編集を施し順不同で並べると、次のようになります。

・本歌取りという「意志的」テクニックを駆使して歌を詠み出だすのは生身の歌人だが、その詠歌プロセスにおいて生起する「詠みつつある心」(尼ヶ 崎彬)のうちに「無意志的」想起が生じる。無意志的想起の「意志的」創出としての本歌取り。
・ヴァーチュアルな次元(和歌の集蔵庫)から「いま、ここ」のアクチュアルな次元にむけて生起した「詠みつつある心」にとって、古歌(本歌)とは 一種の手続き記憶(文法、型、韻律)である。

・無意志的想起は、異なる光景・時間・感覚を同じ一つの平面上に等価なものとして共在させる。そうした隠喩的関係を媒介するのは、生きた身体の動 静である。
・本歌取りは、古歌(本歌)と新作歌(本歌取り歌)、集団的類型歌(俗謡)と個人詠(純粋詩)とを、歌人たちの身体的行為(唱和)によって「い ま、ここ」にある同じ一つの場に共在させる営みである。

・無意志的想起によって姿をあらわす過去・記憶の原初形態は「言語的制作物=物語」(大森荘蔵)である。無意志的想起は脱自による「歓び」(言語 以前の共感覚的な身体の体験)をもたらす。
・「詠みつつある心」の物質化された極限の姿は、能舞台のうえに顕現する「ペルソナ」であり、そこにおいて無意志的想起と本歌取りとが共在する。

 言葉遣いや概念の系譜、相互の論理的関係の詰めが甘く、精錬が足りません。が、平板になることを恐れず、いま箇条書きのかたちに集約した議論を もとに、「拡張されたアナグラム」としての本歌取りの特質を、かの演劇の言語をめぐる五つ組「舞・聲・設・面・節」[「仮面的世界」34節参照] とアナグラムのフィールドを組成する四項「音声・文字・物(韻律)・観念(世界)」に強引に関連づけて整理し、図示します。

<「舞─(面)─聲」の横軸>
・本歌取り歌が、リアルかつあらゆる可能な音(声)や形(字)において出現する(詠み出だされる)アクチュアルな表層(いま、ここ)のフィール ド。意志的操作の軸。
・広義の「倍音」現象と「共感覚」現象が、下方(物)と上方(観念)にまたがり生成する。物としての音や形から音象・形象を経て天上の音楽・純粋 文字へ。唱和(ポリフォニーもしくは「モノフォニーの幽玄」(丸山圭三郎))。感覚の積層化(パランプセスト)。形の重層化(モンタージュもしく は「グラフィック・アナグラム」(同))。

<「設─面─筋」の縦軸>
・本歌(古歌)群が集積する深層のフィールド。無意識的想起の軸。
・下方(狭義の深層)における「手続き記憶」(文法、型、韻律)と上方(広義の深層もしくは高層)における「言語的制作物=物語」との接触面 (ミーティング・プレイス、あわい)に「詠みつつある心」(ペルソナ)が生起する。異なる光景・時間・感覚が同じ一つの平面上に等価なものとして 共在する。

         〔観念〕
          物語
           ┃  (倍音)
           ┃    ↑   
           ┃    │  
 〔文字〕━━━〔ペルソナ〕━┿━〔音声〕
           ┃    │
    (共感覚)←─╂─→
           ┃
          韻律
         〔 物 〕

 ここで考察した「拡張されたアナグラム」としての本歌取り、すなわち、古歌(深層)という言語的世界から生起する「ペルソナ」による無意志的想 起は、別の言い方をすれば「拡張された本歌取り」あるいは「広義の本歌取り」であるということになります。そしてそれは、狭義もしくは本来の意義 における本歌取りを含む「和歌のレトリック」もしくは“やまとことば”の手続き記憶そのものです。というか、私はそのように考えています。…… (「哥とクオリア/ペルソナと哥」第79章3節)

 「修辞学的世界」をめぐる考察は、今回で(いったん)閉じます。それなりの準備を進めていた話題──たとえば、『古代レトリック講義』の著書を もつニーチェをめぐって、たとえば『読むことのアレゴリー』(ポール・ド・マン)を手引きにしながら取り組んでみるなど──があったのですが、そ れらはまた別の機会に譲ることにして、ここでも先を急ぎます。