註釈学的世界




【1】場違いな“中間総括”と短い前口上

 これより「三世界」シリーズの第三部に入ります。が、その前に、場違いを弁えつつ、これまでの作業の簡単な振り返りと今後の“展望”を挿みたい と思います。個人的な心積もり、というか心構えを定めておきたかったからです。

 第一部は「詩」、第二部は「物語」、第三部は「劇」。──唐突ですが、吉本隆明著『言語にとって美とはなにか』の第Ⅳ部「構成論」から、吉本が そこで展開した議論の趣旨を離れて、ただその語彙のみ借用しました。これらを私の(勝手な)ターミノロジーと組み合わせると、次のようになります [*1]。

 第二部:文法/ペルソナ/推論   :「物語」:メタフィジカルな帯域
 第三部:註釈学/イメージ論/修辞学:「劇」 :メカニカルな帯域
 第一部:文字/仮面/韻律     :「詩」 :マテリアルな帯域

 第一部から第三部までの各項の並べ方について。──パースによると、記号は三つの三分法によって分割することができます(『パース著作集2』 10頁)。前田英樹氏の精緻な解説によって、このことを確認します。

《さて、パースの巨大な記号分類だが、世界の根源的な三重性の原理は、そのすみずみにまで行き渡り、展開されることになる。彼は、まず記号を三つ の在り方によって分類する。記号という存在は、それ自体で捉えられ(第一次性)、対象を持ち(第二次性)、解釈される(第三次性)。記号のこれら 三つの在り方は、それぞれに三種類の記号を成り立たせることができる。
 まず、それ自体で捉えられた記号の在り方には、性質記号(qualisign)、個物記号(sinsign)、法則記号(legisign)の 三種類がある。性質記号は第一次的であり、個物記号は第二次的、法則記号は第三次的である。(略)
 次に、対象との関わり(表意作用)で捉えられた記号の在り方には、類似記号(icon)、指標記号(index)、象徴記号(symbol)の 三種類がある。(略)
 その推論や解釈との関わりから記号を分類するなら、名辞(rheme)、命題(dicisign)、論証(argument)の三種類が考えら れる。(略)
 以上、九種類の記号分類[*2]は、さまざまに在る記号の分類というよりは、むしろ記号を捉える九種類の観点だと言った方がよい。これらの観点 は、三層の次元を成して、ひとつの記号のなかに共存できる[*3]。たとえば、一枚の肖像写真は、第一次の分類では個物記号であり、第二次の分類 では類似記号であり、第三次の分類では名辞になりうる。》(『言葉と在るものの声』102-104頁)

 最後の段落に書かれた「三層の次元」のうちに九種類の記号を位置づけ、これと先の「詩/物語/劇」の三つ組を対応させると、次のようになりま す。

 ┌────┬────┬────┐ ┌─────┬─────┬─────┐
 │ 論 証 │ 命 題 │ 名 辞 │ │ 文 法 │ ペルソナ │ 推 論 │
 ├────┼────┼────┤  ├─────┼─────┼─────┤
 │象徴記号│指標記号│類似記号│ │ 註釈学 │イメージ論│ 修辞学 │
 ├────┼────┼────┤ ├─────┼─────┼─────┤ 
 │法則記号│個物記号│性質記号│ │ 文 字 │ 仮 面 │ 韻 律 │
 └────┴────┴────┘ └─────┴─────┴─────┘

 私はなにも、三層におよぶパースの記号分類に倣って、三階建ての三世界論を考想したわけではないのですが、後づけの理屈で、(そうすることにい かほどか理論的な意味があるかどうかはひとまず措いて)、たとえば「世界の十のクラス」なるものを仕立てることができるでしょう(註3参照)。
 当面の話題に即して、以下に、その(芽生えたばかりのアイデアの)一端を粗描しておきます。

1,修辞学的世界
 ◎韻律的世界→「修辞学的世界」→推論的世界【世界Ⅰ】
 ○仮面的世界→「修辞学的世界」→推論的世界【世界Ⅱ】
 ○文字的世界→「修辞学的世界」→推論的世界【世界Ⅴ】

 第一のライン(世界Ⅰ)に関連して。──韻律による他者との融合、推論における他者との乖離、修辞学的世界における説得を通じた他者との合意。
 ハンナ・アーレントは「文化の危機」(『過去と未来の間』)において、美的判断力をめぐるカントの議論を踏まえ次のように述べている。純粋な推 論の思考過程は私と私自身の間の対話を意味し、論理は自己の現前に基づくのに対して、判断力は他者との潜在的な合意にかかっており、その人の立場 で思考しなければならない他者の現前を必要とする(298頁)。「趣味判断は、説得を試みるという性格を政治的意見と共有する。」(301頁)

2.イメージ論的世界
 ○仮面的世界→「イメージ論的世界」→推論的世界  【世界Ⅲ】
 ◎仮面的世界→「イメージ論的世界」→ペルソナ的世界【世界Ⅳ】
 ○文字的世界→「イメージ論的世界」→推論的世界  【世界Ⅵ】
 ○文字的世界→「イメージ論的世界」→ペルソナ的世界【世界Ⅶ】

 第二のライン(世界Ⅳ)に関連して。──イメージ論的世界において仮面とペルソナが邂逅し、神の顔が現前する?

3.註釈学的世界
 ○文字的世界→「註釈学的世界」→推論的世界  【世界Ⅷ】
 ○文字的世界→「註釈学的世界」→ペルソナ的世界【世界Ⅸ】
 ◎文字的世界→「註釈学的世界」→文法的世界  【世界Ⅹ】

 第三のライン(世界Ⅹ)に関連して。──文字と文法がもたらす倒錯的産物(テクストにあらかじめ内在する伝達内容とテクストから独立した思考主 体)が註釈学的世界においてディコンストラクトされる。
 「文法的世界」5節「修辞学と注釈学と文法学─文法の諸相(4)」で(先走って)引用した柄谷行人氏の文章。──「注釈学は、朱子におけるよう に、哲学に下属するものではなく、また、哲学と別個にあるものではない。注釈学は、「哲学」をディコンストラクトする外部性であり、仁斎以後、哲 学は注釈学としてしかありえない。」(「江戸の精神」)

     ※
 以上の“世界観”を背景にして、まず、「註釈学的世界」に取りかかりたいと思います。これは第三部全体を通じて言えることなのですが、これから の作業は、それまで以上にエスキースとアイデア・素材集を柱としたものになります。

[*1]「マテリアル/メカニカル/メタフィジカル」は、人間の(諸)言語をかたちづくる三帯域論として私が独自に(勝手に)考案したもの。以下 は、「哥とクオリア/ペルソナと哥」第68章4節から。

 ……垂直方向にはたらく二つの力──下方(私的言語の圏域)からの「憑依」と上方(純粋言語の圏域)からの「受肉」──の合成を通じて、水平方 向に展開される客観的・公共的な人間の(諸)言語が成立・発生する。
 この人間の(諸)言語の稼働圏域は、詩的物質にかかわる「マテリアルな帯域」(クオリアの海)、エーテル的意味にかかわる「メタフィジカルな帯 域」(ペルソナの空)、そしてこれらふたつの帯域の中間(はざま)にあって、連辞と連合の操作が展開される「メカニカルな帯域」(モンタージュの 時空)の三層構造をなしている。……

[*2]九種類の記号の例として、本文では省略した個所において前田氏が示したものを以下に掲げる。

①性質記号:話される声それ自体が潜在的に持つ〈質〉の永久の流れ
 例示することのできない前個体的な質の現在そのもの
②個物記号:記号として発せられる私の声(発せられる度に異なっている)
 〈物〉として個体化した記号の在り方
③法則記号:記号として発せられる私の声が言語的に獲得する同一性の絆・一般性
 法則化した〈関係性〉
④類似記号:肖像写真が検索中の一人物の記号となる場合
➄指標記号:黒雲がやがて来る雷雨の記号となる場合
⑥象徴記号:〈禁煙〉の文字が特定の命令の記号となる場合
⑦名辞:ある物を〈A〉だと名指しする。
⑧命題:〈AはBである〉と断言する。
⑨論証:〈AがBであるのは真である〉と言明する。

[*3]前田氏の解説によると、パースはさらに九種類の記号を二つの規則にしたがい組合わせることによって、「記号の十のクラス」または結合型を 導き出す(Ⅰ~Ⅹ:各項に掲げた例示はⅠを除き前田前掲書による)。
 第一の規則。記号の組合わせは、記号過程の第一の三分法(性質、個物、法則)、第二の三分法(類似、指標、象徴)、および第三の三分法(名辞、 命題、論証)のそれぞれから一つの記号を選ぶことによってなされる。
 第二の規則。その際、高次のカテゴリーは低次のカテゴリーを含むが、その逆の関係はあり得ない。

Ⅰ 性質+類似+名辞=「性質記号」
Ⅱ 個物+類似+名辞=「類似的個物記号」
  例:一枚の肖像写真、犬を喜ばせるマドレーヌの匂い
Ⅲ 個物+指標+名辞=「名辞的指標的個物記号」
  例:恐怖を表わす叫び声
Ⅳ 個物+指標+命題=「命題的個物記号」
  例:風見鶏、今夜の雨を報せる黒雲
Ⅴ 法則+類似+名辞=「類似的法則記号」
  例:家の設計図、坂の斜面を表象する幾何学上の線
Ⅵ 法則+指標+名辞=「名辞的指標的法則記号」
  例:「これ」「あれ」などの指示代名詞
Ⅶ 法則+指標+命題=「命題的指標的法則記号」
  例:聞こえてくる誰かの言葉
Ⅷ 法則+象徴+名辞=「名辞的象徴記号」
  例:「花」のような一般観念を表わす「名詞」、単語
Ⅸ 法則+象徴+命題=「命題的象徴記号」
  例:文
Ⅹ 法則+象徴+論証=「論証記号」
  例:一般法則を規定する一連の論証、幾何学上の証明に用いられた線、小説の言葉


【2】註釈学的世界をめぐる文献と論点

 「註釈学的世界」のタイトルの由来は、柄谷行人氏が1986年、季刊『文藝』に連載した「注釈学的世界─江戸思想史序説」にあります。このエッ セイは、春季号から秋季号まで三回にわたって連載された後、中断しているのですが、そのうち夏季号・秋季号掲載分が、「伊藤仁斎論」として 『ヒューモアとしての唯物論』に収録されています。
 このほかにも、この時期、関連する仕事が集中的に発表されているので、その文献リストを挙げておきます[*]。私の作業は、これらの論考を読み 返すことから始まります。あるいは、それに尽きます。

1.『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』(ちくま学芸文庫)
 ①「江戸の注釈学と現在」(初出:1985.11.1)
 ②「「理」の批判──日本思想におけるプレモダンとポストモダン」(初出:1986.1.31)
 ③「日本的「自然」について」(初出:1986.10.23)
2.『ヒューモアとしての唯物論』(講談社学術文庫)
 ④「伊藤仁斎論」(初出:『文藝』1986年夏季号、秋季号)
3.『現代思想』臨時増刊号「総特集 江戸学のすすめ」(1986.9.20)
 ➄「江戸の精神」
 ⑥子安宣邦・柄谷行人「江戸思想の世界性」
4.『批評空間』第11号(1993年)/『シンポジウムⅠ』(1994年)
 ⑦子安宣邦・酒井直樹・柄谷行人「音声と文字/日本のグラマトロジー 十八世紀日本の言説空間」

 柄谷氏が集中的に「江戸思想論」に関連する講演や論文を発表していた80年代には、70年代からのポストモダニズムの世界的潮流が、日本でも現 代思想ブームやニュー・アカデミズムといった様相で席巻し、これと並行するようにして江戸ブームが起きていました。
 ポストモダニズム、あるいは思想・哲学の分野におけるポスト構造主義は、普遍的・静態的な「構造」を批判し、力による生成や多様な解釈による動 態化を図ろうとする思想潮流を指しています。単純化した言い方ですが、少なくとも当時は、そのような理解が通用していました。
 柄谷氏が註釈学を基軸とする江戸思想史に取りくんだあの時代から、冷戦終結や「歴史の終焉」を経て、いままた──宣長(1730-1801)や カント(1724-1804)、あるいは仁斎(1627-1705)やスピノザ(1632-1677)・デカルト(1596-1650)以前の ──荒々しい力の奔流の時代へ向かいつつあります。
 そのような趨勢のなかにあって、かつて柄谷氏が切り拓いた、閉域突破の思想的営みとは異なるベクトルをもった、「註釈学」のもうひとつの“可能 性”を探ることができないか。──力及ばぬことはあらかじめ織り込み済みながら、それが、現時点で私が抱いている“問題意識”にほかなりません。

    ※
 註釈学的世界に関する柄谷行人氏の議論をあらかじめ概観もしくは一瞥するため、「江戸の精神」から目にとまった一節を引きます。

《仁斎は、朱子が人間に内在する理として定義した「性」を、たんに生まれつきとよぶ。生まれつきは、遺伝的・生得的ということではない。それは、 むしろ、われわれが気がついたときには、すでに何らかのシステムに属してしまっているということである。たとえば、われわれはすでに日本語を知っ ており、日本語で考えている。この条件を意志によって変えることはできないし、言語をこえた高遠な実在に到達するような企ては「虚」である。
 だが、われわれは、そのようなシステムのなかで動かされていることを、そこから身をひきはがす意志によって自覚しうる。仁斎にとっては、それが 「学」である。とすれば、「学」が高遠な超越的な所にあるのではなく、「卑近」な場所においてそれを超越論的に問うということにしかないというこ とは、明らかである。
 哲学は、もはや世界と自己を説明する理論体系ではありえない。仁斎はそのような「立場」を拒否する。彼にとって、哲学(学)とは、そのような 「哲学」の外部に立とうとしつづけることである。注釈学こそが「学」である。そして、この注釈学に終わり(目的)はない。それを「反復」すること にしか、仁斎にとって哲学(学)はないからである。
 注釈学は、朱子におけるように、哲学に下属するものではなく、また、哲学と別個にあるものではない。注釈学は、「哲学」をディコンストラクトす る外部性であり、仁斎以後、哲学は注釈学としてしかありえない。たとえば、丸山眞男は、徂徠について近代政治学的認識をもたらしたといっている。 むろん、徂徠が政治(制度)を、「意識」に対する外部性として見出したことは確かである。しかし、彼はそれを、あくまで注釈学者として見出したの である。すなわち、言語の外部性への意識こそが、思考(意識)に先行する制度(作為)という認識をもたらしたのである。また、彼の認識が、政治的 な次元の独自性を見出しそれを科学として対象化する近代政治学と異なるのは、「政治的なもの」(カール・シュミット)を脱構築する視点を孔子の 〝教え〟のなかに見出そうとしているからである。》(『現代思想』(1986年9月臨時増刊号)21-22頁)

 ここには、註釈学的世界をめぐる論点のほとんどすべてが出そろっています。──仁斎によってはじめられた学すなわち「註釈学」とは、「孔子の教 え」(『論語』というテクストの言葉、師と弟子の対話としての言語)のなかに見出された超越論的な場所・視点から、「システム」(思考の条件とし ての言語、哲学=朱子学、等々)や思考=意識に先行する「(制度=作為としての)政治」を問いつづけ、これをディコンストラクトする終わりなき外 部性であった、といった具合に。
 これらのキーワードうち、次回はまず、註釈学的脱構築の対象となる「システム」を取りあげたいと思います。

[*]文献1(『言葉と悲劇』)に収録された講演、たとえば「スピノザと「無限」」(1987.07)や「単独性と個別性について」 (1987.11)などは、(柄谷氏が「江戸思想論」に取り組んでいたのと同時期のものであるという意味では)、「註釈学的世界」に関連するもの であると言える。(同時期の論考ということでは『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』は内容的なつながりが極めて深い。)
 文献2(『ヒューモアとしての唯物論』)に収められた論考、たとえば「一つの精神、二つの十九世紀」(1986)や「テクストとしての聖書」 (1991.10)や「非デカルト的コギト」(1994)などには江戸思想への直接的な言及がある。また「ライプニッツ症候群──吉本隆明と西田 幾多郎」(1988.10)は内容的なつながりが深い。
 宣長については、(「文字的世界」において言及したものほか)、「日本精神分析──芥川龍之介「神神の微笑」」(1997.11、『日本精神分 析』(講談社学術文庫))や「日本精神分析再考」(2008.12、『柄谷行人講演集成 1995-2015 思想的地震』(ちくま学芸文庫))でも論じられている。


【3】内在即超越のシステム

 柄谷氏が言う「システム」には、①「言語システム」のような普遍的なものや、②世界と自己を説明する理論体系としての「哲学」のほかに、③80 年代の「江戸ブーム」(ポストモダニズム)の先行形態であった文化文政期の「江戸文化」(歴史意識の閉鎖性と閉鎖空間の中での自足性を特徴とす る)があります。
 これらのうち、註釈学が深くかかわるのは哲学、江戸思想論の文脈で言えば「朱子学」にほかなりません。以下、関連する発言を引きます。

《朱子学においては「理」と「気」とが分けられるのですが、わかりやすくするために、「理」を原理、「気」を物質と考えますと、物質的世界や自然 界が存在し、かつ自然法則が存在するということです。(略)そういう法則を「理」と考えますと、「理」は自然界に先立ってあるのか、後からあるの か、ということが問題になります。朱子学においては、「理先気後」といい、「理」が「気」に先行していると考えます。しかし分離して先行している のではなく、「理」はある種の超越的なものであり、イデア的なものであって、そして自然界に内在しているのではない、と。むしろ、ある意味では 「気」しかなく、その「気」の中に「理」が含まれているのだという統合の仕方をしているのです。
 朱子学では、そういう内在的=超越的ということが特徴になっています。それは、天とか地とかいうのは超越的であるけれど、同時に人間に内在して いるということですね。ヨーガや仏教の考え方がそうですし、西洋でもエックハルトのような神秘主義者もそう考えています。心理学のユング派もそう ですね。我[われ]の下にもっと大きな我[われ]があって、だから自分を見つめて行けば大きな我[われ]として内々につながっている、という考え 方をします。いいかえれば、自己認識というのは自分の中にあるもっと大きな自分、つまり世界そのものに到達すればよく、その根拠は、われわれ自身 が神なのだからと考えるのです。朱子学というとたんに理論的に見えるけれど、ある意味では、禅とよく似た修行の方法でもあったのです。
 さらに朱子学では、存在は当為であるといえます。自分が在る在り方と在るべき在り方とが同じであるということは、その在るべき在り方に自分は到 達できる、ということなのですね。つまり簡単にいえば、人間は誰でも修行によって聖人になることができる、ということですね。》(「江戸の注釈学 と現在」、『言葉と悲劇』84-86頁)

《朱子学をヘーゲル哲学とすると、仁斎はキルケゴール的で、徂徠はマルクス的で、宣長はニーチェ的だと申しあげれば、朱子学に対する彼らの批判の あり方が、ある程度理解できるかと思います。
 しかし、今日の時点では、宣長がもっとも興味深いと思います。仁斎と徂徠は、元禄時代の思想家です。彼らは、この時期の文芸がそうであるよう に、非合理的なものの肯定が、まだ若々しい活気に満ちていた時代の思想家です。また徂徠の場合、商業経済に追いつめられてはいたものの、封建体制 を政治的に建て直すことがまだ可能である、と信じられる最後の時代にいたのです。それが一八世紀後半になると、もはやこのような若々しい活気も実 践的な可能性も失われ、また、中国に対する緊張も失われています。逆にいえば、これは江戸文化が閉鎖的な自律性において爛熟していったことを意味 するのです。
 こういう文化的爛熟とデカダンス、政治的な可能性への絶望あるいは拒絶という状況を前提にすると、本居宣長の思想が理解できるでしょう。すでに 述べたように宣長は、日本の『古事記』をテクストとして選びました。彼の仕事は、『古事記』の注釈につきるのであり、彼の認識もまたそこからきま す。彼の認識は一言でいえば、「漢意[からごころ]」の批判です。しかし、ここに排外主義を見てはなりません。彼の学問を、彼自身はたんに「古 学」と呼んでいたのです。後にそれは「国学」と呼ばれるようになり、実際にナショナリストの、あるいは復古的な神道イデオロギーにつながって行っ たのですが、彼はそれらとは違います。ニーチェがナチズムと違うのと同じ意味で。
「漢意」は、べつに中国人の思考を意味するのではありません。マルクスが『ドイツ・イデオロギー』を書いたとしても、それがとくにドイツ的思考を 意味するのではないように。「漢意」とは結局、朱子学的な「理」なのであり、理論、真理、原理……などを意味します。いいかえれば、矛盾に満ちた 過剰な現実を、何らかの体系的な意味に還元してしまう思考そのものを意味するのです。》(「「理」の批判」、『言葉と悲劇』129-131頁)

 柄谷氏の議論で興味深いのは、エックハルトやユングを引き合いに出して触れられた、神人合一の神秘主義的思考が「内在=超越」の「システム」 (朱子学的「理」)の類例として挙げられていたことです[*]。私はこれを、②「哲学」(体系的思考)の範疇にのみ限定せず、「システム」の新た な類型、すなわち④「意識」(孤立した意識主体・認識主体もしくは思考主体)に属するものとしても捉えています。
 ここで、ひとつの模式図を示します。

   α:非(前)言語的世界         β:言語的(分節)世界
 ┌────────────┐     ┏━━━━━━━━━━━━┓
 │            │     ┃            ┃
 │            │ ➙➙➙ ┃            ┃
 │            │     ┃            ┃
 └────────────┘     ┗━━━━━━━━━━━━┛
                          ⇓ ⇓ ⇓
                    γ:意識⇔客観的・概念的世界
                    ┏━━━━━━━━━━━━┓
                    ┃ ┌───┐  ┏━━━┓ ┃
                    ┃ │(α)│➙┃(β)┃ ┃
                    ┃ └───┘  ┗━━━┛ ┃
                    ┗━━━━━━━━━━━━┛

 はじめに──といっても、それはすべてが完了した「後から」遡及的に見出される、仮構された“起源”でしかないのですが──非言語的もしくは前 言語的な無分節の世界(α)があって、そこから言語的に分節化された世界(β)が生成する。
 これら二つの世界が重ね合わされて、「意識」(γ)が誕生する。そしてそのとき、原初の(仮構された)「α➙β」のプロセスが「意識」のうちに 入れ子式に取りこまれ、「内在即超越」の「システム」が、すなわち概念化された客観的世界が同時に完成する。

[*]柄谷氏は「江戸の精神」で、「井筒俊彦は、『荘子』の「天籟[てんらい]」の比喩、つまり、無限にひろがる虚空を貫いて吹き渡る色もない音 もない風、その風とともに起こる「声」について、こういっている」として、井筒の「意味分節理論と空海」からの一節──「…この無分節のコトバ は、時々刻々…自己分節して、…あらゆる自然物の声として自己顕現し、さらに…人間の言語意識を通り、そこで人間の声、人間のコトバとなる」云々 (岩波文庫『意味の深みへ』292頁)──を引いたうえで、次のように述べている。

《これは、老荘や仏教にかぎらず、あらゆる神秘主義についてあてはまることで、朱子ならば、それを「太極」=「理」とよぶだろう。井筒俊彦は、そ れを現代の言語学(ソシュール)のタームによっていいなおしているだけである。しかし、仁斎が言語の外在性を認識していたと私がいうのは、言語が 徹頭徹尾社会的(対話的)であることを認識したということである。仁斎が拒絶するのは、孤立した意識主体から出発することなのだ。その意識主体 が、言語的分節をこえた実在を見出そうが、そんなことは当人の「夢」にすぎない。》(『現代思想』(1986年9月臨時増刊号)22-23頁)

 ここで言われる「孤立した意識主体」は「システム」のひとつの類型であり、「社会」(対話)と対比された「共同体」(独白)の同義語である。

 なお、朱子の「太極」をめぐって、「伊藤仁斎論」に次の記述がある。
「太極は、それについて見ることも語ることもできないものであり、有でもなく無でもなく、始まりであって且つ始まりでない。それは一であり且つ多 である。
 歴史的なつながりがどうであっても、これが『華厳経』(禅の哲学的表現である)と共通していることは明らかである。この太極は、西田幾多郎なら 「絶対矛盾的自己統一」とよぶだろう。」(講談社学術文庫『ヒューモアとしての唯物論』268頁)


【4】閉域突破の思想的営みとしての註釈学

 前回書いたことに関連して。
 私はいま『0の裏側──数学と非数学のあいだ』を読んでいるのですが、この本のなかで共著者の一人、中沢新一氏が語っていることは、まさに「内 在=超越」のシステムそのものにほかなりません。中沢新一氏が語っていることというのは、たとえば次のようなものです。
「唯識仏教では、人間の前意識ないし無意識を「アーラヤ識」と名づけ、その内実がロゴス的知性(妄識、分別知)とレンマ的知性(真如、無分別知) の混合識として成り立っているという認識に立って、真如であるレンマ的知性の側から、妄識であるロゴス的知性によって仮想されてできているこの世 界から自由になっていく実践が説かれた。ロゴス的知性の不完全さを批判するだけではなく、レンマ的知性の内部構造にまで踏み込んだ思想(如来蔵思 想)が、そこから展開していくようになった。」(32-33頁)

 これに続く文章も引いておきます。
「『華厳経』はそういう流れの中で成立し、レンマ的知性の働きや運動性そのものに焦点を合わせた探究が試みられている。そこではレンマ的知性の充 満する空間を「法界(ダルマダーツ)」と名づけている。『華厳経』ではその法界の有様、動き、変化、コミュニティ様式、対発生-対消滅、ポテン シャルエネルギーの様態変化などが、映画のような手法でみごとに描写されている。」(33頁)

 いかにも、(師匠筋の)井筒俊彦を彷彿とさせる着想であり展開です。「私はこれを徹底的に否定したいのです。」柄谷行人氏のそんな声が聴こえて きそうです
 。ただ私は、柄谷氏の主張に心底賛同しつつ、一方で中沢氏の(そして井筒俊彦の)──結局のところ同じ事柄の多彩な言い換えに過ぎない、とも言 える──所説に心惹かれるのです。これだけは、如何ともし難しです。そもそも、何とかする必要などないとは思いますが。以上、個人的な述懐でし た。

     ※
 註釈学的世界をめぐる最初のキーワード「システム」に関して、いまひとつ新たな類型をつけ加えます。それは、➄「自然(じねん)」です。

 「日本的「自然」について」という講演のなかで、柄谷氏は、構造主義の「構造」とは変換・置換の「働き」であると述べています。(数学者・遠山 啓の『無限と連続』に基づく発言。そもそもレヴィ=ストロースの構造主義は数学者アンドレ・ヴェイユの協力に依るものだった。)
 柄谷氏いわく、この「働き」としての「構造」は日本的「自然(じねん)」の概念に通じている。それは「無為、何もないもの」すなわち「無」の働 きであり、自己と非自己が相対する以前の「自己差異化=自己超越」にほかならない。すなわち、自然(じねん)=無=超越者。親鸞は「(無上仏=超 越者と申すは)形もましまさぬ故に、自然(じねん)とはまうすなり」と言った。
 またいわく、レヴィ=ストロースが文化は「自然(しぜん)」が自己超越して成立したというのに対して、徂徠は文化の根源にある事柄は「聖人た ち」すなわち超越者(無の働き)が作ったと述べた。徂徠の考え方は親鸞のそれと言葉の上で「形」は違うが「構造」は同じである。「自然(じね ん)」の在り方を「手弱女ぶり」といった宣長は徂徠のこの考え方を受け継いでいる。

 ここで柄谷氏はとても重要な指摘をしています。

《私は西洋哲学のことをいろいろと考えていますが、われわれ日本人がたいへん好ましく思うような哲学は、かえってだめではないかと思います。別の 言い方をすれば、ある種の哲学というのは、「自然」ということをいいたいだけだと思いますね。われわれの日常的な意識、物象化された意識を超え て、「自然」に至るべきだ、ということをいいたいだけなのです。
 たとえば「関係主義」とか「生成」とかのことが、しばしばいわれています。「生成」とは「成る」ということですね。「自己差異化」していくとい うことが「生成」である。それは、主体が「作る」というのとは別のことです。そういう意味での生成=自己差異化ということが根本的なのである、と いう考えになります。この世界を実体として見ているのは、間違いである。それは一つの関係、システムでできているのであって、その関係システムを 絶えまなく変形していくのは、自己差異化である。その自己差異化の戯れ、無の働きに自分の身を任せれば、この世界は変容する、とそれらは考えるわ けです。(略)私はこれを徹底的に否定したいのです。》(『言葉と悲劇』154-155頁)

 柄谷氏が例に挙げているのは丸山圭三郎の言語論なのですが、これはあの時代の思想的言説(ポストモダニズム)全般に対する批判の言葉です。生成 の思考とは「共同体の思考」(=漢意(からごころ))にほかならないということです。
 この閉域を突破するためには「外部性」「他者性」を導入することが大切です。それも上のものを下にするといった同じ構造のなかでの組み換えでは なく、レヴィナスが excendence と言ったように、あるいは親鸞の「横超」や柄谷氏が後に語った「トランスクリティーク」のように「横に超越する」こと、移動しながら外部に出ること、そし て絶対的他者と出会うこと。

 この講演で語られた、柄谷批評に特有のアイロニカルな状況分析から──柄谷批評がではなく、その対象となった社会や政治や思想の状況それ自体が アイロニカルな構造を孕んでいた、と言うべきでしょうが──浮かびあがってくるのは、ある自閉した、その限りで自律的(自己生成的)な思想的言説 空間の内部において、たとえば『論語』や『源氏物語』といった、作者や時代の思想状況など既成の枠組に還元できない「大文字のテクスト」(絶対的 他者)と相対峙することを通じて、その共同体的閉域から外部へ出ようとする思想的営みこそが、註釈学であったということです。


【5】“方法=精神”の系譜としての注釈学

 注釈学世界をめぐる第二のキーワードは、「註釈学」そのものです。あるいは(デカルトや宣長にとっての)私的な“精神”、もしくはシステム(共 同体や思考主体=コギト=意識や言語や時代精神)に対する「外部性」としての、さらには「系譜学」「現象学」としての註釈学、などと言ってもいい でしょう。
 これらのキーワード群に関連する柄谷氏の文章を、「江戸の精神」から引きます(「現象学」関連は次回)。

◎旅人デカルトの“精神”=外部性/自らを思考主体の夢から引きはがそうとすること

《…デカルトにとって、〝精神〟はけっして思惟と同一ではなかっただろう。「われ思う、故にわれ在り」は、中世からいわれていた言葉にすぎない。 デカルトは、旅人として、異邦人として、われわれが考えているのはそれぞれの共同体の慣習にすぎないのではないか、考えているのではなく考えさせ られているのではないか、と疑った。デカルトが私は夢をみているのかも知れないと疑うのは、これと同じことである。「思考主体」は、夢あるいは共 同体に属しているのではないかと疑うこと、それが〝精神〟なのである。そうであれば、〝精神〟が〝外部性〟としてしかありえないことは明らかであ ろう。
 デカルトのコギトが思考主体と同一化された時期に、スピノザは、むしろデカルトに忠実たらんとしてデカルトを批判した。彼によれば、思惟は、延 長と同じく、この世界に内属している。思惟は、言語と同様に、共同体のシステムに、あるいは今日のいい方でいえば、言語ゲームに属している。だ が、そのように自らを思考主体の〝夢〟から引きはがそうとすること、それが〝精神〟なのである。》((『現代思想』(1986年9月臨時増刊 号)10頁))

◎“方法=精神”の系譜としての注釈学/宣長は「やまとごころ」を“精神”とよべばよかった

《しかし、彼[ロラン・バルト]が見出した〝日本〟、実際には十九世紀(江戸後期)の生の様式は、たんにシステムにすぎない。九鬼周造が日本的精 神として意味づける「『いき』の構造」は、まったく外部性をうしなって、〝同一性〟のなかに閉じこめられた生の形態にすぎない。
 それは、十八世紀後半に、本居宣長がいった「やまとごころ」とは、まったくちがっている。(略)
 本居宣長は、「やまとごころ」を、たんに〝精神〟とよべばよかったはずである。ちょうど、彼が自分の学問を「国学」とよばず、たんに「古学」と よんでいたように。漢意[からごころ]とか仏[ほとけ]意と宣長がよぶものは、…理論的であろうと日常的であろうと、われわれが自発的に考えてい るかのようにみえるとき、すでにそのなかで考えさせられているにすぎないようなシステム(制度性)を意味する。本居宣長は、「やまとごころ」を古 代に探究したのではない。彼にとって、「やまとごころ」は、われわれの思惟を支配している累積的な転倒を遡行的に解きほぐしていく行為そのもので ある。(略)宣長にとって、〝精神〟(やまとごころ)は、思惟に対する外部性としてあり、したがってまた、思惟にとっての外部性としての言語の考 察(注釈学)こそが彼の「方法」だったのである。
 われわれは、それが伊藤仁斎の注釈学からはじまっていることを知っている。仁斎、徂徠、宣長という注釈学者たちは、一つの〝精神〟の系譜を形成 している。それは「時代精神」の如きシステムではない。(略)〝精神〟は、私的である。したがって、彼らが〝精神〟の系譜を形成すると私がいうの は、彼らが同一であるとか影響関係にあるということを意味するのではない。たえず、外部性へとのがれようとする意志、いわば差異化する意志として のみ、彼らは同一的なのである。「江戸の精神」と私がよぶものは、それ以外ではありえない。》(同11頁)

 追記。子安宣邦との対話「江戸思想の世界性」のなかで、柄谷は、「「方法」ということでいうと、宣長はデカルト的」(同179頁)だと語ってい る。
「デカルトの『方法叙説』は、〝方法〟というものが〝精神〟だといっているわけです。ですから、「こうすればいい」とかいう方法ではないと思う。 自然科学は別にデカルトがいなくても発達しているわけですから、肝心なことは〝方法〟ということだと思うんです。宣長がもたらした〝方法〟という こと、別なかたちでいえば注釈学ということになるんだけれども、注釈学そのものが〝方法〟なのです。注釈しつづける行為が〝精神〟なので、それ以 外に「やまとごころ」はないと思うんですね。」(同180頁)
 ちなみに柄谷は「やまとごころ」を「心の在りように関する超越論的な反省の形態」(同180頁)と規定している。

◎言語の外在性の意識が仁斎以降の注釈学=系譜学である

《…中国人にはけっして生じないことが、仁斎にはおこっている。それは、完璧な漢文を書こうとするということが、自らの言語=思考から身をひきは がすことになるという経験である。いいかえれば、仁斎において、言語が、思考にとって外的な何かとしてはじめて意識されたのである。それは、逆 に、思考が言語によって支配されているということの意識でもある。
 言語の外在性の意識、これが仁斎以降の注釈学である。そして、それが朱子をふくむそれまでの注釈との決定的差異である。たとえば、ニーチェは、 われわれの思考はインド=ヨーロッパ語の文法に支配されているとのべた。思考主体そのものが文法の産物である。主語のない言語においては、べつの 思考が可能であろうと、ニーチェはいう。仁斎の注釈学は、いわばそのような「系譜学」をはらんでいる。それは、歴史的な系譜を示すことではなく、 われわれがもともとこうだと思いこんでいる「真理」の歴史性を示すことである。それは歴史学とは別であって、むしろ歴史学がもつ真理性(客観性) の前提そのものを疑うことである。いいかえれば、注釈学=系譜学は、思考=言説の外部に立つことなのである。》(同17頁)

 追記。「江戸思想の世界性」のなかで、柄谷は、フーコーのアルケオロジーの源泉はニーチェの系譜学にあると述べている。
「ぼくは、注釈学といわれている日本の江戸思想家たちの在り方は、まさにそういう在り方だったのではないかと思っています。儒教の学者のなかで は、注釈学というのはヘーゲルの歴史哲学みたいなものなんですね。つまり、歴史を哲学的に意味づけるということです。それに対して、系譜学という ものは、それ自体の転倒性をあばきだすものです。そういう系譜学的な注釈学を思想史のなかで論じるのはおかしい、むしろそれは思想史をディコンス トラクトするような仕事なのではないか、という気がしていたのです。
 宣長はまさにそういう仕事をしていたと思うのですが、それを遡ってゆけば結局仁斎なんですね。彼が最初に糸口を開いたわけですよね。」(同 162頁)

◎超越論的であることが“精神”なのだ

《われわれが「考える」のは、いつもすでに共同体のなかにおいてであり、社会的な言語ゲームのなかにおいである。われわれは、このような「生活世 界」を‘こえて’しまうことはできない。また、それを超越する真理があるわけではない。なぜなら、どのような形式的真理も再びどれかの日常言語に よって解釈されるほかないからである。だが、〝精神〟とは、たえずそれに‘ついて’問うことにおいてのみ外部性として自立する在り方である。カン トやフッサールならば、それを「超越論的」とよんだだろう。超越論的であることが、〝精神〟なのだ。
 デカルト主義者は、このような〝精神〟を、思考(意識)と同一視する。つまり、〝外部性〟として精神を内在化させてしまう。したがって、再びス コラ的な二元論に帰着するのである。》(同20頁)

 ──今回は、(いつにも増して)引用中心の素材集になりました。
 実をいうと、ここで、永井均氏の議論、たとえば『転校生とブラックジャック──独在性をめぐるセミナー』の終章「解釈学・系譜学・考古学」など を引いたうえで、柄谷行人の思考と対比させる、あるいは、「デカルトと宣長」という文章を含む渡仲幸利著『新しいデカルト』との接続を探ってみる つもりでしたが、この目論見は別の機会に譲り、先を急ぐことにします。
(柄谷行人と永井均の思考の対比については、「哥とクオリア/ペルソナと哥」第61章で試みたことがある。そこで取りあげた柄谷氏の「ライプニッ ツ症候群──吉本隆明と西田幾多郎」(『ヒューモアとしての唯物論』)は註釈学的世界との関連が深い。)


【6】テクストの現象学としての註釈学

 前回留保しておいた「現象学」関連の柄谷氏の文章を、「江戸の精神」と「江戸思想の世界性」から引きます。

◎実存としての注釈/自らの思考を問うこと(現象学的還元)と「古の道」を問うことの一致

《…彼[仁斎]の注釈学においては、自分自身に問うことと、過去のテクストに問うことが不可分離となる。それは、『論語』から新しい規範や根拠を とり出すことではない。注釈という行為そのものが、仁斎にとって〝実存〟なのである。
 徂徠や宣長によって継続されていったのは、この意味での注釈学である。宣長に関していえば、彼に許せなかったのは、[仁斎が否定した]日本的漢 文というよりも、漢文的日本語であっただろう。それは、…現実に日本語そのものであり、われわれの日常的思考そのものなのである。漢語をとった純 粋の日本語などありえない。それを探求すれば、現代の言語史学がやるように、「日本語のルーツ」を探すことになってしまうだろう。
 宣長はそんなことを考えてはいない。自らの日常的な思考を疑うこと、いわばそれを現象学的に還元して行くこと、そのような内省が、同時に、「古 の道」を明らかにする作業と切りはなしえないのである。なぜなら、たんなる内省は、朱子学による内省と同じことになり、たんなる注釈学は、現在の 理論を過去のテクストにおしつけることにしかならないからである。
 宣長の注釈学は、したがって仁斎のそれと〝同一〟である。いうまでもなく、これは影響関係ではない。(略)宣長とすれば、彼の注釈学は、他の誰 かの真似をすることではありえなかった。実際に、宣長は、その先行者、賀茂真淵と決定的にちがっている。彼は、真淵が文学の根拠とした誠[まこ と]=真心[まごこ]など認めない。要するに、彼は、心の中に真理をみとめないのである。「やまとごころ」とは、即自的(自然的)にあるような心 ではなく、それに‘ついて’問うような意志(精神)である。》(前掲書19-20頁)

 追記。現象学と註釈学との関係をめぐって、「江戸思想の世界性」(子安宣邦との対話)において柄谷氏が語ったこと。
「注釈学というものや文献学というものは現象学とは反対のように見えているけれども、注釈学的であるということが現象学的であることとは絶対に切 り離せないような構造になっていると思うのです。つまり、自分自身の考察ということが古[いにしえ]の考察と切り離せないということなっていると 思います。」(同161頁)
「日本人が考えることというのは、結局、日本的漢文あるいは漢文的日本語のシステムのなかで考えているわけだから、そこから自分を引き離すという ことをとにかく仁斎はひとりでやった。そのことが、彼の「現象学」にほかならないと思うのです。したがって、それがまた彼の「注釈学」でもあ る。」(同169頁)

 また、子安宣邦の宣長論を読んで「非常に現象学的だ」と感心したことに関連して。
「つまり、フッサールが超越論的といういい方をしているけれども、心、意識を問題にするときに、それ自体ではなく、それに‘ついて’問う、という ことが超越論的なわけです。仁斎以前はみな、心のあり方自体でものをいっていたわけですが、仁斎からは、それに‘ついて’問うというか、そこに人 間をみる場所をおこうとした。(略)たとえば、宣長にとって大切なのは、「もののあはれ」ではなくて、つまり感情や感動ではなく、「もののあはれ を知る心」です。これは超越論的な問いだと思います。」(同167頁)
 これに対する子安氏の発言。
「ぼくの宣長論での現象学云々ということですけれども、たしかにぼくは宣長の漢意批判というものを、自然的態度の還元ということで理解していま す。」(同168頁)

 ──「現象学」とは、「経験(何かが現実に存在していることに気づくはたらき)の仕組み(現れを通じて何かが現われるというメカニズム)」の解 明と「経験の分類」をめざしたフッサールの「問い」を共有しながらも、その「方法」(エポケーと超越論的還元)や「分類」(超越的知覚・内在的知 覚・価値覚(Wertnehmung)・本質直観・他者経験)を共有しないフッサール以降の人びと(ハイデガーやメルロ=ポンティやレヴィナスな ど)によって展開され、現在も進行中の「ムーブメント」である。
 これは、鈴木崇志氏の『フッサール入門』の「はじめに」と第二章の記述を適宜切り貼りしたものです。ここで言われる「現象学運動」をフッサール 以前に遡り、かつ、「経験」──「何かが私に対して現れ、私がそれと出会う場所のこと」──の対象である「現れ」を『論語』や『源氏物語』といっ た「テクスト」に求めるならば(その場合、「現れ」を通じて現われる「何か」とはたとえば「孔子の教え」である)、仁斎や宣長における註釈学のこ とを「テクストの現象学」[*]と呼ぶことができるでしょう。

[*]永井晋氏は『〈精神的〉東洋哲学──顕現しないものの現象学』第一章「現象学の〈神学的転回〉──受肉・テクスト・イマージュ」において、 「〈神そのもの〉への現象学的接近」のモデルを、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のそれぞれの一神教体験をもとに、次の三つに分類している。こ れらのモデルの順序は歴史的なものではなく、「神そのものに向かう還元の段階と、それぞれのレベルで開かれる経験のタイプを示している」(12 頁)。

(1)受肉/イコンモデル(キリスト教)
(2)テクスト/エロスモデル(ユダヤ教)
(3)鏡像/元型イマージュモデル(イスラーム神秘主義/グノーシス)

 以下に引用する文章は第二のモデルにかかわるもの。ここに書かれたユダヤ教聖典の「ミドラシュ解釈」(註釈術的解釈)が、『論語』という文字テ クストをめぐる現象学的註釈学と、なにがしかの理論的親近性を切り結ぶのかどうか、私には測り知ることができない。

◎文字テクストの潜在性をその本来の姿であるアナーキーな跳躍的動きに戻すこと

《…文字テクストは存在に先立つ神=一なる生命の自己凝縮体としてまさしく「存在なき神」であり、イコンと同じく「飽和している」ことになる。有 限の形態にその容量を超えた無限の生命が凝縮され、溢れかえっているのであり、イコンとの決定的な相違は、この充溢が‘生成変化の動きとして’体 験される点である。それは、地平の境界線上に微かに姿を現す(すなわち文字の形になって見える)ことによって一時的に〈せき止められ〉、〈凝縮し た〉生命の動きが‘いまにも動き出す寸前の状態’であり、(ベルクソン=ドゥルーズ的な意味での)〈潜在性〉である。それは空虚な記号であるどこ ろか超充実の実現なのである。
 この〈せき止められた動き=潜在性〉を、それに独特な=特異な仕方で「触れる」ことによって、その本来の姿であるアナーキーな跳躍的動きに戻す ことがテクストのミドラシュ解釈である。このように解釈(者)が独自の解釈技法を駆使してテクストの自己凝縮/自己炸裂の動きの中に入ることに よって、文字テクストは真に唯一的なもの(生命としての神そのもの)となるのであり、自己凝縮/自己炸裂し続けることによって偶像化から免れるの である。》(『〈精神的〉東洋哲学』18-19頁)


【7】テクストの現象学としての註釈学・承前

 前回の話題のつづきとして、註釈学的世界をめぐる第三のキーワード群のうち、「テクスト」に関連する柄谷氏の文章を、少し先走って、以下に抜き 書きします[*]。

◎大文字のテクスト/『論語』の中にはすべてが書かれている

《さて、仁斎による「理」の否定というのは、いいかえれば、テクストを蔽っている意味の否定ということです。昨今の批評などでよくいわれているこ とも、本当はこうした種類の文献学とか、注釈学などから来ているのだと思います。デリダにしても、彼がエクリチュールを問題にする場合の〝テクス ト〟という概念は、本来なら大文字で表記されるべきですね。つまり、テクストとは、『聖書』を意味しているのです。よく、テクストを解放せよと言 う人がいますが、テクストとはそういうものではありません。
 むしろテクストの中にはすべてが入っているのだと考えないかぎり、テクストをそれを蔽う〝意味〟から解放することなど、できるわけがありませ ん。そのためには、信念がなくてはならない。つまり『論語』の中にはすべてが書かれているんだと考えないと、『論語』を囲っている朱子学的な理論 体系を批判することはできないのです。ですからテクストは任意のテクストではなく、いわば大文字のテクストでなければならない。その意味では、仁 斎が『論語』をテクストとして、すべてがその中にあるのだと考えて「理」の批判を行なったことは、すごく重要なことなのです。江戸思想のもっとも 注目すべき発端は、こうして仁斎によって、そのような意味でのテクストが見つけ出されたことにある、と極言してよいと思います。》(「江戸の注釈 学と現在」、『言葉と悲劇』102-103頁)

◎仁斎は『論語』を初めてテクストとして見出し、その言葉(対話性とイロニー)に注目した

《ミシェル・フーコーは注釈について、「注釈するということは、その定義からして、「シニフィアン」よりも「シニフィエ」が過剰にある、というこ とを認めることだ」と述べています。大切なのは、この意味での注釈です。朱子において『論語』の注釈は、『論語』を彼の哲学体系に、あるいは一定 のシニフィエに従属させることです。ところが、仁斎にとっては逆です。『論語』というテクストを、哲学的体系すなわち「理」によって囲いこむこと のできないものとして見出すことです。というより彼は、『論語』を初めてテクストして見出したのです。実際に『論語』は、孔子の言行録であり、そ れはつねにある文脈で、ある特定の他者に語られているので、一つの一貫した意味から見ると、矛盾に満ちているわけですから。
 仁斎が注目したのは、『論語』の言葉であり、その対話性とイロニーです。》(「「理」の批判」、『言葉と悲劇』127頁)

◎歴史=テクストの外部はない/超越不可能な「歴史」を書記するエクリチュール

《ソシュールは、エクリチュールを排除して内的言語からはじめる。…それに対して、デリダにとって、エクリチュールは、音声=内面化しえない、そ れに先行する外部性である。また、ド・マンにとって、テクストは、その意味を決定できないもののことである。…
 ある意味では、彼らはテクストの聖性を回復しようとしている。…

 …かつて江戸時代の註釈学について考えてみたとき、私は、同じような事柄をそこに見いだした。…
 『論語』では、孔子の言葉はつねにある文脈で誰かに語られている。それらの断片をどこかで統合しようとする超越的な視点がない。一つの体系にま とめあげることはできないような、矛盾した多方向な重層性が生じている。仁斎はそれを評価するのだ。…
 世界宗教の原典とされるものを読んで、このような印象を受けるのは、他には『聖書』だけである。…
 …なぜ『論語』の書記者(たち)は、孔子の言行をあのようなスタイルでまとめたのか、というより、まとめることを拒否したのか。・…重要なの は、始祖たちよりも、書記者たちの姿勢、あるいは、彼らの姿勢の背後にある一種の伝統である。一言でいえば、「歴史」の意識なのだが、それは書く ことと切り離しえないのである。…

《人間の生についての観念を、彼らは歴史から学んだのである。》[アウエルバッハ『ミメーシス』]おそらく、このことばがないならば、ユダヤ=キ リスト教は、じじつそうであるように、神学的物語になってしまっているだろう。重要なのは、いわゆる超越神の観念ではなく、歴史の外部はない(超 越不可能)という観念である。だからまた、ユダヤ=キリスト教を作ったのは、歴史=テクストなのであり、これなくして前者はない。まさにその意味 でのみ、『聖書』は「神の言葉」なのである。
 私は、仁斎の『論語』論について考えていたとき、『論語』の書記者たちがその姿勢において「歴史家」なのではないか、と思った。…おそらく、中 国の歴史家は、ユダヤ人とは別の意味においてだが、超越不可能な「歴史」を見いだしていたといってよい。そして、彼らのエクリチュールはたぶん漢 字(エクリチュール)と結びついている。漢字は、なだらかで線形的な視覚的表現に向いていない。それは、矛盾した重層的な現実をそのままとらえよ うとする非線形的表現に向いている。ヘブライ語の『聖書』と同様に、『論語』の文章は、どう読むかも決まっていないのである。
 むろん、私は『聖書』と『論語』が同じだといいたいのではない。ただ、『聖書』を特徴づけるものがそのエクリチュールにしかないことをいいたい だけだ。》(「テクストとしての聖書」、『ヒューモアとしての唯物論』287-292頁)

[*]引用文は仁斎についてのみ言及しているので、少し補足しておく。
 まず宣長について。柄谷氏は「江戸思想の世界性」の中で次のように語っていた。

◎もののあはれを知る心=超越論的な意識=やまとごころ

《つまり、宣長がいっているのは、「もののあはれを知る心」ですね。「もののあはれ」という状態も心なんですが、「もののあはれを知る心」という のは、「もののあはれ」に関して超越論的な意識だと思ううんです。だから、けっして主観と客観ということで区切られる問題ではない。宣長は別の言 葉で「やまとごころ」みたいなことをいっていますね。ぼくはこの「やまとごころ」の「やまと」はいらないと思います。というのは、漢文を読んでも 読まなくても、誰でもふつうに考えているかぎり、漢意だといっているわけですから。われわれの日常的な思考イコール日常的な言語、そのこと自体す でに漢意なんだから、フッサールの言葉でいえば「自然主義的」なんだから。それを、現象学的に、超越論的にカッコに入れて問わなければだめなんだ というわけです。それが、「もののあはれ」ではなくて、「もののあはれ」を知る心だと思うんです。次元がちがうと思うんですよ。大事なのはそこ区 別です。そういう区別は振り返ってみると、結局仁斎のなかにすでにあるんじゃないかと思う。》(前掲書168-169頁)

 次に徂徠について。子安氏の発言「ぼくはね、実は徂徠があんまりよくわかってないですね。」に応じて、柄谷氏は「ぼくは実は不快です。(笑)」 と応じている(同175頁)。実際、「柄谷江戸思想論」全体を通じて徂徠に関する言及は少ない。
 なので、ここでは森和也著『神道・儒教・仏教──江戸思想史のなかの三教』から、徂徠に関連する文章のうち「カッコに入れ」るという語が使用さ れた文章を抜き書きする。

◎哲学的な思弁をカッコに入れ、儒教経典のテキストそのものを読み込むこと

《徂徠のこの思想[それまで朱子学などでは地続きであった政治と道徳と文学とを切り離す──引用者註]が、明の古文辞派という文学運動の研究の結 論であるということに、思想という知の構造物の皮肉な機微を思わざるを得ない。つまり古文辞派の影響を受け、哲学的な思弁をいったんカッコに入 れ、儒教経典のテキストそのものを読み込むことで「四書五経」に書かれていることは古の聖賢による《政治の道》であって、朱子学の説く理気の二元 論のような宇宙論的な視野で個人の修養と世界の安定を結びつけるのは後世の附会であるという結論に至ったのである。》( 『神道・儒教・仏教』)

◎日本語化した儒学をカッコに入れ、本来の文脈の中に立ち返った儒教を捉え直す方法論

《徂徠は、漢文が中国語であることを念頭に置くことを主張し、漢文読解で日本語化した儒学をいったんカッコに入れ、本来の文脈の中に立ち返った儒 教を捉え直す方法論を試みるが、黄檗宗とその僧侶は、徂徠にとって「山門を出れば日本ぞ茶摘み唄」という萬福寺を詠んだ田上菊舎[たがみきく しゃ]の発句のように、日本の中にある中国としての役割を果たすことになる。それは徂徠に限らず。鎖国下で中国に渡ることのできない日本人で中国 に関心を持つ者にとって、同様の機能を果たしていたはずである。》( 『神道・儒教・仏教』)


【8】イロニーとしての孔子の言葉─仁斎の註釈は完結しない

 註釈学世界をめぐる第三のキーワード群(前回取りあげた「テクスト」[*]を除く)──「『論語』あるいは孔子の言葉」「孔子の言葉は対話性・ イロニーとしてのみある」「孔子は書かなかった」「孔子の教え」など──をめぐって、「伊藤仁斎論」の考察を引きます。

◎仁斎の注釈学──『論語』の対話性あるいはイロニーに向かうこと
   
《肝心なのは「定義」ではない。仁斎が注目したのは、『論語』の言葉である。(略)
『論語』あるいは孔子の言葉の特性は、それがいかにもある文脈で他者に対して語られているところにある。バフチンのいい方にしたがえば、それは 「対話的」である。しかし、『論語』は、弟子たちとの対話が集成されているがゆえに「対話的」なのではない。孔子の思想は、「対話」としてしか けっして表明しえないものであるがゆえに、『論語』は対話的なのである。そして、それが『論語』を「至言」たらしめている。
 …孔子の言葉[「吾未だ生を知らず、況んや死に於てをや」]は、明らかに、死について知らなくても少なくとも生については「知っている」と思い こんでいる智者に対する反語(イロニー)である。孔子の「無知」は、無知の仮装(イロニー)にほかならない。
 孔子の言葉は、実際に対話がなくても、すべて一対一の関係において、他者の言葉に対して発せられている。いいかえれば、孔子の言葉は自ら何かを 積極的に主張するのではなく、逆に、誰かによってなされた積極的主張に対する反語としてのみある。》(『ヒューモアとしての唯物論』 239-242頁)

《…仁斎は、朱子学が禅的な内省に傾いていることを批判しているが、それは朱子学が原理に向かっての探究であることと別の事柄ではない。「理」を 求めることと、内省的であること、すなわちモノローグ[他者排除]的であることとは同じことになる。朱子学の「理」に対する仁斎の批判は、理論に 対する実践(陽明学の如き)を主張することによってではなく、『論語』の対話性あるいはイロニーに向かうことによってしかありえない。それが仁斎 の〝註釈学〟なのである。》(同249頁)

◎孔子は書かなった─書くことによって消滅してしてしまう事柄

《それ[『論語』の言葉がすべて「対話」においてあること]は、孔子が‘書かなかった’ということと同義である。驚くべきことは、ソクラテス、 ブッダ、イエスといった連中がそろって書かなかったということである。それは、同時代に書く習慣がなかったからではないし、哲学的思索や体系がな かったからではない。彼らが書かなかったのは、書くこと(一般的他者に向かうこと)によって消滅してしてしまわざるをえない事柄を見出したからで ある。彼らのいうことは、彼らに先行する伝統的な観念によって異なるが、共通しているのは、その言葉がつねに対関係において発せられているがゆえ にアイロニカルであること、けっしてそれまでの「問題」に対して答えずその「問題」そのものを無効化してしまうこと、そしてそれを他者(対関係に おける)を愛するという問題に転位させてしまうということである。
 たとえば、…孔子は「未だ人に事[つか]うること能わず。焉んぞ能く鬼[先祖霊]に事えん」という。これは、霊魂などないということではない。 肝心なのは、生きている他者との関係だということを反語的に主張しているのである。「孝」は、血縁的な関係と切れたところで、親を〝他者〟として その関係をとらえなおすことを意味している。》(同244頁)

《「吾未だ生を知らず、況んや死に於てをや」という言葉は、たんに、死の意味は生の意味にかかってあるということをいう。そして、死の意味を問う ことは、生の意味を問うことであり、それは人間の関係の意味を問うことだ。この関係は、いうまでもなく一対一の関係(対関係)である。たとえば、 死に恐怖や死後の生の想像は、人間が他者との対関係のなかにないならば、ありえない、自分ひとりならば、あるいは一般的な他者が死ぬのなら、われ われは平然としていられる。だが、子や妻や親が死んだとしたら、あるいは彼らを残して自分が死ぬとしたら、それは耐えがたい。それが何ものでもな いかのようなふりをすることも、理論的に死後の世界を否定することもおかしい。老荘や禅は、結局「対関係」を断ちきることを説いているが、そんな 困難な「道」は「道」ではないと、仁斎はいう。
 結局『論語』は──ブッダにしてもイエスにしても同じことだが──、死後の世界があるかないかという「問題」そのものを斥ける。あるいは、死後 の世界という観念によって、人間の生き方を律し根拠づける思考を拒否する。大切なのは、一対一の人間関係のなかで、すべてが問われなければならな いということである。》(同246頁)

◎孔子の教え─他者に対する実践のうちにしか「道」はない

《…仁斎は「理」の批判を孔子の言葉にのみ求めている。彼にとっては、孔子だけが「聖人」なのである。(略)
 たとえば、朱子学に流れこんでいる老子の思想などは、「堯舜以前」からあると、仁斎はいう。孔子は、しかし「真理」を語ったのではない。「邪 説」とは、「真理」を語る説なのだ。仁斎にとって、孔子の言葉は、この「真理」(理)に対するイロニーであった。仁斎は孔子を信じるという。それ は、真理よりもキリストとともにいたいといったドストエフスキーを想起させる。》(同266-267頁)

《…仁斎は、人間にそれがあらかじめ内在していないがゆえに徳を学ぶことができないというのではない。彼がいいたいのは、孔子は朱子のようにその ような普遍的な「性」の内在を説いたのではなく、まさに孔子その人のイロニカルな言行によって、そのことの可能性が開かれたのだということであ る。その意味で、孔子だけが「教える者」なのである。それは、孔子を歴史的な人物とみなすことでもなく、超越的な聖人に祭り上げることでもない。 孔子の「教」は、仁斎にとって、対関係としての他者に対する実践のうちにしか普遍的な「道」などありえないということを意味したのである。(略)
 人間の本来的な同一性、真理あるいは完全な解放に到達する可能性という理念は、逆に、他者に対する「残忍酷薄」に転化する。万人が同一的である がゆえに、真理に到達した者が、そこに至らなかい者に対して絶対的であるのは当然だとみなされるからである。むろん、それは朱子学だけの問題では ない。仁斎の塾に権力関係がないのは、彼が「教える-学ぶ」関係を拒否したからではない。その逆である。この関係なしに人間の普遍的な同一性など ありえないという認識をもっていたからである。仁斎は、一般的な他者に講義しうる教義などもっていなかった。また、彼の註釈には完結するというこ となどありえなかったのである。》(同280-281頁)

 ──今回取りあげたキーワード群は、総じて「他者性」の語で括ることができると思います。同様に、第二のキーワード群(註釈学、“精神”、系譜 学、現象学)を「外部性」の語で括り、この二つの概念の関係を探ることは、(そして「愛」や「仁」をめぐる柄谷氏の洞察を深掘りすることは)、註 釈学的世界をめぐる第四のキーワードの考察につながっていくはずです。

[*]前回の落穂拾いとして、苅部直著『小林秀雄の謎を解く──『考へるヒント』の精神史』から小林秀雄による伊藤仁斎論について書かれた文章を 引く。(苅部氏が言及している小林のテクストは、1958年刊行の『講座 現代倫理』第一巻に寄稿された「「論語」」。)──ここに描かれている のは、小林秀雄による「『論語古義』の言葉」の発見と「テクストの現象学」(=「愛読」)の実践である。

◎歴史感情から徳川思想史へ─小林秀雄の現象学的註釈学

《…小林は、古典のテクストをじっくりと解読し、その背後に働いている人間の「精神の働きを、その強さなり、力なりを共感によつて取戻すこと」… を、仁斎を引きあいに出しながら提唱する。こうした論法は、…かつて一九四一年に講演「歴史と文学」で述べたような、過去の人物の精神に対する共 感としての「歴史感情」と共通するだろう。…
 だが同時に、仁斎の『論語古義』にふれることを通じて小林は、古典、そして歴史とむきあう態度に関して、新しい側面をつけ加えるようになっ た。…
 …仁斎が『論語古義』で展開した注釈の言葉には、仁斎その人の「経験」がその内側で生きていた。そうであるならば、現代における『論語古義』の 読者は、…その著者である仁斎の「経験」にねらいを定めて、自分自身の「経験」と照らし合わせながら読解を深める必要があるだろう。それはまた 『論語』を「自己の経験に照らして」読みこむ作業を通じて、孔子の精神と共感しようとした仁斎の方法を追体験することでもある。
 そのような方法を通じて、『論語古義』についての理解を深めていけば、解釈者である小林の心に浮かびあがってくるのは、伊藤仁斎という個人の内 的な体験だけにはとどまらないだろう。仁斎の知的生活の背景をなし、当人の個性に深くからみあっている、十七世紀の京都の儒者が身を置いた言説の 空間が見えてくるはずである。そうした思考の作業が、徳川時代の思想史という大きな背景への関心につながっていったと思われる。こののち小林は古 典の著者の精神状況を想像のなかで追体験するという「歴史感情」から離脱し、思想の長い歴史へと踏み出してゆくのである。》


【9】「政治」をめぐる覚書と若干の落穂拾い

 前回の最後に仄めかした、註釈学的世界をめぐる第四のキーワードとは「政治」でした。
 精確に書いておきます。仁斎、徂徠、宣長が、それぞれの註釈学的なテキストの“読み”を通じて到達したのは、たとえば「(仁斎が)書かなかった 言語論」(「伊藤仁斎論」253頁)や「性(うまれつき)」であり、「制度=作為としての政治」であり、「もののあはれを知る心」や「やまとごこ ろ」の「こころ」であったのですが、それらを一括して「政治」──あるいは、ハンナ・アーレントの「純粋政治」──と呼んでいいのではないか、と 私は考えています。。

 橋本摂子著『アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である──アーレント判断論の社会学的省察』によると、アーレントは、「何ものにも依存しない 政治固有の意味と価値を可視化するために、政治領域から極限まで政治外契機[「政治を真理に至るための手段とみなす啓蒙政治」と「生命維持にかか わる生理的な必要=困窮からの自由を目指す解放政治」]を削ぎ落とした」(202頁)。この「純粋政治」の領域に、アーレントが「ただ一つだけ、 無条件に認められるア・プリオリな原理」として措定したのが「複数性という事実」(170頁)だった。

《人間の複数性が失われた世界、つまり地上にはあたかも単独の一者しかいないような虚構で覆われた世界において、政治は成立しえない。というよ り、人間の在り方が複数的でないならば、政治はそもそも存在する意味がない。もし人びとが皆等しく同一の意見しかもたないならば、われわれは他者 と言葉を交わす必要もなく、自由の概念は消失するだろう。だからこそ、アーレントは複数性を、政治が、精確には自由が可能であるための最大かつ不 可欠な条件だとみなしたのである。
 そして複数性は所与の事実であるが、他方では思考と言論、つまりは判断を通じて初めて公的世界に顕現する。もちろん人はみなそれぞれが誰とも異 なる唯一の存在としてこの世に生まれ出で、誕生した瞬間からつねにすでに複数的に在る。しかしそのことが確証され共有されるには、言論空間の中で 互いの差異が、語られた言葉、なされた行為を通じて蝕知可能な事実へと変換されなければならない。それだけでは決して世界に現象することのない思 考は、精神生活と活動生活の界面に位置する判断という営為を介して、初めて「政治の生産物」である言論として人びとの前に出現し、複数性を世界に 現実化する。「人間が物理的対象としてではなく、人間として相互に現れる」…こと、言いかえれば、「何」であるかではなく「誰」であるかが世界に 暴露されるのは。つねに言論の地平においてである。》(『アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である』170-171頁)

 1980年代なかばの柄谷行人の思考を“追体験”しながら、カントの『判断力批判』の読解を通じて自らの「純粋政治批判」を構想したハンナ・ アーレントの思考が──そして、世界の複数性と独在性の〈私〉(永井均)との関係如何が──しきりと頭をよぎったこと、このことを、後の作業のた めの「覚書」として最後に書き記して、「註釈学的世界」をめぐる考察をいったん閉じます。

     ※
 書き残したことや心残りはいくつかありますが、一点だけ取りあげるとすれば、断章こそ我が「天性の形式」であり、我こそ「断片的体系家」である と名乗ったフリードリッヒ・シュレーゲルのこと。岩波文庫から最近刊行された『断章集』の訳者解説で、武田利勝氏が次のように書いています。

《…「体系」を希求しつつも常にそれを疑わざるを得ない、という意味できわめてアンビバレントな思考の道筋は、彼の遺稿断章のなかにたびたび見出 されるが、そこには例えばこう書かれている──「いかなる体系も多量のものからなる断片のつぎはぎ[ラプソディ]であり、さまざまな断片のつぎは ぎからなる塊である」…。
 ギリシア語rhaptein(縫い合わせる)を語源とする「ラプソディ」の本来的な意味は、多様な諸部分の縫合である。そして諸部分が一個の体 系へと縫い合わされる──というよりも縫い合わされてはじめて一個の体系が出来上がる、という観点に立つならば、「いかなる体系も諸断片からのみ 生長する」…としか見えないであろう。そのうえまた、それら体系もさらなる縫合可能性のうちにあることから、「いかなる偉大な体系といえどもやは り断片にすぎない」…のである。こうして断片から体系へ、そして体系から断片へと、どこまでも無限循環的に続くラプソディ的生長プロセスはもは や、カントが要請するような、人間身体のシンメトリーをモデルとした体系とは別次元にある。それは敢えて言うなら、断片の萌芽から多様な枝分かれ を繰り返すうちに巨大な樹木へと生長し、さらには無数の種子へと回帰し、このプロセスの無限反復のうちに鬱蒼と繁茂しつつづけてゆくという、植物 の生長に似ている。悟性の限界を奔放に突き破りながら、予測不可能な全体を無限に更新し続けるのだ。
 これが、フリードリッヒ・シュレーゲルの見た体系のビジョンである。》(『フリードリッヒ・シュレーゲル 断章集』378-379頁)

 これはまだ思いつきの域を脱しないのですが、「断片(断章)」と「体系」を双方向でつなぐ媒介、回路としての「註釈」の系譜──断片(断章)的 思考、モザイク的思考、スピノザ的思考、ニーチェ的思考、ベンヤミン的思考、ウィトゲンシュタイン的思考、等々──を考えることができるのではな いか。

       註釈Ⅰ
 ┌───┐ ←─ ┌───┐
 │断 片│    │体 系│
 └───┘ ─→ └───┘
       註釈Ⅱ(逆註釈)